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兒玉源太郞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳一等、功三級
爵位・身分・家柄男爵
職業陸軍中將臺灣總督
性別男性
生年月日嘉永五年閏二月二十五日 (1852)
親名・続柄 兒玉半九郞の長男
家族養母 ひさ 天保十四年四月生故平九郞女
妻 まつ 安政三年四月生大阪府平民故岩永秀松女
男 秀雄 明治九年七月生
同 貞雄 明治十二年一月生
同 友雄 明治十四年十月生
女 よし 明治二十一年八月生
婦 さや 明治十四年四月生長男秀雄妻男爵寺内正毅女
記述部分(略伝)君は舊山口藩士兒玉半九郞長男嘉永五年閏二月二十五日を以て周防德山に生れ五才にして父を喪ふ藩制幼年を以て家を繼ぐを得ず依りて同藩士淺見榮三郞の次男嚴之丞君の姉久の入夫となり家督を相續す殿之丞二十三歳にして奸邪の徒の手に死し君其の養子となり後を繼ぐ年僅に十六戊辰の役官軍に從ひ長岡會津函館等に轉戰し武名大に顯る明治三年大隊第六等下士を命ぜられ同四年陸軍權少尉に同年中尉同五年大尉に任ぜられ佐賀の亂に從軍し舊戰銃傷を負ふ創癒て熊本鎭臺參謀に補し少佐に任ぜられ西南の役谷干城に從へ熊本城を籠守し日薩の野に戰ひ拔群の勳功あり同十三年中佐に同十六年大佐に任し同十八年參謀本部第一局長に同兼陸軍大學校長に補し同二十二年少將に任じ同二十四年歐洲へ差遣され同二十五年歸朝陸軍次官に同二十九年中將に同三十一年臺灣總督に同三十二年兼陸軍大臣に任ぜらる同三十五年依願陸軍大臣を免ぜらる明治七年正七位に叙せられ同二十七八年の役起るや極めて繁劇の局に立ち夜を徹して事を視る久しきに至る勳功に依り華族に列し男爵を授けられ功三級金鵄勳章を授けらる同三十二年勳一等に同三十五年正三位に叙せらる
養弟文太郞(元治元年六月生)は分家し
男常雄(明治十七年三月生)同國雄(同十九年九月生)同八郞(同二十四年四月生)同九一(同二十六年八月生)女なが(同二十三年一月生)同もと(同二十八年十月生)孫さだ子(同三十五年一月生)は家にあり
住所・電話番号東京市牛込區市ケ谷藥王寺前町三〇 電話番町三九〇
参照人物(親類)男爵寺内正毅
参照次数1
読みこだま げんたろう
別名