六條有凞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正四位 | |
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爵位・身分・家柄 | 子爵、舊公卿 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 文久二年四月十六日 (1862) | |
親名・続柄 | 六條有義の長男 | |
家族 | 祖母 綏子 文政五年八月生侯爵山内豐景緣女 父 有義 天保元年十月生 母 志無子 嘉永二年八月生京都府士族森嘉達長女 妻 邦子 慶應二年十二月生伯爵葉室長通養姉 大叔母 鋹子 文政二年五月生 同 嘉壽子 文政十一年十二月生 姉 英子 安政六年九月生 弟 有信 明治十二年七月生 男 有直 明治二十一年四月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は村上天皇の孫源師房の末久我通有の後なり通有より數代有繼を經暫く中絶し有廣これを再興しそれより九代有容に至り君其後を承く 君實は其孫にして有義の長男なり文久二年四月十六日を以て生れ同十六年十二月家を續ぎ翌年七月子爵を授けられ同三十年七月正四位に叙し淑子内親王家祗侯、京都宮殿勤番、殿掌、賀茂神社別當、賀茂御祖神社宮司、等に歷補せらる 家族は前記の外大叔母眞照(天保八年十二月生)は京都府水藥師寺住職に叔母敬子(明治元年七月生)は伯爵橋本實頴に養女ひで(明治八年七月生)は男爵阿蘇惟孝に嫁し同祖英(明治五年七月生)は京都市靈鑑寺住職となり 女照傳(明治廿三年九月生)同女須磨子(明治二十五年十二月生)男有方(明治二十八年九月生)同有正(明治三十四年五月生)女修子(明治三十一年二月生)は家に在り | |
住所・電話番号 | 京都市上京區寺町通廣小路上ル染殿町八 | |
参照人物(親類) | 男爵阿蘇惟孝、伯爵葉室長通、伯爵橋本實頴、男爵藤大路親春、侯爵山内豐景 | |
参照次数 | 5 | |
読み | ろくじょう | |
別名 |