明治三十九年(れ)第九八四號
明治三十九年十一月八日宣告
◎判决要旨
- 一 犯罪ノ未遂ニ關スル事實ハ刑事訴訟法第二百三條ノ所謂罪トナルヘキ事實ノ範圍外ニ屬スルヲ以テ裁判所ハ證據ニ依リテ之ヲ認ムルノ要ナシ(判旨第三點)
(參照)刑ノ言渡ヲ爲スニハ罪ト爲ルヘキ事實及ヒ證據ニ依リテ之ヲ認メタル理由ヲ明示シ且法律ヲ適用シ其理由ヲ付ス可シ(刑事訴訟法第二$百三條第一項) - 一 刑事ノ被告人ヨリ起訴セラレ民事訴訟ニ於テ被告ノ地位ニ在ル者ハ縱令刑事訴訟ノ結果ニ付キ直接ノ利害關係ヲ有スルモ刑事訴訟法ノ所謂民事原告人ニ該當セス故ニ其證人トシテ供述ヲ爲スノ能力ハ現ニ民事訴訟ノ繋屬スルカ爲メニ毫モ妨碍ヲ受クルコトナシ(判旨第六點)
右詐欺取財未遂被告事件ニ付明治三十九年九月六日名古屋控訴院ニ於テ言渡シタル判决ヲ不法トシ被告ヨリ上告ヲ爲シタリ依テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ
被告竝辯護人大道寺慶男ノ上告趣意書ハ原院判决ハ法律ニ違背シ裁判ニ理由ヲ付セサル不法アリ原判决ハ其前段ニ於テ公訴事實ヲ掲ケ證據トシテ被告ノ公廷ニ於ケル自陳證人橋本久左衛門西口久吉木村善八前川初次郎丹羽政七高橋政之助ノ各豫審調書ノ一部ヲ列記シ此等ヲ綜合スレハ判示事實ヲ認ムルノ證據十分ナルヲ以テ云々ト説明シ殆ト茫漠トシテ捉フル所ナキカ如シ蓋シ判决ハ事實ト證據ノミヲ列記スルヲ以テ足レリトセス進テ或ル事實ニ向テ其證據ニ依リ之ヲ認メタル理由ヲ確的ニ指示セサルヘカラス然ルニ原判决ハ之レカ明示ヲ欠クノミナラス判示事實中ノ「偶々非常ノ漁獲アリシヨリ爰ニ惡意ヲ起シ(中畧)該通帳ニ支拂ノ記入漏ナルコトヲ利用シテ自己ヨリ魚類ヲ賣込タルモノヽ如ク裝ヒ金圓ヲ騙取センコトヲ企テ云云」トノ點ニ對シテハ判文列記ノ證據中全ク之ヲ認ムヘキ記載ナク如何ニ綜合スルモ其推定ノ出所ヲ發見スルニ苦マサルヲ得ス要スルニ本案ノ爭點ハ被告ハ高橋政之助ヲ欺罔シテ騙取セントシタルヤ否ヤ將タ被告ニ之ヲ請求スヘキ正當ノ權利アリヤ若クハ少ナクモ被告自ラ之ヲ正當ノ權利アリト信シテ爲シタルモノニ非サルヤ否ヤニ在リ然ルニ原判决摘示ノ證據ノミニテハ被告ニ之ヲ請求スヘキ權利ナシトノ事實(此事實認定ハ根本ニ於テ不當ナルモ)トシテ稍其外形ヲ具備セリト云フヲ得ヘキモ進テ政之助ヲ欺罔シテ騙取セントシタル事實竝ニ被告自ラモ之ヲ正當ノ權利アリト信シタルニ非ラサル事實ニ對シテハ何等ノ證據ヲ示サヽルモノニシテ即チ本件犯罪ノ要素タル詐欺ノ意思ノ存否ニ向テ全ク證據竝ニ理由ヲ付セサル不法アルモノナリト云フニ在レトモ◎原院ハ證人前川初次郎豫審調書供述ノ記載其他判文ニ掲クル諸般ノ證據ヲ綜合考覈シテ所論ノ事實ヲ認定シタルモノニシテ上告論旨ハ畢竟原院ノ職權ニ屬スル事實ノ認定證據ノ判斷ニ對シテ非難ヲ試ムルモノニ外ナラサルヲ以テ上告適法ノ理由トナラス
