貸金請求上告事件
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法律新聞(新聞)39号9頁


上告人千葉縣山武郡増穗村柳橋九十番地平民農齋藤直吉訴訟代理人辯護士印東胤一氏より被上告人千葉縣山武郡豐海村不動堂七百三番地平民農澤山庄吉訴訟代理人辯護士高木益太郎氏に係る貸金請求事件に付東京控訴院が明治三十三年五月廿九日言渡したる判决に對し上告人より全部破毀を求むる申立を爲し被上告人は上告棄却の申立を爲したり大審院第一民事部裁判長井上正一判事岡村爲藏柳田直平芹澤政温和田收藏志方鍜富谷鉎太郎の七氏は判决すること左の如し
(主文)原判决全部を破毀し更に辯論及び裁判を爲さしむる爲め本件を東京控訴院に差戻す
(理由)上告趣旨の第一は本件は甲第一號證契約は齋藤直吉が上告人の後見人として締結したると雖も其當時の後見人は戸田勇八なるを憩て假令齋藤直吉の後見届が所轄町村役場に存在するとするも素より戸田勇八後見解除の承諾なきが故に正當後見人は戸田勇八なり從て齋藤直吉が上告人を代表して爲したる契約は上告人を覊束すべきものにあらずと云ふに在り然るに原院は齋藤直吉が戸田の後見を解任して自ら上告人の後見を爲す旨の届出を認め而して其届出は直吉の專横に出でたるものなることを認めたるにも拘はらず該町村役場に形式上其届書の存する已上は善意の被上告人に對し直吉が後見の名を以て爲したる行爲は被後見人たる上告人に對し其效力を生ずるものなりと判决せられたり此故に原院の論旨を直言せば原院は既に苟も形式上の後見届が所轄町村役場に存する已上は假令事實上の後見人が他に存在するとするも形式上の後見人は所謂法律上代理權ありと論斷したるものと云はざるべからず代理權ありや否やの問題は形式上の問題にあらずして實質上の問題なることは何人も異論莫るべし此故に法律上代理の資格あるや否やの事柄は事實の問題として之を判定せざるべからず唯だ獨り形式上代理の假面を裝ふもの之を法律上の代理人なりとせば代理の委任なきに委任者は法律行爲の效力を受くる結果を生じ非理不法の責任を負ふに至らん本件は民法施行以前の後見人にして戸田勇八は舊慣即ち親族の協議を以て後見人に任ぜられたるものなり故に之が後見を解除せんとせば戸田の承諾若くは戸田に於て承諾を表せざる以上は之を解除するの請求を爲し初めて後見解除の效力を生ずるものなることは民法施行以前既に公認せられたる處なり原判决は以上二個の點を無視し齋藤直吉の後見行爲を是認したるは法律に反する不法の判决なりと云ひ又其第三は齋藤直吉は上告人の實父なりと雖も戸田勇八が後見なりしことは第一論點に於て陳述せり然して其實父直吉は未成年者たりし上告人と家を同ふせざりしことは原院に於ける爭點なりし然るに原判决に依れば民法施行以前は實父は未成年者と家を同ふせざるも親權を行使することを得るものにして假令甲第一號證に連印したる齋藤伊三郎齋藤初太郎が親族にあらずとするも該證の金錢貸借は有效なりと判决せられたり原判决は如斯親權の行使は民法實施以前は未成年者と家を同ふせざるも之を行使することを得るものなりと云ふも上告人は此法理及び慣習を認むること能はず何となれば民法に於ける親權の作用の極めて廣大無限にして苟も親權者ある以上は後見人を〓定することを得ずと雖も其實施以前は親權者あるも後見人を選定することは徃々之ありしなり故に民法施行以前は親權の作用極めて狹くして未成年者と家を同ふせずして親權を行使するの慣習存せざることを知るに足るのみならず法理上の解釋としても又不當なること謂はずして明かなり家を同ふせずして親權を行使することを得んとせば未成年者の後見人あるも親權者は遥かに未成年者を代表し諸般の法律行爲を爲し結局後見人との權限相牴觸するに至らん故に原判决が如此論斷したるは法則の適用を誤りし不法の判决なりと云ふに在り
案ずるに民法施行前に在りては未成年者の父母は其子の爲めに後見人を選任し又其選任したる後見人を罷免する權あることを是認したる本院の判例なきにあらずと雖も事情の如何を問はず父母は未成年者たる子の後見人を任免する權を絶對に有することを是認したるものにあらず要するに其後見人あらざるときは親權を行ふことを得べき場合に協定せざるべからざること固より論を待たず何となれば親權を行ふことを得べき者は後見人を選任して自己に代はらしめ又其自ら選任したる後見人をして任務に當らしむるを以て不是なりとするときは之を罷免して自ら親權を行ひ若くは適任者を選定する權あるべきは當然なりとの理由に基きたるに外ならざればなり然り而して親權なるものは親子間恩愛の至情に基きて存在するものなれは其家を同ふすると否とに因りて消長あるべからざるに似たりと雖も家族制度の下に在りては親權の及ぶ所は自ら其家の域内に限定せらるべきことは民法施行前に在りても是認すべき法理なりと云はざるべからず何となれば家あるときは其長あるべきは必至の理なるを以て若し親權をして他家に在る子に及ぶことを得せしむるときは其家長權を侵害し家の存在ろ危くするの恐あればなり又親權者若くは後見人が法律行爲に付て其監護する未成年者を代表する權は其性質絶對的にして相對的のものにあらず即ち甲に對しては代表權なきも乙に對しては代表權ありと云ふが如きことを得ず故に代表權の有無は實体〓依りて定むべきものにして形式に依りて定むべきものにあらざること自ら明瞭なり由是之を觀れば原判决に「前畧形式上被控訴人の後見人は齋藤直吉なりと言はざるを得ず從て其事實を知らざる善意の控訴人に對し直吉が後見人の名を以て爲したる行爲は被後見人たる被控訴人の利害に於て其效力を生ずるものなり」と判示したるは失當なるのみならず齋藤直吉が上告人の後見人たりし戸田勇八の後見を解除して自ら其後見人たることを村長に届出でたる時に當り果して上告人は直吉の家に在りしや否や判示せざるは畢竟判决に理由を附せざる不法あることを免れず本論旨に付て被上告人は本院の判例を引用して論辯するる所あれども如上の説明に依り該判例は本件に適切ならざること自ら感知することを得べし
右理由に依り原判决の全部を破毀するに十分なるを以て他の上告論旨に付ては別に説明せずとて主文の如く判决したり