明治四十年(オ)第四號
明治四十年三月二十七日第二民事部判决
◎判决要旨
- 一 代理人トシテ手形ニ署名スル者カ本人トノ代理關係ヲ表示スルニハ一定ノ文字ヲ記載スヘキ特別ノ方式アルニ非サルヲ以テ本人ノ爲メニ手形行爲ヲ爲スコトヲ認識シ得ル程度ニ記載スレハ足ルモノトス
- 一 如上ノ場合ニ於テ代理人カ手形面ニ本人ヲ表示スルニハ其氏名又ハ商號ヲ記載スヘキ旨ノ規定ナケレハ本人其人ヲ認識シ得ル程度ニ記載スルヲ以テ足レリトス
上告人 押野貞次郎
被上告人 有江金太郎 外十二名
右當事者間ノ約束手形金請求事件ニ付函館控訴院カ明治三十九年十一月二十四日言渡シタル判决ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
上告理由第一點ハ原判决理由中「抑々手形上ノ債權債務ハ所謂證券的債權債務ナルヲ以テ代理人カ本人ノ爲メニ振出行爲ヲナシタル場合ノ如キモ手形ニ記載シタル文言其物ニ基キ其責任ノ有無ヲ判定セサルヘカラサルハ勿論ナリト雖モ此場合ニ於テ必ス本人其人ノ氏名ヲ記載シ且ツ代理ナル文字ヲ用イサルヘカラサル旨ノ法律ノ規定乃至法理ナキヲ以テ單ニ此ノ如キ記載ナカリシ一事ヲ以テ直ニ本人ハ手形法上其責任ナシト論斷スルヲ得ス要スルニ文言其物ニヨリ代理人カ自己ノ爲メニスルニアラスシテ本人ノ爲メニ振出行爲ヲナシタルコトヲ認識シ得ル程度ニ記載シアルヲ以テ足レリトス今ヤ本件約束手形ハ前段論述シタル如ク孰レモ振出人石崎傳三郎ノ肩書ニ押野鑛山出張所主任ナル文字ノ記載アリテ這ハ傳三郎ノ職業ヲ表示シタルモノト認ムルヲ得ス何トナレハ約束手形ノ振出行爲ニハ振出人ノ職業ヲ記載スルヲ要件トナサヽルヲ以テ如斯無用ノ記載ヲ爲シタリトハ普通ノ事情ニ徴シ認ムルヲ得サレハナリ果シテ然ラハ右肩書タル畢竟手形法上其効力ヲ發生セシムル意義ノ文字ト解釋スヘキハ當然ニシテ石崎傳三郎ハ自己ノ爲メニスルニアラスシテ鑛山經營者押野ノ爲メニ振出行爲ヲナスノ意義ナルコトハ該文詞自體ニヨリ容易ニ解釋シ得ルノミナラス北海道ニ於ケル鑛山經營者押野トハ控訴人ヲ指示スルコト竝ニ當時函館區ニ控訴人ノ出張所ヲ設置シアリシコトハ控訴人ノ敢テ爭ハサル所ナルニヨリ前記文詞ハ手形法上完全ニ効力ヲ發揮シ即チ代理人カ本人ノ爲メニスルコトヲ示シテ振出行爲ヲナシタルモノト認ムルニヨリ控訴人ハ本件手形ニ付其責ニ任セサルヘカラス從テ此點ニ對スル控訴人ノ抗辯ハ其理由ナシ」ト判示セラリタリ然レトモ手形ハ要式的有價證券ニシテ且絶對的有價證券ナルヲ以テ其有効無効ハ一ニ手形其モノニヨリテ之ヲ判斷シ手形以外ノ事實又ハ意思表示ヲ以テ要件ノ欠缺ヲ補充スルコトヲ許サヽルハ手形法理上明カナル所ナリ故ニ本件ニ於テ石崎傳三郎カ假リニ上告人ヨリ手形ノ振出行爲ヲ委任セラレ上告人ノ代理トシテ手形ヲ振出シタルモノナリトスルモソハ上告人ト石崎トノ内部關係ニ止マリ苟モ手形ニ上告人ノ爲メニ振出スコトヲ推知シ得ヘキ文詞ノ明カニ存セサル以上ハ上告人ハ之レニヨリ手形上ノ責任ヲ負擔スヘキモノニアラス商法第四百三十六條ニ「代理人カ本人ノ爲メニスルコトヲ記載セスシテ手形ニ署名シタルトキハ本人ハ手形上ノ責任ヲ負フコトナシ」トノ規定ハ必スシモ本人何某ノ爲メニ振出スト記載スヘシトノ趣旨ニアラサルコトハ明カナレトモ何人カ本人ニシテ何人カ代理人ナルカハ一見明瞭ニ記載スヘク少クトモ手形其モノニヨリテ如斯キ代理關係ヲ表示シタルコトヲ推知シ得ヘキ程度ニ記載セサルヘカラス之ニ違背シタルトキハ本人ハ决シテ手形上ノ責任ヲ負擔スルモノニアラス本件ニ於テ「押野鑛山出張所主任」ナル文字ハ原院ノ判示セラレタルカ如ク手形自體ニ因リテ上告人ノ爲メニ振出サレタルモノト認ムルコトヲ得ヘキカ抑モ「押野鑛山出張所主任」ナル文字ハ讀ンテ字ノ如ク何レノ方面ヨリ見ルモ單ニ自己ノ職業ヲ表示シタルモノト云フヘク手形其モノニヨリテハ决シテ上告人ノ爲メニ振出行爲ヲナシタルモノト認ムルコトヲ得ス原院ハ手形ノ振出行爲ニハ職業ヲ記載スルヲ要件トセサルヲ以テ「押野鑛山出張所主任」ナル文字ハ職業ヲ表示シタルモノト認ムルヲ得ス故ニ手形上其効力ヲ發生セシムル意義ト解釋スヘシトセラレタリ然レトモ手形ハ法律ノ規定要件以外ニ何等ノ記載ヲ爲スコトヲ禁止スルモノニアラス從テ自己ノ職業ヲ表示スルコトアルモ又或ハ位記勳章其他住居等ヲ附記スルモ其ニ些ノ支障アルコトナク只要件以外ノ是等ノ記載事項ハ手形上ノ効力ヲ發生セサルニ過キスシテ所謂重要ナラサル附記ナリト解スヘキノミ如斯要件以外ノ記載文字ヲ以テ何等カノ意義アルモノトシテ其解釋ヲ手形以外ニ求メ手形自體ニヨリテハ何人ト雖モ上告人ノ爲メニ振出行爲ヲ爲シタルモノト認メ得サルニ係ラス上告人ニ手形上ノ責任アリトセラレタルハ頗ル違法ナリト思料ス前述スルカ如ク本件ニ付キ最モ重大ナル爭點ハ「押野鑛山出張所主任」ナル文詞ハ果シテ上告人ノ爲メニ手形ヲ振出シタルモノナリヤ否ヤニアリ原院ハ手形上ノ權利義務ハ一ニ手形ニヨリテノミ决スヘキ法則ヲ顧ミス手形以外ノ事實又ハ證據ノミニヨリテ審理裁决セラレ是ノ重大ナル爭點ニ付テハ如上記載ノ曲解セル説明ヲ以テセリ更ニ前述ノ理由ヲ詳説スルニ押野鑛山出張所ナルモノハ法律上人格ヲ有スルモノニアラス即チ只上告人ノ鑛業事務ヲ取扱フヘキ家屋ヲ意味シ主任ナル意義ハ其家屋内ニ於テ取扱フヘキ事務ヲ主宰スルノ内部關係ニ外ナラス决シテ會社ノ取締役ニ於ケルカ如ク法律上當然其出張所又ハ上告人ヲ代理若クハ代表スルモノニアラサルヲ以テ主任ナル文字自體ニヨリテハ外部ニ對シ直チニ上告人ヲ代理シタルモノト云フコトヲ得ス故ニ外部ニ對シテハ代理ノ原則ニ從ヒ上告人ノ爲メニスルコトヲ示サヽルヘカラス然ルニ原院ハ「主任」ナル文詞ハ當然手形ノ振出行爲ヲ代理シ夫レ自體ニ於テ本人ノ爲メニスルモノナリト判示セラレタレトモ如何ナル法則ノ存スルアリテ然ルカノ所以ヲ説明セス而シテ却テ上告人ニ敗訴ヲ言渡シタルモノナリ且夫代理人カ手形ノ振出行爲ヲナス場合ニ於テハ何人カ手形上ノ責任ヲ負擔スルヤヨ明カニスル爲メ必ス本人ノ氏名又ハ商號ヲ記載セサル可ラス「押野鑛山出張所」ナル文字ハ上告人ノ氏名ヲ記載シタルモノニアラサルハ明カナル所ナリ然ラハ上告人ノ商號ナルヤト云フニ商號ハ商人ニアラサレハ使用スルコトヲ得ス而シテ鑛業ハ商行爲ニアラス上告人ハ商行爲ヲ業トセサルカ故ニ商人ニアラス從テ商號ヲ有セス如斯ク上告人ノ氏名ニモ商號ニモアラサル文字ヲ記載シタレハトテ上告人ハ手形上ノ責任ヲ負擔スヘキ謂レナシ以上説明スルカ如ク何レノ點ヨリ見ルモ上告人ハ本件手形上ノ責任ヲ負擔スヘキモノニアラサルニ原院ハ手形以外ノ事實及證據ヲ採テ以テ上告人ニ責任アリト判决セラレタルハ法則ヲ不當ニ適用シタルモノト信ス」第二點ハ手形ハ形式的證券ナルカ故ニ手形上ノ權利關係即チ權利者義務者權利ノ性質及ヒ其分量等總テ證券記載ノ文言ノミニ依リテ定リ之ニ對シ决シテ證券外ノ立證ヲ以テ或ハ之ヲ補ヒ或ハ之ヲ制限スルヲ許サヽルハ勿論ナリ依テ代理人カ本人ノ爲ニ手形振出行爲ヲ爲シタル