大正二年(れ)第一九一四號
大正二年十一月二十五日宣告
◎判決要旨
- 一 第一審裁判所カ或所爲ニ付キ證憑十分ナラサルモノト認ムルモ他ノ犯罪ト手段結果ノ關聯アリトシ特ニ無罪ノ言渡ヲ爲ササリシトキハ右所爲ニ付キ無罪ノ判決確定シタルモノト云フヲ得ス從テ有罪部分ニ對スル控訴ニ因リ全部移審ノ效力ヲ生シ第二審裁判所ハ其事實全部ニ付キ審判スルノ職務ヲ有スルモノトス
右詐欺及醫師法違犯被告事件ニ付大正二年九月九日東京地方裁判所ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ハ上告ヲ爲シタリ因テ判決スルコト左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
辯護人尾崎利中辯明書原判決ハ被告第一……被告ハ愈々醫師ノ如ク裝ヒテ同院オキシパサー治療院ニ雇ハルルニ至リ爾來同院ニ於テ患者ノ診療ニ從事シ益々其信用ヲ博スルニ至レルヨリ同月三十日(大正二年)右震太郎ニ對シ一時借受度旨申欺キ貸借名義ノ下ニ同人ヨリ金百圓ヲ受取リ之ヲ騙取シ云
云第二同年六月二十一日ヨリ同年七月九日ニ至ル迄前示「オキシパー」治療院前島震太郎方ニ於テ醫師開業ノ免許状ナクシテ山崎スス外數十名入院又ハ外來患者ヲハ診療シ以テ私ニ醫業行爲ニ從事シタリト認定セラレ被告人竝ニ檢事ノ各控訴ヲ理由アルモノトシテ原判決ヲ取消シ被告人ヲ懲役一年六月及罰金三十圓ニ處セラレタレトモ右第一第二ノ所爲ニ對シテハ第一判決ハ大正二年七月三十一日無罪ノ言渡ヲ爲シタルモノニシテ該判決ハ既ニ確定シタルモノナルニ原裁判所カ同年九月四日公判審理ノ際ニ於ケル檢事ノ附帶控訴ニ基キ其控訴ヲ理由アリトシテ前記ノ如ク處斷セラレタルハ不法ノ裁判ナリト信スト云ヒ」辯護人佐藤忍上告趣意書原判決ハ檢事ノ附帶控訴ヲ理由アリトシ第一審判決ヲ取消シテ被告ヲ懲役一年六月及ヒ罰金三十圓ニ處シタリ是レ失當ノ甚タシキモノニシテ原判決ハ破毀ヲ免レサルモノナリ理由被告ハ大正二年七月三十一日東京區裁判所ニ於テ有罪ノ判決ヲ受ケタルヲ不服トシ大正二年八月一日該判決ニ對シ控訴ヲ申立テタルモノナリ第一審判決ニ由レハ原判決判示事實ニ由ル金一百圓ヲ騙取シタル點及ヒ醫師法違反ノ點共ニ證據充分ナラサルヲ以テ無罪タリシモノナリ被告ハ第一審判決ニ對シ控訴ヲ申立テタル第一審判決ノ有罪ノ部分ニ就キテ控訴ヲ申立テタルモノナリ何ノ爲メニ無罪トナリタル點ニツキテ迄モ控訴ヲ爲スノ愚ヲ爲サンヤ飜テ被告ノ控訴申立ニツキテ論理的ニ解釋スレハ自己ノ不益ノ爲メニ爲シタルモノニアラサルヤ言ヲ竢タス故ニ第一審判決中證據十分ナラスシテ無罪トナリシ點ニツキテハ檢事ノ獨立ノ控訴ナキ以上原審公判ノ際ニハ(大正二年九月
四日)既ニ既ニ判決確定シタルモノナリ然ルニ原審ニ於テハ檢事ノ附帶控訴ヲ理由アリトシ第一審判決ニ於テ無罪トナリ確定シタルモノヲ審理シ而カモ此レニツキテ有罪ノ判決ヲ言渡シタリ其不法タル言ヲ竢タスシテ明カナリト云フニ在リ◎按スルニ第一審裁判所カ所論二箇ノ所爲ヲ犯罪ノ證憑十分ナラサルモノト爲シタルコトハ其判決理由ニ明示スル所ナリト雖モ之ヲ以テ他ノ犯罪ト手段結果ノ關聯アルモノト認メタル結果特ニ無罪ノ言渡ヲ爲ササリシハ亦同判文上明白ナレハ右所爲ニ付キ別ニ無罪ノ判決確定シタリト謂フヲ得ス隨テ本件起訴事實ノ全部ハ被告ノ控訴ニ因リ移審ノ效力ヲ生シ第二審裁判所ハ其事實ノ全部ニ付キ審理判決スルノ職務ヲ有スルモノトス故ニ原裁判所カ檢事ノ附帶控訴ヲ理由アリトシ所論ノ如ク判決ヲ爲シタルハ相當ニシテ本論旨ハ理由ナシ
