明治四十年（れ）第一一一四號
明治四十年十二月二十三日宣告
◎判决要旨
- 一 詐欺取財罪ノ構成要件タル實害トハ被欺罔者カ欺罔手段ノ爲メ錯誤ニ陷リ欺罔者ニ交付シタル物ノ全部ヲ指稱セルモノトス從テ實害ノ有無ハ被欺罔者カ給付シタル物ト欺罔者ヨリ提供シタル物トノ價格ヲ比較シテ之ヲ判定スヘキモノニ非ス
右詐欺取財被告事件ニ付明治四十年十一月一日東京控訴院ニ於テ言渡シタル判决ヲ不法トシ被告等ヨリ上告ヲ爲シタリ因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ
被告兼市及房太郎上告趣意書ハ被告等カ鈴木勘藏ト共同シテ本訴株券ヲ買入レタルハ何人タルヲ問ハス又何時タリトモ相當ノ買受人アルトキハ買價ヨリモ高價ニ賣却シテ各自利益ヲ獲得スル目的ニ出テタルモノニシテ當初ヨリ特定ノ買受人即チ船越善吉ト云フ者ニ對シ本件株券ヲ賣却スルノ趣旨ニアラス從テ被告等ハ杉山源五郎等ト共謀シ船越善吉ト云フ者カ本件株券ヲ買受クヘキ旨虚僞ノ事實ヲ構ヘ鈴木勘藏ヲ欺罔シタルコトナキハ勿論本訴株券買入代金ヲ右勘藏ヨリ詐欺シタルカ如キコト更ニ之レ無キ所ナリトス然ルニ原判决ハ被告等カ源五郎ト共謀シ且又秋山繁造ヲモ加擔セシメ以テ勘藏ヲ欺キ同人ヨリ金一千百二圓二十五錢ヲ騙取シタルモノナリト認定シ詐欺取財犯ニ問擬シタルハ全然違法ニシテ少クモ不法ニ事實ヲ確定シ且不當ニ法則ヲ適用シタル違法ノ裁判ナリト思量スト云フニ在レトモ◎原院ノ職權ニ屬スル事實認定ノ非難ニ過キサルヲ以テ上告適法ノ理由トナラス
被告繁造上告趣意書ハ上告人ハ明治三十八年三月上旬訴外島田喜太郎ノ書面ニ依リ同月十二、三日頃上京シ初メテ被告鹿野兼市及同丸山房太郎兩名ニ出會シタルニ右兩名ハ鈴木勘藏ト共同シテ利益ヲ得ンカ爲既ニ本件株券ヲ買入レタルニ付越後國高田地方（上告人ノ郷里）ニ右株券ノ買受人アラハ周旋方盡力スヘキコト及共同業者ノ一人ニシテ金主ナル鈴木勘藏ニ面會シ上告人ノ見込ヲ開陳センコトヲ求メラレ且又上告人ノ盡力ニ依リ本件株券ヲ賣却シタル曉ニハ相當ノ報酬ヲ支拂フトノコトニ付上告人ハ善意ヲ以テ快諾シ右勘藏ニ面會シ單ニ上告人ノ主人ニ於テ本件株券ヲ買受ケル見込アルヲ以テ歸郷ノ上確報スヘキ旨ヲ同人（勘藏）ニ申出テタルニ過キス固ヨリ情ヲ知リテ被告兼市同房太郎及源五郎ニ加擔シ以テ鈴木勘藏ニ對シ敢テ本件詐欺取財ヲ遂行スルノ意思ニ出テタルモノニアラサルハ實ニ論ヲ待タサル所ナリトス然ルニ原院ハ上告人カ被告兼市房太郎ノ招ニキ應シ勘藏ト面會シテ虚言ヲ放チ以テ被告源五郎等ノ本件金員騙取行爲中最後ノ分即チ明治三十八年三月二十五日被告源五郎カ中央商業銀行ノ株式二十五株ヲ金百四十圓ニテ勘藏宅ニ於テ同人ニ讓渡シ之ニ依リ右金員ヲ騙取シタル行爲ニ加擔シタルモノナリト判定セラレタルハ全然違法ニシテ少クモ不法ニ事實ヲ認定シ且不當ニ法則ヲ適用シタル違法ノ裁判ナリト思料スト云フニ在レトモ◎原院ノ職權ニ屬スル事實認定ノ非難ニ過キサルヲ以テ上告適法ノ理由トナラス
