明治四十四年(れ)第二四八七號
明治四十四年十二月二十五日宣告
◎判決要旨
- 一 刑法第百八條ニ所謂現ニ人ノ住居ニ使用スル建造物トハ現實ニ人ノ住居トシテ使用セル建造物ノ謂ニシテ放火ノ當時人ノ現在スルコトヲ必要トセス
(參照)火ヲ放テ現ニ人ノ住居ニ使用シ又ハ人ノ現在スル建造物、汽車、電車、艦船若クハ鑛坑ヲ燒燬シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ五年以上ノ懲役ニ處ス(刑法第$百八條)
公訴上告人 小林定吉
私訴上告人 小林竹次郎
私訴被上告人 飯塚ツネ
右定吉ニ對スル放火被告事件ニ付明治四十四年九月十八日竝ニ之ニ附帶スル私訴事件ニ付明治四十四年十月二十日東京控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告定吉ハ公訴ニ付民事被告人竹次郎ハ私訴ニ付各上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件公訴及ヒ私訴ノ上告ハ共ニ之ヲ棄却ス
私訴上告費用ハ私訴上告人ノ負擔トス
被告定吉辯護人高木益太郎上告趣意書第一點原判決ハ其證據トシテ飯塚ツネニ對スル受命判事ノ訊問調書ヲ援用シ以テ本件犯罪事實ヲ確認セラレタリ然レトモ元來本件ハ刑事訴訟法第二百四十一條ノ支配ヲ受ケ受命判事ニヨリ事件ノ取調ヲ爲サシムヘキ性質ノモノニアラスト信ス何トナレハ本件ハ最初ヨリ放火犯即チ重罪事件トシテ檢事ニヨリ起訴セラレアルモノナルヲ以テ(記録六七丁)假令公廷ニ於テ檢事カ重罪事件トシテ起訴スル旨ノ申立アリタリト雖モ之レ刑事訴訟法第二百四十一條ニ所謂檢事ヨリ更ニ其事件ヲ重罪トシテ訴追セラレタル場合云云ニ該當セサルヲ以テナリ從テ受命判事任命ノ決定ハ違法ノモノナルヲ以テ之ニ基キ受命判事カ爲シタル飯塚ツネニ對スル取調モ亦違法ノ措置ナルニヨリ之レヲ採テ罪證トナセル原判決ハ違法ノモノナリト信スト云フニ在リ◎因テ記録ヲ査閲スルニ本件ハ刑法第百八條ニ該當スル放火事件トシテ豫審ヲ請求シタルモノナルコトハ論旨ノ如シト雖モ豫審終結決定ニ依リ同法第百十六條第一項第百八條ニ該當スル失火事件トシテ公判ニ付セラレ而シテ第一審公判ニ於テ檢事ヨリ重罪事件トシテ訴追スル旨ノ申立アリタルモノナレハ裁判所カ刑事訴訟法第二百四十一條ニ依リ公判ヲ中止シ重罪事件トシテ裁判スル旨ヲ決定シ受命判事渡邊十寸穗ヲシテ事件ノ取調ヲ爲サシメタルハ相當ニシテ所論ノ如キ違法アルモノニ非ス然ラハ該受命判事ノ證人飯塚ツネニ對スル訊問ハ適法ニシテ之ヲ採用シタル原判決ハ違法ニ非ス
第二點原判決ハ其事實理由中「且ツ其家屋ノ存在スル限リ宅地ノ收益ヲ得ル能ハサルヘキヲ思ヒ云云」ト判決シ以テ本件犯罪事實ヲ確認セラレタリ仍テ今之レニ對スル證據説明ノ部ヲ通覽スルニ毫モ之レニ相當スト見ラルヘキ説示ノ存スルコトナシ果シテ然ラハ原判決ハ虚無ノ證據ニヨリ事實ヲ認定シタルノ違法アリト云フニ在レトモ◎原判決ニ援引セル司法警察官ノ被告ニ對スル第三囘聽取書ニハ「地代ヲ滯ラセタルヨリ(ツネ)ノ居宅カ無クハ其屋敷ヲ自分ニ歸スナラント思ヒ云云」トアリ原審ハ右供述ノ趣旨ニ依リテ所論判示事實ヲ認メタルモノナルコト洵ニ明ナレハ論旨ハ謂ハレナシ
