◎判决要旨
虚僞ノ言語ヲ用ヒ他人ヲ畏怖セシメ財物若クハ證書類ヲ騙取シタル所爲ハ恐喝取財罪ナリトス而シテ被害者ニシテ其言語ニ對シ信用ヲ起シタリヤ否ハ固ヨリ犯罪ノ構成ニ影響アルコトナシ
右房松カ詐欺取財被告事件ニ付明治二十九年六月廿六日東京控訴院ニ於テ千葉地方裁判所ノ判决ニ對スル被告ヨリノ控訴ヲ審理シ原判决中被告等ニ有罪ノ言渡ヲ爲シタル部分ヲ取消ス被告房松ヲ重禁錮一年六月罰金二十圓監視六月ニ處ス云々ト言渡シタル判决ヲ不法トシ被告ハ上告ヲ爲シ原院檢事ハ答辯書ヲ差出サス因テ刑事訴訟法第二百八十三條ノ定式ヲ履行シ判决スルコト左ノ如シ
上告ノ要旨被告ハ曾テ詐欺取財ヲ爲シタルコトナク證書ノ如キハ全ク馬代金等ノ辨濟ヲ爲シタルカ爲ニ正當受取リタルモノニシテ告訴人等ノ如キハ全ク自己ニ浪費シタル結果言譯ノ爲メ告訴シタルカ眞實ノ事實ナルニ原裁判所ハ法律ニ違背シテ不當ニ事實ヲ認定シ被告人ヲ以テ有罪ト判决シタルハ不當ナリト云フニアレトモ◎該論旨ハ原院ノ職權ニ特任セル事實ノ認定ヲ批難スルモノニシテ上告適法ノ理由ナシ
上告擴張書ノ第一點原院ノ判决中被告房松ハ倉持又五郎所有ノ牡馬一頭ヲ買受ケタルカ如ク認定セラレタルモ右ハ事實ニ違ヒタル認定ニシテ决シテ被告ハ又五郎ヨリ賣買ヲ爲シタル者ニ之ナク丑藏ヨリ直接ニ買受ケタルモノナリト云フニアレトモ◎是亦事實認定ノ批難ニ外ナラサレハ上告其理由ナシ』同第二點原院ハ被告ノ所爲ニ對シ倉持仲藏同丑藏ノ告訴状及證人丑藏同松下ワカ金子佐助等ノ證言ヲ採リ斷罪ノ證據ニ供セラレタルモ元來彼等ノ證言ハ採ルニ足ラサル虚述ニシテ决シテ被告ニ詐欺セラルヽ如キ者ニアラス云々又佐助ハ被告カ賣買ヲ爲ス當時ハ居ラサリシヲ以テ彼レノ知リ居ル等ノ申立ハ虚述ナリト云ヒ」同第三點ハ松下ワカノ證言ニ就テハ元來同人ノ身上ハ前借金ヲ以テ被雇中ノ者ニ之アリ然ルニ倉持丑藏ハ其當時同人ヲ身受爲シ呉レンコトヲ申聞カセタルヲ以テワカハ其事ノ實行ヲ求メンカ爲メ彼等カ云フカ儘如斯虚僞ノ陳述ヲ爲シタルモノナリト云フニアレトモ◎第二第三論旨共原院ノ職權ニ屬スル證憑ノ取捨ヲ論難スルモノニシテ上告適法ノ理由ナシ
宮古辯護士上告辯明書ノ第一點原院ノ認定シタル事實ハ被告房松ハ被告忠次郎ト共謀シ仲藏丑藏ヨリ金三十圓ノ受取證ヲ騙取センコトヲ企テ此二人ヲ呼ヒテ金ヲ借リ來リシ故馬代金廿九圓ト時借金一圓ト悉皆渡スヘキニ付金三十圓ノ受取證ヲ渡シ呉レヨト欺キタルニ仲藏等ハ馬ハ已ニ渡シアルコト故金ヲ受取ルニ受取證ニハ及フ間敷ト云ヒタルヨリ(第一段)忠次郎ハ仲藏ノ横腹ヲ蹴リ金ヲ受取ルニ金ノ受取證ヲ出サスト云フハ太ヒ野郎タト云ヒ房松モ共ニ強テ之ヲ認ムヘシト迫リ仲藏ヲ恐怖セシメ遂ニ仲藏ヲシテ丑藏連名ノ三十圓ノ受取證ヲ認メサセ兩人ニ拇印セシメタル上之ヲ騙取シタリ(第二段)ト云フニアリ此事實ノ中第一段ノ三十圓ノ金ヲ渡ス故受取證ヲ渡シ呉レト申欺キ結局仲藏等カ拒ミタルヲ強テ認メサセ受取リタリトノ點ハ决シテ詐欺取財罪ヲ構成セス抑モ詐欺取財ナルモノハ尋常ノ注意智識ヲ以テ何人ト雖モ防キ得ル事柄ニ付テハ構成セス今金ヲ受取ラサルニ受取證ヲ渡スト云フコトハ尋常ノ智識アリ注意アルモノハ爲サヽルハ固ヨリナリ現ニ仲藏丑藏モ其智識アルカ故ニ拒ミタル次第ナリ此點ハ原院モ認ムル處ナレハ人ヲ欺罔シテ詐欺取財ヲナシタリト云フ可ラス又第二段ノ仲藏等カ受取證ヲ出スヲ拒ミタルヨリ忠次郎カ仲藏ノ横腹ヲ蹴リ云々ト云ヒ房松モ共ニ強テ之ヲ認ムヘシト迫リ仲藏