木下廣次 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從四位、勳三等 | |
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爵位・身分・家柄 | 熊本縣士族 | |
職業 | 法學博士、貴族院議員、京都大學總長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永四年五月廿五日 (1851) | |
親名・続柄 | 木下眞太郞の二男 | |
家族 | 妻 津禰 萬延元年二月生熊本縣士族木下助之四女 男 正雄 明治十六年七月生 女 とね 明治十九年二月生 | |
記述部分(略伝) | 君は熊本縣士族木下眞太郞の二男にして嘉永四年五月廿五日の出生なり幼にして同縣士族木下眞弘養子となり明治十九年家督を相續す同八年司法省に職を奉ぜしが間もなく佛國へ留學し同十年法學得業士となり翌十二年法律學士の稱號を受く始め渡佛せしより前後八年苦學の末業成りて同十五年歸朝し文部省御用掛を命ぜられ翌十六年正七位に叙せられ東京帝國大學教授に任ぜらる同十九年法科大學教授となり翌二十一年第一高等中學校教頭及び教諭を兼任す同年法學博士の學位を受く翌二十二年第一高等中學校長に轉任す同二十四年貴族院議員に勅選せらる同二十六年文部省專門學務局長に任ぜられ同二十八年勳四等に叙せらる同三十年京都大學總長に任命せられ文部省專門學務局長を兼任せしが暫くにして專任となる同年從四位に叙せられ翌三十一年勳三等に昇叙せらる甞て法典調査會委員を命ぜらる | |
住所・電話番号 | 原籍熊本市妙體寺町四二 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | きのした ひろじ | |
別名 |