長谷川好道 (男性)

位階・勲等・功級正二位、勳一等、功一級
爵位・身分・家柄子爵、舊山口藩士
職業陸軍大將、參謀總長、鐵道會議々長
生年月日嘉永三年八月二十六日 (1850)
親名・続柄 長谷川藤次郞長男
家族妻 たつ 元治元、七生、山口、平、内田吉三郞養妹
養子 猪三郞 明四、一〇生、兵庫、平、鈴木氏和長男、正五位勳四等功四級陸軍步兵中佐、近衛步兵第一聯隊附
女 かつ 明一一、九生、養子猪三郞妻
孫 東吉 明二八、一生、養子猪三郞長男
孫 芳子 明三〇、一〇生、養子猪三郞長女
孫 多嘉子 明三二、七生、養子猪三郞二女
養姉 とき 弘化四、一〇生
妹 まつ 安政元、五生
記述部分君は舊山口藩士長谷川藤次郞の長男嘉永三年八月二十六日を以て生る幼にして武道に達し夙に神童の名あり弱冠擢てられて侍臣となり更に藩儒東崇一に就き陽明學を修む戊辰の役東山道先鋒となり各地に轉戰し歸藩して小隊長に進めらる時に齡二十歳なりき明治三年藩命を以て大阪兵學校に入り同四年大尉に任せらる西南の役步兵第一聯隊長心得を以て軍に從ひ日清の役陸軍少將を以て混成旅團を率ひ金州及ひ旅順に舊戰し功三級金鵄勳章を賜ひ特に華族に列し男爵を授けらる後ち中將に陞り同二十九年近衛師團長に榮進し日露戰役には同師團長として出征し偉功を奏す戰時中大將に進み戰後勳功に依り功一級金鵄勳章を賜り子爵に陞叙せらる之より先き廣島大阪各鎭臺の參謀より中部東部の監軍部參謀に歷補し其經歷帷幕の才と陣頭に立ちて舊鬪するの猛將たるを兼ぬるを證す日露戰後韓國駐劄軍司令官として威望中外を壓し後ち軍事參議官を歷て參謀總長の要職に就き兼て鐵道會議々長たり
家族は前記の外孫文子(明三五、一〇生、養子猪三郞三女)同俊子(同三七、一〇生、同四女)同弘子(同四三、八生、同五女)あり
住所東京、牛込、早稻田町四〇
電話番号番町一五〇〇
参照人物
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読みはせがわ よしみち
別名
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