大正八年(オ)第四百五十六號
大正九年十一月二十四日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 代理權ヲ授與セラレタルコトナキ乙カ擅ニ甲ノ代理資格ヲ冒シ丙ヨリ金圓ヲ借入レ自己ニ之ヲ驅取シタルトキハ丙ハ甲トノ間ニ消費貸借契約ヲ締結スヘキ意思ヲ表示シタルモノニシテ乙ニ對シ該金圓ヲ貸與シ之ヲシテ其所有權ヲ取得セシムル意思ヲ有スルモノニ非サレハ甲ニシテ右乙丙間ノ行爲ヲ追認セサル限リハ該消費貸借ハ無效ナルヲ以テ丙ヨリ乙ニ交付セル金圓ノ所有權ハ他ニ特別ナル事實ナキ限リハ依然丙ニ存スルモノトス
- 一 如上ノ金圓ヲ以テ乙カ甲ノ第三者ニ對シテ負擔スル債務ノ辯濟ニ充テ之ヲシテ消滅ニ歸セシメタルトキハ丙ノ被ムリタル損失ト甲ノ受ケタル利益トハ直接因果關係ヲ有スルヲ以テ甲ハ民法第七百三條ノ規定ニ從ヒ不當利得返還ノ義務ヲ負擔スルモノトス
(參照)法律上ノ原因ナクシテ他人ノ財産又ハ労務ニ因リ利益ヲ受ケ之カ為メニ他人ニ損失ヲ及ホシタル者ハ其利益ノ存スル限度ニ於テ之ヲ返還スル義務ヲ負フ(民法第七百三條) - 一 辨濟ハ債務者カ之ヲ爲スト將又第三者カ爲ストヲ問ハス債務ノ本旨ニ從フコトヲ要スルヲ以テ債務ノ辨濟トシテ他人ノ物ヲ引渡シタルトキハ辨濟トシテ其效ナク之カ爲メ債務ハ消滅ニ歸スルモノニ非サルコトハ民法第四百七十五條ノ旨趣ニ依リ明瞭ナリト雖モ債權者カ同法第百九十二條ノ規定ニ從ヒ又ハ取得時效ニ依リ辨濟トシテ給付ヲ受ケタル物ノ所有權ヲ取得スルニ至リタルトキハ原所有者ニ對シテ其物ノ返還ヲ爲スコトヲ要セサルト同時ニ辨濟者ニ對シテモ亦之カ返還ヲ爲スコトヲ要セス從テ辨濟者ハ更ニ辨濟ヲ爲スコトヲ要セサルニ依リ此場合ニハ債務ハ有效ノ辨濟ニ依リ消滅スルモノト解スルヲ相當トス
(參照)平穩且公然ニ動産ノ占有ヲ始メタル者カ善意ニシテ且過失ナキトキハ即時ニ其動産ノ上ニ行使スル權利ヲ取得ス(民法第百九十二條)
辯濟者カ他人ノ物ヲ引渡シタルトキハ更ニ有效ナル辯濟ヲ爲スニ非サレハ其物ヲ取戻スコトヲ得ス(民法第四百七十五條)
上告人 秋山寅吉
訴訟代理人 江原節
被上告人 小野川鍋次郎
訴訟代理人 佐久間渡
右當事者間ノ不當利得金返還請求事件ニ付東京控訴院カ大正八年三月二十八日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シタリ
主文
本件上告ハ之ヲ棄却ス
上告費用ハ上告人ノ負擔トス
理由