等ヲ恐怖セシメ云々トアル點モ詐欺取財罪ヲ構成セス抑モ恐喝ナルモノハ人ニ向テ或ル事柄ヲ述其人ヲ畏怖セシメ其心意ニ信用ヲ起サシムルモノニシテ其言タル現在ニ屬スルモノニアラス之レニ反シ恐迫ナルモノハ其害現在ニシテ被害者ヲシテ信用ヲ起サシムルモノニアラス今原院カ認定セシ事實ヲ見ルニ被告等ハ仲藏等カ受取證ヲ出スヲ拒ムヨリ之ニ暴行ヲ加ヘ惡口ヲ言ヒ強テ認メヨト迫リ同人等ヲ恐怖セシメ之ヲ受取リタリト云フニ在レハ其心意ニ信用ヲ起サシメテ受取リタルモノニアラス又其害現在ニ屬スルモノニアラサレハ决シテ之ヲ恐喝シテ騙取シタルモノト云フヘカラス故ニ原院ノ認定シタル事實トセハ詐欺取財ノ要素タル欺罔ノ所爲ナク恐喝ノ所爲ニアラス從テ騙取シタリト云フ能ハス之ヲ要スルニ詐欺取財ノ刑ヲ適用スヘキモノニアラス然ルニ原院カ刑法第三百九十條第三百九十四條ヲ適
用シタルハ法則ヲ不當ニ適用シタルモノニシテ擬律錯誤ノ裁判ナリト云フニアリテ◎要スルニ第一段第二段ノ論旨共被告ノ所爲ハ詐欺取財トナラスト云フニ外ナラス因テ原判文ヲ査スルニ「被告等ハ共謀上詐辯ヲ設ケ實際渡スヘキ金員ノ調ハサルニ馬代金ノ殘額及時借金共返濟スヘキニ付受取證ヲ渡シ呉レト申欺キタルニ仲藏等カ其渡シ方ヲ拒ミタルヨリ忠次郎ハ其側ニ立チ仲藏ノ横腹ヲ蹴リ當被告房松共々強テ之ヲ認メ渡スヘシト迫リ仲藏等ヲシテ恐怖セシメ遂ニ仲藏丑藏連名ノ受取證ヲ騙取シタリ」トアリテ被告ノ所爲ヲ以テ恐喝取財罪ナリト認メアルヤ明カナリ而シテ恐喝取財罪ナルモノハ虚僞ノ言語等ヲ用ヒ恐喝シテ他人ヲ畏怖セシメ財物若クハ證書類ヲ騙取スルニ因テ其罪成立スヘキモノニシテ被害者ノ心意ニ信用ヲ起サシムルト否トハ本罪ノ構成ニ關係セサルモノトス故ニ原院カ被告ノ所爲ニ對シ刑法第三百九十條第一項同第三百九十四條ヲ適用處斷シタルハ相當ニシテ上告論旨ノ如キ不法アルコトナシ』同第二點第一點ニ於テ述ヘタル如ク詐欺取財ノ罪ヲ構成スルニハ被害者ヲ欺キ其心意ニ信用ヲ起サシメ任意ニ物件ヲ渡スモノナラサルヘカラス若シ然ラスシテ其心意ニ信用ヲ起サス又任意ニ渡スニアラス強テ之ヲ渡サシメタルモノナレハ是レ強奪ナリ又單純ノ脅迫罪ナリ原判文ヲ見ルニ仲藏等ニ對シテ金ヲ受取リ來リシ故其受取證ヲ渡シ呉レ云々ト記載アレトモ仲藏等カ此言ヲ信シテ任意ニ渡シタルモノト見ルヘキ記載ナシ云々其記載ナキハ即チ裁判ニ理由ヲ欠キタル失當ノ判决ナリト云フニアレトモ◎原院ハ被告ノ所爲ヲ恐喝取財犯ナリト認メ而シテ其事實ノ具備シ居ルコトハ前項ニ説示シアルニ依リ付テ了解スヘシ』同第三點刑事訴訟法第二百十九條第二項ニ依レハ必要ナル調書其他證憑書類ハ書記ヲシテ朗讀セシムヘキモノトス故ニ朗讀セシムヘキモノハ敢テ證憑書類ニテ足ルニアラス然ルニ原院ニ於テハ一切ノ證憑書類朗讀省畧スルモ異議ナキカトノ問ニ對シ被告ハ省畧セラルヽモ異議ナシト答ヘタレトモ必要ナル調書ノ朗讀ヲ省畧スル云々ノ問ニアラサルヲ以テ此點ニ付テハ省畧ヲ諾シタルニアラス左スレハ原院カ必要ナル調書ノ朗讀ヲ爲サシメサリシハ刑事訴訟法ノ手續ニ違背スル失當ノ裁判ナリト云フニアレトモ◎裁判上證據トナルヘキ書類中ニ調書ノ包含シ居ルコトハ勿論ナルニ付上告論旨ノ如キ違法アルコトナシ
以上ノ理由ナルニ依リ刑事訴訟法第二百八十五條ニ則リ本件上告ハ之ヲ棄却ス
明治二十九年九月十七日大審院第二刑事部公廷ニ於テ檢事安居修藏立會宣告ス
◎判決要旨
虚偽の言語を用ひ他人を畏怖せしめ財物若くは証書類を騙取したる所為は恐喝取財罪なりとす。
