細川興貫 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊常陸國谷田部藩主 | |
職業 | 貴族院議員 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保三年十二月八日 (1833) | |
親名・続柄 | 細川興建の長男 | |
家族 | 男 興嗣 安政二年八月生 婦 峯子 安政四年十二月生男興嗣妻東京府華族相浦修長女 孫 ひさ子 明治十五年十二月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は從四位侍從藤孝の子從五位下玄蕃頭興元の後なり興元慶長十四年野州芳賀郡茂木の庄に於て祿一萬五十四石を領し後同國筑波、河内の兩郡内に於て六千二百六十五石を加增せられ谷田部藩主となるそれより七代を經て從五位下興建に至る 君は其長男にして天保三年十二月八日を以て江戸に生る幼名辰十郞嘉永五年封を襲ぎ明治二年以降茂木藩知事宮中祗候青山御所勤番明宮祇候等に任ぜられ貴族院議員に當選すること二回なり 前記家族の外孫澄子(明治二十二年十二月生)同興治(同二十三年七月生)男貫一郞(同二十五年十一月生)あり 孫ゆき子(同十四年一月生)は茨城縣人山崎時太郞に嫁し同健麿(同八年十一月生)は東京市淺草區吉野町廣田伊兵衞の養子となり同辰雄(同二十五年十二月生)は陸軍步兵大尉龜井茲廸相續人となり男親篤は子爵故堀親義の養嗣子となり現に戸主たり妹瑳久(天保五年三月生)は子爵南部故信民に嫁す | |
住所・電話番号 | 東京市淺草區今戸町一一 電話浪花二三一八 | |
参照人物(親類) | 子爵堀親篤、子爵南部信方 | |
参照次数 | 2 | |
読み | ほそかわ おきつら | |
別名 | 辰十郞 |