大正二年(れ)第一二一一號
大正二年十二月二十三日宣告
◎判決要旨
- 一 他人ヨリ財物ノ交付ヲ受ケ又ハ財産上ノ利益ヲ領得スヘキ正當ナル權利ヲ有スル者カ之ヲ實行スルニ當リ欺罔又ハ恐喝ノ手段ヲ用ヰ義務者ヲシテ正數以外ノ財物ヲ交付セシメ又ハ正數以上ノ利益ヲ供與セシメタルトキハ詐欺恐喝ノ罪ハ右權利ノ範圍外ニ於テ領得シタル財産又ハ利益ノ部分ニ付テノミ成立スルモノトス(判旨第一點)
- 一 他人ヨリ財物又ハ財産上ノ利益ヲ受領スヘキ正當ノ權利ヲ有スル者ト雖モ之ヲ實行スルノ意思ナク只名ヲ其實行ニ假託シ之ヲ手段トシテ相手方ヲ欺罔シ不正ニ財物又ハ利益ヲ領得シタル場合又ハ其領得シタル所以ノ原因カ正當ニ有スル權利ト全然相異ナレル場合ニ於テハ詐欺恐喝ノ罪ハ右領得シタル財物又ハ財産上ノ利益ノ全部ニ付キ成立スルモノトス(同上)
- 一 犯人ノ領得シタル財物又ハ利益ノ一部分ニ付キ犯罪ノ成立ヲ認ムルカ爲メニハ其財物又ハ利益カ法律上可分ナルヲ要スルモノトス(同上)
右詐欺被告事件ニ付大正二年六月六日大阪控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ刑事總部聯合ノ上判決スル左ノ如シ
理由
原判決ヲ破毀ス
被告ヲ懲役三月十五日ニ處ス
領置ノ百圓札十二枚ハ被害者ニ其他ノ領置及差押ノ書類物件ハ各差出人ニ還付ス
公訴裁判費用ハ被告ノ負擔トス
辯護人三隅正囘四方田保上告趣意書第一點原判決ハ其理由中ニ於テ「被告ハ豫テ和歌山縣那賀郡岩出町株式會社四十三銀行岩出支店ト小口當座預金取引ヲ爲シ……大正元年十二月三十日同本店ニ金一百圓ノ預入ヲ爲シタルヲ最終トシ差引殘高三百圓ノ預金トナリ居リタル處大正二年一月四日午前十一時頃同本店ニ到リ受付孫ナル津村利正ニ通帳ヲ呈出シ全部ノ拂戻ヲ受ケ度キ旨申出テタルニ同人ハ通帳記載ノ差引殘高三百圓ヲ三千圓ト誤認シ……爰ニ惡意ヲ生シ右係員ノ錯誤ヲ利用シ金三千圓ヲ騙取セントシテ……被告ハ豫期ノ如ク故ラニ三千圓ト答ヘタル爲メ鉞次郎ハ……通帳ト共ニ金三千圓ヲ被告ニ交付シタルヨリ被告ハ豫期ノ目的ヲ遂ケタリ」ト犯罪事實ヲ判示セルカ故ニ其要旨ハ被告カ銀行係員ノ錯誤ヲ利用シテ金三千圓ヲ騙取セントシ其目的ヲ遂ケタルモノナリト云フニ在レトモ◎原判決ノ證據説明ニ依リテ之ヲ觀レハ被告ハ其交付ヲ受ケタル金三千圓中ヨリ被告カ權利トシテ當然受取得ヘキ金三百圓ヲ差引キタル殘額即チ二千七百圓ヲ騙取セントシ其目的ヲ遂ケタルモノニシテ原判決判示ノ如ク金三千圓ヲ騙取セントシテ其目的ヲ遂ケタルモノニ非ス果シテ然ラハ原判決ハ其認定セル事實ト證據説明ト齟齬スルノ違法アルカ尠クトモ其犯罪事實ノ内容ヲ明示セサルノ違法アルモノニシテ到底破毀ヲ免レサルモノトスト云フニ在リ◎按スルニ刑法第二百四十六條同第二百四十九條ニ規定スル詐欺及恐喝ノ罪ハ何等正當ナル法律上ノ原因ナキニ拘ハラス欺罔又ハ恐喝ノ手段ヲ用ヒテ人ヲ錯誤ニ陷レ又ハ之ヲシテ畏怖ノ念ヲ生セシメ因テ以テ不法ニ財産ノ交付ヲ受ケ又ハ財産上不