被告源五郎上告趣意書ハ上告人ハ豫審ノ御取調以來鈴木勘藏鹿野兼市丸山房太郎ノ三名ヨリ依頼ヲ受ケ中央商業銀行株券及商事銀行株券ヲ各所ヨリ買入レ鈴木勘藏ニ賣却シタル事實ハ相違ナキモ鹿野兼市等ト共謀シテ詐欺取財犯ヲ爲シタル事實全然無之旨申立テ現ニ告訴人タル鈴木勘藏ニ於テ鹿野兼市ト丸山房太郎ト四分六分ノ利益分配ノ約束ヲ爲シタルコトアルモ上告人ニ於テ該約束ニ關懸ナキコトヲ裏面ヨリ申立テ居ルノミナラス豫審第二囘ノ同人ノ證言ニ依レハ問「如何ナル詐欺手段ヲ源五郎カ爲シタノカ答同人ハ別ニ詐欺手段ヲ爲シタノテハアリマセヌ」ト迄斷言シ居ルニモ拘ラス同人ノ證言ヲ有罪ノ證據トシテ採用セラレタルハ採證法ニ反キ事實ヲ認定セラレタル裁判ニテ其他上告人ニ對スル直接ノ證據ヲ指示セス間接的ノ證據ニ依リ想像上ノ事實認定ヲ以テ有罪ノ判决ヲ與ヘラレタルハ證據裁判ノ原理ニ背キタル原裁判ナレハ服從スルヲ得スト云フニ在レトモ◎原判决ハ鈴木勘藏ノ第二囘豫審調書中論旨所載ノ被告利益ノ部分ハ之ヲ證據ニ採用セス而シテ其他ノ部分ヲ證據ニ採用シタル所アルモ證據ノ取捨ハ事實裁判官ノ判斷ニ在ルヲ以テ其取捨ノ當否ヲ論爭スルハ原院ノ職權ニ屬スル採證ノ非難ニ過キス又事實ノ認定ニ付キテハ證據ニ制限ナキヲ以テ常ニ必シモ直接證據ノミニ依ルヲ要セス間接證據ト雖モ心證判斷ノ資料ニ供スルコトヲ得從テ間接證據ノミニ依リ犯罪事實ヲ認定シタレハトテ證據裁判ノ原理ニ背キタル裁判ナリト云フヲ得ス况ンヤ原判决所載ノ證據ニハ直接證據アリテ間接證據ノミニ非サルニ於テヲヤ本論旨ハ總テ理由ナシ
被告兼市房太郎繁造辯護人春山泰治上告趣意辯明書第一點ハ本件詐欺取財犯ノ成立スルニハ犯行ノ結果トシテ實害ヲ生セシメタル事實アルコトヲ要ス從テ本件株券ハ相當ナル直段ヲ以テ告訴人鈴木勘藏ニ賣却セラレタルモノナリヤ否ヤヲ審査セサルヘカラス若シ然ラサルニ於テ本件犯罪ノ構成要素タル實害ヲ生シタリヤ否ヤヲ判定スルコト能ハサル筋合ナリ然ルニ原判决ハ事茲ニ出テス漫然被告等カ本件代金一千百二圓二十五錢ヲ勘藏ヨリ騙取シタリト判示シタルハ理由不備ノ違法アル不法ノ裁判ナリト思料スト云ヒ」第二點ハ本件株券ノ無價値ニアラサルコトハ原判决證據説明ノ部第七及第十一ニ於ケル相被告杉山源五郎及證人森正ノ供述ニ依リテ明白ナリトス即チ本件株券ハ少クトモ一圓乃至五圓ノ賣買價格アルコトハ明確ナル事實ナリ果シテ然ラハ本件株券ノ賣買ニ因リ告訴人勘藏ハ被告等ヨリ有價値ノ財産ヲ取得シタルモノナレハ設假被告等カ本件詐取行爲ヲ爲シタリトスルモ本訴株券代金一千百二圓二十五錢中前記株券價格（一圓乃至五圓）ニ相當スル金額ハ本件賣買ノ取消サレサル限リ正當ニ被告等カ取得シタルモノナルヲ以テ該一部ノ金員ヲ授受シタルコトハ毫モ本件犯罪ノ圈内ニ屬セサルモノトス然ルニ原院ハ此點ニ留意セス本件株券代金一千百二圓二十五錢ヲ以テ悉皆本件騙取ノ目的物ナリト認定シタルハ不法ニ事實ヲ確定シタル違法ノ裁判ナリト思料スト云フニ在リ◎依テ按スルニ詐欺取財罪ノ構成ニハ被害者ニ實害即チ財産上ノ損害ヲ生シタルコトヲ要スルハ所論ノ如クナレトモ所謂實害トハ欺罔手段ニ因リ被欺罔者カ錯誤ニ陷リ給付シタル物ノ全部ヲ云フカ故ニ實害ノ有無ハ所論ノ如ク被欺罔者カ給付シタル物ト欺罔者ヨリ提供シタル物ト其價格ヲ比較シテ判定スヘキモノニ非ス何トナレハ被欺罔者ノ得タル物ハ欺罔者カ欺罔手段トシテ提供シタルモノナレハ犯罪ノ用ニ供シタル物ニ外ナラスシテ被欺罔者ノ失ヒタル物ハ欺罔手段ニ因ルニ非サレハ給付セサリシモノナレハナリ原判决ノ認定ニ依レハ被告等ハ共謀シテ株券ノ賣買ニ假託シ欺罔手段ヲ以テ鈴木勘藏ヲ錯誤ニ陷レ中央商業銀行及ヒ商事銀行ノ株券二百七十株ト引換ニ其代金ノ名義ヲ以テ金千百二圓二十五錢ヲ勘藏ヨリ交付セシメタルモノナレハ賣買ナル法律行爲ニ非スシテ純然タル詐欺取財罪ノ事實ナルヲ以テ該株券ノ價格ノ有無ニ關セス該金千百二圓二十五錢ハ被告等カ騙取シタルモノ即チ其全額ハ勘藏カ被ムリタル實害ナルカ故ニ原判决ニ該株券ノ價格ヲ判示セサリシハ理由不備又ハ不法ニ事實ヲ確定シタルモノニアラス本論旨ハ總テ理由ナシ
