神田乃武 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)
位階・勲等・功級 | 從五位、勳六等 | |
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爵位・身分・家柄 | 男爵、舊幕臣 | |
職業 | 高等商業學校教授兼學習院教授 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 安政四年二月二十七日 (1857) | |
親名・続柄 | 松井永世の二男 | |
家族 | 養母 とく 安政四年八月生兵庫縣士族藍谷虎吉妹 妻 熊千代 慶應二年六月生佐賀縣士族高木秀臣女 男 金樹 明治十八年五月生 妹 琴 明治六年九月生 女 英芝 明治二十年八月生 | |
記述部分(略伝) | 當家は先代正三位勳二等神田孝平より家名を揚ぐ孝平天保元年九月生る幕府に仕へ蕃書掛となり尋で開成所教授となる維新後明治政府に仕へ大學大丞兵庫縣令文部少補等に歷任し後元老院議官錦鷄間祗侯となり明治三十一年華族に列し男爵を授けられ同年薨ず君其後を享く 君實は東京の人松井永世の次男なり安政四年二月二十七日を以て生る明治四年十二月米國に遊學しアムホヨスト大學を卒ヘバチエロル、オブ、アーヅの學位を受く歸朝後東京大學第一高等學校高等商業學校外國語學校等の教授又校長となり教育界に其名高し同三十一年家督を相續し襲爵仰付らる明治三十三年七月巴里博覽會附屬萬國文藝會議の内商工實業教育萬國會議開設に付委員として參列仰付らる明治十五年二月從七位より同三十一年八月從五位に昇叙せられ同三十五年學習院教授に任ぜらる 家族は前記の外男八尺(明治二十二年十二月生)女百合(同二十五年七月生)男十拳(同二十七年十二月生)同盾夫(同三十年六月生)女孝(同三十二年十二月生)養弟高根(同十八年九月生)あり | |
住所・電話番号 | 東京市麴町區飯田町三ノ三九 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | かんだ ないぶ | |
別名 |