新聞紙法違犯ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）16輯836頁

本件上告は之を棄却す

被告周行同重次郎弁護人添田増男上告趣旨書第一原院は法律上罪とならざる事実を罪なりと判定したる不法あり。 要は原審が被告が犯したりと認定したる事実を査閲するに被告周行に対しては（前略）「同美人の素性を探りたるに同村字下管田米穀商小川清の姉お作（三十三）なること判明したりお作は十年前同県程け谷の谷口某方へ嫁したるも本夫に死なれ実家へ戻り弟を助けて専ら家業を助け居れり。 同家は家族六人ありて小作人も七八名あり地租百円以上を納むる豪農なり。」と又被告重次郎に対しては（前略）「因に家は地方に於て中流以上の生活を営み居り戸主清はまた若年の為め家政一切さくか司り本人は十年前程け谷町田口某に嫁したることありしも間もなく離縁となり以来独身にて同日に及びしも厭ふ[いとう]べき風評もなく無論他に怨を受ける様のことなし」云云とあり。 然れども[しかれども]前記判定の事実は原院が検事が差止めたりと判定したる掲記七箇の何れにも該当するものに非ず。 従て被告等が右各事実を某新聞紙上に記載したることは法律の禁止せざる所なるにより之を新聞紙に掲載したればとて法律上罪となるべきものに非ず。 然るに原審が之を以て犯罪事実と判定したるは違法の甚たしきものにして又原判決が到底破毀を免れざる所以なりと云ふ[いう]に在れども◎所論判定の事実は検事が新聞紙に掲載差止を命じたる被告事件の犯罪に関係ある事項にして原判決冒頭所掲の（二）の差止事項に該当するを以て原院が被告等の所為を新聞紙法に違犯せるものとして処罰したるは不法にあらず。

第二原審は無効の公訴の提起に対し判決したる違法あり。 何となれば凡官吏の作るべき書類は刑事訴訟法第二十条に依り其作成の場所を記載することを要するや勿論なりとす。 然るに明治四十二年六月三日東京地方裁判所検事局検事平井彦三郎が本件に付、為したる公判請求書には如何[いかん]なる場所に於て之を作成せしかを記載せざりし不法あればなり。 蓋し[けだし]平井彦三郎は東京地方裁判所検事局検事なるにより刑訴第二十条に所謂官吏に該当す。 而して[しこうして]同人が本件に関し公訴の提起を為すに付ても亦[また]等しく同条に拠り之が作成の場所を記載することを要するものとす。 今や翻で前記公判請求書を査閲するに只東京地方裁判所検事とあるのみにして他に場所の記載と認むべきもの更になし。 然れども[しかれども]明治二十八年御院判例に依れば「検事正の控訴申立書に某の地方裁判所検事正何某[なにがし]と記載しあれば同裁判所に於て該文書を作成したるものなること明かなり。 即ち之に対し文書作成の場所を記載せずと云ふ[いう]を得ず。」と判示されたり。 而して[しこうして]此判例は本論旨に対し不利益に引用せらるべき価値あるものなれば掲記判例の不当なることを茲に[ここに]一言せざるべからず。 即該判例は官職と官名並に場所の記載とを混同せる観念によりて為さんとするものなりと信ず。 蓋し[けだし]検事正とは単に官名にして某の裁判所検事局検事正と称するときは。 即ち官吏に対し某官職を与へたるものに過ぎずして其検事正が同様検事局に於て総て[すべて]の職務を執行するの意を含むものにあらず。 若し夫れ右判例の如く之を解せんか単に検事正と云ふ[いう]ときに於て既に場所の観念ありと云はざるべからず。 之れ頗る[すこぶる]条理に合せざる見解なり。 而して[しこうして]此検事正なるものに縦令[たとい]某の裁判所検事なる官職を付与したればとて之が為め右判例の示すが如き場所の観念を含むものに非ず。 故に某の裁判所検事正とあるのみにては未だ其検事正が作成したる総て[すべて]の文書が其裁判所検事局内に於て作成せられたるものなりと解するを得ず。 若し又右判例の如く之を論せんか第一審検事平井彦三郎にして元大坂地方裁判所検事局検事なりしところ転任によりて東京地方裁判所検事局検事に補せられたりと仮定し同人が其転任辞令拝受の後之が就任途中に於て公判請求書を認め之に署名するに東京地方裁判所検事平井彦三郎とのみ書し之を郵送して公訴の提起を為したりとする場合に於ても尚ほ之を以て東京地方裁判所検事局に於て認めたりと為すことを得るに至るべし。 従て該判例は純理解釈上甚た不当なりと云はざるべからず。 故に平井彦三郎が本件公訴の提起を有効に為さんには東京地方裁判所検事平井彦三郎と書する外更に其公訴状に之が作成の場所を記載せざるべからざるものとす。 而して[しこうして]之を明記せざる本件公訴の提起は法律上何等の効力を生ぜざるものと言ふべし。 従て原判決は右無効の公訴を基礎と為して言渡したる判決なるを以て到底之が破毀を免れざるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎本件公判請求書中検事氏名の頭書に「東京地方裁判所」とあるは右書類を作成したる場所を表示したるものなるを以て本論旨は上告の理由なし。

