小澤武雄 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳二等 | |
---|---|---|
爵位・身分・家柄 | 男爵、錦鷄間祗候 | |
職業 | 貴族院議員、金邊鐵道株式會社長、株式會社八十七銀行取締役、日宗生命保險株式會社顧問 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化元年十一月十日 (1844) | |
親名・続柄 | 小澤庄兵衛義房の子 | |
家族 | 妻 桑子 嘉永六年一月生靜岡縣士族河村綱賀二女 長男 定雄 明治十六年三月生 | |
記述部分(略伝) | 君は小倉藩士小澤庄兵衛義房の男にして弘化元年十一月十日豐前國足立村に生る幼名を義之丞直之丞又武男と稱す明治元年小倉藩の兵を東北に發するや君軍務官となる同四年九月陸軍少佐となり同年十二月中佐に同六年十一月大佐に累進し官房長心得となり同年八月參謀局御用掛兼勤を仰付られ同九年二月兼一等法制官に任じ同年六月米國費府博覽會へ差遣され同十年一月太政官大書記官に任じ同年征討軍團參謀を仰付られ同十一年十一月陸軍少將に任じ同十二年十月陸軍省總務局長となり同十四年十月陸軍士官學校長を兼ね同月陸軍少輔に同十八年陸軍中將に進み同月陸軍士官學校長に補し同十九年七月兼參謀本部次長同年十月從三位に叙せられ同二十年勳功に依り華族に列し男爵を授けらる同二十一年五月參謀本部長に補し同二十二年三月砲臺建築法取調として歐洲へ差遣され同二十三年一月歸朝同年九月貴族院議員に勅任せられ同年十月陸軍豫備を仰付らる 家族に女綾子(明治二十五年五月生)同房子(同二十九年八月生)あり | |
住所・電話番号 | 東京市牛込區拂方町二六 電話番町二六 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おざわ たけお | |
別名 | 義之丞、直之丞、武男 |