北條氏恭 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊河内國狹山藩主 | |
職業 | 侍從 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 弘化二年八月十八日 (1845) | |
親名・続柄 | 堀田正衡の七男 | |
家族 | 男 謙吉 明治十年五月生 男 釐三郞 明治十九年六月生 姪 慧 明治十六年四月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は鎭守府將軍平貞盛の後裔なり五代時家に至り北條と稱すそれより十八代左京太夫氏直に至り小田原の城主として關八州を統轄す後秀吉と戰つて利あらず更めて河内國狹山藩一萬石を與へらる叔父美濃守氏規の男氏盛▲を嗣ぎ後九代從四位氏燕に至り君其の後を承く 君實は子爵堀田正路三代の祖正衡の七男なり弘化二年八月十八日を以て生る幼名を智五郞といふ萬延元年七月先代氏燕の養子となり文久元年河内國狹山一萬石の封を襲ぎ同年十二月從五位下に叙せらる明治二年狹山藩知事に任じ同三年九月制度局に出仕し同年十一月侍從に任じ同四年七月宮内省に出仕し同年七月侍從に任じ同十六年四月勳六等に叙し同十七年三月侍從に任じ同二十年十二月正五位に叙し同二十一年勳五等瑞寶章を賜はる同二十五年七月從四位に叙し同二十七年九月勳四等瑞寶章を同二十八年十月勳三等瑞寶章を賜はり同三十年七月正四位に叙せられたり 弟兼次郞(安政六年十一月生)は分家し男正路(明治十二年十二月生)は子爵堀田正頌の後を續ぎ女彜(同四年九月生)は子爵織田信親に養はれ同智(同十年六月生)は侯爵伊達宗德三男紀隆に同堯(同十五年十一月生)は東京府士族渡邊直達に嫁し 女頴(同二十二年一月生)男雋(同二十四年五月生)は家にあり | |
住所・電話番号 | 東京市麴町區二番町三九 | |
参照人物(親類) | 子爵織田信親、侯爵伊達宗德、子爵堀田正路 | |
参照次数 | 3 | |
読み | ほうじょう うじゆき | |
別名 | 智五郞 |