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團琢磨 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

位階・勲等・功級從五位、勳二等
爵位・身分・家柄東京府在籍
職業工學博士、三井(名)理事長、北海道炭礦汽船、三井信託各(株)取締役會長、三井生命保險(株)社長、三井鑛山、芝浦製作所各(株)取締役、日本製鋼所(株)顧問、電氣化學工業(株)相談役、文政審議會、商工審議會各委員、帝國飛行協會評議員、理化學硏究所理事
性別男性
生年月日安政五年八月 (1858)
親名・続柄 諏訪宅之丞の三男
家族妻 ヨシ 元治元、六生、子爵金子堅太郞妹
男 伊能 明二五、二生、文學士、東京帝國大學助教授、文學部勤務
婦 美智子 明三七、一一生、長男伊能妻、大膳頭上野季三郞五女、學習院女學部出身
女 ユキ 明二一、四生、學習院女學部出身
男 勝磨 明三七、一〇生、東京帝國大學理學部在學
記述部分(略伝)君は舊福岡藩士諏訪宅之丞の三男にして安政五年八月を以て生れ同藩權大參事團尚靜の養子となり明治十三年分れて一家を創立す同四年舊藩主黑田長知米國に遊學するや子爵金子堅太郞と共に選ばれて隨員となりボストン中學を經て工科大學に入り鑛山學を修め同十一年歸朝す同十四年工部省に入り工部大學校に出仕し鑛山局御用掛として三池鑛山に勤務する事五年再び歐米各國を巡遊し鑛山業の實況を視察す後三池鑛山の三井組の有となるに當り聘せられて鋭意同鑛山の發展擴張に力を致し三井鑛山會社の今日あるに至らしむ我國幾多の鑛山學者中君の指導を受け三池炭礦に練習したる者多く其功績尠なからず同三十二年工學博士の學位を授けらる現時三井家の元老として同合名會社理事長たる外前記諸會社の重役並に幾多の公職を兼ね曩に東京商業會議所特別議員に擧げらる書畫骨董を愛好し茶道に通ず
家族は尚孫伊玖磨(大一三、四生、長男伊能長男)同朗子(昭和二年生、同長女)あり
長女メイ(明一七、六生)は工學博士牧田環に三女スミ(同二七、六生)は實業家小倉常吉養子房藏に四女壽枝(同三〇、九生)は同原善一郞に嫁せり
住所・電話番号東京市外千駄ケ谷町原宿三四四 電青山三三八
参照人物(親類)子爵金子堅太郞上野季三郞小倉常吉原善一郞牧田環、※侯爵佐佐木行忠、※伯爵加藤厚太郞、※金子辰三郞、※服部玄三
参照次数9 (※なし5)
読みだん たくま
別名
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