清水市太郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)
位階・勲等・功級 | 正七位、勳四等 | |
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爵位・身分・家柄 | 愛知縣平民 | |
職業 | 衆議院議員(愛知縣郡部選出)、辯護士、特許辨理土 | |
性別 | 男性 | |
生年月日 | 慶應元年九月二十二日 (1865) | |
親名・続柄 | 清水治兵衛の長男 | |
家族 | 妻 きぬ 明一四、九生、愛知縣人海部昂藏二女 男 重道 明四二、一二生 | |
記述部分(略伝) | 君は愛知縣平民清水治兵衛の長男にして慶應元年九月二十二日を以て生れ明治二十八年十月分れて一家を創立す明治二十二年東京帝國大學法科大學を卒業し司法官となる同年德川義禮侯の囑に依り北海道を視察し「日本新富源」を著す翌年英國倫敦に留學しミツドル、テムプルに學ひ二十六年卒業してパリストルの學位を得尋て歐洲大陸を歷遊して二十七年歸朝す當時朝野の問題たりし軍艦千島と英艦ラベンナ號との衝突に關し一意見書を當局に呈す同年海軍教授に任し千島艦事件取扱仰付らる後海軍主理捕獲審檢所評定官等に歷任し帝國大學講師を囑せらる日清役中大本營勤務を命せられ下關談判に參列す尋て臺灣受渡の爲め出張仰付けられ後海軍大學校教官兼法制局參事官たり二十九年官を辭し三十二年政治實業視察の爲め歐米に航し歸朝後辯護士特許辨理士となり三十九年英國倫敦日本シンヂケートの日本代理者となる衆議院議員に當選する事二回現に其職にあり立憲政友會に屬す | |
住所・電話番号 | 東京、京橋、築地三ノ一一 電話長京橋三三四 | |
参照人物(親類) | ||
参照次数 | ||
読み | しみず いちたろう | |
別名 |
人事興信録
- 第4版 [大正4(1915)年1月]
- 第8版 [昭和3(1928)年7月]