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白川資訓 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級從二位
爵位・身分・家柄子爵、舊公卿
職業
性別男性
生年月日天保十二年十一月十五日 (1841)
親名・続柄 白川顯康の子
家族妻 いく子 嘉永元年▲月生伯爵西三條公允妹
男 資長 明治三年十二月生
婦 えい 安政四年九月生亡弟資義妻大阪府平民河井▲吉妹
記述部分(略伝)當家は清仁親王の子延信王の末なり延信萬壽二年三月神祗伯に任じ爾來世々繼續し賢所の事務を掌る其子康賢を經て顯康に至り姓源氏を賜ひ白川と稱す夫より二十三世を經て資敬に至る
君は其男なり天保十二年十一月十五日を以て生る嘉永二年三月元服して昇殿を聽され同四年九月神祗伯に安政元年十二月待從に同四年五月右近衞少將に元治元年八月同中將に歷任し諸方の供奉を仰付られ明治四年八月神祗大掌典に任じ同六年十一月式部寮御用掛を仰付られ弘化二年十二月從五位下より明治三十三年十二月從二位に昇叙せらる
家族は前記の外甥資發(明治十九年十月生)あり
女縫子(同八年五月生)は沖繩縣士族篠田富助に姪節(同十年八月生)は東京府士族安島富弘に嫁す甥資始(同十四年一月生)は東京府平民國川惠以方に入家す
住所・電話番号東京市麴町區四番町三
参照人物(親類)伯爵西三條公允
参照次数1
読みしらかわ すけのり
別名