而して被害者にして其言語に対し信用を起したりや否は固より犯罪の構成に影響あることなし
右房松が詐欺取財被告事件に付、明治二十九年六月廿六日東京控訴院に於て千葉地方裁判所の判決に対する被告よりの控訴を審理し原判決中被告等に有罪の言渡を為したる部分を取消す被告房松を重禁錮一年六月罰金二十円監視六月に処す云云と言渡したる判決を不法とし被告は上告を為し原院検事は答弁書を差出さず因で刑事訴訟法第二百八十三条の定式を履行し判決すること左の如し
上告の要旨被告は曽て詐欺取財を為したることなく証書の如きは全く馬代金等の弁済を為したるか為に正当受取りたるものにして告訴人等の如きは全く自己に浪費したる結果言訳の為め告訴したるか真実の事実なるに原裁判所は法律に違背して不当に事実を認定し被告人を以て有罪と判決したるは不当なりと云ふにあれども◎該論旨は原院の職権に特任せる事実の認定を批難するものにして上告適法の理由なし。
上告拡張書の第一点原院の判決中被告房松は倉持又五郎所有の牡馬一頭を買受けたるが如く認定せられたるも右は事実に違ひたる認定にして決して被告は又五郎より売買を為したる者に之なく丑蔵より直接に買受けたるものなりと云ふにあれども◎是亦事実認定の批難に外ならざれば上告其理由なし。』同第二点原院は被告の所為に対し倉持仲蔵同丑蔵の告訴状及証人丑蔵同松下わか金子佐助等の証言を採り断罪の証拠に供せられたるも元来彼等の証言は採るに足らざる虚述にして決して被告に詐欺せらるる如き者にあらず。
云云又佐助は被告が売買を為す当時は居らざりしを以て彼れの知り居る等の申立は虚述なりと云ひ」同第三点は松下わかの証言に就ては元来同人の身上は前借金を以て被雇中の者に之あり。
然るに倉持丑蔵は其当時同人を身受為し呉れんことを申聞かせたるを以てわかは其事の実行を求めんか為め彼等が云ふか儘如斯虚偽の陳述を為したるものなりと云ふにあれども◎第二第三論旨共原院の職権に属する証憑の取捨を論難するものにして上告適法の理由なし。
宮古弁護士上告弁明書の第一点原院の認定したる事実は被告房松は被告忠次郎と共謀し仲蔵丑蔵より金三十円の受取証を騙取せんことを企で此二人を呼ひて金を借り来りし故馬代金廿九円と時借金一円と悉皆渡すべきに付、金三十円の受取証を渡し呉れよと欺きたるに仲蔵等は馬は己に渡しあること故金を受取るに受取証には及ぶ間敷と云ひたるより(第一段)忠次郎は仲蔵の横腹を蹴り金を受取るに金の受取証を出さずと云ふは太ひ野郎たと云ひ房松も共に強で之を認むべしと迫り仲蔵を恐怖せしめ遂に仲蔵をして丑蔵連名の三十円の受取証を認めさせ両人に拇印せしめたる上之を騙取したり。
(第二段)と云ふにあり此事実の中第一段の三十円の金を渡す故受取証を渡し呉れと申欺き結局仲蔵等が拒みたるを強で認めさせ受取りたりとの点は決して詐欺取財罪を構成せず。
抑も詐欺取財なるものは尋常の注意智識を以て何人と雖も防ぎ得る事柄に付ては構成せず今金を受取らざるに受取証を渡すと云ふことは尋常の智識あり注意あるものは為さざるは固よりなり。
現に仲蔵丑蔵も其智識あるが故に拒みたる次第なり。
此点は原院も認むる処なれば人を欺罔して詐欺取財をなしたりと云ふ可らず又第二段の仲蔵等が受取証を出すを拒みたるより忠次郎が仲蔵の横腹を蹴り云云と云ひ房松も共に強で之を認むべしと迫り仲蔵等を恐怖せしめ云云とある点も詐欺取財罪を構成せず。