法ノ利益ヲ領得スルニ因リテ成立スルモノナレハ法律上他人ヨリ財物ノ交付ヲ受ケ又ハ財産上ノ利益ヲ領得スヘキ正當ノ權利ヲ有スル者カ其權利ヲ實行スルニ當リ欺罔又ハ恐喝ノ手段ヲ用ヒテ義務ノ履行ヲ爲サシメテ財産ノ交付ヲ受ケ又ハ財産上ノ利益ヲ領得スルモ詐欺恐喝ノ罪ヲ構成スルコトナキハ各國ノ法制其揆ヲ一ニシ當院亦舊刑法ノ解釋トシテ夙ニ認ムル所ノ判例ニシテ此判例ハ現行刑法ノ解釋ニ於テモ亦之ヲ是認スヘキモノトス而シテ他人ヨリ財物ノ交付ヲ受ケ又ハ財産上ノ利益ヲ領得スヘキ正當ナル權利ヲ有スル者カ之ヲ實行スルニ當リ其範圍ヲ超越シ義務者ヲシテ正數以外ノ財産ヲ交付セシメ又ハ正數以上ノ利益ヲ供與セシメタル場合ニ於テモ亦同一ノ精神ニ從ヒ詐欺恐喝ノ罪ハ犯人ノ領得シタル財産又ハ利益ノ全部ニ付キテ行ハレタルモノニ非スシテ犯人カ正當ナル權利ノ範圍外ニ於テ領得シタル財産又ハ利益ノ部分ニ付キテノミ成立スルモノト解セサルヘカラス蓋シ此場合ニ於テハ犯人ノ領得シタル財物又ハ利益ノ中其權利ニ屬スル部分ハ正當ナル法律上ノ原因アリテ給付セラレタルモノナレハ此部分ニ付キテハ給付行爲ハ辯濟トシテ有效ニ成立シ犯人ノ有スル權利ハ之ニ因リテ消滅スルヲ以テ何等不當ノ利得アルコトナク從ツテ縱令欺罔恐喝ノ手段ヲ用ヒテ權利ノ目的ヲ達シタルモノナリトスルモ詐欺恐喝ノ罪ヲ構成スヘキ理ナク反之犯人カ其權利ノ範圍外ニ於テ領得シタル部分ハ即チ欺罔恐喝ニ因リテ不當ニ利得シタルモノナレハ此部分ニ付テ詐欺恐喝ノ罪ヲ認ムルハ本罪ノ性質ニ適スルモノト謂ハサルヘカラサルヲ以テナリ然レトモ此原則ヲ適用スルカ爲メニ犯人カ正當ナル法律上ノ原因ニ基ツキ財物又ハ財宅上ノ利益ヲ領得シ其給付行爲カ全部又ハ一部有效ナルコトヲ要スルヲ以テ犯人カ他人ヨリ財物又ハ財産上ノ利益ヲ受領スヘキ正當ノ權利ヲ有スル場合ト雖モ犯人ニ之ヲ實行スルノ意思ナク只名ヲ其實行ニ假託シ之ヲ手段トシテ相手方ヲ欺罔恐喝シ不正ニ財物又ハ利益ヲ領得シタル場合及ヒ犯人カ相手方ヨリ財物又ハ財産上ノ利得ヲ領得シタル所以ノ原因カ其正當ニ有スル權利ト全然相異ナレル場合ニ於テハ詐欺恐喝ノ罪ハ他人ノ領得シタル財物又ハ財産上ノ利益ノ全部ニ付キテ成立スルモノトスヘク之ヲ分割シ其一部分ニ付キ犯罪ノ成立ヲ認ムルコトヲ得ス蓋シ之等ノ場合ニ於テハ犯人ノ爲シタル財物又ハ利益ノ領得ハ全ク法律上ノ原因ヲ缺キ其全部又ハ一部ニ付有效ナル給付行爲ノ存在ヲ認ムルコト能ハサルヲ以テ其全部ニ付犯罪ノ成立ヲ認メサルヘカラサルヲ以テナリ他方ニ於テ犯人ノ領得シタル財物又ハ利益ノ一部分ニ付テ犯罪ノ成立ヲ認ムルカ爲メニハ其財物又ハ利益カ法律上可分ナルコトヲ前提トスルヲ以テ金錢米穀其他種類數量ニ依リ法律取引ノ目的トナル所謂定量物カ欺罔恐喝ニ依リテ授受セラレタル場合ニ於テハ犯人ノ權利ニ屬スル部分ト然ラサル部分トヲ區別シ前者ニ付キテハ有效ナル給付行爲アリトシ後者ニ付キテ犯罪ノ成立ヲ認ムルコトヲ得ルモ犯人ノ領得シタル財物及ヒ財産上ノ利益カ法律上分割ヲ許ササルモノナルトキハ其一部ニ付有效ナル給付行爲ヲ認メ他ノ部分ニ付テ犯罪ノ成立ヲ認ムルコトハ法律上不可能ナルヲ以テ犯人ハ其全部ニ付不當ノ利得ヲ爲シタルモノトシ之ヲシテ其全部ニ付詐欺罪恐喝罪ノ責任ヲ負ハシメサル可カラス原判決ノ認定ニ依レハ被告ハ株式會社四十三銀行ヨリ小口當座預金差引殘高三百圓ノ拂戻ヲ受クルニ際シ同行係員ヲ欺罔シ金三千圓ヲ交付セシメタルモノナレハ權利實行ニ當リ其場圍ヲ超越シ義務者ヲシテ正數以外ノ財物ヲ交付セシメタルモノニシテ名ヲ其實行ニ假託シ相手方ヲ欺罔シタル場合ニ非ス而シテ金錢ハ法律上可分ノモノナルヲ以テ三千圓ノ内被告ニ於テ正當ニ受領スヘキ權利ヲ有セル三百圓ノ交付ハ法律上有效ノ給付ナルコト論ヲ竢タス從テ此部分ニ付テハ詐欺罪ヲ構成スヘキ理ナク二千七百圓ニ付テノミ罪責ヲ負ハシムヘキモノトス然ルニ原判決ハ三千圓全部ニ付キ詐欺罪ヲ構成スヘキモノト爲シタルハ失當ニシテ所論ノ如ク原判決ハ此點ニ於テ破毀ヲ免カレサルモノトス但シ本院大正元年(れ)第二〇五二號判決ノ趣旨ハ之ト相反スルヲ以テ之ヲ更正ス(判旨第一點)
第二點原判決ハ「被告ハ……爰ニ惡意ヲ生シ右係員ノ錯誤ヲ利用シ金三千圓ヲ騙取セントシテ……豫期ノ目的ヲ遂ケタリ」ト判示シ之カ證據資料ニ「被告ノ第二審公廷ニ於ケル其旨ノ自狩」アリトシテ之ヲ採用セリ依テ同公判始末書ヲ閲スルニ「問公訴事實ハ如何答原判決認定事實ノ通リニ相違アリマセヌ」トアリ依テ更ニ第一審判決認定事實ヲ閲スルニ「被告ハ……爰ニ惡意ヲ生シ右係員ノ錯誤ヲ利用シ同銀行ヨリ三千圓ヲ受取ラントシ……被告ハ豫期ノ目的ヲ遂ケタリ」トアリテ原判決判示ノ如ク三千圓ヲ騙取セントシタルモノニ非スシテ被告ノ當然受取ルヘキ金三百圓ヲ包含スル金三千圓ヲ受取ラントシタルモノニシテ前點論スルカ如ク金二千七百圓ヲ騙取シタルニ歸シ原判決ト其意味ヲ異ニス果シテ然ラハ原判決ハ此點ニ於テ虚無ノ證據ヲ罪證ニ供シタル違法アルモノニシテ破毀ヲ免レサルモノトスト云フニ在レトモ◎第一審判決ニ「係員ノ錯誤ヲ利用シ銀行ヨリ三千圓ヲ受取ラントシ」トアルハ原判決ノ如ク銀行ヨリ三千圓ヲ騙取セントシタリト云フニ外ナラス其他兩判決ノ認定セル事實ニシテ異リタル點ヲ發見スル能ハス兩判決ハ全ク同趣旨ナリトス而シテ原審公判始末書ニ依レハ被告ハ第一審判決認定事實ノ通リ相違ナキ旨ヲ供述シタルコト明カナレハ被告ハ即チ原判決ノ認定事實ヲ自白シタルモノナリ然ラハ則チ虚無ノ證據ト云フヲ得サルヲ以テ之ヲ罪證ニ供シタルハ相當ニシテ本論旨ハ其理由ナシ
第三點原判決ハ證人朝倉鉞次郎ノ豫審調書ヲ罪證ニ供シタリ依テ同調書ヲ査閲スルニ「大正二年三月十五日和歌山地方裁判所ニ於テ殿尾房之助私印私書僞造行使詐欺被告事件ニ付豫審判事ノ訊問證人ノ答述左ノ如シ」トアリ其最後ニハ「大正二年三月十五日和歌山地方裁判所書記中尾清豫審判事代理判事瀬古圓」トアリテ訊問シタルハ豫審判事ナルモ署名シタルモノハ代理判事ニシテ此訊問者ト署名者ト同一ナラス而シテ本件一件記録ヲ閲スルニ本件豫審處分ハ豫審判事野田保規及同