第三點原判決ハ其證據説明トシテ被告ノ警察廷ニ於ケル供述ヲ援用シ「ツネ宅ニ催促ニ行キタル所留守ナルニ付餘リ手數計リ掛ケ貸シハ拂ハス殘念ナリシ故云云」ト説示セラレタリ仍チ今該聽取書ニ就テ之レヲ見ルニ(記録三四丁裏)「飯塚ツネノ家ヘ貸金ノ催促ニ行キマシタ所留守テシタカラ餘リ殘念ノ奴タト思ヒ誥メ云云」ト摘載セラレアルニ止マリ説示ノ如ク餘リ手數計リ掛ケ云云ノ供述ノ存スルコトナシ果シテ然ラハ原判決ハ尠クトモ虚無ノ證據ヲ罪證トナセルノ違法アリト云フニ在レトモ◎所論聽取書ヲ閲スルニ「自宅ヲ出ルトキハ左樣ノ考ハ更ニアリマセンテシタカ(ツネ)宅ヘ催促ニ行キタル所留守ナルニ付テ餘リ手數計リ掛ケ貸シハ拂ハス殘念ナリシ故鳥渡氣變リカシテ火ヲ付ケマシタ」トアリテ(記録三十五葉ノ表面)原判決ニ援用セル供述ノ趣旨ト全然符合スルヲ以テ論旨ハ謂レナシ
第四點原判決ハ證據トシテ被告ノ警察聽取書ヲ罪證ニ供シ「午後十時半頃同家ヲ立出テ云云」ト説示セラレタレトモ今飜テ同聽取書ヲ査閲スルニ被告ハ午後十時小林牛乳店ヲ立出テタル旨ノ供述記載アルヲ以テ原判決ハ尠ナクトモ此點ニ於テ虚無ノ證據ヲ證據資料トナセルノ違法アリト云フニ在リ◎因テ所論聽取書ヲ閲スルニ「午後十時頃小林ノ家ヲ出テ云云」トアリテ午後十時半頃ニ小林ノ家ヲ出テタル趣旨ノ供述記載ナキコトハ論旨ノ如シト雖モ右ハ聽取書ノ供述記載ヲ援用スルニ當リ「午後十時頃」ト掲記スヘキヲ「午後十時半頃」ト誤記シタルモノニシテ「半」ノ字ハ衍文ナリト認ムルヲ相
當トスルノミナラス十時頃ト謂ヘハ其時間ノ範圍内ニハ十時半頃ヲ包含スヘキカ故ニ聽取書ニ「十時頃」トアルヲ「十時半頃」ト説示スルモ違法ニアラス論旨ハ理由ナシ
同辯護人法學博士花井卓藏上告趣意書第一點刑法第百八條ハ「火ヲ放テ現ニ人ノ住居ニ使用シ又ハ人ノ現在スル建造物云云」ト規定ス從テ同條ニ問擬スルニハ火ヲ放チタル家屋ハ現ニ人ノ住居ニ使用シ又ハ人ノ現在セシ事實ヲ説明セサルヘカラス原判決ハ「被告ハ云云四十三年十二月三十一日夜地代督促ノ爲メツネ方ニ至リタルニ全戸不在ニシテ其意ヲ果サス云云其居宅ヲ燒燬セント決意シ云云間口二間奧行六間木造平家建草葺居宅一棟ヲ燒失セシメタルモノナリ」ト認定ス此判示事實ニ依レハ飯塚ツネ方ハ全戸不在ナルコト明白ナレハ現ニ人ノ住居ニ使用シタルモノナルヤ否ヤ之ヲ知ルニ由ナク其人ノ現在セサル事實ハ疑ノ存セサル所ナレハ縱令該家屋ニ放火シタリトスルモ果シテ刑法第百八條ノ犯罪ヲ構成スルヤ否ヤ明ナラス然ルニ輙スク同條ニ問擬シタル原判決ハ理由不備又ハ擬律錯誤ノ不法アルモノト信スト云フニ在リ◎按スルニ刑法第百八條ニ所謂現ニ人ノ住居ニ使用スル建造物トハ現實ニ人ノ住居トシテ使用セル建造物ノ謂ニシテ放火ノ當時人ノ現在スルコトヲ必要トセス故ニ原判決ノ判示セル事實ニ據レハ被告ハ飯塚(ツネ)ノ住宅即チ現ニ人ノ住居ニ使用セル建造物ニ放火シタルモノナレハ其當時該住宅ニ人ノ現在セサリシ場合ト雖モ其行爲ハ刑法第百八條ニ該當スルヲ以テ原判決カ同條ヲ以テ被告ノ行爲ニ問擬シタルハ相當ニシテ擬律ノ錯誤又ハ理由不備ノ違法アルモノニ非ス