第三點ハ原審ノ列席判事三井久次氏ハ第一審以來本件公判ニ干與シタルコトハ訴訟記録上明白ナル事實ナリトス是レ刑事訴訟法第四十條四號ノ規定ヲ無視シ重要ナル本件公判ノ手續ニ違背シタルモノナリ斯ル違法ノ公判手續ニ基ツク原裁判ハ固ヨリ不法タルコトヲ免カレスト云フニ在レトモ◎原審ノ列席判事三井久次ハ第一審ニ於テ最初本件ノ裁判長タリシモ後ニ至リ裁判長判事渡邊糺判事木内伊與治判事後藤和佐二ノ三名ニテ審理ヲ更新シテ判决シタルコト第一審公判始末書ニ徴シテ明白ナレハ三井判事ハ刑事訴訟法第四十條第四號ニ該當セサルヲ以テ原判决ハ不法ニ非ス本論旨ハ理由ナシ
第四點ハ右被告源五郎ノ上告趣意書及同被告辯護人久富勘太郎ノ上告趣意辯明書ヲ被告兼市同房太郎及同繁造ノ利益ニ援用スト云フニ在レトモ◎相被告源五郎ノ辯護人久富勘太郎ヨリ上告趣意辯明書ノ提出ナク又源五郎自身ノ上告趣意書ノ論旨ノ理由ナキコトハ其説明ニ就キ了解スヘシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ本件上告ハ之ヲ棄却ス
檢事鈴木宗言干與明治四十年十二月二十三日大審院第二刑事部
明治四十年（レ）第一一一四号
明治四十年十二月二十三日宣告
◎判決要旨
- 一 詐欺取財罪の構成要件たる実害とは被欺罔者が欺罔手段の為め錯誤に陥り欺罔者に交付したる物の全部を指称せるものとす。
従て実害の有無は被欺罔者が給付したる物と欺罔者より提供したる物との価格を比較して之を判定すべきものに非ず
右詐欺取財被告事件に付、明治四十年十一月一日東京控訴院に於て言渡したる判決を不法とし被告等より上告を為したり。
因で刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決すること左の如し
被告兼市及房太郎上告趣意書は被告等が鈴木勘蔵と共同して本訴株券を買入れたるは何人たるを問はず又何時たりとも相当の買受人あるときは買価よりも高価に売却して各自利益を獲得する目的に出でたるものにして当初より特定の買受人即ち船越善吉と云ふ者に対し本件株券を売却するの趣旨にあらず。
従て被告等は杉山源五郎等と共謀し船越善吉と云ふ者が本件株券を買受くべき旨虚偽の事実を構へ鈴木勘蔵を欺罔したることなきは勿論本訴株券買入代金を右勘蔵より詐欺したるが如きこと更に之れ無き所なりとす。
然るに原判決は被告等が源五郎と共謀し、且、又秋山繁造をも加担せしめ以て勘蔵を欺き同人より金一千百二円二十五銭を騙取したるものなりと認定し詐欺取財犯に問擬したるは全然違法にして少くも不法に事実を確定し、且、不当に法則を適用したる違法の裁判なりと思量すと云ふに在れども◎原院の職権に属する事実認定の非難に過ぎざるを以て上告適法の理由とならず