代理判事瀬古圓兩名ニ於テ之ヲ行ヒタルコトハ明カナル所ニシテ尚前後ノ調書ヲ比較スルニ代理判事ニ於テ訊問シタル場合ハ何レモ特ニ「豫審判事代理判事ノ訊問云云」トアルカ故ニ本調書ハ輙ク之ヲ單純ナル誤記ト見ル能ハス果シテ然ラハ本調書ハ訊問シタル判事ト署名シタル判事ト相違スル違法ノ豫審調書ニシテ之ヲ罪證ニ供シタル原判決ハ違法ニシテ到底破毀ヲ免レサルモノトスト云フニ在レトモ◎本件記録ヲ閲スルニ大正二年二月二十一日被告第一囘豫審調書ニ豫審判事野田保規ノ署名アル外其後ノ作成ニ係ル豫審調書ニハ一モ同判事ノ署名ナク何レモ同判事代理判事瀬古圓ノ署名アルノミナレハ判事野田保規ハ大正二年二月二十一日被告ヲ取調ヘタル後ハ本件豫審處分ニ干與セサリシコト明カナリ然ラハ即チ所論豫審調書冒頭ノ豫審判事ハ豫審判事代理判事ノ誤記ナルコト亦明白ナリト云ハサルヲ得ス本論旨ハ其理由ナシ
第四點原判決ハ「本件控訴ハ之ヲ棄却ス」ト判決ヲ言渡シタリ依テ第一審判決及第一審公判始末書ヲ査閲スルニ其第二囘公判始末書(大正二年四月十日)ニハ檢事ノ立會ヒタル記事アルナシ尤モ出席檢事船越雄尾ト記載シ其船越雄尾ヲ削リ認印シアリテ其別行ニ馬場小八ト記入シアルモ其筆蹟墨色ヲ異ニシ且插入ノ點ニ付認印ヲ缺クヲ以テ刑事訴訟法第二十一條ニ依リ其插入ハ無效ト謂ハサルヲ得ス結局檢事缺席ノ侭公判ヲ進行シタルニ歸シ無效ノ公判ト謂ハサルヘカラス果シテ然ラハ第一審判決ハ斯カル無效ノ公判審理ニ依リテ下サレタルモノナルヲ以テ原審ニ於テハ第一審判決ヲ取消シ更ニ相當ノ判決ヲ爲スヘキニ事茲ニ出テス輙ク控訴棄却ノ言渡ヲ爲シタルハ違法ニシテ破毀ヲ免レサルモノトスト云フニ在リ◎依テ第一審公判始末書ヲ閲スルニ船越雄尾トアルヲ削除シ其傍ニ馬場小八ト記載シ其削除ノ箇所ノミニ裁判所書記ノ認印アルハ所論ノ如シト雖モ馬場小八ノ文字ハ船越雄尾ノ文字ニ極メテ接近スルヲ以テ見レハ船越雄尾ヲ削リ之ニ代フルニ馬場小八ヲ以テシタルコト明カナリ如此場合ニハ必スシモ削除插入ノ兩者ニ盡ク認印スルヲ要セス一箇ノ認印ヲ以テ兩者兼用スルヲ得ルモノナレハ本件ニ於テモ亦右削除及插入ノ兩者ニ兼用シタルコト疑ヲ容レス本論旨モ亦其理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十六條及第二百八十七條ニ依リ原判決ヲ破毀シ當院ニ於テ直チニ判決ヲ爲スヘキモノトス因テ原判決ノ認定シタル事實ヲ法ニ照ラスニ被告ノ金二千七百圓騙取ノ所爲ハ刑法第二百四十六條第一項ニ該當スルヲ以テ其刑期範圍内ニ於テ被告ヲ懲役三月十五日ニ處シ領置ノ百圓札十二枚ハ刑法施行法第六十一條ニ依リ被害者ニ其他ノ領置竝ニ差押ニ係ル物件ハ刑事訴訟法第二百二條ニ依リ各差出人ノ還付スヘク公訴裁判費用ハ同法第二百一條ニ從ヒ被告ニ負擔セシムヘキモノトス因テ主文ノ如ク判決ス
檢事林頼三郎干與大正二年十二月二十三日大審院第一第二第三刑事聯合部
大正二年(レ)第一二一一号
大正二年十二月二十三日宣告
◎判決要旨
