長谷場純孝 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正五位 | |
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爵位・身分・家柄 | 鹿兒島縣士族 | |
職業 | 衆議院議員政友會總務委員(鹿兒島縣選出) | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政元年四月一日 (1854) | |
親名・続柄 | 長谷場藤藏の長男 | |
家族 | 母 志賀 天保十一年七月生 女 純 明治十九年十月生 | |
記述部分(略伝) | 君は鹿兒島縣士族長谷場藤藏の長男にして安政元年四月一日を以て生る家世々農を以て業とし地方屈指の富豪家なり幼にして達德館に入り業を卒ふ後鹿兒島藩學寮を卒業す西南の役賊軍に與して一隊の將となる亂平らぎて入獄す出獄後改進黨の起るに際し卒先之れに入り熊本縣人宗像政と共に天下を周遊して各地の志士に交る既にして歸鄕し鹿兒島縣三等教授となり次で鹿兒島監事及郡長及内務省官房長に歷任し正五位に叙せらる又縣會議員同常置委員等に擧げらる嘗て國事犯罪に依り入獄せしも憲法發布の特典にて赦免せらる其後擧げられて衆議院議員となり引續き議員たり目下は政友會總務委員として其名政界に高し | |
住所・電話番号 | 東京市麻布區狸穴町五九 電話新橋一三五二 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | はせば すみたか | |
別名 |