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山川幸喜 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正七位
爵位・身分・家柄
職業醫師
性別男性
生年月日天保三年十二月二十九日 (1833)
親名・続柄 山川小文治の長男
家族妻 須万 天保八年三月生高知縣士族檜垣直枝姉
男 幸雄 明治元年正月生
婦 りう 明治十六年三月生東京府平民長谷川謹介二女
記述部分(略伝)君は舊高知藩士山川小文治の長男にして天保三年十二月二十九日生る幼名は丑之助維新後今の名に改む幼時高知に出で山内公の側醫荒川玄門に就て醫を修む安政四年初めて業を開く文久二年江戸表容堂公側醫加役となり明治四年宮内省九等出仕を命ぜられ同五年陛下西幸の際供奉仰付られ同六年權少侍醫を拜し同八年六等侍醫に進み同十年職を辭して開業し專ら諸人の救治に從ふ
養女くに(慶應三年十月生)は東京府士族醫師田村肇に女かめ(同元年六月生)は醫學博士片山國嘉に嫁せり
住所・電話番号東京市京橋區元數寄屋町二ノ一 電話新橋九三二
参照人物(親類)片山國嘉田村肇長谷川謹介
参照次数3
読みやまかわ こうき
別名