被告繁造上告趣意書は上告人は明治三十八年三月上旬訴外島田喜太郎の書面に依り同月十二、三日頃上京し初めて被告鹿野兼市及同丸山房太郎両名に出会したるに右両名は鈴木勘蔵と共同して利益を得んか為既に本件株券を買入れたるに付、越後国高田地方（上告人の郷里）に右株券の買受人あらば周旋方尽力すべきこと及共同業者の一人にして金主なる鈴木勘蔵に面会し上告人の見込を開陳せんことを求められ、且、又上告人の尽力に依り本件株券を売却したる暁には相当の報酬を支払ふとのことに付、上告人は善意を以て快諾し右勘蔵に面会し単に上告人の主人に於て本件株券を買受ける見込あるを以て帰郷の上確報すべき旨を同人（勘蔵）に申出てたるに過ぎず固より情を知りて被告兼市同房太郎及源五郎に加担し以て鈴木勘蔵に対し敢て本件詐欺取財を遂行するの意思に出でたるものにあらざるは実に論を待たざる所なりとす。
然るに原院は上告人が被告兼市房太郎の招にき応し勘蔵と面会して虚言を放ち以て被告源五郎等の本件金員騙取行為中最後の分即ち明治三十八年三月二十五日被告源五郎が中央商業銀行の株式二十五株を金百四十円にて勘蔵宅に於て同人に譲渡し之に依り右金員を騙取したる行為に加担したるものなりと判定せられたるは全然違法にして少くも不法に事実を認定し、且、不当に法則を適用したる違法の裁判なりと思料すと云ふに在れども◎原院の職権に属する事実認定の非難に過ぎざるを以て上告適法の理由とならず
被告源五郎上告趣意書は上告人は予審の御取調以来鈴木勘蔵鹿野兼市丸山房太郎の三名より依頼を受け中央商業銀行株券及商事銀行株券を各所より買入れ鈴木勘蔵に売却したる事実は相違なきも鹿野兼市等と共謀して詐欺取財犯を為したる事実全然無之旨申立で現に告訴人たる鈴木勘蔵に於て鹿野兼市と丸山房太郎と四分六分の利益分配の約束を為したることあるも上告人に於て該約束に関懸なきことを裏面より申立で居るのみならず予審第二回の同人の証言に依れば問「如何なる詐欺手段を源五郎が為したのか答同人は別に詐欺手段を為したのではありませぬ」と迄断言し居るにも拘らず同人の証言を有罪の証拠として採用せられたるは採証法に反き事実を認定せられたる裁判にて其他上告人に対する直接の証拠を指示せず間接的の証拠に依り想像上の事実認定を以て有罪の判決を与へられたるは証拠裁判の原理に背きたる原裁判なれば服従するを得ずと云ふに在れども◎原判決は鈴木勘蔵の第二回予審調書中論旨所載の被告利益の部分は之を証拠に採用せず。
而して其他の部分を証拠に採用したる所あるも証拠の取捨は事実裁判官の判断に在るを以て其取捨の当否を論争するは原院の職権に属する採証の非難に過ぎず又事実の認定に付きては証拠に制限なきを以て常に必しも直接証拠のみに依るを要せず。
間接証拠と雖も心証判断の資料に供することを得。
従て間接証拠のみに依り犯罪事実を認定したればとて証拠裁判の原理に背きたる裁判なりと云ふを得ず。
況んや原判決所載の証拠には直接証拠ありて間接証拠のみに非ざるに於てをや本論旨は総で理由なし。
被告兼市房太郎繁造弁護人春山泰治上告趣意弁明書第一点は本件詐欺取財犯の成立するには犯行の結果として実害を生ぜしめたる事実あることを要す。
従て本件株券は相当なる直段を以て告訴人鈴木勘蔵に売却せられたるものなりや否やを審査せざるべからず。
若し然らざるに於て本件犯罪の構成要素たる実害を生じたりや否やを判定すること能はざる筋合なり。