第二點原判決ノ罪證ニ供シタル飯塚ツネノ豫審調書及宣誓書竝ニ花垣又吉ノ豫審調書及宣誓書ニハ共ニ其氏名ノ傍ニ「自署捺印共不能ニ付書記代書ス」ト附記セルモ書記ノ捺印ヲ缺如スルヲ以テ該附記ハ其效力ナク從テ前示宣誓書竝ニ豫審調書ハ刑事訴訟法第百二十二條第二項同法第百三十一條第三項ニ背戻スル無效ノ書類タリ然ルニ採テ以テ斷罪ノ資料ニ供シタルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎刑事訴訟法第百二十二條第二項同第百三十一條第三項ノ規定ハ同法第二十一條ノ二ノ追加規定ニ依リテ自ラ變更セラレタルモノニシテ證人カ署名捺印シ能ハサル場合ニ於テハ同條第三項ニ從ヒ立會書記代署シ其旨ヲ附記スルヲ以テ足リ書記ノ署名捺印ヲ要セス故ニ論旨ハ理由ナシ
第三點刑事訴訟法第二百三十七條第一項ニハ「重罪事件ニ付テハ開廷前裁判長又ハ受命判事ハ裁判所書記ノ立會ニ依リ一應被告人ヲ訊問シ」ト規定ス從テ重罪事件ノ下調ハ裁判長又ハ受命判事之ヲ爲スヘク其他ノ者ハ重罪事件ノ下調ヲ爲ス權限ナキモノトス第一審ニ於ケル受命判事ハ渡邊十寸穗ナルコト第一審第一囘公判始末書中「裁判長ハ云云判事渡邊十寸穗ヲ受命判事トシテ云云」ノ記載竝ニ判決原本ノ契印等ニ徴シテ寔ニ明白ナリトス然ルニ下調ハ同判事之ヲ爲サス増永判事ニ於テ之ヲ爲シタルヲ以テ該下調ハ其效力ナキモノトス即チ第一審裁判所ニ於テハ下調ヲ爲サスシテ審理判決シタル不法アルニ拘ハラス第一審判決ヲ取消スコトナク被告ノ控訴ヲ棄却シタル原判決ハ不法ナリト云フニ在レトモ◎刑事訴訟法第二百四十一條ニ依ル受命判事ハ事件ノ取調ヲ爲シ報告ヲ爲スヲ以テ其任務ヲ終了シタルモノナレハ他ノ判事カ同法第二百三十七條ニ依ル受命判事タルコトヲ妨ケス故ニ本件ニ於テ第一審裁判所ノ判事渡邊十寸穗カ受命判事トシテ重罪事件ノ取調ヲ爲シ其報告ヲ爲シタル以上ハ其任務ハ茲ニ終リタルモノナルヲ以テ公判前ニ於ケル重罪被告人ノ訊問ヲ爲スニ付キ他ノ判事増永正一ヲ受命判事ト爲シ被告人ノ訊問ヲ爲サシメタルハ違法ニ非ス然ラハ適法ナル公判前ノ訊問ヲ經テ爲シタル第一審判決ハ違法ニ非サレハ之ヲ是認シタル原判決亦違法ニ非ス
私訴上告人竹次郎代理人法學博士花井卓藏上告趣意書小林定吉ニ對スル公判上告趣意ハ總テ私訴ニ援用スト云フニ在レトモ◎公訴上告趣意書ノ理由ナキコトハ前掲諸論旨ニ對スル説明ノ如クナルヲ以テ之ヲ援用セル私訴上告趣意亦理由ナシ
同代理人高木金之助上告趣意書原判決ハ證人眞下佐之吉ノ意見ヲ援用シ家屋及附屬品ノ價格ヲ金四十圓ト認定セラレタルモ眞下佐之吉ハ證人ニシテ鑑定人ニアラサレハ其意見ヲ以テ判斷ノ資料ト爲スコトヲ得サルヘキ筈ノミナラス上告人ノ申請シタル證人中川知海ノ之ニ反セル證言ニ對シテ何等ノ説明テ爲ササルハ不法ナリト云フニ在レトモ◎所論證人ノ供述ハ既往ノ實驗ニ依ル物ノ價格ニ關スル意見ヲ供述シタルモノニ外ナラサレハ固ヨリ鑑定ヲ以テ視ルヘキニ非ス故ニ原審カ右供述ヲ證言トシテ援用シタルハ違法ニ非ス又原判決ニ於テ採用セサル證據ニ付テハ特ニ之ヲ排斥シタル理由ヲ説明スルコトヲ要セサルヲ以テ末段論旨ハ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事林頼三郎干與明治四十四年十二月二十五日大審院第二刑事部