辯護人大道寺慶男上告趣意擴張書第一點ハ原院ニ於テ斷罪ノ證據トナシタル證人前川初次郎ノ第二囘豫審調書ハ證人ニ宣誓セシメタル記載ナキノミナラス全ク宣誓書ノ附綴アルヲ見ス從テ右訊問ハ宣誓ヲ用ヰスシテ之ヲ爲シタルモノニ外ナラサレハ證言證據タルノ效力ナキニ拘ハラス採テ以テ斷罪ノ資料ニ供シタル原判决ハ法則ニ違背スル不法アルモノナリト云フニ在レトモ◎豫審ニ於ケル證人初次郎ノ第二囘ノ訊問ハ即チ第一囘訊問ノ繼續ニシテ第一囘ニ於テ證人ノ爲シタル宣誓ハ第二囘ニ於テモ其效力ヲ保有スル筋合ノモノナレハ第二囘ノ訊問ニ對シ特ニ宣誓ノ式ヲ履踐スルノ必要ナク之ヲ爲サヽレハトテ其訊問供述ヲ違法ナリト云フコトヲ得ス故ニ本論旨ハ理由ナシ
第二點ハ原判决ハ事實記載ノ部ニ於テ「明治三十九年五月一日前川初次郎ノ告訴スル所トナリ事發覺シテ騙取ノ目的ヲ遂ケサリシモノナリ」トノ摘示ヲ爲シ之カ證據トシテハ其後段ニ「明治三十九年五月一日附ヲ以テ前川初次郎ヨリ被告ニ對シ本訴ヲ詐欺取財トシテ一身田警察署ニ告訴ノ提起ヲ爲シアルコト」ト説明シアルモ之レ唯事實ヲ重ネテ掲記シタルニ止マリ證據説明トシテハ何等ノ意味ヲ爲サス所謂問ヲ以テ問ニ答ヘタルカ如ク其事實ハ如何ナル證據ニ依リテ之ヲ認メタルヤヲ明示セサルモノニシテ結局原判决ハ此點ニ對シ理由ノ不備ナル不法アリト云フニ在リテ◎原判决中所論ノ一節ハ架空ニ事實ヲ記載シタルニ止マリ證據説明トシテハ意味ヲ爲サヽルコトハ所論ノ如シト雖モ元來此一節ハ本件被告ノ犯罪カ未遂ニ終了シタル事實ヲ認定スルノ資料ニ供セラレタルモノニシテ未遂ノ點ニ關スル事實ハ刑事訴訟法第二百三條ニ所謂罪トナルヘキ事實ノ範圍外ニ屬スルヲ以テ證據ニ依リテ之ヲ認ムルノ必要ナキヲ以テ原院カ其認定ノ憑據ヲ判文ニ掲ケサレハトテ之ヲ以テ原判决ノ破毀ヲ必要トスヘキ重大ノ瑕瑾トナスコトヲ得ス故ニ本論旨モ亦タ其理由ナシ(判旨第三點)
第三點ハ凡ソ詐欺取財罪ヲ構成スルニハ加害者カ單ニ欺罔手段ヲ弄シタルノミヲ以テ足レリトセス進テ其手段ニ依リ被害者ノ觀念ヲ錯誤ニ陷ラシメ眞相ヲ誤認シタル結果財物證書類ヲ交付セシメタル事實アルヲ要スルコトハ從來御院判例ノ明示サルヽ所ナリ(明治三十八年(れ)第一四七〇號同三十九年一月十五日刑事第二部宣告大審院判决録十二輯一卷一三頁明治三十九年(れ)第二八號同年四月九日刑事第二部宣告大審院判决録十二輯八卷四二七頁)然ルニ本事案ハ原審判决ノ事實摘示ニアル如ク被告ハ高橋政之助ニ對シ明治三十八年十一月八日安濃津區裁判所ニ魚類賣掛代金百四十四圓六十錢ノ支拂命令ヲ申請シタルモ同人ヨリ異議ノ申立ヲ爲シ續テ本訴トナリ第一審ニ於テハ敗訴シ第二審ニテ勝訴トナリ目下政之助ヨリ上告中ニ屬スルモノナルヲ以テ假リニ數歩ヲ讓リテ原院事實認定ノ如ク被告ハ故ラニ正當ノ權利ナキ請求ヲ敢テシタルモノナリトスルモ被害者ノ地位ニアル政之助ハ未タ曾テ被告ノ施シタル手段ノ爲メニ其意思ニ誤謬ヲ來シ錯誤ニ陷リタル形跡ナク徹頭徹尾被告ト其主張ヲ抗爭シツヽアルモノナルヲ以テ假令該民事判决カ被告ノ勝訴ニ歸シ政之助ニ向テ確定執行セラルヽ場合アリトスルモ之レ法律ノ結果ニシテ决シテ加害者ノ欺罔手段ニ因リ被害者ノ腦裡ニ誤信ヲ來タシ遂ニ騙取サルヽニ至リタルモノナリト云フヲ得ス要スルニ原院ハ被害者カ加害者ノ欺罔手段ニ因リテ事實ノ眞相ヲ誤認シ又ハ其誤認ニ陷ラントシタルモノナリヤ否ヤヲ審究セサルノミナラス原判决ノ認ムル所ニ依ルモ被害者カ全ク欺罔ニ陷リ錯誤ヲ招キタル事實ナキニ拘ハラス漫然詐欺取財罪ニ問擬セシハ法律ニ違背シタル不法ノ裁判ナリト云フニ在リテ◎本論旨ニ對スル説明ハ辯護人花井卓藏外一名ノ上告趣意擴張書ノ第一點第二點ニ對スル説明ニ讓ルヲ以テ該説明ニ付キ其理由ナキコトヲ了解スヘシ
