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山内豐誠 (初版 [明治36(1903)年4月] の情報)

位階・勲等・功級正四位
爵位・身分・家柄子爵、舊高知新田藩主
職業貴族院議員
性別男性
生年月日天保十三年二月四日 (1842)
親名・続柄
家族父 豐充 文政六年九月生
母 滿壽 文政十一年十月生東京府士族田中定吉女
妻 長子 嘉永元年九月生從四位子爵綾小路有良伯母
男 豐英 明治二十年三月生
記述部分(略伝)當家は藤原鎌足の末裔土佐守山内一豐の男忠義の四男從五位遠江守一安の後なり一安より七代を經て從五位下攝津守豐福に至る君其の後を承く
君實は先代の再從弟天保十三年二月四日を以て生る幼名を薰と云ふ明治元年豐福の後を承け當家に入る戊辰の役各所に勇戰猛關し大に平定の功あり朝廷其の功を賞し金五千圓を下賜せらる明治三年侍從に同十四年判事に任し同十七年子爵を授けられ同二十三年檢事に任ぜられ同三十年貴族院議員に當選正五位に叙せらる
男敏麿(明治三年三月生)は内藤鋹子の入夫となり養妹邦(同元年生)は子爵松平忠正養父に同くに(文久二年十一月生)は伯爵立花寬治妻に嫁し弟豐寧(慶應元年五月生)同潤身(明治十二年九月生)は分家し
妹彈(同十四年七月生)女從(同十六年十月生)は家にあり
住所・電話番号東京市日本橋區箱崎町四ノ一
参照人物(親類)子爵綾小路有良、子爵内藤正懿、伯爵立花寬治、子爵松平忠正
参照次数4
読みやまうち とよしげ
別名