抑も恐喝なるものは人に向て或る事柄を述其人を畏怖せしめ其心意に信用を起さしむるものにして其言たる現在に属するものにあらず。
之れに反し恐迫なるものは其害現在にして被害者をして信用を起さしむるものにあらず。
今原院が認定せし事実を見るに被告等は仲蔵等が受取証を出すを拒むより之に暴行を加へ悪口を言ひ強で認めよと迫り同人等を恐怖せしめ之を受取りたりと云ふに在れば其心意に信用を起さしめて受取りたるものにあらず。
又其害現在に属するものにあらざれば決して之を恐喝して騙取したるものと云ふべからず。
故に原院の認定したる事実とせば詐欺取財の要素たる欺罔の所為なく恐喝の所為にあらず。
従て騙取したりと云ふ能はず之を要するに詐欺取財の刑を適用すべきものにあらず。
然るに原院が刑法第三百九十条第三百九十四条を適
用したるは法則を不当に適用したるものにして擬律錯誤の裁判なりと云ふにありて◎要するに第一段第二段の論旨共被告の所為は詐欺取財とならずと云ふに外ならず因で原判文を査するに「被告等は共謀上詐弁を設け実際渡すべき金員の調はざるに馬代金の残額及時借金共返済すべきに付、受取証を渡し呉れと申欺きたるに仲蔵等が其渡し方を拒みたるより忠次郎は其側に立ち仲蔵の横腹を蹴り当被告房松共共強で之を認め渡すべしと迫り仲蔵等をして恐怖せしめ遂に仲蔵丑蔵連名の受取証を騙取したり。」とありて被告の所為を以て恐喝取財罪なりと認めあるや明かなり。
而して恐喝取財罪なるものは虚偽の言語等を用ひ恐喝して他人を畏怖せしめ財物若くは証書類を騙取するに因で其罪成立すべきものにして被害者の心意に信用を起さしむると否とは本罪の構成に関係せざるものとす。
故に原院が被告の所為に対し刑法第三百九十条第一項同第三百九十四条を適用処断したるは相当にして上告論旨の如き不法あることなし』同第二点第一点に於て述べたる如く詐欺取財の罪を構成するには被害者を欺き其心意に信用を起さしめ任意に物件を渡すものならざるべからず。
若し然らずして其心意に信用を起さず又任意に渡すにあらず。
強で之を渡さしめたるものなれば是れ強奪なり。
又単純の脅迫罪なり。
原判文を見るに仲蔵等に対して金を受取り来りし故其受取証を渡し呉れ云云と記載あれども仲蔵等が此言を信じて任意に渡したるものと見るべき記載なし。
云云其記載なきは。
即ち裁判に理由を欠きたる失当の判決なりと云ふにあれども◎原院は被告の所為を恐喝取財犯なりと認め。
而して其事実の具備し居ることは前項に説示しあるに依り付て了解すべし。』同第三点刑事訴訟法第二百十九条第二項に依れば必要なる調書其他証憑書類は書記をして朗読せしむべきものとす。
故に朗読せしむべきものは敢て証憑書類にて足るにあらず。
然るに原院に於ては一切の証憑書類朗読省略するも異議なきかとの問に対し被告は省略せらるるも異議なしと答へたれども必要なる調書の朗読を省略する云云の問にあらざるを以て此点に付ては省略を諾したるにあらず。
左すれば原院が必要なる調書の朗読を為さしめざりしは刑事訴訟法の手続に違背する失当の裁判なりと云ふにあれども◎裁判上証拠となるべき書類中に調書の包含し居ることは勿論なるに付、上告論旨の如き違法あることなし
以上の理由なるに依り刑事訴訟法第二百八十五条に則り本件上告は之を棄却す
明治二十九年九月十七日大審院第二刑事部公廷に於て検事安居修蔵立会宣告す