上告人大坂市北區堂島船大工町百三十番邸荒木英一訴訟代理人辯護士湊𥑻吾氏被上告人岡山縣御津郡大野村大字野田六十二番邸粕山義太間の約束手形金請求事件に付大坂控訴院が明治三十四年五月二十四日言渡したる判决に對し上告人より全部破毀を求むる申立を爲したり大審院第一民事部裁判長南部甕男判事井上正一西川鐵次郎〓村爲藏馬場愿治志方鍜富谷鉎太郎の七氏は裁判所書記茂手木昌三郎氏立會の上判决すること左の如し
(主文)本件上告は之を棄却す
(理由)上告理由の第一點は本件約束手形の裏書讓渡は原院に於て其事實を認められたる如く岡山銀行清算人岩堂保平外四名が裏書讓渡をなすに當り岩堂保平を除きたる外四名が手形に付箋をなし之に署名したるものにして其事實は當事者間に爭なき所なり商法第四編第二章第二節裏書の規定中手形の券面外に於て即ち付箋に裏書讓渡人が署名を爲し讓渡を許したる法條なきに依り假令法律上之を禁止したる明文なしとするも法式に反きたる手形なるのみならず手形の記載事項は性質上券面に於て明確なることを要するとの原則に違反せるものにして其讓渡は當然無效に〓すべきものなるに拘はらす原院に於て數名連署を要する場合に全員必す其欄内に署名するにあらざれば無效なりと論定すべき理由なきは勿論手形上に付箋を禁じたる法規なし故に付箋の爲め無效なりとの本抗辯は其理由なしと判定せられたるは法則を不當に適用せられたる違法の判决なりと云ふに在れとも抑手形用紙に付箋を爲し之に裏書人か署名するも之を以て手形裏書の方式に背反するものと娘すことを得ず何となれば商法第四百五十七條に依れは手形の補箋に裏書を爲し得べきこと明白にして付箋は法文の所謂補箋に外ならざればなり故に本上告理由は其當を得す
其第二點は本件甲第一號證約束手形は上告人及村木伊三郎兩名の振出に係るものなるが故に其振出人の一人たる村木伊勢郎を受取人と爲したるは商法の規定に背きたる無效の手形なり抑も爲替手形に就ては振出人が自已を受取人と爲すことを得れとも約束手形に就ては之を許したる規定なし而して原院に於ては村木伊三郎の署名捺印あるも振出人と認め難き旨判示しあるも手形は文言のみにより决定せらるべきものにして又手形面の下部に單に署名捺印せるものは振出人に限るものなれば其署名者數人ある時は共に振出人と看做さゝる可らず原承審官と雖ども認定を以て之を取捨し得可きものに非らず然るに原院が前陳の如く判斷し甲一號證の約束手形を有效と爲したるは法則を不當に適用したる違法の裁判なりといふに在れとも手形法上手形面の下部に署名捺印する者は必らず振出人と看做さゝる可らざるの規定あるに非ざれば其署名捺印は果して振出人として之を爲したるや否やし事實裁判所が事實問題として斷行すべき範圍に屬するものとす而して本件に於て原審は手形記載の形式上村木伊三郎を以て振出人として署名捺印したるものと認むることを得すと判定したれは村木伊三郎を以て約束手形の振出人にして且受取人と爲したるに非ざること明白なれば本上告理由も亦失當たるを免かれず
其第三點は甲第一號證約束手形は振出地の記載なき無效の手形なり上告人荒木英一の肩書は其住所にして振出地に非らず原院の判文にも甲第一號證に云々大坂市北區堂島船大工町百三十番邸荒木英一村木伊三郎殿とあるにより云々次に村木伊三郎の署名捺印あるを採り同人も亦振出人の一人なりとは形式上に於て認容し能はずとありて右は荒木英一の肩書即ち住所の附記と認められたり右は振出地を記載したるものとすれば村木の肩書なきは當然にして荒木の肩書も亦た其肩書に非らず獨立したる文言と成るなり故に荒木も村木も共に署名捺印あるのみにして形式上毫も異なる所なし又宛名の次にあると其上位にあるとに依て振出人たるや否やを區別すべきものに非らず數人が振出したる場合に至ては宛名より下位に署名するものあるは實際行はるゝ所にして手形へ署名したる者は其文言に從ひ責任