第三原院は無効の嘱託書類を採で断罪の資料に供したる不法あり。 要は原判決に引用したる電話用紙を査閲するに其発信者は横浜地方裁判所大平検事受信者は東京地方裁判所検事局とあり。 而して[しこうして]其取扱者は単に書記として尾崎と称する円形の印を押捺せられあるなり。 因是観之本件に付、横浜地方裁判所大平検事より東京地方裁判所検事局に発信し来りたる事項を其所属の不明にして且つ其名の明かならざる書記尾崎なるものに於て之を取扱はれたること甚た明瞭なりとす。 然れども[しかれども]其書記なるものは孰れ[いずれ]の官庁に属するものなるや更に明かならず。 即ち何処の検事局の書記なるや将又予審の書記なるや若くは民事又は刑事の書記なるや或は其他の官署公署の書記なるや否や頗る[すこぶる]不明に属すべし。 今若し夫れ前記の書記が仮に東京地方裁判所検事局又は検事に附属したるものなりとなさんか該書記は裁判所構成法第九十一条第二項に因り其検事局又は検事の命令に従ひ之を取扱はざるべからざるものとす。 然るに本件記録に依れば之が命令を受けて為したる事跡毫も[ごうも]見るべきものなきに依り。 即ち自己が単独に之を取扱せたるものと謂はざるべからず。 従て右取扱の行為は法律上当然無効なりと論結せざるを得ず。 故に其無効なる電話用紙を基本となし縦令[たとい]平井検事が之を差止めたりとするも元来法律上無効なるものが之が為めに法律上の効力を生ずるものに非ず何となれば其既に根本に於て嘱託行為が無効のものなればなり。 左れば原審は此無効なる嘱託行為に基く一切の書類は之を以て採証に供することを得ざるに拘はらず取で之を引用し上告人に有罪を言渡したり。 故に原判決は不法の甚たしきものなるを以て到底之が破毀を免れざるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論電話用紙の記事は東京地方裁判所検事局に職を奉する尾崎書記の録取せるものなることは其用紙自体に徴し自ら明なるのみならず右記事は同書記が上官の命令に依り録取せるものなるも其命令ありたることに付ては別に文書を作り之を訴訟記録に添附するの要なきものなれば本件訴訟記録に其命令ありたることを見るべき事跡なければとて右電話用紙を無効なりと云ふ[いう]を得ざるを以て本論旨は上告の理由なし。

被告周行弁護人法学博士花井卓蔵上告趣意書第一新聞紙法第十九条に依り掲載発行することを差止められたる予審事項を新聞紙に掲載発行したるものとして処分するには違犯者が掲載差止めの通知を受けたる事実は証拠に依て之を説明せざるべからず。 原判決は押収に係る四二押第九九四号の六の請書に明治四十二年六月二日小川さく殺害事件に付、平井検事の発したる差止め通知書を東京朝日新聞社に於て発行人代佐藤真一が同日午後四時受領したる旨の記載を援用して被告が掲載差止の通知を受けたる証拠に借りたり。 然れども[しかれども]該請書自体の明記する如く差止の通告を受けたるは佐藤真一にして同人は発行人の代理若くは差止通知を受領すべき委任を受けたる事跡の見るべきものなければ縦令[たとい]佐藤真一に於て該通告書を受領したりとするも直に以て被告が該通告を知了したるものと断することを得ず。 又仮に発行人に通知したりとするも編輯人たる被告に通知したるの効力を生ずべきものにあらず。 然れば則ち原判決は罪となるべき事実を認めたる証拠を説明せざるものにして理由不備の不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論掲載発行の差止は後に弁護人高木益太郎上告趣意書第三の論旨に対し説明する如く発行人又は其代理人に通達すべきものにして編輯人に通達すべきものにあらず。 而して[しこうして]原院は押収に係る請書の記載に依り東京朝日新聞の発行人の代理人に差止めの通達ありたる事を認定したるものにして毫も[ごうも]其理由に欠くる所なければ本論旨は上告の理由なし。

