田尻稻次郞 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從三位、勳一等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵 | |
職業 | 法學博士、貴族院議員、會計檢査院長 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 嘉永三年六月二十九日 (1850) | |
親名・続柄 | 田尻次兵衞の子 | |
家族 | 妻 よし 元治元年六月生東京府士族會社員三枝守留女 男 鐵太郞 明治十六年七月生 女 あい 明治十八年一月生 同 とみ 明治二十年十二月生 | |
記述部分(略伝) | 君は舊鹿兒島藩士田尻次兵衞の男也嘉永三年六月二十九日を以て京都鹿兒島藩邸に生る幼より學を好み藩立律學校開成所に入り英數の學を學ぶ東京に出でゝ福澤の塾に遊び後大學に入り明治三年國法民法修業として米國へ留學を命ぜられエール大學に入り卒業し後研究生として經濟財政政治歷史の四科を專攻し同十二年業を終へ歸朝し同十三年大藏大書記官に同十九年大藏省國債局長兼法科大學教授に同二十一年日本銀行管理官に同二十四年敕選貴族院議員に同二十五年大藏次官に同二十九年日本勸業銀行設立委員を仰付られ同三十三年大藏總務長官に同三十四年會計檢査院長に任ぜられ同十三年從六位に同三十一年勳一等從三位に叙せらる同二十一年法學博士の學位を授けられ同二十八年日清事件の功勞に依り華族に列し男爵を授けらる 家族は前記の外男瑞雄(明治二十五年七月生)同茂(同二十五年七月生)同穰(同二十七年五月生)女豐(同三十三年一月生)あり | |
住所・電話番号 | 東京市小石川區金富町四六 電話番町一五六 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | たじり いなじろう | |
別名 |