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橋本雅邦 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正七位
爵位・身分・家柄
職業画家、美術院教授古社寺保存會委員
性別男性
生年月日天保六年七月二十七日 (1835)
親名・続柄 橋本晴園の長男
家族妻 はる 安政四年三月生東京府平民鈴木新太郞姉
男 得 明治十四年七月生
記述部分(略伝)君は京都の画伯橋本晴園の長男にして天保六年七月二十七日を以て生る君幼より画に志し十三歳にして勝川雅信の門に入る當時君雙親を失ひ窮乏甚し後雅信の家人三浦某の養撫する所と爲る巳にして君其塾に在りて塾頭と爲る安政六年狩野家の神髓を受け獨立して一家を爲す當時尊王攘夷論海内に沸騰し世間又画事を口にするものなし君は僅に支那行の扇面を画きて糊口を凌ぐ後海軍兵海校に出任し製圖に從事すること十五年明治二十年十月岡倉覺三歐洲より歸り文部省内繪画取調所を設くるに當り君又出仕す二十三年東京美術學校の創設せらるゝや君其の教授と爲る三十一年岡倉覺三とともに美術學校を辭し美術院を設立し其の教授と爲りまた古社寺保存會委員を兼ぬ
家族は前記の外男勉(明治十九年九月生)同蒼(明治二十一年三月生)同直(明治二十二年十二月生)女ゑい(明治十四年七月生)同ふき(明治十六年十二月生)男靜治(明治廿四年十一月生)女幾(明治二十六年七月生)男基(明治三十一年一月生)女未(明治三十四年九月生)等あり
住所・電話番号東京市本鄕區龍岡町三三
参照人物(親類)
参照次数
読みはしもと がほう
別名