場合ニ於テ商法第四百三十六條ノ規定ニ依リ手形面ニ本人ノ爲ニシタル事ヲ記載ス可キ同條ノ要件ヲ充タサントスルニハ必スヤ手形面ニ於テ本人ノ表示ト其本人トノ代理關係ヲ表白シタル文辭ヲ記載セサルヘカラス故ニ株式會社ノ取締役無能力者ノ後見人商人ノ支配人等ノ如キ法律上代理權アル資格ヲ記載シタル場合ハ格別ナレトモ其以外ニ於テハ必ス文理上明ニ代理關係ヲ意味シタル文辭ヲ記入スルヲ要スルハ當然ナリ今本件ノ約束手形ヲ査閲スルニ振出人ノ肩書ニ「押野鑛山出張所主任石崎傳三郎」ト記載シアルモ其所謂押野鑛山出張所主任ノ肩書ハ即チ右石崎傳三郎ノ職業ヲ意味スルニ止リテ前記ノ如キ法律上代理權アル資格ヲ表示シタルモノニ非サルハ勿論且ツ又文理上代理ノ意義ヲ有スルモノニ非ス故ニ假ニ該手形ノ授受ヲ爲シタル當事者ノ眞意カ果シテ右ノ文辭ニ依リ本人押野貞次郎ノ爲ニスルノ意思ナリシトスルモ右「押野鑛山出張所主任」ノ文辭自體ノミニ依テハ押野貞次郎トノ代理關係ヲ記載シタルモノト爲スヲ得サルヤ明カナリ從テ本人タル上告人押野貞次郎ハ商法第四百三十六條ノ規定ニ依リ本件手形上ノ責任ヲ負フ可キ謂レナキニ不拘原判决ハ其理由中「今ヤ本件約束手形ハ前段論述シタル如ク孰レモ振出人石崎傳三郎ノ肩書ニ押野鑛山出張所主任ナル文字ノ記載アリテ這ハ傳三郎ノ職業ヲ表示シタルモノト認ムルヲ得ス何トナレハ約束手形ノ振出行爲ニハ振出人ノ職業ヲ記載スルヲ要件トナサヽルヲ以テ如斯無用ノ記載ヲナシタリトハ普通ノ事情ニ徴シ認ムルヲ得サレハナリ果シテ然ラハ右肩書タル畢竟手形法上其効力ヲ發生セシムル意義ノ文字ト解釋スヘキハ當然ニシテ石崎傳三郎ハ自己ノ爲ニスルニアラスシテ鑛山經營者押野ノ爲ニ振出行爲ヲナスノ意義ナルコトハ該文詞自體ニヨリ容易ニ解釋シ得ルノミナラス北海道ニ於ル鑛山經營者押野トハ控訴人ヲ指示スルコト竝當時函館區ニ控訴人ノ出張所ヲ設置シアリシコトハ控訴人ノ敢テ爭ハサル所ナルニヨリ前記文詞ハ手形法上完全ニ効力ヲ發揮シ即チ代理人カ本人ノ爲ニスルコトヲ示シテ振出行爲ヲナシタルモノト認ムルニヨリ控訴人ハ本件手形ニ付其責ニ任セサル可カラス」云々ト説明シ本件手形ノ權利關係ヲ判定スルニ當リ該手形面ノ文言ノミニ據ラス其他ノ事情ヲ參酌シテ當事者ノ意思ヲ推測シ以テ代理關係ヲ認定シ上告人ニ對シ手形上ノ責任ヲ負擔セシメラレタルハ即チ前示手形ノ法則ニ違反スル不當ノ裁判ナリト信ス」第三點ハ假ニ原判决説明ノ如ク右「押野鑛山出張所主任」ノ文辭カ本人トノ代理關係ヲ表明スルニ足ルトスルモ素ト商法第四百三十六條ニ所謂本人ノ爲ニスルトハ本人ノ表示ト其代理關係ヲ表示スルコトヲ要シ而シテ本人ノ表示ハ必スヤ其氏名若クハ商號ヲ記載スルヲ要スルモノニシテ單ニ其氏若クハ名ノミヲ記スルモ未タ同條ノ要件ヲ具備シタルモノト謂フ可カラス蓋シ代理人ニ依テ手形ノ振出行爲ヲ爲ス場合ニ於テモ振出人ハ則チ其本人ニシテ代理人其人ニ非ルハ勿論ナリ故ニ此場合ニ於テモ亦手形面ニ本人ヲ表示スルニハ其氏名若クハ商號ヲ記載スルヲ要スル事ハ手形ノ振出ニハ常ニ振出人ノ署名若クハ記名捺印ヲ要スル商法ノ規定(商法第四百四十五條第五百二十五條第五百三十條及ヒ明治三十三年法律第十七號)及ヒ手形ノ受取人若クハ支拂人ニ付テモ亦必ス其氏名又ハ商號ノ記載ヲ要スル商法ノ規定等ヨリシテ之ヲ推考スルモ容易ニ右法律ノ精神ヲ知ルヲ得可シ去レハ本件手形ニ於ケル右石崎傳三郎ノ肩書ハ只「押野鑛山出張所主任」トアルノミニシテ上告人ノ名ヲ表明セサルハ勿論且又上告人ノ商號ヲ記載シタルモノニ非ルヲ以テ即チ本人ノ表示ヲ缺キ從テ上告人ハ其責任ヲ負フ可キモノニ非ル筋合ナルニ不拘原判决カ前段記載ノ如ク手形面以外ノ事情ヲ參酌シ以テ上告人ニ對シ本件手形上ノ義務ヲ負擔セシメタルハ法則ニ反スル不法ノ裁判ナリト思料ス」第四點ハ原裁判所ノ判决ハ法律ヲ不當ニ適用シタル違法有ルモノトス原裁判所ノ判决理由中
