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濱口儀兵衞 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄千葉縣士族
職業貴族院議員、千葉縣多額納税者、〓醬油釀造業
性別男性
生年月日明治七年四月 (1874)
親名・続柄 八代儀兵衞の二男
家族母 みち 嘉永六、一二生、濱口梧陵二女
妻 ユキ 明一五、三生、島根縣多額納税者堀藤十郞姉
男 勉太 明三六、五生、經濟學士、日清製粉會社員
男 修二 明四一、二生、立教大學在學
記述部分(略伝)當家は累代和歌山縣有田郡廣村に住したる豪家なり正保二年初代儀兵衞下總銚子港に出で〓醬油の釀造業を開始し爾來二百八十余年連綿として今日に及ぶ七代儀兵衞は梧陵の名によつて知られ幕末開國論を唱へて國事に奔走し紀州藩主德川家の信任を受け和歌山藩大參事に擧げられ又驛遞頭に任ぜられ郵便制度を企畫し致仕後鄕黨の學事公共の爲めに盡す處尠からず大いに家名を擧げしが明治十八年外遊の途紐育に於て客死す大正七年從五位を贈られ和歌山市公園に銅像を建設せらる
君は八代儀兵衞の二男にして明治七年四月を以て生れ同三十二年家督を相續し前名慶次を改め祖名を襲ぐ夙に帝國大學選科に入り釀造化學を專攻し同二十五年歐米各國を漫遊して商業を視察す歸朝後專心祖業に從事し大いに業務の擴張を圖り現時最上醬油ヤマサの聲價都鄙に普く其の造石高亦拾數萬石に上り醬油王を以て稱せらる現時千葉縣多額納税者にして大正十四年貴族院議員に互選せらる
家族は尚三男陽三(明四二、四生)四男義郞(同四三、七生)五男五郞(大元、九生)六男毅六(同三、一生)二女實子(同四、一〇生)七男愼七郞(同六、四生)三女秋子(同七、一〇生)及伯母たき(嘉永元、一一生)あり
長女慶子(明三八、一生、雙葉高等女學校出身)は元橫濱正金銀行頭取山川勇木二男捨二郞に妹小六(同二〇、一生)は宮内省内匠頭男爵東久世秀雄に嫁し兄梧圃(同四、八生)弟四郞(同一四、八生)叔父擔(同五、六生)は各其妻子を伴ひ分家し弟勇五(同一四、八生)は和歌山縣人岡本幸助の養弟にして別に一家を成せり
住所・電話番号千葉、海上、銚子町
「事務所」東京、日本橋、蠣殼町一ノ四 電茅場町一四〇〇、一四〇一
参照人物(親類)男爵東久世秀雄岡本幸助濱口擔堀藤十郞、※侯爵西鄕吉之助、※阿部市郞兵衞、※齋藤浩介、※澤原俊雄、※道源權治
参照次数9 (※なし4)
読みはまぐち ぎへえ
別名慶次
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