- 一 他人より財物の交付を受け又は財産上の利益を領得すべき正当なる権利を有する者が之を実行するに当り欺罔又は恐喝の手段を用ゐ義務者をして正数以外の財物を交付せしめ又は正数以上の利益を供与せしめたるときは詐欺恐喝の罪は右権利の範囲外に於て領得したる財産又は利益の部分に付てのみ成立するものとす。
(判旨第一点)
- 一 他人より財物又は財産上の利益を受領すべき正当の権利を有する者と雖も之を実行するの意思なく只名を其実行に仮託し之を手段として相手方を欺罔し不正に財物又は利益を領得したる場合又は其領得したる所以の原因が正当に有する権利と全然相異なれる場合に於ては詐欺恐喝の罪は右領得したる財物又は財産上の利益の全部に付き成立するものとす。
(同上)
- 一 犯人の領得したる財物又は利益の一部分に付き犯罪の成立を認むるか為めには其財物又は利益が法律上可分なるを要するものとす。
(同上)
右詐欺被告事件に付、大正二年六月六日大坂控訴院に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
因で刑事総部連合の上判決する左の如し
理由
原判決を破毀す
被告を懲役三月十五日に処す
領置の百円札十二枚は被害者に其他の領置及差押の書類物件は各差出人に還付す
公訴裁判費用は被告の負担とす。
弁護人三隅正回四方田保上告趣意書第一点原判決は其理由中に於て「被告は予で和歌山県那賀郡岩出町株式会社四十三銀行岩出支店と小口当座預金取引を為し……大正元年十二月三十日同本店に金一百円の預入を為したるを最終とし差引残高三百円の預金となり居りたる処大正二年一月四日午前十一時頃同本店に到り受付孫なる津村利正に通帳を呈出し全部の払戻を受け度き旨申出てたるに同人は通帳記載の差引残高三百円を三千円と誤認し……爰に悪意を生じ右係員の錯誤を利用し金三千円を騙取せんとして……被告は予期の如く故らに三千円と答へたる為め鉞次郎は……通帳と共に金三千円を被告に交付したるより被告は予期の目的を遂けたり」と犯罪事実を判示せるが故に其要旨は被告が銀行係員の錯誤を利用して金三千円を騙取せんとし其目的を遂けたるものなりと云ふに在れども◎原判決の証拠説明に依りて之を観れば被告は其交付を受けたる金三千円中より被告が権利として当然受取得べき金三百円を差引きたる残額即ち二千七百円を騙取せんとし其目的を遂けたるものにして原判決判示の如く金三千円を騙取せんとして其目的を遂けたるものに非ず果して然らば原判決は其認定せる事実と証拠説明と齟齬するの違法あるか尠くとも其犯罪事実の内容を明示せざるの違法あるものにして到底破毀を免れざるものとすと云ふに在り◎按ずるに刑法第二百四十六条同第二百四十九条に規定する詐欺及恐喝の罪は何等正当なる法律上の原因なきに拘はらず欺罔又は恐喝の手段を用ひて人を錯誤に陥れ又は之をして畏怖の念を生ぜしめ因で以て不法に財産の交付を受け又は財産上不法の利益を領得するに因りて成立するものなれば法律上他人より財物の交付を受け又は財産上の利益を領得すべき正当の権利を有する者が其権利を実行するに当り欺罔又は恐喝の手段を用ひて義務の履行を為さしめて財産の交付を受け又は財産上の利益を領得するも詐欺恐喝の罪を構成することなきは各国の法制其揆を一にし当院亦旧刑法の解釈として夙に認むる所の判例にして此判例は現行刑法の解釈に於ても亦之を是認すべきものとす。