辯護人佐藤三郎上告趣意書第一點原審判示第一事實ニ對シテ刑法第五十五條ノ規定ヲ適用シタルハ擬律ノ錯誤ナリ仰モ連續犯タル詐欺取財罪ノ成立ニハ其連續シタル數箇ノ行爲ヲ各箇分離シテ之ヲ觀察スルモ其各行爲カ獨立シテ何レモ一箇ノ詐欺取財罪ヲ構成スルニ足ルヘキ要件ヲ具備セサルヘカラス(明治四十三年一月二十八日大審院判例)然ルニ被告ノ行爲ハ各箇分離スヘキ數箇ノモノニ非ス
假リニ將來ニ亘リテ數箇ニ分離シ得ヘキモノナルコトヲ想像シ得ルトスルモ是レ果シテ數箇ノ行爲トシテ認メ得ヘキモノナリヤ否ヤ敢テ多言ヲ要セス又一箇ノ欺罔手段ヲ施シ數囘ニ財物ヲ騙取スルモ連續セル行爲ニ非スシテ單一ノ行爲ナリ(明治四十三年十一月七日大審院判例)然ルニ被告ノ欺罔手段ハ雇傭契約締結當初唯タ一囘行ハレタルノミナルヲ以テ被告ハ將來毎月俸給ヲ騙取シ得可シトスルモ之ニ對シテ連續犯ノ規定ヲ適用シタル原判決ハ不法ナリト云フニ在レトモ◎原判示第一事實中被告カ借用名義ヲ以テ金百圓ヲ騙取シタル所爲ト給料ヲ騙取セントシテ遂ケサリシ所爲トハ各別異ノモノニシテ原判決ハ此二者ヲ以テ同一意思ノ發動ニ出テタル連續犯ト認メタル趣旨ナルコト判文上明白ナルヲ以テ本論旨ハ理由ナシ
第二點原審判示第二事實ニ對シテ醫師法第十一條ノ規定ヲ適用シタルハ不法ナリ夫レ疾病ヲ治スルモノ之ヲ醫ト云フ然レトモ醫師法ニ所謂醫業トハ如斯廣義 モノニ非ス人ノ疾病ヲ治スルモノノ中ニ醫業ト非醫業トアリ内科外科齒科等ハ勿論明治十八年内務省甲第七號達ニヨレハ入齒齒拔口中療治接骨等モ亦タ醫業ノ中ニ入ル可シト雖モ鍼灸産婆等ハ特別法ノ取締ヲ受ケ醫業ノ中ニ入ラス同シク疾病ヲ治スルニ禁厭祈祷符呪等信仰力ニヨルモノアリ或ハ催民術ノ如ク心理作用ニヨルモノ等アレトモ是等ハ未タ必スシモ茲ニ所謂醫業ノ範圍ニ入ラス然ラハ何ヲ以テ醫業非醫業ノ區別ノ標準ト爲ス可キカ醫師法處罰規定ノ立法趣旨ニ之ヲ按スルニ同法ハ官許ヲ得スシテ私ニ醫業ヲ爲スコト即チ營業ヲ取締ラントスルニ非ス醫術ニ伴フ危險ヲ防止セントスルニ在ルモノナレハ醫業非醫業兩者區別ノ標準ハ施術ニ伴フ危險ノ有無其モノナリト云ハサルヘカラス本件判示第二事實即チ被告ノ「オキシパサー」使用ハ危險ヲ伴フ可キ所爲ナリヤ否ヤヲ按スルニ何等ノ危險ノ伴フ可キモノニ非サルコトハ第一審第二囘公判始末書中證人前島震太郎ノ供述「オキシパサー」器ハ酸素療法ニ使用スルモノニシテ諸病ニ害ナキモ云云ニヨリテ明瞭ナリ果シテ然ラハ「オキシパサー」施用ニ際シテ被告カ聽診器檢温器等ヲ使用シタレハトテ被告ハ危險ヲ伴フ醫業ヲ爲シタルモノナリト認定シ證據ニヨラス漫然醫師法違反トシテ處罰シタルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎原判旨ニ依レハ被告ハ免許ヲ受ケスシテ多數ノ患者ヲ診療シ所謂醫師ノ業務ニ從事シタル事實明白ナレハ偶々被告ノ執行シタル療法カ患者ノ身體ニ何等ノ實害ヲ生セサリシモノナリトスルモ尚ホ醫師法違犯ノ罪責ヲ免ルヘカラス蓋シ無免許醫業ヲ爲スヲ禁スルノ法意ハ豫メ危害ヲ防止セントスルニ在リテ箇箇實害ヲ生シタル場合ヲ處罰セントスルモノニアラス故ニ無免許ニシテ醫業ニ從事スル行爲ハ其自體ニ於テ既ニ法益ヲ侵害シ直ニ犯罪ヲ構成スルニ至ルモノニシテ特ニ各箇ノ患者ニ對シ如何ナル害惡ヲ生シタルヤヲ論スルノ要アルヘカラサルヲ以テ本論旨ハ理由ナシ
