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有地品之允 (第4版 [大正4(1915)年1月] の情報)

位階・勲等・功級正三位、勳一等
爵位・身分・家柄男爵、舊萩藩士
職業海軍中將、貴族院議員、海事協會理事長、日清汽船株式會社監査役
性別男性
生年月日天保十四年三月十五日 (1843)
親名・続柄 有地藤馬の三男
家族男 藤三郞 明一一、六生、正五位、工學士、海軍造兵大技士
婦 ミヨ 明一九、六生、三男藤三郞妻、京都平、田中源太郞三女
男 要介 明一九、一二生、慶應義塾出身、神奈川電氣鐵道株式會社員
記述部分(略伝)君は山口縣士族有地藤馬の三男にして男爵梨羽時起の兄なり天保十四年三月十五日を以て生れ明治元年九月家督を相續す明治元年藩主勅を奉して英米佛の軍艦を攻撃するに當り君軍に從ひて功あり又戊辰の役に戰功を樹つ同三年普佛戰爭視察の爲め歐洲に渡航し同四年陸軍少佐に任し後ち海軍に轉し西南の役に勳功あり爾來累進して海軍中將に陞任し同二十八年常備艦隊司令官となり偉勳を奏し特に華族に列し男爵を授けらる同三十年貴族院議員に勅選せられ又海事協會理事長に推さる尚日清汽船株式會社監査役たり
家族は前記の外孫富子(明四二、二生、三男藤三郞長女)同雪子(同四三、三、同二女)同英子(同四五、一生、同三女)あり
長女ウメ(同五、二生)は島根縣士族小藤文次郞に嫁し四男敏三(明一二、一二生)は故男爵寺島秋介の死後相續をなし五男十五郞(同一五、七生、正五位海軍大尉)は分家せり
住所・電話番号東京、神田、淡路町二ノ七 電話本局二五九九
参照人物(親類)男爵寺島敏三、男爵梨羽時起小藤文次郞田中源太郞、※田中一馬、※田中數之助、※深田政太郞
参照次数7 (※なし4)
読みありち しなのじょう
別名
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