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三宅雄二郞 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級
爵位・身分・家柄東京府平民
職業文學博士、著述家、日本及日本人主筆
性別男性
生年月日萬延元年五月十九日 (1860)
親名・続柄 三宅恒の二男
家族妻 たつ 明元、一〇生、靜岡、士、田邊太一長女
男 勤 明二八、四生
女 〓え 明二九、一二生
記述部分(略伝)君は石川縣士族亡三宅恒の二男にして萬延元年五月十九日を以て生れ明治二十六年十二月分れて一家を創立す同十六年東京大學哲學科を卒業して文學士の稱號を得同三十四年四月文學博士の學位を受く雪嶺と號し曾て東京專門學校政治科講師となり論理社會學の講座を擔任し明治二十一年志賀重昂辰己小二郞等と雜誌「日本人」を發刋して國粹論を皷吹し時弊の矯正に盡せり又江湖新聞の創刋に與り其主筆となり廢刋後「日本人」及日本新聞に筆を執り現時「日本及日本人」を主宰し文名江湖に鳴る夫人たつ子號を花圃女史と稱し又文筆に長し閨秀小説家の白眉たり
家族は前記の外二男當次(明三二、四生)三女淑(同三四、三生)あり
長女たみ(同二七、四生)は福岡縣人中野泰次郞長男正剛に嫁せり
住所・電話番号東京、赤坂、新坂町八二
参照人物(親類)
参照次数
読みみやけ ゆうじろう
別名
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