「要スルニ文言其ノモノニヨリ自己ノ爲メニスルニ非スシテ本人ノ爲メニ振出行爲ヲ認識シ得ル程度ニ記載シ有ルヲ以テ足レリトス」ト論决シタルハ一ノ間然スル所ナシト雖モ其認識シ得ル程度ニ有ルコトヲ説明スルニ當リ北海道ニ於ケル鑛山經營者押野トハ控訴人ヲ指示スルコト竝ニ當時函館區ニ控訴人ノ出張所ヲ設置シ有ル事ハ控訴人ノ敢テ爭ハサル所ナルニヨリ云々ト説明シ本件手形ニ明示セラレタル文詞自體ノ表明シタル文詞本然ノ解釋ニヨラス本件ニ於テ控訴人ノ陳述ヲ援用シ強テ文詞自體ノ表顯セル意味以外ニ解釋ヲ試ミタルハ手形法第四百三十五條ニ所謂手形ハ其文言ニ由リテ責任ヲ負フトノ法律ヲ不當ニ適用シタルモノトス况ンヤ本人ノ爲メニスル事ヲ示シテ爲シタリト説明スルモ押野鑛山事務所ナルモノハ文詞自體ニ於テ自然人又ハ法人ヲ指示シタルモノト解スルヲ得サルニ於テヲヤト云フニ在リ
因テ按スルニ本人カ代理人ノ署名シタル手形ニ因リテ責任ヲ負フニハ其署名者ノ特ニ本人ノ爲ニスルコトヲ記載スヘキハ商法第四百三十六條第四百三十五條ニ依リテ推知スルコトヲ得ヘシト雖モ署名者カ自己ノ爲メニアラスシテ本人ノ爲メニ手形行爲ヲ爲スコト即チ本人トノ代理關係ヲ表示スルニハ必ス一定ノ文字ヲ記載スヘキ特別ノ方式アルニアラサルヲ以テ署名者ノ肩書ニ何某代理人若クハ何某後見人又ハ何々株式會社取締役等ト記載スルハ最モ著明ノ事例タルコトハ論ヲ俟タサルモ其他代理人自身ノ爲メニアラスシテ本人ノ爲メニ手形行爲ヲ爲スコトヲ認識シ得ル程度ニ記載スルニ於テハ亦代理關係ノ表示タルコトヲ妨ケス又手形ノ振出人ハ署名ヲ要シ受取人支拂人等ノ記載トシテ其氏名又ハ商號ヲ掲クルコトヲ要スルハ商法ノ規定スル所ナレトモ人ノ通稱雅號ト雖モ手形方式上ノ氏名又ハ商號タルニ於テ差支ナキ場合アルコトハ當院判例ノ示スカ如クナルノミナラス本人ノ爲メニスル其本人ノ表示ニ付テハ氏名又ハ商號ヲ記載スヘキ規定ナケレハ是レ亦本人其人ヲ認識シ得ル程度ニ記載スルヲ以テ足ルト謂ハサル可カラス本件ニ於ケル「甲第一號證乃至第十三號證」ノ約束手形ニハ孰レモ振出人石崎傳三郎ノ肩書ニ「押野鑛山出張所主任」ナル文字ノ記載アリ是レ同人ノ職業ヲ表示シタルモノニアラスシテ同人カ鑛山經營者タル上告人ノ爲メニ振出行爲ヲ爲ス意義ヲ有スルコトハ原院カ該文詞ト上告人ハ北海道ニ於テ鑛山ヲ經營シ其當時函館區ニ出張所ヲ設置シ居リタル事實ニ基キ解釋シタル所ニ係リ斯ノ如キハ事實承審官タル原院ノ職權上爲シ得ヘキコトナリトス然レハ原院カ如上ノ文詞ヲ認メ之ヲ以テ手形法上代理人カ本人ノ爲メニスルコトヲ記載シテ振出行爲ヲ爲シタルモノト判定シタルハ前示ノ理由ニ依リ手形ノ法則ヲ不當ニ適用シ又ハ其法則ニ違背セル不法アルモノニアラス上告論旨ハ孰レモ理由ナシ
以上説明ノ如クナルヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ從ヒ本件上告ヲ棄却スヘキモノトス
明治四十年(オ)第四号
