中澤彦吉 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | ||
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爵位・身分・家柄 | ||
職業 | 東京市參事會員、酒類醬油問屋奴利屋、總武鐵道株式會社監査役、東京火災保險株式會社監査役、帝國海上運送保險株式會社監査役、東京建物株式會社取締役、東京商業會議所會員、株式會社京橋銀行頭取、株式會社六十三銀行取締役、株式會社八十四銀行頭取、株式會社興業銀行頭取、長門無煙炭礦株式會社監査役、合資會社紅葉館代表社員、上菱醬油株式會社相談役、信越石油株式會社取締役 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 天保十年二月二十七日 (1839) | |
親名・続柄 | 中澤彦右衛門の長男 | |
家族 | 養子 時三 明治十年十一月生きん婿福島縣平民白井貞藏弟 女 きん 明治十三年七月生養子時三妻 | |
記述部分(略伝) | 君は天保十年二月二十七日生る父を彦右衛門と云ひ君は其長男なり初名は保次郞後今の名に改む初代彦七天保年中攝州より出てて酒類販賣店を京橋に開き奴利屋と稱す爾來連續して君に及ぶ嘉永三年專ら心を商業に傾け武州川越の釀造家瀨川伊右衛門の丁稚となりて其釀造法を研究し辛酸四年大に得るとこるあり安政三年家に歸り業務を執る後武士たらんとして家を出てしも家事の爲めに意を果さずして歸る六年實兄の箕裘を繼ぐ時恰も幕末に際し天下大に亂る君即ち古金を地中に藏して戰亂を避くるの備を爲し時機を待つ戊辰の亂平定後洋學の必要を感じ箕作麟祥に就き佛學を研究し後慶應義塾に轉じ明治二年三野村利左衞門小野善助等と東京商社を創立し後八十四國立銀行の經理に與り同廿四年衆議院議員に選出せられ又曾て京橋區會議員市會議員等に當選せられたること數回なり 男彦一郞(明治七年七月生)は東京府平民高原要三郞死蹟相續を爲し同新二郞(明治九年十月生)同福三郞(同十一年十二月生)は何れも別家せり | |
住所・電話番号 | 東京市京橋區南新堀町一ノ四 電話新橋二三一 | |
参照人物(親類) | 白井貞藏 | |
参照次数 | 1 | |
読み | なかざわ ひこきち | |
別名 |