文書僞造詐欺ノ件

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大審院刑事判決録（刑録）16輯577頁

本件上告は之を棄却す

被告弁護人秋田信太郎上告趣意書一、原裁判所検事は刑の執行猶予を不可とし控訴申立を為したるに原院は更に前裁判を取消して判決を言渡したるは不法なると云ひ」弁護人法学博士鵜沢総明弁護人阿保浅次郎上告趣意書第二点原審に於ける検事の控訴趣旨の陳述は「被告に対する原判決の事実の認定は相当なれども刑の執行猶予を与へたるは不当なり。」と云ふ[いう]に在り（記録七七四枚裏）。 而して[しこうして]論告に於ても亦[また]記録（七六三枚）に拠れば「検事は於是本件に対する原判決の刑の執行猶予を与へたるは不当なりとの弁論を為し原判決は之を取消し執行猶予を与ふることなく前同一の刑に処せられたしと陳述し」とありて検事の控訴は単に執行猶予を与へたる点のみを以て不当なりと為したるものなることは陳述並論告に依りて明瞭なり。 按ず[あんず]るに刑の執行猶予は刑に非ざるを以て其言渡は之を以て本案の判決なりと言ふ可からず。 刑法施行法第五十四条同第五十五条に拠るも此趣旨は之を確知するに足る。 而して[しこうして]執行猶予の言渡は公訴不受理の申立に非ざることも亦[また]明白なり。 刑事訴訟法第二百五十条同第二百五十一条に於ては執行猶予の言渡に対して控訴を為し得べき趣旨を見ること能はず。 故に本件の場合に於ける検事の控訴は結局理由なきに帰するを以て原判決は控訴を棄却す可かりしに事茲に[ここに]出でさりしは不法なり。 第一審判決に対する高松地方裁判所検事局検事正森田忠雄の控訴申立書は語句簡単にして本案の判決に対しても控訴の申立を為したるが如きも原審検事に於て口頭弁論の際明白に執行猶予に対する控訴のみなる趣旨を陳述する所より見れば本案判決に対して控訴無かりし事一点の疑を容れず。 然るに原判決に於て第一審判決を取消したるは不法なりと云ひ」弁護人国分直記上告趣意書第三点高松地方裁判所検事森田忠雄控訴申立書に依れば「文書偽造及び詐欺被告事件に付、明治四十二年七月三日当地方裁判所に於て被告を懲役一年に処す。 但し三年間刑の執行を猶予すと言渡したる判決は不服に付、茲に[ここに]控訴申立」とあり。 然るに原院公判始末書に依れば検事論告には「原判決の事実の認定は相当なれども刑の執行猶予を与へたるは不当なりとて控訴の趣旨を陳述して覆審を求むる旨を述べたり」とあり尚原院公判始末書検事の意見弁論に於て「原判決に執行猶予を与へたるは不当なりとの弁論を為し原判決は之を取消し執行猶予を与ふることなく前同一の刑に処せられたしと請求し」とあり而かも[しかも]原院判決は遂に「原判決中被告忠恕に関する部分は之れを取消す被告忠恕を懲役八月に処す」と言渡したり。 翻で法律を按ず[あんず]るに刑事訴訟法第二百五十一条に於て控訴は判決の一部に限り之を為すことを得。 若し之れを限らざるときは判決の全部に対し控訴を為したるものと看做す。 可しとあり同第二百六十一条第二項に在ては控訴を理由ありとするときは原判決を取消し更に判決を為す可しとあり。 而して[しこうして]第一審裁判所検事の控訴申立書には被告を懲役一年に処す。 但し三年間刑の執行を猶予すと言渡したる判決は不服なりとありて恰も[あたかも]文書偽造と詐欺に対する主たる言渡の懲役一年の全部控訴たると同時に従たる言渡の執行猶予にも不服なるが如く見ゆるなり。 然れども[しかれども]本件控訴は却て従たる言渡の執行猶予のみに限られたるものなることは第一審公判始末書に依るも第二審検事の論告乃至[ないし]特に弁論求刑の趣旨に見るも明かに証せらるる所以にして。 抑も控訴申立の趣意も亦[また]た此点に限られたるものなるに拘はらず行文の体裁其宜しきを得ず。 千篇一律の古式に則りたるか為めに但書以下に限られたる趣旨を没却して原院判官の誤解を招くに至りしものなり。 然らずんば従たる言渡の執行猶予の点にのみ限りて部分控訴を為し得ることは例外として学説判例共に一致する所なれども或は主たる言渡と共にするにあらざれば控訴申立の効なしとして全部控訴なりと誤認したるものなり。 果して然らば本件控訴は執行猶予の点に限られたる従たる言渡に対する部分控訴に外ならざるにも拘はらず原院が全部控訴と推定して既に確定したる言渡に対し判決したるは一事不再理の原則に違背するものなりと云ふ[いう]に在り◎因で按ず[あんず]るに刑の執行猶予の言渡は本案事実認定の結果に基き刑の言渡と同時に為すべき判決事項に属するを以て其本案判決の一部たるや明かなれば之に対し控訴を為し得べきや弁を俟たざるのみならず右判決は刑の言渡を為したる判決の一部に属し独立したる判決にあらざるを以て之に対して控訴を為したるときは一部の控訴にあらずして判決全部に対する控訴と云はざるを得ず。 故に原審に於て覆審の上刑期其他に於て見解を異にしたる結果第一審判決全部の取消を為し更に有罪の判決を為したるは相当にして何等不法の点あることなし（判旨第一点）

