永山盛典 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊鹿兒島藩士 | |
職業 | ||
性別 | 男性 | |
生年月日 | 元治元年九月十八日 (1864) | |
親名・続柄 | 永山盛輝の長男 | |
家族 | 母 さわ 安政三年六月生東京府士族紺本綱太郞女 弟 盛雄 明治十年二月生 弟 盛喜 明治十二年九月生 妹 德子 明治十七年二月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代盛輝より家名を揚ぐ盛輝は舊鹿兒島藩士永山盛廣の男にして文政九年八月を以て生れ幼より武技を好み其奧義を究む勘定奉行より身を起し藩主守衞中川宮守衞となり德川氏大政を奉還するや大久保、西鄕岩下等と日々參朝して公事を辨ず維新諸方に轉戰して功あり明治二年宮内省に出仕爾來大參事元老院議官錦鷄間祗候等に歷任し貴族院議員となり同三十三年五月華族に列し男爵を授けられ正三位勳二等に叙せらる同三十五年五月病を以て率す 君は其長男なり元治元年九月十八日を以て生れ同年一月家督を相續し襲爵仰付らる 家族は前記の外弟盛秀(明治二十年五月生)妹愛子(同二十四年三月生)あり 同梅子(同十五年六月生)は奈良縣平民柴田貫之亟弟駒三郞に嫁せり | |
住所・電話番号 | 東京市麻布區富士見町四四 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | ながやま もりすけ | |
別名 |