明治四十年三月二十七日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 代理人として手形に署名する者が本人との代理関係を表示するには一定の文字を記載すべき特別の方式あるに非ざるを以て本人の為めに手形行為を為すことを認識し得る程度に記載すれば足るものとす。
- 一 如上の場合に於て代理人が手形面に本人を表示するには其氏名又は商号を記載すべき旨の規定なければ本人其人を認識し得る程度に記載するを以て足れりとす。
上告人 押野貞次郎
被上告人 有江金太郎 外十二名
右当事者間の約束手形金請求事件に付、函館控訴院が明治三十九年十一月二十四日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
理由
上告理由第一点は原判決理由中「抑抑手形上の債権債務は所謂証券的債権債務なるを以て代理人が本人の為めに振出行為をなしたる場合の如きも手形に記載したる文言其物に基き其責任の有無を判定せざるべからざるは勿論なりと雖も此場合に於て必す本人其人の氏名を記載し且つ代理なる文字を用いざるべからざる旨の法律の規定乃至法理なきを以て単に此の如き記載なかりし一事を以て直に本人は手形法上其責任なしと論断するを得ず。
要するに文言其物により代理人が自己の為めにするにあらずして本人の為めに振出行為をなしたることを認識し得る程度に記載しあるを以て足れりとす。
今や本件約束手形は前段論述したる如く孰れも振出人石崎伝三郎の肩書に押野鉱山出張所主任なる文字の記載ありて這は伝三郎の職業を表示したるものと認むるを得ず。
何となれば約束手形の振出行為には振出人の職業を記載するを要件となさざるを以て如斯無用の記載を為したりとは普通の事情に徴し認むるを得ざればなり。
果して然らば右肩書たる畢竟手形法上其効力を発生せしむる意義の文字と解釈すべきは当然にして石崎伝三郎は自己の為めにするにあらずして鉱山経営者押野の為めに振出行為をなすの意義なることは該文詞自体により容易に解釈し得るのみならず北海道に於ける鉱山経営者押野とは控訴人を指示すること並に当時函館区に控訴人の出張所を設置しありしことは控訴人の敢て争はざる所なるにより前記文詞は手形法上完全に効力を発揮し。
即ち代理人が本人の為めにすることを示して振出行為をなしたるものと認むるにより控訴人は本件手形に付、其責に任ぜざるべからず。
従て此点に対する控訴人の抗弁は其理由なし。」と判示せらりたり。
然れども手形は要式的有価証券にして、且、絶対的有価証券なるを以て其有効無効は一に手形其ものによりて之を判断し手形以外の事実又は意思表示を以て要件の欠欠を補充することを許さざるは手形法理上明かなる所なり。
故に本件に於て石崎伝三郎が仮りに上告人より手形の振出行為を委任せられ上告人の代理として手形を振出したるものなりとするもそは上告人と石崎との内部関係に止まり苟も手形に上告人の為めに振出すことを推知し得べき文詞の明かに存せざる以上は上告人は之れにより手形上の責任を負担すべきものにあらず。
商法第四百三十六条に「代理人が本人の為めにすることを記載せずして手形に署名したるときは本人は手形上の責任を負ふことなし」との規定は必ずしも本人何某の為めに振出すと記載すべしとの趣旨にあらざることは明かなれども何人が本人にして何人が代理人なるかは一見明瞭に記載すべく少くとも手形其ものによりて如斯き代理関係を表示したることを推知し得べき程度に記載せざるべからず。
之に違背したるときは本人は決して手形上の責任を負担するものにあらず。
