明治四十二年(れ)第一四九七號
明治四十二年十一月十九日宣告
◎判決要旨
- 一 被告人カ單一ノ放火行爲ニ因リテ處罰規定ヲ異ニスル數箇ノ目的物ヲ燒燬シタルトキハ該目的物ヲ包括的ニ觀察シ其最モ重キ處罰規定ニ該當スル燒燬罪ヲ以テ論スヘキモノトス
右放火被告事件ニ付明治四十二年七月二十四日大阪控訴院ニ於テ言渡シタル判決ニ對シ被告ヨリ上告ヲ爲シタリ因テ判決スル左ノ如シ
理由
本件上告ハ之ヲ棄却ス
上告趣意書ノ要旨ハ被告ハ決シテ足立藤吉方ニ放火シタル覺ナシ實ハ妻こうカ縁切リテ實家ナル右藤吉方ヘ立歸リシ後こうヨリ歸宅後諸所ヨリ縁談ノ申込アルモ何處テ神樣ニ見テ貰フテモお前ト未タ縁カアル樣ニ申サルル故他ニ縁組スル氣ニ爲ラス未練カアル譯ニハアラネト今一度逢度旨人ヲ以テ申越セシ故舊二月十二日夜同人方ヘ忍行キタルニこうニハ溝畑ト云フ情夫アルコトヲ知リタルヨリ逢フテ能ク其胸中ヲモ聞キ度度々尋ネタルモ終ニ逢兼調度火事ノ當夜他行ノ序同人方西側ノ軒下ニ於テ休息シ宅ノ樣子ヲ窺居乍ラ煙草ヲ呑ミタルニ何時ノ間ニカ其煙草ノ吹殼ノ火カ其處ニ在リタル松葉ニ燃付キ一度消止メタルモ如何ナル譯カ家根裏ニ火移リ既ニ大事ニ爲リタルヨリ其場ヲ逃ケ去リタルモノナルニ警察ニ於テ被告ニ自白セハ其罪カ輕クナル樣裁判所ノ方ヘ取做シ遣ハスト甘言以テ被告ヲ欺キ終ニ被告ニ於テ判示ノ通リ放火シタル事實ヲ自供セシメタル爲メ原審ニ於テハ被告ヲ懲役十年ノ重刑ニ處スルニ至リタリ此レ偏ニ警察ノ惡策ニ出テタルモノニシテ全ク寃罪ナルヲ以テ其關係者タル福知山警察署長及山内刑事巡査ヲ召喚ノ上審理ヲ盡サレ事實ノ眞相ヲ明ニセラレタシト云フニ在レトモ◎本論旨ハ事實審理ノ職權ナキ本院ニ對シテ事實上ノ主張ヲ爲シ證據調ヲ要求スルモノニシテ適法ノ上告理由トナラス
辯護人法學博士花井卓藏辯護人渡邊澄也上告趣意書第一點原院ハ「現ニ藤吉及其家族ノ住居ニ使用セル藁葺平家一棟及離座敷竝ニ納屋ノ大部分ヲ燒燬シタルモノナリ」ト判示セリ此認定事質ニ依レハ被告ハ火ヲ放テ現ニ人ノ住居ニ使用スル建造物タル平家一棟ト人ノ住居ニ使用スルヤ否ヤ明カナラサル離座敷ノ一部分竝ニ人ノ住居ニ使用セサル納家ノ一部分ヲ燒燬シタルモノナルコト寔ニ明白ナリトス
然ルニ單ニ刑法第百八條ニ問擬シタルニ止マルハ理由不備若クハ擬律錯誤ノ不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎原判決ニ據レハ被告ハ人ノ住居セル家屋ニ放火シ之ニ附屬セル離座敷及納家ヲ併セテ燒燬シタル事實ニシテ單一ノ放火行爲ニ因リテ處罰規定ヲ異ニセル數箇ノ目的物ヲ燒燬シタルモノナリ如上ノ場合ニ於テハ該目的物ヲ箇箇ニ觀察セスシテ包括的ニ觀察シ而シテ最モ重キ處罰規定ニ該當スル目的物ヲ燒燬シタル罪ヲ以テ論スヘク刑法第五十四條ニ所謂一箇ノ行爲ニシテ數箇ノ罪名ニ觸ルルモノトシテ處斷スヘキモノニアラス故ニ原判決ニ於テ同法第百八條ノミヲ適用處斷シタルハ相當ニシテ本論旨ハ理由ナシ