辯護人花井卓藏渡邊澄也上告趣意擴張書第一點ハ詐欺取財罪ノ成立ニハ被害者ヲ欺罔シテ錯誤ニ陷ラシメ以テ財物若クハ證書類ヲ騙取スルコトヲ必要ト爲ス從テ詐欺取財犯トシテ處斷スルニ當テハ被害者ニ對シ欺罔ノ手段ヲ施シタル事實ヲ確認セサルヘカラス原判决ハ被告ハ安濃津區裁判所ニ對シ高橋政之助ヲ債務者トシタル支拂命令ノ申請ヲ爲シタル事實ヲ認メタルニ止マリ被害者タル高橋政之助ニ對シ何等欺罔ノ手段ヲ施シタル事實ヲ認定セサルカ故ニ被告ノ所爲ハ決シテ犯罪ヲ構成スヘキモノニ非ス然ルニ有罪ノ言渡ヲ爲シタル原判决ハ罪ト爲ラサル所爲ニ對シ刑ヲ科シタル不法アルモノト信スト云ヒ」第二點ハ詐欺取財罪トシテ處斷スルニ當リテハ被告人ノ所爲ニ因リ被害者ハ錯誤ニ陷リタル事實ヲ判示セサルヘカラス原判决ハ「被告ハ云々安濃津區裁判所ニ政之助ニ對シ該通帳ニ基キ魚類賣掛代金殘額金百四十四圓六十錢辨濟請求ノ支拂命令ヲ申請シタルモ同人ヨリ異議ノ申立ヲ爲シタルヨリ次テ本訴ト爲リ第一審ニ於テハ敗訴シ第二審ニ於テハ勝訴ト爲リタルモ」云々ト民事訴訟ノ經過ヲ畧叙スルニ止マリ毫モ被害者タル高橋政之助カ錯誤ニ陷リタル事實ヲ認定セス加之政之助モ亦被告人ニ欺罔セラレタルモノトセハ第二審ニ於ケル敗訴ノ判决以前ニ於テ告訴其他相當ノ手續ニ據リ權利ノ救濟ヲ求ムヘキハ當然ナルニ拘ハラス事爰ニ出テス被害者ニ非ラサル前川初次郎ノ告訴ニ因リ本件ノ發生シタル事實ニ徴スルモ被害者タル政之助ハ錯誤ニ陷リタルコトナキモノト認メサルヘカラス然ルニ爰點ニ關スル説明ヲ遺脱セシ原判决ハ理由不備ノ不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎詐欺取財罪ハ人ヲ欺罔シテ財物ヲ騙取スルニ因リテ成立スル犯罪ナルコトハ刑法第三百九十條ニ明カニ規定スル所ナルヲ以テ財物ノ騙取カ欺罔ヲ手段トスル場合即チ苟モ財物ノ騙取ト欺罔トノ間ニ因果ノ連絡アルニ於テハ詐欺取財罪ハ完全ニ成立スヘク犯人ノ爲メニ欺罔セラレタル人ト欺罔ノ結果財物ヲ騙取セラレタル人即チ被害者トハ必スシモ同一人タルコトヲ要セス故ニ犯人カ被害者ヲ欺罔シテ其所持スル財物ヲ自己ニ交付セシメタル場合ハ勿論事實上又ハ法律上被害者ノ財物ヲ處分スルノ實權ヲ有スル人ヲ欺罔シ其結果財物ノ交付ヲ受ケテ之ヲ領得シタル場合ニ於テモ亦タ詐欺取財罪ノ成立スルコトヲ妨ケサルモノニシテ被欺罔者ト被害者トカ同一人ニアラサルノ故ヲ以テ犯罪ノ成立ヲ否定スヘキニアラス而シテ本件ニ在テハ被告ハ本件ノ被害者タル政之助ニ對シテ民事ノ訴ヲ提起シ其訴ヲ受理審判スヘキ當該裁判所ヲ欺罔シ因テ以テ政之助ヨリ財物ヲ騙取セント企テタルモノニシテ訴ヲ受ケタル裁判所ハ法律上政之助ニ對シテ被告ノ請求ニ對シ財物ノ交付ヲ命令スル職權ヲ有スルヲ以テ被告カ裁判所ニ對シテ施シタル欺罔手段カ其效ヲ奏スルニ於テハ被告ハ裁判所ノ命令ヲ得テ政之助ヨリ財物ノ交付ヲ受クルコトヲ得ヘカリシモノナレハ被告ノ所爲ハ刑法第三百九十條ニ所謂人ヲ欺罔シテ財物ヲ騙取セントシタルモノニ該當シ前川初次郎ノ告訴ノ爲メニ終ニ其目的ヲ達スルコトヲ得サリシモノナレハ未遂ヲ以テ之ヲ論スヘキモノトス左スレハ被告ハ政之助ニ對シテ欺罔手段ヲ施サス隨テ政之助ハ毫モ被告ノ爲メニ欺罔セラレサリシモノトスルモ被告ノ所爲ハ詐欺取財ノ罪ヲ構成スルコトヲ妨ケサルモノトス故ニ原院カ前掲ノ事實理由ニ基キ被告ニ對シテ有罪ノ判决ヲ言渡シタルハ相當ニシテ原判决ニハ所論ノ如キ違法ノ點ナク上告論旨ハ其理由ナシ
第三點ハ本件ハ被告カ高橋政之助ニ對スル魚代金請求ノ民事訴訟ニ基因シタルモノニシテ其民事訴訟ハ今仍ホ上告審ニ繋屬セルコト原判决ノ明認スル所ナリ而シテ刑事訴訟法第二條ハ私訴ハ犯罪ニ因リ生シタル損害ノ賠償賍物ノ返還ヲ目的トスルモノナルコトヲ規定スルモ同條ハ私訴ノ目的ヲ定メタルニ過キサレハ犯罪ニ基因スル訴訟ハ其損害ノ賠償タルト損害ノ豫防タルトヲ問ハス均シク私訴ニ包含スルモノト云ハサルヘカラス本件ノ原因タル被害者高橋政之助ハ被告ノ犯罪ニ因テ生スヘキ損害ヲ防止スルノ目的ニ出テシモノナルコト明カナレハ同人ハ民事原告人ニ外ナラサレハ證人タルノ資格ナキモノトス然ルニ同人ヲ證人トシテ訊問シタル豫審調書ヲ採テ斷罪ノ資料ニ供シタル原判决ハ法則ニ背戻スル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎刑事訴訟法ニ所謂民事原告人トハ刑事被告人ニ對シ公訴ニ附帶シテ刑事裁判所ニ民事ノ訴ヲ提起シ又ハ被告人ヲ相手取リ別ニ民事ノ訴訟ヲ民事裁判所ニ提起シタル者ヲ意味シ刑事ノ被告人ヨリ相手取ラレ民事訴訟ニ於テ被告ノ地位ニ立ツ者ハ刑事訴訟ノ結果ニ付キ直接ノ利害關係ヲ有スルニモセヨ刑事訴訟法ニ所謂ル民事原告人ニアラス從テ證人トシテ供述ヲ爲スノ能力ハ民事訴訟ノ現ニ繋屬スルカ爲メニ毫モ妨ケラルヽモノニアラス是レ即チ本件ノ場合ニシテ被害者政之助ハ所論ノ民事訴訟ニ於テハ被告トシテ訴ヲ受ケタルモノニシテ原告トシテ訴ヲ提起シタルモノニアラサルヲ以テ豫審判事カ證人トシテ之レカ取調ヲ爲シタルハ固ヨリ適法ナルノミナラス其供述ヲ斷罪ノ資料ニ供シタル原院ノ採證モ亦タ法則ニ違背シタルモノニアラサルヲ以テ上告論旨ハ其理由ナシ(判旨第六點)
第四點ハ原判决ニ於テ斷罪ノ證據ニ供シタル橋本久左衛門前川初次郎竝ニ其他ノ豫審調書ノ裁判所書記ノ氏名ハ墨痕ノ存スルノミニシテ字體全然讀ミ難ク結局署名ヲ缺如スルト同一ニ歸スルカ故ニ該調書ハ刑事訴訟法第二十條第一項第百三十一條第三項ニ背戻スルニ拘ハラス輙ク採用シタル原判决ハ法則ニ違反スル不法アルモノト信スト云フニ在レトモ◎所論ノ裁判所書記ノ氏名ハ字體較ヤ明瞭ヲ欠クノ嫌ナキニアラサルモ「川口千鶴之助」ト讀ミ得ヘキヲ以テ署名ヲ欠クモノト謂フコトヲ得ス故ニ本論旨モ亦タ理由ナシ
右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法第二百八十五條ニ依リ本件上告ハ之ヲ棄却ス