而して他人より財物の交付を受け又は財産上の利益を領得すべき正当なる権利を有する者が之を実行するに当り其範囲を超越し義務者をして正数以外の財産を交付せしめ又は正数以上の利益を供与せしめたる場合に於ても亦同一の精神に従ひ詐欺恐喝の罪は犯人の領得したる財産又は利益の全部に付きて行はれたるものに非ずして犯人が正当なる権利の範囲外に於て領得したる財産又は利益の部分に付きてのみ成立するものと解せざるべからず。
蓋し此場合に於ては犯人の領得したる財物又は利益の中其権利に属する部分は正当なる法律上の原因ありて給付せられたるものなれば此部分に付きては給付行為は弁済として有効に成立し犯人の有する権利は之に因りて消滅するを以て何等不当の利得あることなく従って縦令欺罔恐喝の手段を用ひて権利の目的を達したるものなりとするも詐欺恐喝の罪を構成すべき理なく反之犯人が其権利の範囲外に於て領得したる部分は。
即ち欺罔恐喝に因りて不当に利得したるものなれば此部分に付て詐欺恐喝の罪を認むるは本罪の性質に適するものと謂はざるべからざるを以てなり。
然れども此原則を適用するか為めに犯人が正当なる法律上の原因に基つき財物又は財宅上の利益を領得し其給付行為が全部又は一部有効なることを要するを以て犯人が他人より財物又は財産上の利益を受領すべき正当の権利を有する場合と雖も犯人に之を実行するの意思なく只名を其実行に仮託し之を手段として相手方を欺罔恐喝し不正に財物又は利益を領得したる場合及び犯人が相手方より財物又は財産上の利得を領得したる所以の原因が其正当に有する権利と全然相異なれる場合に於ては詐欺恐喝の罪は他人の領得したる財物又は財産上の利益の全部に付きて成立するものとすべく之を分割し其一部分に付き犯罪の成立を認むることを得ず。
蓋し之等の場合に於ては犯人の為したる財物又は利益の領得は全く法律上の原因を欠き其全部又は一部に付、有効なる給付行為の存在を認むること能はざるを以て其全部に付、犯罪の成立を認めざるべからざるを以てなり。
他方に於て犯人の領得したる財物又は利益の一部分に付て犯罪の成立を認むるか為めには其財物又は利益が法律上可分なることを前提とするを以て金銭米穀其他種類数量に依り法律取引の目的となる所謂定量物が欺罔恐喝に依りて授受せられたる場合に於ては犯人の権利に属する部分と然らざる部分とを区別し前者に付きては有効なる給付行為ありとし後者に付きて犯罪の成立を認むることを得るも犯人の領得したる財物及び財産上の利益が法律上分割を許さざるものなるときは其一部に付、有効なる給付行為を認め他の部分に付て犯罪の成立を認むることは法律上不可能なるを以て犯人は其全部に付、不当の利得を為したるものとし之をして其全部に付、詐欺罪恐喝罪の責任を負はしめざる可からず。