第二點原判決ハ被告ハ所持ノ燐寸ヲ用ヒテこう居住ノ前示藤吉宅西側軒下ニ積ミアリタル薪ニ放火シタル事實ヲ認定シナカラ放火ノ用ニ供シタル燐寸ハ被告ノ所持シタル旨ノ證據ヲ明示セス乃チ原判決ハ爰點ニ於テ理由不備ノ不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎原判決ノ證據説明ヲ按スルニ被告第一囘豫審調書中ニ(前畧)同家西手ニ廻リ軒下ニ在リシ薪ニ燐寸ヲ以テ放火シ燃ヘ上ルヲ見テ逃ケ去リシ旨ノ供述記載アリト説示セリ原審ハ右供述ヲ採テ被告カ所持ノ燐寸ヲ以テ放火ノ用ニ供シタリトノ趣旨ニ解釋シ之ニ依リテ右同一趣旨ノ事實ヲ判示シタルモノナルコト洵ニ明白ナリ故ニ原判決ニハ理由不備ノ違法ナキノミナラス放火ノ用ニ供シタル物件ハ被告ノ所持ニ係ルモノナリトノ事實ハ放火罪ノ構成事實ニ關スルモノニ非サルヲ以テ之ヲ認メタル證憑ノ明示ヲ欠キタリトスルモ刑事訴訟法第二百三條ノ規定ニ違背スルモノニ非ス
第三點原判決ハ被告ノ第一囘豫審調書中「一層此家ヲ燒カント思ヒ同家西手ニ廻リ軒下ニアリシ燐寸ヲ以テ放火シ云云」ノ供述記載アリトシテ之レヲ斷罪ノ證據ニ採用セリ然ルニ該豫審調書ニハ「同家西手ニ廻リ軒下ニ枝木ノ薪ト松葉トカ交ツテ居ツタノテ袂ノ中ヨリ燐寸ヲ取出シ之ニ火ヲ付ケタル處云云」ト記載セラレ燐寸ハ軒下ニ在リタルト袂ノ中ニ在リタルトノ差異アリ其趣旨相反スルコト勿論ナレハ原判決ハ爰點ニ於テ虚無ノ證據ヲ斷罪ノ資料ニ供シタル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎原判決ニ於テ被告第一囘豫審調書ノ記載トシテ説示スル所ヲ按スルニ「同家西手ニ廻リ軒下ニアリシ薪ニ燐寸ヲ以テ放火シ云云」トアリテ所論ノ如ク「軒下ニアリシ燐寸ヲ以テ云云」ト説示アラサルノミナラス豫審調書記載ノ趣旨ト全然同一ナリトス故ニ原判決ニハ虚無ノ證據ヲ以テ罪ヲ斷シタル違法アルコトナシ
第四點原判決ハ司法警察官作成ノ足立藤吉聽取書中藤吉ニ於テ發火ノ日時ヲ三月二十五日午前三時頃ト陳述シタル旨説明セルモ該聽取書ニハ藤吉ハ發火ノ日時ヲ舊本月三日ノ夜ト陳述シタル旨ノ記載存スルカ故ニ原判決ハ畢竟足立藤吉ノ陳述セサル事項ヲ恰モ陳述シタルモノノ如ク説明シテ罪證ニ供シタルモノニシテ法則ニ背反スル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎所論足立藤吉聽取書ヲ閲スルニ「舊本月三日夜自分ハ村ノ長川寺ノ觀音堂ニ籠リ居リマシタカ其ノ不在中自宅ヨリ出火シテ燒ケマシタ同夜自分ハ觀音堂ニ居リシニ三時頃火事々々ト呼ヒマス故外ニ出テタルニ自宅カ燒ケテ居リシ云云」トアリ右「舊本月三日夜」トハ聽取書カ明治四十二年四月三日ノ作成ニ係ル事實ニ依レハ新舊暦ノ對照上閏二月三日夜ヲ指スモノナルコト明確ナリ而シテ舊暦二月三日ハ三月二十四日ニ應當スルカ故ニ前掲同夜三時頃トハ三月二十五日午前三時頃ヲ謂フモノナルコト是レ亦瞭然タリ然ラハ原判決ニ於テ前示聽取書中ニ發火ノ日時ハ三月二十五日午前三時頃ナリトノ供述録取シアル如ク説明シタルハ相當ニシテ本論旨ハ毫モ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ主文ノ如ク判決ス
