私印盜用私書僞造行使詐欺取財ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）16輯854頁

原判決を破毀し被告清之進を重禁錮一年に処す

領置及押収物件中中村武右衛門宛藤崎清之名義金借証書（証第五号）の偽造部分は之を没収し其没

収に係らざる部分及其他の物件は総で各所有者に還付す

公訴裁判費用は全部被告清之進の負担とす。

被告弁護人横山勝太郎上告趣意書第一点本件検事の起訴状を閲するに其検事の氏名は墨痕乱雑何人の署名なるか判然せず結局署名なきに等しく法律上不適式のものなるに原院が本案の内容に入り審理判決をなしたるは不法なりと云ふ[いう]に在れども◎本件起訴状検事の署名は草書を以て熊沢藤四郎と記載したるものにして検事熊沢藤四郎の署名なること明瞭なれば本論旨は上告の理由なし。

第二点本件検事の起訴状を閲するに其犯罪事実は一千二十三円の現金を被告に於て騙取[へんしゅ]したりと云ふ[いう]に在り。 然るに原院は「……同所に於て右証書と引替に借用名義を以て金千二十三円の小切手一通を被告代理人なる川原正右衛門に交付せしめ以て之を騙取[へんしゅ]したるものなり。」と判決したるは一面起訴の事実に対し裁判を与へず一面訴を受けざる事件の審理判決を為したる不法ありと思料すと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに本件検事の起訴状には被告が一千二十三円の現金を騙取[へんしゅ]したる旨掲けあるも其目的は要するに被告が中村武右衛門を欺罔して財物を騙取[へんしゅ]したる事実に対し公訴を提起したるに外ならざれば原院が被告に於て中村武右衛門を欺罔し金千二十三円の小切手一通を被告代理人川原正右衛門に交付せしめ以て之を騙取[へんしゅ]したるものなりと認定したるは起訴の事実に対し裁判を為したるものにして訴を受けざる事件に付、審理判決を為したるものにはあらざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第三点原判文法律適用の部を閲するに「……私書偽造及其行使の点は各一箇の行為にして数箇の罪名に触るるものなるを以て同第五十四条第一項前段第十条に依り重き岩下正蔵の私書を偽造し及行使したる罪に従ひ……」と判示したれども偽造及行使の各所為は決して数箇の罪名に触るるものにあらず。

従て刑法第五十四条第一項前段を適用したるは擬律の錯誤ある不法の裁判なりと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに原判決に依れば本件事実は被告が藤崎伝之丞岩下正蔵二人の保証せる金千二十三円の借用証書を偽造行使したるものにして其偽造並に行使の行為は各一箇にして一の偽造罪と一の行使罪を成すに過ぎざるものとす。 然るに原院が被告の偽造並に行使の行為を以て何れも一箇にして二箇の文書偽造罪及二箇の行使罪を成すものと做し刑法第五十四条第一項前段第十条を適用したるは。 即ち擬律の錯誤にして原判決は此点に於て破毀を免れざるものとす。

右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十六条に依り原判決を破毀し同法第二百八十七条に則り本院に於て直ちに判決を為すべきものとす。 因で原判決の認めたる事実に依り之を法律に照すに本件は刑法施行前の犯罪なるを以て刑法第六条刑法施行法第二条第三条刑法第十条に依り新旧法を比照し其軽きものを適用すべきものなるを以て先づ之を旧法に照すに私印盗用の所為は旧刑法第二百八条第二項第一項第二百十二条に私書偽造行使の所為は同第二百十条第一項第二百十二条に詐欺取財の所為は同第三百九十条第一項第三百九十四条に該当する処私書偽造行使の所為は詐欺取財を為すに依り犯したるものなるを以て同第三百九十条第二項に依り重き私書偽造行使罪に従ひ数罪倶発に付き同第百条に依り犯情重き私印盗用の所為に従ひ処断すべく之を刑法に照すに私書偽造の所為は刑法第百五十九条第一項に其行使の所為は同法第百六十一条第百五十九条第一項に詐欺取財の所為は同第二百四十六条第一項に該当する処右私書偽造行使及詐欺取財は相互手段結果の関係あるを以て同第五十四条第一項後段第十条に依り重き詐欺取財の罪に対する刑に従ひ処断すべく比照の結果旧刑法の刑軽きを以て前記旧刑法の各法条に従ひ尚刑法施行法第五条を適用して処断すべく領置及押収物件中藤崎清之名義中村武右衛門宛の借用証書（証第五号）の偽造部分は旧刑法第四十三条第一号第四十四条に依り之を没収し其没収に係らざる部分及其他の物件は刑事訴訟法第二百二条に依り各所有者に還付すべく公訴裁判費用は同法第二百一条第一項に依り全部被告の負担と為すべきものとす。 因で主文の如く判決す

検事棚橋愛七干与明治四十三年五月十二日大審院第二刑事部