檢事末弘嚴石干與明治三十九年十一月八日大審院第二刑事部
明治三十九年(レ)第九八四号
明治三十九年十一月八日宣告
◎判決要旨
- 一 犯罪の未遂に関する事実は刑事訴訟法第二百三条の所謂罪となるべき事実の範囲外に属するを以て裁判所は証拠に依りて之を認むるの要なし。
(判旨第三点)
(参照)刑の言渡を為すには罪と為るべき事実及び証拠に依りて之を認めたる理由を明示し、且、法律を適用し其理由を付す可し(刑事訴訟法第二$百三条第一項) - 一 刑事の被告人より起訴せられ民事訴訟に於て被告の地位に在る者は縦令刑事訴訟の結果に付き直接の利害関係を有するも刑事訴訟法の所謂民事原告人に該当せず。
故に其証人として供述を為すの能力は現に民事訴訟の繋属するか為めに毫も妨碍を受くることなし(判旨第六点)
右詐欺取財未遂被告事件に付、明治三十九年九月六日名古屋控訴院に於て言渡したる判決を不法とし被告より上告を為したり。
依て刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決すること左の如し
被告並弁護人大道寺慶男の上告趣意書は原院判決は法律に違背し裁判に理由を付せざる不法あり。
原判決は其前段に於て公訴事実を掲げ証拠として被告の公廷に於ける自陳証人橋本久左衛門西口久吉木村善八前川初次郎丹羽政七高橋政之助の各予審調書の一部を列記し此等を綜合すれば判示事実を認むるの証拠十分なるを以て云云と説明し殆と茫漠として捉ふる所なきが如し。
蓋し判決は事実と証拠のみを列記するを以て足れりとせず進で或る事実に向て其証拠に依り之を認めたる理由を確的に指示せざるべからず。
然るに原判決は之れが明示を欠くのみならず判示事実中の「偶偶非常の漁獲ありしより爰に悪意を起し(中略)該通帳に支払の記入漏なることを利用して自己より魚類を売込たるものの如く装ひ金円を騙取せんことを企で云云」との点に対しては判文列記の証拠中全く之を認むべき記載なく如何に綜合するも其推定の出所を発見するに苦まざるを得ず。
要するに本案の争点は被告は高橋政之助を欺罔して騙取せんとしたるや否や将た被告に之を請求すべき正当の権利ありや若くは少なくも被告自ら之を正当の権利ありと信じて為したるものに非ざるや否やに在り。
然るに原判決摘示の証拠のみにては被告に之を請求すべき権利なしとの事実(此事実認定は根本に於て不当なるも)として稍其外形を具備せりと云ふを得べきも進で政之助を欺罔して騙取せんとしたる事実並に被告自らも之を正当の権利ありと信じたるに非らざる事実に対しては何等の証拠を示さざるものにして、即ち本件犯罪の要素たる詐欺の意思の存否に向て全く証拠並に理由を付せざる不法あるものなりと云ふに在れども◎原院は証人前川初次郎予審調書供述の記載其他判文に掲ぐる諸般の証拠を綜合考覈して所論の事実を認定したるものにして上告論旨は畢竟原院の職権に属する事実の認定証拠の判断に対して非難を試むるものに外ならざるを以て上告適法の理由とならず
弁護人大道寺慶男上告趣意拡張書第一点は原院に於て断罪の証拠となしたる証人前川初次郎の第二回予審調書は証人に宣誓せしめたる記載なきのみならず全く宣誓書の附綴あるを見す。