檢事鈴木宗言干與明治四十二年十一月十九日大審院第一刑事部
明治四十二年(レ)第一四九七号
明治四十二年十一月十九日宣告
◎判決要旨
- 一 被告人が単一の放火行為に因りて処罰規定を異にする数箇の目的物を焼燬したるときは該目的物を包括的に観察し其最も重き処罰規定に該当する焼燬罪を以て論すべきものとす。
右放火被告事件に付、明治四十二年七月二十四日大坂控訴院に於て言渡したる判決に対し被告より上告を為したり。
因で判決する左の如し
理由
本件上告は之を棄却す
上告趣意書の要旨は被告は決して足立藤吉方に放火したる覚なし。
実は妻こうが縁切りて実家なる右藤吉方へ立帰りし後こうより帰宅後諸所より縁談の申込あるも何処で神様に見で貰ふてもお前と未だ縁がある様に申さるる故他に縁組する気に為らず未練がある訳にはあらねと今一度逢度旨人を以て申越せし故旧二月十二日夜同人方へ忍行きたるにこうには溝畑と云ふ情夫あることを知りたるより逢ふて能く其胸中をも聞き度度度尋ねたるも終に逢兼調度火事の当夜他行の序同人方西側の軒下に於て休息し宅の様子を窺居乍ら煙草を呑みたるに何時の間にか其煙草の吹殻の火が其処に在りたる松葉に燃付き一度消止めたるも如何なる訳が家根裏に火移り既に大事に為りたるより其場を逃げ去りたるものなるに警察に於て被告に自白せば其罪が軽くなる様裁判所の方へ取做し遣はずと甘言以て被告を欺き終に被告に於て判示の通り放火したる事実を自供せしめたる為め原審に於ては被告を懲役十年の重刑に処するに至りたり此れ偏に警察の悪策に出でたるものにして全く寃罪なるを以て其関係者たる福知山警察署長及山内刑事巡査を召喚の上審理を尽され事実の真相を明にせられたしと云ふに在れども◎本論旨は事実審理の職権なき本院に対して事実上の主張を為し証拠調を要求するものにして適法の上告理由とならず
弁護人法学博士花井卓蔵弁護人渡辺澄也上告趣意書第一点原院は「現に藤吉及其家族の住居に使用せる藁葺平家一棟及離座敷並に納屋の大部分を焼燬したるものなり。」と判示せり此認定事質に依れば被告は火を放で現に人の住居に使用する建造物たる平家一棟と人の住居に使用するや否や明かならざる離座敷の一部分並に人の住居に使用せざる納家の一部分を焼燬したるものなること寔に明白なりとす。
然るに単に刑法第百八条に問擬したるに止まるは理由不備若くは擬律錯誤の不法あるものと信ずと云ふに在れども◎原判決に拠れば被告は人の住居せる家屋に放火し之に附属せる離座敷及納家を併せて焼燬したる事実にして単一の放火行為に因りて処罰規定を異にせる数箇の目的物を焼燬したるものなり。
如上の場合に於ては該目的物を箇箇に観察せずして包括的に観察し、而して最も重き処罰規定に該当する目的物を焼燬したる罪を以て論すべく刑法第五十四条に所謂一箇の行為にして数箇の罪名に触るるものとして処断すべきものにあらず。
故に原判決に於て同法第百八条のみを適用処断したるは相当にして本論旨は理由なし。