辯護人木原金助上告趣意書第一點詐欺取財罪ハ人ヲ欺罔シテ之ヲ錯誤ニ陷ラシメタル結果財物ヲ交付セシメタルニ因テ成立ス即チ欺罔行爲ト騙取トノ間ニハ因果連絡ヲ要スルコト判例ノ一致スル所タリ今原判決ヲ閲スルニ其理由中「前畧被告人ハ同人ヲ(前島震太郎)ヲ欺罔シテ同院ニ雇ハレ貸借名義或ハ俸給名義ノ下ニ金員ヲ騙取センコトヲ企テ」云云トシ其後段「前畧同月三十日右震太郎ニ對シ一時借受度旨申欺キ貸借名義ノ下ニ同人ヨリ金百圓ヲ受取リ之ヲ騙取シ」云云ト説示シ同人(前島震太郎)ヲ欺罔シテ同院ニ雇ハレタルコトヲ原因トシテ金圓貸借ノ事實ヲ以テ騙取行爲ト觀念セラレタルモノノ如シ然レトモ雇傭關係ハ報酬給料等ニ於テ始メテ因果スヘク金員貸借トハ何等直接因果關係ヲ有スルモノニアラス從ツテ此點ニ於テハ何等沒交渉ト言フモ可ナリ况ンヤ金圓消費ナルモノハ相互其人ヲ信用シテ行ハルヘキモノニシテ判示説明ノ如クニ被告ハ爾來同院ニ於テ患者ノ診療ニ從事シ前島モ亦之ヲ信用シ一時ノ融通ノ便ニ供セルニ過キサル本件ノ場合ニ於テハ其間欺罔行爲騙取行爲ノ存在ヲ認メント欲スルモ認メ得ヘカラサルニアラスヤ若シ強イテ此貸借ノ事實ニ對シ詐欺取財罪ヲ適用セントセハ判示理由ノ所謂「一時借入度旨申欺キ」タルハ始メヨリ返還ノ意思ニ出テシヤ其資力ノ程度如何ヲ先決セサルヘカラサルノ理ナリ然ルニ原判決ハ金圓貸借ノ事實ヲ認メナカラ絶テ被告ノ辯濟ノ資力ノ程度返還意思ノ有無如何ヲ問フコトナク漫然一時貸借ノ事實ヲ以テ詐欺取財罪ナリト判斷シタルハ近時稀ニ見ル違法ノ判斷ナリト云フニ在レトモ◎原判旨ハ雇傭契約ヲ以テ所論金圓騙取ノ直接ノ手段ト認メタルモノニ非ス被告カ前島震太郎ニ雇ハレ患者ノ診療ニ從事シ益々同人ノ信用ヲ得タルニ乘シ一時借受度旨虚言ヲ構ヘ貸借名義ノ下ニ金百圓ヲ騙取シタリト云フニ在ルコト判文ノ明示スル所ナレハ被告ハ眞ニ貸借契約ヲ爲スノ意思ナキニ拘ハラス之アル如ク裝ヒ詐言ヲ以テ震太郎ヲ欺罔シ右金員ノ交付ヲ受ケタリトノ事實認定ニ外ナラサルヲ以テ本論旨ハ謂ハレナシ
第二點原判決ハ「前畧貸借名義ノ下ニ金員ヲ騙取センコトヲ企テ」云云トシ後段「爾來同院ニ於テ患者ノ診療ニ從事シ益々其信用ヲ博スルニ至リ同月三十日右震太郎ニ對シ一時借受度旨申欺キ貸借名義ノ下ニ同人ヨリ金員ヲ受取リ之ヲ騙取シ」云云ト説示セラレタリ然レトモ其證據説明中一モ騙取行爲ノ事實ヲ認ムヘキナシ却テ證據中「約束手形ヲ差入レ金百圓ヲ借受ケタル旨」ノ被告ノ陳述ト證人前島震太郎ノ供述中「金百圓ヲ同人ニ貸與シタル旨」ノ點ヲ對照シ正當ナル金圓貸借ノ事實ヲ認ムルニ足ル即チ原判決ハ理由ト證據ト相吻合セサルモノニシテ結局理由ノ因ルヘキ證據ナク虚無ノ證據ヲ以テ斷罪ノ資料ニ供シタル違法アルヲ免レス此點ニ於テモ原判決ハ全部破毀ノ理由アリトスト云フニ在レトモ◎所論金員騙取ノ事實ハ原判決ニ擧示セル諸般ノ證據ヲ綜合シテ之ヲ認定スルコト敢テ難カラサルヲ以テ本論旨ハ畢竟事實裁判所ノ專權ニ屬スル證據ノ判斷ヲ非難スルニ歸シ適法ナル上告理由ト爲ラス
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與大正二年十一月二十五日大審院第一刑事部