明治四十四年(レ)第二四八七号
明治四十四年十二月二十五日宣告
◎判決要旨
- 一 刑法第百八条に所謂現に人の住居に使用する建造物とは現実に人の住居として使用せる建造物の謂にして放火の当時人の現在することを必要とせず
(参照)火を放で現に人の住居に使用し又は人の現在する建造物、汽車、電車、艦船若くは鉱坑を焼燬したる者は死刑又は無期若くは五年以上の懲役に処す(刑法第$百八条)
公訴上告人 小林定吉
私訴上告人 小林竹次郎
私訴被上告人 飯塚つね
右定吉に対する放火被告事件に付、明治四十四年九月十八日並に之に附帯する私訴事件に付、明治四十四年十月二十日東京控訴院に於て言渡したる判決に対し被告定吉は公訴に付、民事被告人竹次郎は私訴に付、各上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件公訴及び私訴の上告は共に之を棄却す
私訴上告費用は私訴上告人の負担とす。
被告定吉弁護人高木益太郎上告趣意書第一点原判決は其証拠として飯塚つねに対する受命判事の訊問調書を援用し以て本件犯罪事実を確認せられたり。
然れども元来本件は刑事訴訟法第二百四十一条の支配を受け受命判事により事件の取調を為さしむべき性質のものにあらずと信ず。
何となれば本件は最初より放火犯即ち重罪事件として検事により起訴せられあるものなるを以て(記録六七丁)仮令公廷に於て検事が重罪事件として起訴する旨の申立ありたりと雖も之れ刑事訴訟法第二百四十一条に所謂検事より更に其事件を重罪として訴追せられたる場合云云に該当せざるを以てなり。
従て受命判事任命の決定は違法のものなるを以て之に基き受命判事が為したる飯塚つねに対する取調も亦違法の措置なるにより之れを採で罪証となせる原判決は違法のものなりと信ずと云ふに在り◎因で記録を査閲するに本件は刑法第百八条に該当する放火事件として予審を請求したるものなることは論旨の如しと雖も予審終結決定に依り同法第百十六条第一項第百八条に該当する失火事件として公判に付せられ。
而して第一審公判に於て検事より重罪事件として訴追する旨の申立ありたるものなれば裁判所が刑事訴訟法第二百四十一条に依り公判を中止し重罪事件として裁判する旨を決定し受命判事渡辺十寸穂をして事件の取調を為さしめたるは相当にして所論の如き違法あるものに非ず。
然らば該受命判事の証人飯塚つねに対する訊問は適法にして之を採用したる原判決は違法に非ず
第二点原判決は其事実理由中「且つ其家屋の存在する限り宅地の収益を得る能はざるべきを思ひ云云」と判決し以て本件犯罪事実を確認せられたり。
仍て今之れに対する証拠説明の部を通覧するに毫も之れに相当すと見らるべき説示の存することなし果して然らば原判決は虚無の証拠により事実を認定したるの違法ありと云ふに在れども◎原判決に援引せる司法警察官の被告に対する第三回聴取書には「地代を滞らせたるより(つね)の居宅が無くは其屋敷を自分に帰すならんと思ひ云云」とあり原審は右供述の趣旨に依りて所論判示事実を認めたるものなること洵に明なれば論旨は謂はれなし
