説田彦助 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 清酒問屋、日本商船株式會社長、東京商業會議所員、日出石油株式會社長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永元年二月十日 (1848) | |
親名・続柄 | 説田彦左衞門の長男 | |
家族 | 妻 もと 安政五年十一月生福島縣士族田代庄藏養女 男 八十八郞 明治二十五年八月生 | |
記述部分(略伝) | 君の祖先は藤原千常に出て相良を氏とせしも中ころ説田と改む家世々九州の豪族なり 君は説田家三世彦左衞門の長男にして嘉永元年二月十日を以て生る中祖彦助江戸に出で酒類及肥料の業を營む幼時春木南溟に画を西島秋航に漢籍を學び後商業修習の傍劔法を三村伊賀右衞門に學ぶ維新の際佐土原藩の軍務會計局に登用せられ軍事爲換に從事す此時に當り官賊兩軍江戸市中に相對し將に兵戈に罹らんとす市民恐れて悉く去る君獨り留り盛んに酒を買集む既にして亂定り物價暴騰し君即ち曩に蓄積せし處の酒を出して之を販賣し巨利を博せり後明治四年輸入の壜詰酒を發賣す是本邦壜詰酒發賣の嚆矢なり同五年有志と謀り靈岸島學校を創立し同廿年海防費を献じて銀製褒章を賜はり同二十二年支那に航し各地を遍歷して酒類製造の實況を視察し歸來本邦酒を壜詰と爲して彼地に輸出す又其精製酒の見本を英米獨の諸邦に輸出して大に賛評を博せり 家族は前記の外男行之助(明治二十七年三月生)同利吉郞(同三十三年三月生)あり | |
住所・電話番号 | 東京市京橋區南新堀町一ノ一二 電話浪花二四七二 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | せつだ ひこすけ | |
別名 |