弁護人秋田信太郎上告趣意書二、原院が為したる事実認定は其の理由に於て齟齬[そご]するの不法ありと云ひ」二、原院の認定したる事実に対しては其擬律の上に錯誤するの不法ありと云ふ[いう]に在れども◎右は何れも抽象的の記載に止まり原審の事実認定は如何[いかん]なる点に於て齟齬[そご]あるか将た[はた]其擬律は如何[いかん]なる点に於て錯誤あるか之れが具体的の指示なきを以て所論の当否は之れが判断を与ふるに由なし。

弁護人秋山襄上告趣意書本件記録に依れば証拠物を押収したること明かなるに原裁判所は当審に於て押収したる物件を差出人に還付すとのみ言渡を為し其以前に押収したる証拠物に対する裁判を為さざるは刑事訴訟法第二百二条に違背する違法の裁判なりと云ひ」弁護人国分直記上告趣意書第一点原院公判始末書に於て「裁判長は本件にて押収相成り居りたる証拠物は本院火災の際焼失したる旨を告げ引続き左の証拠書類を読み聞けたり」とあり。 然るに原院判決には「当審に於て押収したる物件は刑事訴訟法第二百二条に依り差出人に還付す可きものとす。」とのみの言渡を為したり。 抑も押収証拠物件は之れを断罪の資料に供すると否とに拘はらず公判始末書に明記せざる可からざることは法律の命ずる所なり。 然れば則ち本件に於ける押収証拠物件は悉く[ことごとく]之れを公判始末書に明記せざる可からざる筋合なるに之れを明記せずして単に原審に於て新に押収したる物件のみを明記し且つ判決に於て還付の言渡を為したるは明かに法律に違背したるものなり。 何となれば原審裁判長は漫然証拠物件は焼失したる旨を告ぐるも焼失の事実を認む可き何等の証明なきを以て該物件は存在せるものと認めざる可からず。 乃ち[すなわち]現存証拠物件を記載せざる公判始末書は刑事訴訟法第二百八条に違背したるものなり。 若し夫れ明かに焼失の証明あれば此点に於て第一審判決を覆へし特に原審判決に於ては焼失証明により還付の言渡を為すに由なき旨を裁判せざる可からず。 何れに与す[くみす]るとして不可ならざるはなし此れ原判決が理由不備の違法あるを論する次第なりと云ひ」弁護人法学博士鵜沢総明弁護人阿保浅次郎上告趣意書第一点原判決は其主文に於て「当審に於て押収したる物件は差出人に還付す」として原審に於て押収したる物件に付て裁判したるのみにして原審以外に於て押収したる物件に付ては何等の裁判を為さず。 然れども[しかれども]一件記録を査閲するに明治四十二年八月二日附大坂控訴院検事局裁判所書記重春梅太郎の証明に依り本件に関する証拠物件全部が明治四十二年七月三十一日に焼失したること明なり。 （記録六六一丁）又原審公判始末書には本件にて押収相成りたる証拠物件は本地火災の際焼失したる旨裁判長告けたる旨の記載あり（記録第七五〇丁）由是観之[これによってこれをみるに]原審以外に於て押収したる物件も多多ありしを知り得べきなり。 果して然らば其押収物件に付ても之が処分に関する裁判を為さざる可からざるなり。 例へば没収若くは還付する旨の裁判を為すか或は焼失の結果没収若くは還付すること能はざる旨の裁判を為すが如し。 然るに原審が此等の点に付て何等の裁判を為さざるを以て結局原判決は刑事訴訟法第二百二条の規定に違背する不法の裁判なりと信ずと云ふ[いう]に在れども◎押収物件の如きは目録を作り之れを記録に綴り置くを以て足り必ずしも公判始末書に記載する事を要するものに非ず所論刑事訴訟法第二百八条第四号規定の趣旨は公判廷に顕出し被告に弁解せしめたる証拠は之れを公判始末書に記載すべしと云ふ[いう]に在りて本件の如き場合に適用すべき法意に非ず又既に焼失したる押収物件は之れを還付するに由なきを以て所論の如き宣告を為す必要なきを以て本論旨は理由なし。 （判旨第三点）