第二点原判決は被告は所持の燐寸を用ひてこう居住の前示藤吉宅西側軒下に積みありたる薪に放火したる事実を認定しながら放火の用に供したる燐寸は被告の所持したる旨の証拠を明示せず乃ち原判決は爰点に於て理由不備の不法あるものと信ずと云ふに在れども◎原判決の証拠説明を按ずるに被告第一回予審調書中に(前略)同家西手に廻り軒下に在りし薪に燐寸を以て放火し燃へ上るを見で逃げ去りし旨の供述記載ありと説示せり原審は右供述を採で被告が所持の燐寸を以て放火の用に供したりとの趣旨に解釈し之に依りて右同一趣旨の事実を判示したるものなること洵に明白なり。
故に原判決には理由不備の違法なきのみならず放火の用に供したる物件は被告の所持に係るものなりとの事実は放火罪の構成事実に関するものに非ざるを以て之を認めたる証憑の明示を欠きたりとするも刑事訴訟法第二百三条の規定に違背するものに非ず
第三点原判決は被告の第一回予審調書中「一層此家を焼かんと思ひ同家西手に廻り軒下にありし燐寸を以て放火し云云」の供述記載ありとして之れを断罪の証拠に採用せり。
然るに該予審調書には「同家西手に廻り軒下に枝木の薪と松葉とか交って居ったので袂の中より燐寸を取出し之に火を付けたる処云云」と記載せられ燐寸は軒下に在りたると袂の中に在りたるとの差異あり其趣旨相反すること勿論なれば原判決は爰点に於て虚無の証拠を断罪の資料に供したる不法あるものと信ずと云ふに在れども◎原判決に於て被告第一回予審調書の記載として説示する所を按ずるに「同家西手に廻り軒下にありし薪に燐寸を以て放火し云云」とありて所論の如く「軒下にありし燐寸を以て云云」と説示あらざるのみならず予審調書記載の趣旨と全然同一なりとす。
故に原判決には虚無の証拠を以て罪を断したる違法あることなし
第四点原判決は司法警察官作成の足立藤吉聴取書中藤吉に於て発火の日時を三月二十五日午前三時頃と陳述したる旨説明せるも該聴取書には藤吉は発火の日時を旧本月三日の夜と陳述したる旨の記載存するが故に原判決は畢竟足立藤吉の陳述せざる事項を恰も陳述したるものの如く説明して罪証に供したるものにして法則に背反する不法あるものと信ずと云ふに在れども◎所論足立藤吉聴取書を閲するに「旧本月三日夜自分は村の長川寺の観音堂に籠り居りましたか其の不在中自宅より出火して焼けました。
同夜自分は観音堂に居りしに三時頃火事事々と呼ひます故外に出でたるに自宅が焼けて居りし云云」とあり右「旧本月三日夜」とは聴取書が明治四十二年四月三日の作成に係る事実に依れば新旧暦の対照上閏二月三日夜を指すものなること明確なり。
而して旧暦二月三日は三月二十四日に応当するが故に前掲同夜三時頃とは三月二十五日午前三時頃を謂ふものなること是れ亦瞭然たり。
然らば原判決に於て前示聴取書中に発火の日時は三月二十五日午前三時頃なりとの供述録取しある如く説明したるは相当にして本論旨は毫も理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り主文の如く判決す
検事鈴木宗言干与明治四十二年十一月十九日大審院第一刑事部