第三点原判決は其証拠説明として被告の警察廷に於ける供述を援用し「つね宅に催促に行きたる所留守なるに付、余り手数計り掛け貸しは払はず残念なりし故云云」と説示せられたり仍ち今該聴取書に就て之れを見るに(記録三四丁裏)「飯塚つねの家へ貸金の催促に行きました。
所留守てしたから余り残念の奴たと思ひ誥め云云」と摘載せられあるに止まり説示の如く余り手数計り掛け云云の供述の存することなし果して然らば原判決は尠くとも虚無の証拠を罪証となせるの違法ありと云ふに在れども◎所論聴取書を閲するに「自宅を出るときは左様の考は更にありませんでしたか(つね)宅へ催促に行きたる所留守なるに付て余り手数計り掛け貸しは払はず残念なりし故鳥渡気変りかして火を付けました。」とありて(記録三十五葉の表面)原判決に援用せる供述の趣旨と全然符合するを以て論旨は謂れなし
第四点原判決は証拠として被告の警察聴取書を罪証に供し「午後十時半頃同家を立出で云云」と説示せられたれども今翻で同聴取書を査閲するに被告は午後十時小林牛乳店を立出てたる旨の供述記載あるを以て原判決は尠なくとも此点に於て虚無の証拠を証拠資料となせるの違法ありと云ふに在り◎因で所論聴取書を閲するに「午後十時頃小林の家を出で云云」とありて午後十時半頃に小林の家を出でたる趣旨の供述記載なきことは論旨の如しと雖も右は聴取書の供述記載を援用するに当り「午後十時頃」と掲記すべきを「午後十時半頃」と誤記したるものにして「半」の字は衍文なりと認むるを相
当とするのみならず十時頃と謂へは其時間の範囲内には十時半頃を包含すべきが故に聴取書に「十時頃」とあるを「十時半頃」と説示するも違法にあらず。
論旨は理由なし。
同弁護人法学博士花井卓蔵上告趣意書第一点刑法第百八条は「火を放で現に人の住居に使用し又は人の現在する建造物云云」と規定す。
従て同条に問擬するには火を放ちたる家屋は現に人の住居に使用し又は人の現在せし事実を説明せざるべからず。
原判決は「被告は云云四十三年十二月三十一日夜地代督促の為めつね方に至りたるに全戸不在にして其意を果さず云云其居宅を焼燬せんと決意し云云間口二間奥行六間木造平家建草葺居宅一棟を焼失せしめたるものなり。」と認定す此判示事実に依れば飯塚つね方は全戸不在なること明白なれば現に人の住居に使用したるものなるや否や之を知るに由なく其人の現在せざる事実は疑の存せざる所なれば縦令該家屋に放火したりとするも果して刑法第百八条の犯罪を構成するや否や明ならず。
然るに輙すく同条に問擬したる原判決は理由不備又は擬律錯誤の不法あるものと信ずと云ふに在り◎按ずるに刑法第百八条に所謂現に人の住居に使用する建造物とは現実に人の住居として使用せる建造物の謂にして放火の当時人の現在することを必要とせず。
故に原判決の判示せる事実に拠れば被告は飯塚(つね)の住宅即ち現に人の住居に使用せる建造物に放火したるものなれば其当時該住宅に人の現在せざりし場合と雖も其行為は刑法第百八条に該当するを以て原判決が同条を以て被告の行為に問擬したるは相当にして擬律の錯誤又は理由不備の違法あるものに非ず