本件に於て「押野鉱山出張所主任」なる文字は原院の判示せられたるが如く手形自体に因りて上告人の為めに振出されたるものと認むることを得べきか。
抑も「押野鉱山出張所主任」なる文字は読んで字の如く何れの方面より見るも単に自己の職業を表示したるものと云ふべく手形其ものによりては決して上告人の為めに振出行為をなしたるものと認むることを得ず。
原院は手形の振出行為には職業を記載するを要件とせざるを以て「押野鉱山出張所主任」なる文字は職業を表示したるものと認むるを得ず。
故に手形上其効力を発生せしむる意義と解釈すべしとせられたり。
然れども手形は法律の規定要件以外に何等の記載を為すことを禁止するものにあらず。
従て自己の職業を表示することあるも又或は位記勲章其他住居等を附記するも其に些の支障あることなく只要件以外の是等の記載事項は手形上の効力を発生せざるに過ぎずして所謂重要ならざる附記なりと解すべきのみ如斯要件以外の記載文字を以て何等かの意義あるものとして其解釈を手形以外に求め手形自体によりては何人と雖も上告人の為めに振出行為を為したるものと認め得ざるに係らず上告人に手形上の責任ありとせられたるは頗る違法なりと思料す前述するが如く本件に付き最も重大なる争点は「押野鉱山出張所主任」なる文詞は果して上告人の為めに手形を振出したるものなりや否やにあり原院は手形上の権利義務は一に手形によりてのみ決すべき法則を顧みず手形以外の事実又は証拠のみによりて審理裁決せられ是の重大なる争点に付ては如上記載の曲解せる説明を以てせり更に前述の理由を詳説するに押野鉱山出張所なるものは法律上人格を有するものにあらず。
即ち只上告人の鉱業事務を取扱ふべき家屋を意味し主任なる意義は其家屋内に於て取扱ふべき事務を主宰するの内部関係に外ならず決して会社の取締役に於けるが如く法律上当然其出張所又は上告人を代理若くは代表するものにあらざるを以て主任なる文字自体によりては外部に対し直ちに上告人を代理したるものと云ふことを得ず。
故に外部に対しては代理の原則に従ひ上告人の為めにすることを示さざるべからず。
然るに原院は「主任」なる文詞は当然手形の振出行為を代理し夫れ自体に於て本人の為めにするものなりと判示せられたれども如何なる法則の存するありて然るかの所以を説明せず。
而して却て上告人に敗訴を言渡したるものなり、且、夫代理人が手形の振出行為をなす場合に於ては何人が手形上の責任を負担するやよ明かにする為め必す本人の氏名又は商号を記載せざる可らず「押野鉱山出張所」なる文字は上告人の氏名を記載したるものにあらざるは明かなる所なり。
然らば上告人の商号なるやと云ふに商号は商人にあらざれば使用することを得ず。
而して鉱業は商行為にあらず。
上告人は商行為を業とせざるが故に商人にあらず。
従て商号を有せず。
如斯く上告人の氏名にも商号にもあらざる文字を記載したればとて上告人は手形上の責任を負担すべき謂れなし以上説明するが如く何れの点より見るも上告人は本件手形上の責任を負担すべきものにあらざるに原院は手形以外の事実及証拠を採で以て上告人に責任ありと判決せられたるは法則を不当に適用したるものと信ず。」第二点は手形は形式的証券なるが故に手形上の権利関係即ち権利者義務者権利の性質及び其分量等総で証券記載の文言のみに依りて定り之に対し決して証券外の立証を以て或は之を補ひ或は之を制限するを許さざるは勿論なり。