大正二年(レ)第一九一四号
大正二年十一月二十五日宣告
◎判決要旨
- 一 第一審裁判所が或所為に付き証憑十分ならざるものと認むるも他の犯罪と手段結果の関連ありとし特に無罪の言渡を為さざりしときは右所為に付き無罪の判決確定したるものと云ふを得ず。
従て有罪部分に対する控訴に因り全部移審の効力を生じ第二審裁判所は其事実全部に付き審判するの職務を有するものとす。
右詐欺及医師法違犯被告事件に付、大正二年九月九日東京地方裁判所に於て言渡したる判決に対し被告は上告を為したり。
因で判決すること左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
弁護人尾崎利中弁明書原判決は被告第一……被告は愈愈医師の如く装ひて同院おきしぱさー治療院に雇はるるに至り爾来同院に於て患者の診療に従事し益益其信用を博するに至れるより同月三十日(大正二年)右震太郎に対し一時借受度旨申欺き貸借名義の下に同人より金百円を受取り之を騙取し云
云第二同年六月二十一日より同年七月九日に至る迄前示「おきしぱー」治療院前島震太郎方に於て医師開業の免許状なくして山崎すす外数十名入院又は外来患者をは診療し以て私に医業行為に従事したりと認定せられ被告人並に検事の各控訴を理由あるものとして原判決を取消し被告人を懲役一年六月及罰金三十円に処せられたれども右第一第二の所為に対しては第一判決は大正二年七月三十一日無罪の言渡を為したるものにして該判決は既に確定したるものなるに原裁判所が同年九月四日公判審理の際に於ける検事の附帯控訴に基き其控訴を理由ありとして前記の如く処断せられたるは不法の裁判なりと信ずと云ひ」弁護人佐藤忍上告趣意書原判決は検事の附帯控訴を理由ありとし第一審判決を取消して被告を懲役一年六月及び罰金三十円に処したり。
是れ失当の甚たしきものにして原判決は破毀を免れざるものなり。
理由被告は大正二年七月三十一日東京区裁判所に於て有罪の判決を受けたるを不服とし大正二年八月一日該判決に対し控訴を申立てたるものなり。
第一審判決に由れば原判決判示事実に由る金一百円を騙取したる点及び医師法違反の点共に証拠充分ならざるを以て無罪たりしものなり。
被告は第一審判決に対し控訴を申立てたる第一審判決の有罪の部分に就きて控訴を申立てたるものなり。
何の為めに無罪となりたる点につきて迄も控訴を為すの愚を為さんや翻で被告の控訴申立につきて論理的に解釈すれば自己の不益の為めに為したるものにあらざるや言を竢たず。
故に第一審判決中証拠十分ならずして無罪となりし点につきては検事の独立の控訴なき以上原審公判の際には(大正二年九月
四日)既に既に判決確定したるものなり。
然るに原審に於ては検事の附帯控訴を理由ありとし第一審判決に於て無罪となり確定したるものを審理し而かも此れにつきて有罪の判決を言渡したり。
其不法たる言を竢たずして明かなりと云ふに在り◎按ずるに第一審裁判所が所論二箇の所為を犯罪の証憑十分ならざるものと為したることは其判決理由に明示する所なりと雖も之を以て他の犯罪と手段結果の関連あるものと認めたる結果特に無罪の言渡を為さざりしは亦同判文上明白なれば右所為に付き別に無罪の判決確定したりと謂ふを得ず。
随で本件起訴事実の全部は被告の控訴に因り移審の効力を生じ第二審裁判所は其事実の全部に付き審理判決するの職務を有するものとす。
