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長谷川芳之助 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄舊唐津藩士
職業工學博士、衆議院議員(鳥取縣選出)、製鐵所事業調査委員
性別男性
生年月日安政二年十二月十五日 (1856)
親名・続柄 長谷川久徵の長男
家族妻 なか 文久二年八月生東京府士族久保田政擧女
男 久一 明治十七年一月生
記述部分(略伝)君は舊唐津藩士故長谷川久徵の長男にして安政二年十二月十五日を以て肥前唐津に生る家代々唐津藩數學の師範たり年甫めて十三父に就き數學を修め後ち故勝伯門下の士佐藤與造に就き蘭學を修む明治元年何禮之に就きて英語學を學ぶ同二年官立大阪開成學校設立され何氏其教頭となるや教員に擧用せらる同八年夏官命を奉じて北米合衆國コロンビヤ大學に入學し採礦冶金製鐵事業を研究し「ドクトル、オフ、フヰロソフヰー」の學位を授けらる歸朝後三菱社に入り高島炭坑の買入に參し經營すること一年半轉じて吉岡銅山を營理することとなり以て今日の盛あるを致せり又日向の槇峰鑛山を買入れて之れを採掘し故ありて止む後ち上京して本社に入り盡瘁すること九年間三菱社の鑛山の事業經營は一に君の力に基くと云ふ又製鐵事業調査委員製鐵所創立委員となり後製鐵所事業調査委員となり以て今日に至る明治三十五年鳥取縣より選ばれて衆議院議員となる
住所・電話番号東京市小石川區小日向臺町一ノ二〇 電話番町一三一九
参照人物(親類)
参照次数1
読みはせがわ よしのすけ
別名