従て右訊問は宣誓を用ゐすして之を為したるものに外ならざれば証言証拠たるの効力なきに拘はらず採で以て断罪の資料に供したる原判決は法則に違背する不法あるものなりと云ふに在れども◎予審に於ける証人初次郎の第二回の訊問は。
即ち第一回訊問の継続にして第一回に於て証人の為したる宣誓は第二回に於ても其効力を保有する筋合のものなれば第二回の訊問に対し特に宣誓の式を履践するの必要なく之を為さざればとて其訊問供述を違法なりと云ふことを得ず。
故に本論旨は理由なし。
第二点は原判決は事実記載の部に於て「明治三十九年五月一日前川初次郎の告訴する所となり事発覚して騙取の目的を遂けざりしものなり。」との摘示を為し之が証拠としては其後段に「明治三十九年五月一日附を以て前川初次郎より被告に対し本訴を詐欺取財として一身田警察署に告訴の提起を為しあること」と説明しあるも之れ唯事実を重ねて掲記したるに止まり証拠説明としては何等の意味を為さず所謂問を以て問に答へたるが如く其事実は如何なる証拠に依りて之を認めたるやを明示せざるものにして結局原判決は此点に対し理由の不備なる不法ありと云ふに在りて◎原判決中所論の一節は架空に事実を記載したるに止まり証拠説明としては意味を為さざることは所論の如しと雖も元来此一節は本件被告の犯罪が未遂に終了したる事実を認定するの資料に供せられたるものにして未遂の点に関する事実は刑事訴訟法第二百三条に所謂罪となるべき事実の範囲外に属するを以て証拠に依りて之を認むるの必要なきを以て原院が其認定の憑拠を判文に掲げざればとて之を以て原判決の破毀を必要とすべき重大の瑕瑾となすことを得ず。
故に本論旨も亦た其理由なし。
(判旨第三点)
第三点は凡そ詐欺取財罪を構成するには加害者が単に欺罔手段を弄したるのみを以て足れりとせず進で其手段に依り被害者の観念を錯誤に陥らしめ真相を誤認したる結果財物証書類を交付せしめたる事実あるを要することは従来御院判例の明示さるる所なり。
(明治三十八年(レ)第一四七〇号同三十九年一月十五日刑事第二部宣告大審院判決録十二輯一巻一三頁明治三十九年(レ)第二八号同年四月九日刑事第二部宣告大審院判決録十二輯八巻四二七頁)然るに本事案は原審判決の事実摘示にある如く被告は高橋政之助に対し明治三十八年十一月八日安濃津区裁判所に魚類売掛代金百四十四円六十銭の支払命令を申請したるも同人より異議の申立を為し続で本訴となり第一審に於ては敗訴し第二審にて勝訴となり目下政之助より上告中に属するものなるを以て仮りに数歩を譲りて原院事実認定の如く被告は故らに正当の権利なき請求を敢てしたるものなりとするも被害者の地位にある政之助は未だ曽て被告の施したる手段の為めに其意思に誤謬を来し錯誤に陥りたる形跡なく徹頭徹尾被告と其主張を抗争しつつあるものなるを以て仮令該民事判決が被告の勝訴に帰し政之助に向て確定執行せらるる場合ありとするも之れ法律の結果にして決して加害者の欺罔手段に因り被害者の脳裡に誤信を来たし遂に騙取さるるに至りたるものなりと云ふを得ず。