故に原裁判所が検事の附帯控訴を理由ありとし所論の如く判決を為したるは相当にして本論旨は理由なし。
弁護人佐藤三郎上告趣意書第一点原審判示第一事実に対して刑法第五十五条の規定を適用したるは擬律の錯誤なり。
仰も連続犯たる詐欺取財罪の成立には其連続したる数箇の行為を各箇分離して之を観察するも其各行為が独立して何れも一箇の詐欺取財罪を構成するに足るべき要件を具備せざるべからず。
(明治四十三年一月二十八日大審院判例)然るに被告の行為は各箇分離すべき数箇のものに非ず
仮りに将来に亘りて数箇に分離し得べきものなることを想像し得るとするも是れ果して数箇の行為として認め得べきものなりや否や敢て多言を要せず。
又一箇の欺罔手段を施し数回に財物を騙取するも連続せる行為に非ずして単一の行為なり。
(明治四十三年十一月七日大審院判例)然るに被告の欺罔手段は雇傭契約締結当初唯た一回行はれたるのみなるを以て被告は将来毎月俸給を騙取し得可しとするも之に対して連続犯の規定を適用したる原判決は不法なりと云ふに在れども◎原判示第一事実中被告が借用名義を以て金百円を騙取したる所為と給料を騙取せんとして遂けざりし所為とは各別異のものにして原判決は此二者を以て同一意思の発動に出でたる連続犯と認めたる趣旨なること判文上明白なるを以て本論旨は理由なし。
第二点原審判示第二事実に対して医師法第十一条の規定を適用したるは不法なり。
夫れ疾病を治するもの之を医と云ふ。
然れども医師法に所謂医業とは如斯広義 ものに非ず人の疾病を治するものの中に医業と非医業とあり内科外科歯科等は勿論明治十八年内務省甲第七号達によれば入歯歯抜口中療治接骨等も亦た医業の中に入る可しと雖も鍼灸産婆等は特別法の取締を受け医業の中に入らず同じく疾病を治するに禁厭祈祷符呪等信仰力によるものあり或は催民術の如く心理作用によるもの等あれども是等は未だ必ずしも茲に所謂医業の範囲に入らず。
然らば何を以て医業非医業の区別の標準と為す可きか医師法処罰規定の立法趣旨に之を按ずるに同法は官許を得ずして私に医業を為すこと。
即ち営業を取締らんとするに非ず医術に伴ふ危険を防止せんとするに在るものなれば医業非医業両者区別の標準は施術に伴ふ危険の有無其ものなりと云はざるべからず。
本件判示第二事実即ち被告の「おきしぱさー」使用は危険を伴ふ可き所為なりや否やを按ずるに何等の危険の伴ふ可きものに非ざることは第一審第二回公判始末書中証人前島震太郎の供述「おきしぱさー」器は酸素療法に使用するものにして諸病に害なきも云云によりて明瞭なり。
果して然らば「おきしぱさー」施用に際して被告が聴診器検温器等を使用したればとて被告は危険を伴ふ医業を為したるものなりと認定し証拠によらず漫然医師法違反として処罰したるは不法なりと云ふに在れども◎原判旨に依れば被告は免許を受けずして多数の患者を診療し所謂医師の業務に従事したる事実明白なれば偶偶被告の執行したる療法が患者の身体に何等の実害を生ぜざりしものなりとするも尚ほ医師法違犯の罪責を免るべからず。
蓋し無免許医業を為すを禁ずるの法意は予め危害を防止せんとするに在りて箇箇実害を生じたる場合を処罰せんとするものにあらず。
