伊藤博文 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正二位、大勳位 | |
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爵位・身分・家柄 | 侯爵、舊長州藩士 | |
職業 | 貴族院議員、政友會總裁 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十二年九月二日 (1841) | |
親名・続柄 | 伊藤林十藏の子 | |
家族 | 母 琴子 文政二年六月生山口縣平民秋山長左衞門長女 妻 梅子 嘉永元年十一月生山口縣平民木田幾三郞姉 養子 勇吉 明治三年二月生山口縣士族亡井上五郞三郞四男 婦 たま 明治十四年十一月生養子勇吉妻神奈川縣士族高島嘉右衞門長女 | |
記述部分(略伝) | 君は天保十二年九月二日を以て生る山口縣林十藏の男なり幼にして學を好み吉田松蔭の弟子たり夙に勤王の志深く天下の志士と交を結ぶ文久年中井上馨等と英國に航行して文物制度を視察す明治二年大隈重信と計り京濱間に鐵道を敷設す同四年岩倉公の副使として歐米に至る明治六年征韓論破れて西南の役となるや謀を帷幄の中に運らして功あり同十七年伯爵を授けらる同十八年天津條約を定め樞密院議長貴族院議長を歷任し日清役の當時内閣總理大臣として清國和を請ふや君は全權辨理大臣として馬關條約を締結して勳功あり同二十八年を以て侯爵に列し大勳位に叙し菊花大綬章を賜ふ其經歷官名を記載すれば大藏少輔兼民部少輔北海道御用掛英國より金銀借入方條約取結全權委員租税頭造幣頭工部大輔參議工部卿地方官會議々長政體取調御用係法制局長官賞牌取調掛賞勳事務局長官刑法草案審査總裁議定官内務卿佛國博覽會事務總裁參事院議長制度取調局長官宮中顧問官貴族院議長條約改正案調査委員全權辨理大臣臺灣事務局總裁東宮輔導顧問帝室制度調査局總裁皇室經濟顧問法典調査會總裁樞密院議長大藏卿代理外務大臣代理宮内大臣内閣總理大臣等なり明治三十四年政友會を組織して其總裁となる 女生子(明治元年八月生)は男爵末松謙澄に同朝子(明治九年二月生)は山口縣士族西源四郞に嫁し 甥文吉(妻甥明治十八年十二月生)孫博精(明治三十二年五月生)同博春(明治三十四年四月生)同博通(明治三十五年九月生)の家族あり | |
住所・電話番号 | 東京市麻布區東鳥居坂町二 電話新橋一八六〇 | |
参照人物(親類) | 高島嘉右衞門、男爵末松謙澄、伊藤勇吉 | |
参照次数 | 3 | |
読み | いとう ひろぶみ | |
別名 |