要するに原院は被害者が加害者の欺罔手段に因りて事実の真相を誤認し又は其誤認に陥らんとしたるものなりや否やを審究せざるのみならず原判決の認むる所に依るも被害者が全く欺罔に陥り錯誤を招きたる事実なきに拘はらず漫然詐欺取財罪に問擬せしは法律に違背したる不法の裁判なりと云ふに在りて◎本論旨に対する説明は弁護人花井卓蔵外一名の上告趣意拡張書の第一点第二点に対する説明に譲るを以て該説明に付き其理由なきことを了解すべし。
弁護人花井卓蔵渡辺澄也上告趣意拡張書第一点は詐欺取財罪の成立には被害者を欺罔して錯誤に陥らしめ以て財物若くは証書類を騙取することを必要と為す。
従て詐欺取財犯として処断するに当ては被害者に対し欺罔の手段を施したる事実を確認せざるべからず。
原判決は被告は安濃津区裁判所に対し高橋政之助を債務者としたる支払命令の申請を為したる事実を認めたるに止まり被害者たる高橋政之助に対し何等欺罔の手段を施したる事実を認定せざるが故に被告の所為は決して犯罪を構成すべきものに非ず。
然るに有罪の言渡を為したる原判決は罪と為らざる所為に対し刑を科したる不法あるものと信ずと云ひ」第二点は詐欺取財罪として処断するに当りては被告人の所為に因り被害者は錯誤に陥りたる事実を判示せざるべからず。
原判決は「被告は云云安濃津区裁判所に政之助に対し該通帳に基き魚類売掛代金残額金百四十四円六十銭弁済請求の支払命令を申請したるも同人より異議の申立を為したるより次で本訴と為り第一審に於ては敗訴し第二審に於ては勝訴と為りたるも」云云と民事訴訟の経過を略叙するに止まり毫も被害者たる高橋政之助が錯誤に陥りたる事実を認定せず加之政之助も亦被告人に欺罔せられたるものとせば第二審に於ける敗訴の判決以前に於て告訴其他相当の手続に拠り権利の救済を求むべきは当然なるに拘はらず事爰に出でず被害者に非らざる前川初次郎の告訴に因り本件の発生したる事実に徴するも被害者たる政之助は錯誤に陥りたることなきものと認めざるべからず。
然るに爰点に関する説明を遺脱せし原判決は理由不備の不法あるものと信ずと云ふに在れども◎詐欺取財罪は人を欺罔して財物を騙取するに因りて成立する犯罪なることは刑法第三百九十条に明かに規定する所なるを以て財物の騙取が欺罔を手段とする場合即ち苟も財物の騙取と欺罔との間に因果の連絡あるに於ては詐欺取財罪は完全に成立すべく犯人の為めに欺罔せられたる人と欺罔の結果財物を騙取せられたる人即ち被害者とは必ずしも同一人たることを要せず。
故に犯人が被害者を欺罔して其所持する財物を自己に交付せしめたる場合は勿論事実上又は法律上被害者の財物を処分するの実権を有する人を欺罔し其結果財物の交付を受けて之を領得したる場合に於ても亦た詐欺取財罪の成立することを妨げざるものにして被欺罔者と被害者とか同一人にあらざるの故を以て犯罪の成立を否定すべきにあらず。
