小倉久 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 休職、富山縣知事 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永五年一月十五日 (1852) | |
親名・続柄 | ||
家族 | ||
記述部分(略伝) | 君は舊沼田藩士にして嘉永五年一月十五日を以て生る明治三年大學南校貫進生となり同九年佛國に留學を命ぜられ同十一年法律得業士の學位を得歸朝して司法省大書記官に出仕十五年元老院權書記官に轉じ十七年司法省校に入て法律學士となる十九年大阪控訴院檢事に補し從六位に叙せらる後職を辭して代言人となり大阪に業務を開き破産管財人を命ぜらる又曾て代議士に選出せられ三十一年内務省警保局長に拔擢せられ爾來監獄局長より和歌山縣知事に轉じ更に富山縣知事となり這般休職の身となれり 「戸籍取調中」 | |
住所・電話番号 | ||
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | おぐら ひさし | |
別名 |