第二点原判決の罪証に供したる飯塚つねの予審調書及宣誓書並に花垣又吉の予審調書及宣誓書には共に其氏名の傍に「自署捺印共不能に付、書記代書す」と附記せるも書記の捺印を欠如するを以て該附記は其効力なく。
従て前示宣誓書並に予審調書は刑事訴訟法第百二十二条第二項同法第百三十一条第三項に背戻する無効の書類たり。
然るに採で以て断罪の資料に供したるは不法なりと云ふに在れども◎刑事訴訟法第百二十二条第二項同第百三十一条第三項の規定は同法第二十一条の二の追加規定に依りて自ら変更せられたるものにして証人が署名捺印し能はざる場合に於ては同条第三項に従ひ立会書記代署し其旨を附記するを以て足り書記の署名捺印を要せず。
故に論旨は理由なし。
第三点刑事訴訟法第二百三十七条第一項には「重罪事件に付ては開廷前裁判長又は受命判事は裁判所書記の立会に依り一応被告人を訊問し」と規定す。
従て重罪事件の下調は裁判長又は受命判事之を為すべく其他の者は重罪事件の下調を為す権限なきものとす。
第一審に於ける受命判事は渡辺十寸穂なること第一審第一回公判始末書中「裁判長は云云判事渡辺十寸穂を受命判事として云云」の記載並に判決原本の契印等に徴して寔に明白なりとす。
然るに下調は同判事之を為さず増永判事に於て之を為したるを以て該下調は其効力なきものとす。
即ち第一審裁判所に於ては下調を為さずして審理判決したる不法あるに拘はらず第一審判決を取消すことなく被告の控訴を棄却したる原判決は不法なりと云ふに在れども◎刑事訴訟法第二百四十一条に依る受命判事は事件の取調を為し報告を為すを以て其任務を終了したるものなれば他の判事が同法第二百三十七条に依る受命判事たることを妨げず。
故に本件に於て第一審裁判所の判事渡辺十寸穂が受命判事として重罪事件の取調を為し其報告を為したる以上は其任務は茲に終りたるものなるを以て公判前に於ける重罪被告人の訊問を為すに付き他の判事増永正一を受命判事と為し被告人の訊問を為さしめたるは違法に非ず。
然らば適法なる公判前の訊問を経で為したる第一審判決は違法に非ざれば之を是認したる原判決亦違法に非ず
私訴上告人竹次郎代理人法学博士花井卓蔵上告趣意書小林定吉に対する公判上告趣意は総で私訴に援用すと云ふに在れども◎公訴上告趣意書の理由なきことは前掲諸論旨に対する説明の如くなるを以て之を援用せる私訴上告趣意亦理由なし。
同代理人高木金之助上告趣意書原判決は証人真下佐之吉の意見を援用し家屋及附属品の価格を金四十円と認定せられたるも真下佐之吉は証人にして鑑定人にあらざれば其意見を以て判断の資料と為すことを得ざるべき筈のみならず上告人の申請したる証人中川知海の之に反せる証言に対して何等の説明で為さざるは不法なりと云ふに在れども◎所論証人の供述は既往の実験に依る物の価格に関する意見を供述したるものに外ならざれば固より鑑定を以て視るべきに非ず。
故に原審が右供述を証言として援用したるは違法に非ず又原判決に於て採用せざる証拠に付ては特に之を排斥したる理由を説明することを要せざるを以て末段論旨は理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事林頼三郎干与明治四十四年十二月二十五日大審院第二刑事部