依て代理人が本人の為に手形振出行為を為したる場合に於て商法第四百三十六条の規定に依り手形面に本人の為にしたる事を記載す可き同条の要件を充たさんとするには必ずや手形面に於て本人の表示と其本人との代理関係を表白したる文辞を記載せざるべからず。
故に株式会社の取締役無能力者の後見人商人の支配人等の如き法律上代理権ある資格を記載したる場合は格別なれども其以外に於ては必す文理上明に代理関係を意味したる文辞を記入するを要するは当然なり。
今本件の約束手形を査閲するに振出人の肩書に「押野鉱山出張所主任石崎伝三郎」と記載しあるも其所謂押野鉱山出張所主任の肩書は。
即ち右石崎伝三郎の職業を意味するに止りて前記の如き法律上代理権ある資格を表示したるものに非ざるは勿論且つ又文理上代理の意義を有するものに非ず。
故に仮に該手形の授受を為したる当事者の真意が果して右の文辞に依り本人押野貞次郎の為にするの意思なりしとするも右「押野鉱山出張所主任」の文辞自体のみに依ては押野貞次郎との代理関係を記載したるものと為すを得ざるや明かなり。
従て本人たる上告人押野貞次郎は商法第四百三十六条の規定に依り本件手形上の責任を負ふ。
可き謂れなきに不拘原判決は其理由中「今や本件約束手形は前段論述したる如く孰れも振出人石崎伝三郎の肩書に押野鉱山出張所主任なる文字の記載ありて這は伝三郎の職業を表示したるものと認むるを得ず。
何となれば約束手形の振出行為には振出人の職業を記載するを要件となさざるを以て如斯無用の記載をなしたりとは普通の事情に徴し認むるを得ざればなり。
果して然らば右肩書たる畢竟手形法上其効力を発生せしむる意義の文字と解釈すべきは当然にして石崎伝三郎は自己の為にするにあらずして鉱山経営者押野の為に振出行為をなすの意義なることは該文詞自体により容易に解釈し得るのみならず北海道に於る鉱山経営者押野とは控訴人を指示すること並当時函館区に控訴人の出張所を設置しありしことは控訴人の敢て争はざる所なるにより前記文詞は手形法上完全に効力を発揮し。
即ち代理人が本人の為にすることを示して振出行為をなしたるものと認むるにより控訴人は本件手形に付、其責に任ぜざる可からず。」云云と説明し本件手形の権利関係を判定するに当り該手形面の文言のみに拠らず其他の事情を参酌して当事者の意思を推測し以て代理関係を認定し上告人に対し手形上の責任を負担せしめられたるは。
即ち前示手形の法則に違反する不当の裁判なりと信ず。」第三点は仮に原判決説明の如く右「押野鉱山出張所主任」の文辞が本人との代理関係を表明するに足るとするも素と商法第四百三十六条に所謂本人の為にするとは本人の表示と其代理関係を表示することを要し、而して本人の表示は必ずや其氏名若くは商号を記載するを要するものにして単に其氏若くは名のみを記するも未だ同条の要件を具備したるものと謂ふ可からず。
蓋し代理人に依て手形の振出行為を為す場合に於ても振出人は則ち其本人にして代理人其人に非るは勿論なり。
故に此場合に於ても亦手形面に本人を表示するには其氏名若くは商号を記載するを要する事は手形の振出には常に振出人の署名若くは記名捺印を要する商法の規定(商法第四百四十五条第五百二十五条第五百三十条及び明治三十三年法律第十七号)及び手形の受取人若くは支払人に付ても亦必す其氏名又は商号の記載を要する商法の規定等よりして之を推考するも容易に右法律の精神を知るを得可し去れば本件手形に於ける右石崎伝三郎の肩書は只「押野鉱山出張所主任」とあるのみにして上告人の名を表明せざるは勿論、且、又上告人の商号を記載したるものに非るを以て、即ち本人の表示を欠き。