第二原判決は電話用紙外一葉を断罪の証拠に採用せるも該文書は何人の作成に係るものなるや明かならず。 従て該文書が刑事訴訟法第二十条の法則に遵拠すべきものなるや否やを知るに由なきに拘はらず所属官署の印、作成の場所等を欠如せる該書類を輙すく罪証に供したる原判決は法則に違反する不法あるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論電話用紙外一葉は被告周行外一名弁護人添田増男上告趣旨書第三の論旨に対し既に説明したるが如く東京地方裁判所検事局に奉職する尾崎書記の作成したるものなることは用紙自体に徴し自ら明かなり。 而して[しこうして]右は刑事訴訟法第二十条の規定に従ひ作成すべき文書にあらざれば之に所属官署の印を押捺するの要なく又作成の場所を記載するの要なきを以て本論旨は上告の理由なし。

第三原判決は其冒頭に於て差止め事項として七箇を掲載したるに拘はらず東京朝日新聞第八千百八十五号及第八千百九十六号に掲載したる記事は差止事項の何れに該当するやを説明せず漫然有罪の言渡を為したるは理由不備たるものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論東京朝日新聞第八千百八十五号の記事が原判決が冒頭所掲の（二）乃至[ないし]（五）及び（七）の差止事項に該当し第八千百九十六号の記事が同上（一）（五）の差止事項に該当することは原判文上自ら明かなれば特に之が説明を為さざるも理由不備の不法ありと云ふ[いう]を得ず。

被告周行弁護人高木益太郎上告趣意書第一原判決理由に依れば「被告は云云の七事項に付、被告の編輯する新聞紙に掲載発行することを差止むる旨を達せられたる処明治四十二年六月三日及同月十四日発行新聞紙上に云云の記事を掲載したり。」とのみ判示し。 仍て[よって]以て被告有罪の判決を与へられたれども元来本犯成立の要件として必す其掲載したる記事が既に掲載の差止を受けたる事案又は条項に該当するや否やを判示せざるべからざるものとす。 然るに原判決此点に関し何等理由を具せざるが故に理由不備の違法なりとすと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは弁護人法学博士花井卓蔵上告趣意書第三点の論旨に対する説明に依り了解す可し

第二原判決の冒頭事実に対する証拠説明として「電報用紙外一葉」の記載を援用せられたれども右書類は原審公廷に於て刑事訴訟法第百九十八条第一項の手続を履践せざるものなるが故に之を罪証に供したる原判決は破毀を免れざるものとす。 或は原審公判始末書中証拠調として為したる証拠書類の内に「電報用紙に記載せられたる検事差止嘱託書」との記載あるが故に本論旨は理由なしとの見解あるべしと雖[いえども]も嘱託者より被嘱託者に対し其嘱託事項を記載して交付したる文書自体を指示するものにして本件の如く電話の通知に依り被嘱託者に非ざる尾崎なる者が自己の聴取したる要旨を記載したる文書を以て直に検事の差止嘱託書なりと謂ふを得ず。 然らば則ち原判決は冒頭所論の違法あるものなること明白なりと云ふ[いう]に在れども◎原院公判始末書証拠調の部に「電話用紙に記載せられたる検事の差止嘱託書」とあるは。 即ち原院が証拠に援用せる電話用紙外一葉の記載を指示したるに外ならざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第三原判決は其二事実理由中「被告周行は云云東京朝日新聞の編輯人にして明治四十二年六月二日午後四時同新聞発行人代佐藤基一に於て前記差止の通達を受けたるに拘はらず云云」と説示せられたれども本件の新聞記事の差止は編輯人に対して通達せらるべきものなれば発行人に対する通達は差止の効力を有せざるものと謂はざるを得ず。 然るに原判決が此無効なる差止め通達に基く責任を被告に帰して被告の犯罪事実を確定せられたるは違法の裁判なりと云ふ[いう]に在れども◎新聞紙の発行は発行人に於て之を為すものなれば検事が捜査又は予審中の被告事件に関し掲載発行の差止を為すには其旨を発行人又は其代理人に通達するに依り其効を生ずるものとす。 故に原院が本件に付き発行人の代理人に掲載発行の差止を通達したるを有効とし編輯人たる被告を処罰したるは違法にあらざるを以て本論旨は上告の理由なし。

