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奧田剛郞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級正五位
爵位・身分・家柄男爵、東京府華族
職業檢事、橫濱地方裁判所檢事兼橫濱區裁判所檢事
性別男性
生年月日明治二十一年十一月 (1888)
親名・続柄 奧田義人の長男
家族母 やゑ 明元、八生、兵庫、武井正平二女
妻 美喜 明三〇、一二生、東京、士、杉山四五郞長女
男 博厚 大一二、九生
記述部分(略伝)當家は先代義人より其名を揚ぐ義人は舊鳥取藩士にして明治十七年東京大學法學部を卒業し農商務參事官同大臣祕書官特許局長行政裁判所評定官内閣官報局長衆議院書記官長拓殖務次官農商務次官文部次官法制局長官宮中顧問官文部大臣司法大臣等に歷任し法學博士の學位を受く其間衆議院議員に當選すること三回後貴族院議員に勅選せらる大正三年東京市長に推され又中央大學長となる同六年特旨を以て華族に列し男爵を授けらる
君は其長男にして明治二十一年十一月を以て生れ大正六年八月家督を相續し同年十一月襲爵仰付けらる同三年東京帝國大學法科大學英法科を卒業して三菱造船會社に奉職し後辯護士を開業せしが同十二年檢事に任じ新潟區裁判所檢事兼同地方裁判所檢事を經て現時橫濱地方裁判所檢事兼同區裁判所檢事たり
家族は尚長女智子(大六、一一生)二女雅子(同九、一生)弟成孝(明三五、六生)同正博(同三七、三生)あり
妹咲子(同二五、九生)は子爵松平忠壽に同龍(同二八、七生)は廣島縣人和田正彦に同文(同三一、二生)は兵庫縣人野呂邦之助長男一雄に同博(同三三、七生)は東京府士族濱本義賢に嫁せり
住所・電話番号東京市外澁谷町八幡通二ノ一四 電青山六一八九
参照人物(親類)子爵松平忠壽杉山四五郞濱本義賢和田正彦、※伊藤常夫、※筧克彦、※川村貞四郞、※鈴木喜三郞、※田邊治通
参照次数9 (※なし4)
読みおくだ たけろう
別名
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