従て上告人は其責任を負ふ。
可きものに非る筋合なるに不拘原判決が前段記載の如く手形面以外の事情を参酌し以て上告人に対し本件手形上の義務を負担せしめたるは法則に反する不法の裁判なりと思料す」第四点は原裁判所の判決は法律を不当に適用したる違法有るものとす。
原裁判所の判決理由中
「要するに文言其のものにより自己の為めにするに非ずして本人の為めに振出行為を認識し得る程度に記載し有るを以て足れりとす。」と論決したるは一の間然する所なしと雖も其認識し得る程度に有ることを説明するに当り北海道に於ける鉱山経営者押野とは控訴人を指示すること並に当時函館区に控訴人の出張所を設置し有る事は控訴人の敢て争はざる所なるにより云云と説明し本件手形に明示せられたる文詞自体の表明したる文詞本然の解釈によらず本件に於て控訴人の陳述を援用し強で文詞自体の表顕せる意味以外に解釈を試みたるは手形法第四百三十五条に所謂手形は其文言に由りて責任を負ふとの法律を不当に適用したるものとす。
況んや本人の為めにする事を示して為したりと説明するも押野鉱山事務所なるものは文詞自体に於て自然人又は法人を指示したるものと解するを得ざるに於てをやと云ふに在り
因で按ずるに本人が代理人の署名したる手形に因りて責任を負ふには其署名者の特に本人の為にすることを記載すべきは商法第四百三十六条第四百三十五条に依りて推知することを得べしと雖も署名者が自己の為めにあらずして本人の為めに手形行為を為すこと。
即ち本人との代理関係を表示するには必す一定の文字を記載すべき特別の方式あるにあらざるを以て署名者の肩書に何某代理人若くは何某後見人又は何何株式会社取締役等と記載するは最も著明の事例たることは論を俟たざるも其他代理人自身の為めにあらずして本人の為めに手形行為を為すことを認識し得る程度に記載するに於ては亦代理関係の表示たることを妨げず。
又手形の振出人は署名を要し受取人支払人等の記載として其氏名又は商号を掲ぐることを要するは商法の規定する所なれども人の通称雅号と雖も手形方式上の氏名又は商号たるに於て差支なき場合あることは当院判例の示すが如くなるのみならず本人の為めにする其本人の表示に付ては氏名又は商号を記載すべき規定なければ是れ亦本人其人を認識し得る程度に記載するを以て足ると謂はざる可からず。
本件に於ける「甲第一号証乃至第十三号証」の約束手形には孰れも振出人石崎伝三郎の肩書に「押野鉱山出張所主任」なる文字の記載あり是れ同人の職業を表示したるものにあらずして同人が鉱山経営者たる上告人の為めに振出行為を為す意義を有することは原院が該文詞と上告人は北海道に於て鉱山を経営し其当時函館区に出張所を設置し居りたる事実に基き解釈したる所に係り斯の如きは事実承審官たる原院の職権上為し得べきことなりとす。
然れば原院が如上の文詞を認め之を以て手形法上代理人が本人の為めにすることを記載して振出行為を為したるものと判定したるは前示の理由に依り手形の法則を不当に適用し又は其法則に違背せる不法あるものにあらず。
上告論旨は孰れも理由なし。
以上説明の如くなるを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に従ひ本件上告を棄却すべきものとす。