被告連四郎弁護人岩崎勲上告趣意書第一本案被告書件は新聞紙法第十九条中「新聞紙は公判に於て……検事の差止めたる捜査又は予審中の被告事件に関する事項を掲載することを得ず。」と云ふ[いう]の法条に違反したりと云ふ[いう]に在り。 即ち本案被告事件の成立は（第一）新聞紙の掲載事項が捜査又は予審中の被告事件に関することを要す。 （第二）其事項たるや検事の差止めたるものに係ることを要す。 （第三）其差止命令たるや編輯人に送達せられしことを要す。 何となれば（イ）同法第十九条には……「を掲載することを得ず。」とあり掲載は。 即ち編輯なり。 （ロ）同法第三十条には編輯人を処罰する旨の規定あり編輯なければ発行なし。 編輯は可なり。 発行は不可なりと云ふ[いう]が如きことあり得べからざればなり。 （第四）其掲載行為たるや事案が公判に付せらるる以前なることを要す。 之を原審認定の事実に看るに（第一）其掲載事項が捜査又は予審中の被告事件に関することを認定したる事跡の看るべきものなし（第二）其差止命令は編輯人に送達せられたるにあらずして発行人として被告に送達せられたることは其認定の事実及証拠自体に因りて明かなり。 果して然らば其差止命令は適式なる送達なかりしものにして差止命令としての効力を生ずるに由なしとす既に然らば其無効なる差止命令に違犯したればとて同法第三十条に該当すべきものにあらざるや明かなり。 （第三）。 而して[しこうして]原審は掲載事案の公判に付せらるる以前に係りしものたることを認定せず。 即ち原審は本件犯罪の成立の四要素中唯一要素の存在を認定し一要素の成立の解釈を誤まり他の二要素の存在を認定せざる不法あるものにして破毀の理由ありと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論掲載事項が予審中にして未だ公判に付せられざる小川さく殺害の被告事件に関するものなることは原判文上自ら明かなり。 其他の理由なきことは被告周行弁護人高木益太郎上告趣意書第三の論旨に対する説明に依り了解す可し

第二原院の認定したる所に因れば本件掲載事項は（第一）差止を受けたる七事項の中何れに該当するか分明ならざる点に於て理由不備の判決なりと云はざるべからず。 （第二）若し全部に該当するものとせば其之を説示せざるは不法なり。 （第三）第一審裁判所は其事項中の第二第三及第五に該当するものなりと認定したり。 而して[しこうして]原審が特に其事項を挙示せざりしは各事項全部に該当するものと認定したるものならん果して然らば第一審と原審とは全然其事実認定の範囲を異にするものにして第一審判決は全部取消さるべきものなるに原院判決の茲に[ここに]出でずして単に控訴を棄却したるは不法の裁判なりと云はざるべからず。 （第四）若し原院の認定が差止事項の全部に該当する云ふ[いう]に在りとせば。 之れ即ち法律に違背して事実を確定したる不法ありと謂はざるべからず。 其掲載事項たるや差止命令の第二第三及第五に該当するものは或は之あらんも其第一第四第六及第七に該当するものは全然看ることを得ざればなり。 以上諸点に付き原判決は之を破毀すべきものと信ずと云ふ[いう]に在れども◎所論掲載事項が原判決冒頭所掲の（二）（三）（五）の差止事項に該当することは原判文上自ら明かなれば原判決には所論の如き違法の廉なきを以て本論旨は上告の理由なし。

第三原判決は証拠説明の部に於て「判示記事掲載及示談の点は被告が当公廷に於て其旨自認せるは押収に係る受領証に明治四十二年六月二日午後四時被告が日本新聞発行人として判示の如き差止通知書を受領したる旨の記載あることに徴し之を認定すべきものとす。」とあり。 即ち判示記事掲載の点は単に被告の自白のみに依りて之を認定したるものにして原裁判は刑事訴訟法第二百三十九条に違背した。 扇不法ありと云はざるべからずと云ふ[いう]に在れども◎本件の審理に際し原院が数多証憑[しょうひょう]の取調を為したることは其公判始末書の記載に徴し明かなれば被告の犯罪を認定するに当り原院が縦し[よし]や所論の如く其自白のみを断罪の資料に供したればとて刑事訴訟法第二百三十九条の規定に違背したるものなりと云ふ[いう]を得ざるを以て本論旨は上告の理由なし。

第四本件と併合せられたる事件に付、他の弁護人をり差出したる上告趣意書は之を本件被告人の利益に引用すと云ふ[いう]に在れども◎其理由なきことは他の弁護人の上告趣意書の論旨に対する説明に依り了解す可し

右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す

検事棚橋愛七干与明治四十三年五月十二日大審院第二刑事部