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山根正次 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正五位、勳五等
爵位・身分・家柄山口縣士族
職業衆議院議員(山口縣選出)、醫師
性別男性
生年月日安政四年十二月二十三日 (1858)
親名・続柄 山根孝仲の二男 **
家族母 ちよ 文政▲年五月生山口縣士族山根文季長女
妻 すえ 安政六年正月生山口縣士族烏田良岱三女
男 勉一 明治十七年一月生
妹 きく 安政五年七月生
姪 みつ 明治十六年五月生
記述部分(略伝)君は山口縣士族にして安政四年十二月二十三日を以て生れ夙に漢蘭獨學を研究し次で帝國大學醫學部に入り卒業して醫學士となり司法省の命を帶び歐洲全土を歷遊して法醫學を專攻す又墺國斯學の大家「ホーマン」に從ひ精研する所あり爾來長崎醫學校一等教諭三池鑛山局所屬工場虎列拉豫防方監督傳染病豫防委員長崎病院醫員竹ノ久保避病院監督長崎病院内科醫長醫務局長東京地方衞生會臨時委員醫術開業試驗委員同委員長代理虎列拉豫防委員長牛疫豫防委員長赤痢病豫防委員長臨時檢疫部次長臨時檢疫局事務官警察規則取調委員監獄建築調査委員警察醫長警視廳第三部長兼内務省臨時檢疫局事務官警視廳檢疫委員長同獸檢疫委員長東京地方裁判所醫務囑託内閣恩給局常設顧問醫内閣印刷局衞生醫務囑託中央衞生會委員等に歷任公衆衞生に關する事務に鞅掌する年あり明治三十五年八月山口縣郡部より代議士に推薦せられ官を辭して東京に醫業を開き一般患者の治療に從事す内科は君の最も長ずる所なりと云ふ三十六年解散後更に代議士に選ばる
家族は前記の外女きよ(明治二十五年十一月生)同ちえ(同三十年四月生)同信子(同三十一年四月生)あり
同たか(同二十年七月生)男正直(同二十八年七月生)は兄省一の養子となり兄省一(嘉永三年七月生)は其妻ちよ(安政五年十月生)を携へ分家す甞て米國に留學する八年歸朝して現今山口縣都濃郡笠戸島に於て專心開墾事業に從事せり
住所・電話番号東京市麴町區富士見町一ノ一 電話番町四〇五
参照人物(親類)
参照次数
読みやまね まさつぐ
別名