を負ふべきものにして(商法第四百三十五條)其署名の位置の前後に依て異なることなし故に原院が荒木と村木とは形式上に於て差異ありとなしたるは荒木には住所肩書ありて村木には之れなきものとして判斷を下したるものと見るの外なし果して然からず原判文に依つても本件手形には振出地なきものと云はざるべからず故に原判决は振出地の記載なき無效の手形を有效として採用したるは法則を不當に適用したる違法の裁判なりと云ふに在れとも原審は甲第一號證約束手形の署名者荒木英一の肩書には住所の記載あるも村木伊三郎の肩書には住所の記載なきが故に村木伊三郎を以て振出人に非ずと爲したるにあらずして手形記載上荒木英一壹名より村木伊三郎に宛て之を振出したること明白なるが故に村木伊三郎は振出人に非ずと認定したることは原判决の明に説示する所なれば本上告理由は原判决を誤解したるに基因するものと云はざるを得ず而して本件甲第一號證の約束手形には果して振出地の記載あるや否やに付きては當事者間何等の爭なかりしを以て原審は此點に付き特に説示する所なきも振出人荒木英一の肩書地を以て振出地と認めたることは原判决上自ら明白なれば本上告論者は其理由なし
其第四點は前項論ずる如く手形に署名したる者は其文言に從ひ責任を負ふべきものなるが故に本件約束手形の裏書に荒木英一と共に署名捺印したる村木伊三郎も亦た責任者たること論を俟たす然るに原院が村木伊三郎は責任者に非すと爲したるは商法第四百三十五條を不當に適用せざる違法の裁判なり若し又他に正當の事由ありて振出人たる責任なしとするには之れが理由を判示せざる可らず故に此點より論すれば原判决は事實理由を欠きたる違法の裁判なりと云ふに在れども商法第四百三十五條は手形に署名したる者は其手形の文言に從ひて責任を負ふべきことを規定したるに止まり署名者は手形而上振出人に非ざることの明白なる場合に於ても該振出人の責任を負はざる可からざることを規定したるに非ず而して原審は前段に於て説明するが如く村木伊三郎は受取人にして振出人にあらざることを確定したる以上は特に同人が振出人たる責任を負はざる理由を説示するの要なきや固より論を竣たす故に原判决は商法の適用を誤り若くは判斷の理由を欠きたる不法の裁判にあらずとす
其第五點は凡そ會社解散の後に在ては法人たる資格を失ひ獨立して權利を得義務を負ふべき行爲殊に商行爲を爲すの權能なきものとす只だ會社の清算の範圍内に就てのみ會社の存續するものと看做さるゝに過ぎず(商法第八十四條第二百三十四條參照)又其清算人の職務は商法第九十一條に列記したる事務に止まり其他の職務に關係なき行爲に就ては權限を有せざるものとす而して本件約束手形は株式會社岡山銀行清算事務所清算人岩堂保平外四名の裏書に依て被上告人に移轉したるものなることは甲第一號證及原判旨に依り明確なる事實なり解散したる株式會社岡山銀行は約束手形の裏書讓渡を爲すが如き商行爲を爲すの權能なく又其清算人たる岩堂保平は其職務權限以外の行爲にして該裏書讓渡は無效なり從て被上告人は該手形の正當の所持人と云ふを得ず然るに原院に於ては第一審判决が上告人は被上告人に對し手形上の義務あるものとしたる判旨を全然認可し控訴を棄却したるは是又法律に違反したる不法の裁判なりと云ふに在れとも元來清算の目的を以て手形を裏書するが如きは固より清算人の職務權限に屬するのみならず本件株式會社岡山銀行の清算人岩堂保平外四名は甲第一號證の約束手形を裏書讓渡することの權限を有せずとの抗辯は原審に於て上告人より提出せさりしことは敢て上告代理人が本審に於て明言する所なり然らば則ち本上告理由は曾て原審に顯はれざる事項にして而も裁判所の職權調査に屬せざるものに基き原判决を非難するに過ぎざれば固より上告の理由と爲すに足らず
以上説明の如く本件上告は執れも適法の理由なしとて主文の如く之を判决したり(九月三十日判决言渡)