故に無免許にして医業に従事する行為は其自体に於て既に法益を侵害し直に犯罪を構成するに至るものにして特に各箇の患者に対し如何なる害悪を生じたるやを論するの要あるべからざるを以て本論旨は理由なし。
弁護人木原金助上告趣意書第一点詐欺取財罪は人を欺罔して之を錯誤に陥らしめたる結果財物を交付せしめたるに因で成立す。
即ち欺罔行為と騙取との間には因果連絡を要すること判例の一致する所たり。
今原判決を閲するに其理由中「前略被告人は同人を(前島震太郎)を欺罔して同院に雇はれ貸借名義或は俸給名義の下に金員を騙取せんことを企で」云云とし其後段「前略同月三十日右震太郎に対し一時借受度旨申欺き貸借名義の下に同人より金百円を受取り之を騙取し」云云と説示し同人(前島震太郎)を欺罔して同院に雇はれたることを原因として金円貸借の事実を以て騙取行為と観念せられたるものの如し。
然れども雇傭関係は報酬給料等に於て始めて因果すべく金員貸借とは何等直接因果関係を有するものにあらず。
従って此点に於ては何等没交渉と言ふも可なり。
況んや金円消費なるものは相互其人を信用して行はるべきものにして判示説明の如くに被告は爾来同院に於て患者の診療に従事し前島も亦之を信用し一時の融通の便に供せるに過ぎざる本件の場合に於ては其間欺罔行為騙取行為の存在を認めんと欲するも認め得べからざるにあらずや若し強いて此貸借の事実に対し詐欺取財罪を適用せんとせば判示理由の所謂「一時借入度旨申欺き」たるは始めより返還の意思に出でしや其資力の程度如何を先決せざるべからざるの理なり。
然るに原判決は金円貸借の事実を認めながら絶で被告の弁済の資力の程度返還意思の有無如何を問ふことなく漫然一時貸借の事実を以て詐欺取財罪なりと判断したるは近時稀に見る違法の判断なりと云ふに在れども◎原判旨は雇傭契約を以て所論金円騙取の直接の手段と認めたるものに非ず被告が前島震太郎に雇はれ患者の診療に従事し益益同人の信用を得たるに乗し一時借受度旨虚言を構へ貸借名義の下に金百円を騙取したりと云ふに在ること判文の明示する所なれば被告は真に貸借契約を為すの意思なきに拘はらず之ある如く装ひ詐言を以て震太郎を欺罔し右金員の交付を受けたりとの事実認定に外ならざるを以て本論旨は謂はれなし
第二点原判決は「前略貸借名義の下に金員を騙取せんことを企で」云云とし後段「爾来同院に於て患者の診療に従事し益益其信用を博するに至り同月三十日右震太郎に対し一時借受度旨申欺き貸借名義の下に同人より金員を受取り之を騙取し」云云と説示せられたり。
然れども其証拠説明中一も騙取行為の事実を認むべきなし却て証拠中「約束手形を差入れ金百円を借受けたる旨」の被告の陳述と証人前島震太郎の供述中「金百円を同人に貸与したる旨」の点を対照し正当なる金円貸借の事実を認むるに足る。
即ち原判決は理由と証拠と相吻合せざるものにして結局理由の因るべき証拠なく虚無の証拠を以て断罪の資料に供したる違法あるを免れず此点に於ても原判決は全部破毀の理由ありとすと云ふに在れども◎所論金員騙取の事実は原判決に挙示せる諸般の証拠を綜合して之を認定すること敢て難からざるを以て本論旨は畢竟事実裁判所の専権に属する証拠の判断を非難するに帰し適法なる上告理由と為らず
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与大正二年十一月二十五日大審院第一刑事部