原判決の認定に依れば被告は株式会社四十三銀行より小口当座預金差引残高三百円の払戻を受くるに際し同行係員を欺罔し金三千円を交付せしめたるものなれば権利実行に当り其場囲を超越し義務者をして正数以外の財物を交付せしめたるものにして名を其実行に仮託し相手方を欺罔したる場合に非ず。
而して金銭は法律上可分のものなるを以て三千円の内被告に於て正当に受領すべき権利を有せる三百円の交付は法律上有効の給付なること論を竢たず。
従て此部分に付ては詐欺罪を構成すべき理なく二千七百円に付てのみ罪責を負はしむべきものとす。
然るに原判決は三千円全部に付き詐欺罪を構成すべきものと為したるは失当にして所論の如く原判決は此点に於て破毀を免がれざるものとす。
但し本院大正元年(レ)第二〇五二号判決の趣旨は之と相反するを以て之を更正す(判旨第一点)
第二点原判決は「被告は……爰に悪意を生じ右係員の錯誤を利用し金三千円を騙取せんとして……予期の目的を遂けたり」と判示し之が証拠資料に「被告の第二審公廷に於ける其旨の自狩」ありとして之を採用せり。
依て同公判始末書を閲するに「問公訴事実は如何答原判決認定事実の通りに相違ありませぬ」とあり。
依て更に第一審判決認定事実を閲するに「被告は……爰に悪意を生じ右係員の錯誤を利用し同銀行より三千円を受取らんとし……被告は予期の目的を遂けたり」とありて原判決判示の如く三千円を騙取せんとしたるものに非ずして被告の当然受取るべき金三百円を包含する金三千円を受取らんとしたるものにして前点論するが如く金二千七百円を騙取したるに帰し原判決と其意味を異にす果して然らば原判決は此点に於て虚無の証拠を罪証に供したる違法あるものにして破毀を免れざるものとすと云ふに在れども◎第一審判決に「係員の錯誤を利用し銀行より三千円を受取らんとし」とあるは原判決の如く銀行より三千円を騙取せんとしたりと云ふに外ならず其他両判決の認定せる事実にして異りたる点を発見する能はず両判決は全く同趣旨なりとす。
而して原審公判始末書に依れば被告は第一審判決認定事実の通り相違なき旨を供述したること明かなれば被告は。
即ち原判決の認定事実を自白したるものなり。
然らば則ち虚無の証拠と云ふを得ざるを以て之を罪証に供したるは相当にして本論旨は其理由なし。
第三点原判決は証人朝倉鉞次郎の予審調書を罪証に供したり。
依て同調書を査閲するに「大正二年三月十五日和歌山地方裁判所に於て殿尾房之助私印私書偽造行使詐欺被告事件に付、予審判事の訊問証人の答述左の如し」とあり其最後には「大正二年三月十五日和歌山地方裁判所書記中尾清予審判事代理判事瀬古円」とありて訊問したるは予審判事なるも署名したるものは代理判事にして此訊問者と署名者と同一ならず。