然るに原判決は事茲に出でず漫然被告等が本件代金一千百二円二十五銭を勘蔵より騙取したりと判示したるは理由不備の違法ある不法の裁判なりと思料すと云ひ」第二点は本件株券の無価値にあらざることは原判決証拠説明の部第七及第十一に於ける相被告杉山源五郎及証人森正の供述に依りて明白なりとす。
即ち本件株券は少くとも一円乃至五円の売買価格あることは明確なる事実なり。
果して然らば本件株券の売買に因り告訴人勘蔵は被告等より有価値の財産を取得したるものなれば設仮被告等が本件詐取行為を為したりとするも本訴株券代金一千百二円二十五銭中前記株券価格（一円乃至五円）に相当する金額は本件売買の取消されざる限り正当に被告等が取得したるものなるを以て該一部の金員を授受したることは毫も本件犯罪の圏内に属せざるものとす。
然るに原院は此点に留意せず本件株券代金一千百二円二十五銭を以て悉皆本件騙取の目的物なりと認定したるは不法に事実を確定したる違法の裁判なりと思料すと云ふに在り◎依て按ずるに詐欺取財罪の構成には被害者に実害即ち財産上の損害を生じたることを要するは所論の如くなれども所謂実害とは欺罔手段に因り被欺罔者が錯誤に陥り給付したる物の全部を云ふか故に実害の有無は所論の如く被欺罔者が給付したる物と欺罔者より提供したる物と其価格を比較して判定すべきものに非ず何となれば被欺罔者の得たる物は欺罔者が欺罔手段として提供したるものなれば犯罪の用に供したる物に外ならずして被欺罔者の失ひたる物は欺罔手段に因るに非ざれば給付せざりしものなればなり。
原判決の認定に依れば被告等は共謀して株券の売買に仮託し欺罔手段を以て鈴木勘蔵を錯誤に陥れ中央商業銀行及び商事銀行の株券二百七十株と引換に其代金の名義を以て金千百二円二十五銭を勘蔵より交付せしめたるものなれば売買なる法律行為に非ずして純然たる詐欺取財罪の事実なるを以て該株券の価格の有無に関せず該金千百二円二十五銭は被告等が騙取したるもの。
即ち其全額は勘蔵が被むりたる実害なるが故に原判決に該株券の価格を判示せざりしは理由不備又は不法に事実を確定したるものにあらず。
本論旨は総で理由なし。
第三点は原審の列席判事三井久次氏は第一審以来本件公判に干与したることは訴訟記録上明白なる事実なりとす。
是れ刑事訴訟法第四十条四号の規定を無視し重要なる本件公判の手続に違背したるものなり。
斯る違法の公判手続に基づく原裁判は固より不法たることを免がれずと云ふに在れども◎原審の列席判事三井久次は第一審に於て最初本件の裁判長たりしも後に至り裁判長判事渡辺糺判事木内伊与治判事後藤和佐二の三名にて審理を更新して判決したること第一審公判始末書に徴して明白なれば三井判事は刑事訴訟法第四十条第四号に該当せざるを以て原判決は不法に非ず本論旨は理由なし。
第四点は右被告源五郎の上告趣意書及同被告弁護人久富勘太郎の上告趣意弁明書を被告兼市同房太郎及同繁造の利益に援用すと云ふに在れども◎相被告源五郎の弁護人久富勘太郎より上告趣意弁明書の提出なく又源五郎自身の上告趣意書の論旨の理由なきことは其説明に就き了解すべし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り本件上告は之を棄却す
検事鈴木宗言干与明治四十年十二月二十三日大審院第二刑事部