弁護人国分直記上告趣意書第二点原院第二回公判始末書に依れば「弁護人鵜沢総明秋田信太郎中井隼太出頭す」とあり。 抑も刑事上告事件に於ける弁護人の弁護権は法律の認むる公法上の権利たると同時に国家が臣民に臨む憲法の保障による重大なる権能なり。 然れば原院第二回公判に於て弁護人弁護士白川朋吉は適法の呼出を受け適法の手続に。 従て弁護権を行使したるは事実なるにも拘はらず該始末書には其出頭の旨を記載せざるは明かに「其他一切の手続を記載す可し」とある法律に違背せるものと言はざる可からず。 然らずんば弁護権を無視して弁護を為さしめざるの不法あるものなりと云ふ[いう]に在り◎。 仍て[よって]記録を査するに原審第二回の公判に所論弁護人白川朋吉が出廷弁論したる事を徴するに足る可きものなきを以て本論旨は謂はれなし

第四点前段論したる如く本件は執行猶予以外の点に於ては既に判決確定したるものなるを以て原院判決は其不当なること言を俟たざるを以て刑事訴訟法第二百八十七条に依り原判決を破毀し直に裁判あらんことを求む若し万一無罪の判決を与ふる能はざるとするも刑法施行法第五十五条第二項に依り新に執行猶予の言渡あらんことを求むと云ふ[いう]に在れども◎其論旨の理由なきことは秋田弁護人上告趣旨

第一点及び鵜沢阿保両弁護人の趣旨第二点等に対する説明に依り了解すべし。 従て原審に於ては確定判決に対し審理判決を為したる不法あることなし

弁護人牧野充安上告趣意書第一点原判決は犯罪事実として（第一）明治四十一年十月上旬宇八郎に対し肥料買入の資金として五百円を借り受くる必要ありと詐称し其場に於て同人の記名調印のみある白紙委任状二通を受付せしめたるを（第二）同年同月十四日右白紙委任状内一通に云云の事項を記入し以て宇八郎名義の委任状を偽造したるを（第三）公証人をして即日右申立に基き不実の事項を公正証書原本に記載し之れを同役場に備付けしめたること（第四）甚三郎より云云甚三郎に対して差入れありたる金三百三十円の借用証書一通及び現金百四十円を被告忠恕の手に交付せしめたることを認定し其証拠として証人北地宇八郎予審調書参考人中西和三郎予審第一回調書証人八木久太郎予審第一回調書を資料とし法律の適用に於て第一白紙委任状騙取[へんしゅ]の所為に付き刑法第二百四十六条第一項に該当するものと判定せられたり。 然るに翻で本件被告に関する予審請求書（記録十六丁）を査閲するに犯罪事実として「第一被告両名は川野甚三郎等と共謀し前きに肥料商の件に付きて北地宇八郎より預り居りたる同人の記名捺印ある白紙委任状を利用し宇八郎名義千五百円連帯借用公正証書作製に関する委任状を偽造し云云」とありて原判決が犯罪事実と認め且つ刑法第二百四十六条第一項を適用したる白紙委任状騙取[へんしゅ]の行為は公訴事実の範囲外に属し且つ原判決が証拠としたる前記証人及び参考人の訊問に付き被告事件を告知するに当り其告知したる以外の事項たり果して然らば原判決は第一起訴以外の事実に付き犯罪を認め刑を適用したる不法あり。 第二予審判事が証人及び参考人の訊問に当り告知せざりし被告事件に関し其証人及び参考人の訊問調書を証拠としたる不法を免がれず右白紙委任状騙取[へんしゅ]の行為は其委任状を利用して文書を偽造したる行為と犯罪を異にし分離す可き別箇の事実なるを以て判事は検事の起訴なき以上は自から進んで審理す可からざるは勿論被告及び弁護人も此点に付き弁解及び弁論も為さざりしものなり。 且つ犯罪事実の箇数は刑の量定に影響すべきを以て本理由は原判決全部を破毀すべきものと思料すと云ふ[いう]に在れども◎所掲事項は単に起訴の範囲に於て検事と原審との間に法律上及事実上見解を異にしたるに止まり別箇の事実にあらざれば原審は決して起訴事実以外に渉り審理判決したる不法あることなく。 従て告知外の事項に付、訊問を為したる証人若くは参考人の訊問調書を証拠に援用したる不法あることなし

第二点原判決に於て被告が白紙委任状騙取[へんしゅ]の日時に関し明治四十一年十月上旬なりと判断せられたれども其証拠として引用せられたる北地宇八郎の予審調書は勿論第二審公廷に於ける供述には「明治四十一年九月頃長谷川と共同にて肥料売買を為す事を約し云云自分は白紙委任状二通を長谷川に渡し置きたるに云云」とありて四十一年十月上旬なることを知るを得ず。 反で同年九月中なるものの如し然るに原判決は漫然四十一年十月施行せられたる刑法を適用し犯罪当時の旧刑法の用を看過したるは不

法なりと云ふ[いう]に在れども◎所論委任状騙取[へんしゅ]の日時に付きては判文所掲の各証憑[しょうひょう]殊に被告の予審第一二回調書の趣旨を証拠に援用したるものにして所掲証人北地宇八郎の調書に拠りたるものに非ざること明瞭なるを以て本論旨は理由なし。

第三点加之[しかのみならず]引用したる証拠には四十一年九月とあるに拘はらず事実認定に当り四十一年十月としたるは虚無の証拠に拠で判断したる不法を免がれずと云ふ[いう]に在れども◎其論旨の理由なきことは前点の説明によりて了解す可し

第四点原判決主文に於て公訴裁判費用に関し「原審公判に於ける証人北地宇八郎参考人宮地虎次に関する分は被告忠恕原審相被告郷助との連帯負担」と言渡されたるも理由に於て第一審裁判所の構成其他審理手続が適法に為されたるを知るに由なきを以て云云と判示せられたるによれば第一審公判手続は無効に属するものと謂はざる可からず。 然るに此無効の訴訟手続に関する費用を被告に負担せしめたるは不法なりと云ひ」第五点加之[しかのみならず]原判決が公訴裁判費用中其判決の証拠に採用せざりし予審に於ける証人真鍋某宮地某川井某大西某樋口某安西某北地はる鏡原某池田某に関する費用を負担せしめたるは不必要なる費用の負担を被告に言渡したるものにして被告の請求したる証人にもあらざれば旁旁以て不法なりと云ふ[いう]に在れども◎当該事件に付、有罪の処分を受けたる以上は其訴訟に関する費用は総で被告に於て負担す可きものなることは刑事訴訟法第二百一条第一項の規定する所なるを以て縦し[よし]所論の如き事実ありとするも其訴訟費用は被告に於て当然負担すべきものなるを以て本論旨は理由なし。

第六点原判決は第一審判決の刑の量定及び裁判所の構成其他審理手続が適法になされたることを知るに由なき点により其判決を取消し更に判決したるものなるも第一審に於ける押収物件の還付に関する言渡に付き更に何等の判断を為さざるは不法なりと云ふ[いう]に在れども◎第一審判決中の或欠点を指摘し該判決の全部を取消したる以上其取消したる判決の内容に対し逐一其当否を判断するの必要なきを以て此点に関する本論旨は理由なし。 其他の論旨の理由なきことは被告弁護人国分直記上告趣旨第一に対する説明により了解す可し

右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す

検事板倉松太郎干与明治四十三年四月八日大審院第一刑事部