而して本件に在ては被告は本件の被害者たる政之助に対して民事の訴を提起し其訴を受理審判すべき当該裁判所を欺罔し因で以て政之助より財物を騙取せんと企てたるものにして訴を受けたる裁判所は法律上政之助に対して被告の請求に対し財物の交付を命令する職権を有するを以て被告が裁判所に対して施したる欺罔手段が其効を奏するに於ては被告は裁判所の命令を得て政之助より財物の交付を受くることを得べかりしものなれば被告の所為は刑法第三百九十条に所謂人を欺罔して財物を騙取せんとしたるものに該当し前川初次郎の告訴の為めに終に其目的を達することを得ざりしものなれば未遂を以て之を論すべきものとす。
左すれば被告は政之助に対して欺罔手段を施さず随で政之助は毫も被告の為めに欺罔せられざりしものとするも被告の所為は詐欺取財の罪を構成することを妨げざるものとす。
故に原院が前掲の事実理由に基き被告に対して有罪の判決を言渡したるは相当にして原判決には所論の如き違法の点なく上告論旨は其理由なし。
第三点は本件は被告が高橋政之助に対する魚代金請求の民事訴訟に基因したるものにして其民事訴訟は今仍ほ上告審に繋属せること原判決の明認する所なり。
而して刑事訴訟法第二条は私訴は犯罪に因り生じたる損害の賠償賍物の返還を目的とするものなることを規定するも同条は私訴の目的を定めたるに過ぎざれば犯罪に基因する訴訟は其損害の賠償たると損害の予防たるとを問はず均しく私訴に包含するものと云はざるべからず。
本件の原因たる被害者高橋政之助は被告の犯罪に因で生ずべき損害を防止するの目的に出でしものなること明かなれば同人は民事原告人に外ならざれば証人たるの資格なきものとす。
然るに同人を証人として訊問したる予審調書を採で断罪の資料に供したる原判決は法則に背戻する不法あるものと信ずと云ふに在れども◎刑事訴訟法に所謂民事原告人とは刑事被告人に対し公訴に附帯して刑事裁判所に民事の訴を提起し又は被告人を相手取り別に民事の訴訟を民事裁判所に提起したる者を意味し刑事の被告人より相手取られ民事訴訟に於て被告の地位に立つ者は刑事訴訟の結果に付き直接の利害関係を有するにもせよ刑事訴訟法に所謂る民事原告人にあらず。
従て証人として供述を為すの能力は民事訴訟の現に繋属するか為めに毫も妨げらるるものにあらず。
是れ。
即ち本件の場合にして被害者政之助は所論の民事訴訟に於ては被告として訴を受けたるものにして原告として訴を提起したるものにあらざるを以て予審判事が証人として之れが取調を為したるは固より適法なるのみならず其供述を断罪の資料に供したる原院の採証も亦た法則に違背したるものにあらざるを以て上告論旨は其理由なし。
(判旨第六点)
第四点は原判決に於て断罪の証拠に供したる橋本久左衛門前川初次郎並に其他の予審調書の裁判所書記の氏名は墨痕の存するのみにして字体全然読み難く結局署名を欠如すると同一に帰するが故に該調書は刑事訴訟法第二十条第一項第百三十一条第三項に背戻するに拘はらず輙く採用したる原判決は法則に違反する不法あるものと信ずと云ふに在れども◎所論の裁判所書記の氏名は字体較や明瞭を欠くの嫌なきにあらざるも「川口千鶴之助」と読み得べきを以て署名を欠くものと謂ふことを得ず。
故に本論旨も亦た理由なし。
右の理由なるを以て刑事訴訟法第二百八十五条に依り本件上告は之を棄却す
検事末弘厳石干与明治三十九年十一月八日大審院第二刑事部