而して本件一件記録を閲するに本件予審処分は予審判事野田保規及同代理判事瀬古円両名に於て之を行ひたることは明かなる所にして尚前後の調書を比較するに代理判事に於て訊問したる場合は何れも特に「予審判事代理判事の訊問云云」とあるが故に本調書は輙く之を単純なる誤記と見る能はず果して然らば本調書は訊問したる判事と署名したる判事と相違する違法の予審調書にして之を罪証に供したる原判決は違法にして到底破毀を免れざるものとすと云ふに在れども◎本件記録を閲するに大正二年二月二十一日被告第一回予審調書に予審判事野田保規の署名ある外其後の作成に係る予審調書には一も同判事の署名なく何れも同判事代理判事瀬古円の署名あるのみなれば判事野田保規は大正二年二月二十一日被告を取調へたる後は本件予審処分に干与せざりしこと明かなり。
然らば、即ち所論予審調書冒頭の予審判事は予審判事代理判事の誤記なること亦明白なりと云はざるを得ず。
本論旨は其理由なし。
第四点原判決は「本件控訴は之を棄却す」と判決を言渡したり。
依て第一審判決及第一審公判始末書を査閲するに其第二回公判始末書(大正二年四月十日)には検事の立会ひたる記事あるなし尤も出席検事船越雄尾と記載し其船越雄尾を削り認印しありて其別行に馬場小八と記入しあるも其筆蹟墨色を異にし、且、挿入の点に付、認印を欠くを以て刑事訴訟法第二十一条に依り其挿入は無効と謂はざるを得ず。
結局検事欠席の侭公判を進行したるに帰し無効の公判と謂はざるべからず。
果して然らば第一審判決は斯かる無効の公判審理に依りて下されたるものなるを以て原審に於ては第一審判決を取消し更に相当の判決を為すべきに事茲に出でず輙く控訴棄却の言渡を為したるは違法にして破毀を免れざるものとすと云ふに在り◎依て第一審公判始末書を閲するに船越雄尾とあるを削除し其傍に馬場小八と記載し其削除の箇所のみに裁判所書記の認印あるは所論の如しと雖も馬場小八の文字は船越雄尾の文字に極めて接近するを以て見れば船越雄尾を削り之に代ふるに馬場小八を以てしたること明かなり。
如此場合には必ずしも削除挿入の両者に尽く認印するを要せず。
一箇の認印を以て両者兼用するを得るものなれば本件に於ても亦右削除及挿入の両者に兼用したること疑を容れず本論旨も亦其理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十六条及第二百八十七条に依り原判決を破毀し当院に於て直ちに判決を為すべきものとす。
因で原判決の認定したる事実を法に照らずに被告の金二千七百円騙取の所為は刑法第二百四十六条第一項に該当するを以て其刑期範囲内に於て被告を懲役三月十五日に処し領置の百円札十二枚は刑法施行法第六十一条に依り被害者に其他の領置並に差押に係る物件は刑事訴訟法第二百二条に依り各差出人の還付すべく公訴裁判費用は同法第二百一条に従ひ被告に負担せしむべきものとす。
因で主文の如く判決す
検事林頼三郎干与大正二年十二月二十三日大審院第一第二第三刑事連合部