上告論旨第一點ハ原判決ハ訴外鈴木藤吉カ被上告人小野川鍋次郎ヨリ騙取シタル金一千五百圓ヲ以テ上告人秋山寅吉ノ債務ニ屬スル四口合計金七百七十七圓九十五錢三厘ヲ返濟シタルニヨリ結局上告人ハ被上告人ノ財産ニヨリ其債務ヲ免レタルモノニシテ何等ノ法律ノ原因ナク被上告人ノ財産ニヨリ利益ヲ受ケ之レカ爲メニ被上告人ニ同格ノ損失ヲ及ホシタルモノナルヲ以テ右金額ヲ上告人ヨリ被上告人ニ返還スヘキ旨判決セラレタレトモ右不當利得者ハ訴外鈴木藤吉ヨリ辯濟ヲ受ケタル四口ノ債權者ニ對シテ上告人ハ何等ノ利得ヲモ受ケタルコトナク則チ鈴木藤吉ノ辯濟ハ法律上何等ノ行爲ヲモ發生セサルモノナルニ上告人ニ對シ如上ノ義務ヲ命シタル原判決ハ頗ル失當ヲ極メタルモノト思料スト云ヒ』同第五點ハ本件被上告人ノ損失ト上告人ノ利得トハ更ニ何等原因結果ノ關係ナキモノニ屬ス即チ訴外人鈴木藤吉カ上告人名義ノ文書印章ヲ僞造シ被上告人ヨリ詐欺取財ノ犯罪ヲ爲シタル事實ニシテ上告人ノ債務名義ハ被上告人ニ對シ何等ノ效果ヲ及ホスモノニアラス從ツテ被上告人ノ損失ハ鈴木藤吉ニ詐取セラレタル結果ニシテ上告人ノ利得ト何等因果ノ關係ナキモノナルニ拘ハラス上告人ニ義務ヲ命シタルハ失當ナリト思料スト云ヒ』同第六點ハ民法第七百三條ニハ他人ノ財産又ハ勞務ニヨリ利益ヲ受ケ之カ爲ニ他人ニ損失ヲ及ホシタル者云云ト規定シアリテ他人ノ財産又ハ勞務ニヨリ利益ヲ受ケタルカ爲ニ其他人ニ損失ヲ及ホシタルモノニアラサレハ不當利得返還ノ義務ヲ生セサルモノトナセリ故ニ他人ノ損失ト受益者ノ利益トハ直接ノ因果關係アルコトヲ要シ若シ其受益ノ發生原因ト其損失ノ發生原因トハ直接ニ關聯セスシテ中間ノ事實介在セル場合ニ於テハ他人ノ損失ハ利益ノ爲メニ生シタルモノト云フヲ得サルヲ以テ受益者ハ其他人ニ對シ不當利得返還ノ責ニ任スルコトナキモノトス是レ御院判例ノ是認スル所ナリ(明治四十三年(オ)第四二二號明治四十四年五月二十日言渡御院判決大正八年(オ)第二〇三號大正八年十月二十日言渡御院判決各參照)ト謂フニ在リ
仍テ按スルニ原院ノ認メタル事實ニヨレハ訴外鈴木藤吉ハ上告人ノ代理人ト詐稱シ上告人ノ名ヲ以テ被上告人ヨリ金一千五百圓ヲ借入レ該金員ヲ以テ上告人ノ訴外人ニ對スル四口ノ債務合計金七百七十七圓九十五錢三厘ヲ辯濟シタルモノニシテ而カモ上告人ハ該借入行爲ヲ追認セサリシト云フニ在リテ右ノ事實ニヨレハ被上告人ハ上告人トノ間ニ金一千五百圓ノ消費貸借契約ヲ締結スヘキ意思ヲ表示シタルモノニシテ固ヨリ鈴木藤吉ニ對シ該金圓ヲ貸與シ同人ヲシテ其所有權ヲ取得セシムルノ意思ヲ有スルモノニアラス而シテ鈴木藤吉ハ上告人ヨリ何等代理權ヲ授與セラレタルコトナキニ拘ラス擅ニ其代理資格ヲ冒シ自己ニ其金圓ヲ騙取シタルモノニ係リ上告人ハ該借入行爲ヲ追認セサリシモノナレハ右一千五百圓ノ消費貸借ハ無效ニシテ此無效ノ契約ニ基キ被上告人ヨリ鈴木藤吉ニ交付シタル金圓ハ他ニ特別ナル事實ナキ限リハ依然トシテ被上告人ノ所有ニ屬スルモノト謂ハサルヘカラス從テ原院ニ於テ右鈴木藤吉カ被上告人ヨリ騙取シタル金員ノ所有權ハ藤吉ニ歸スルコトナク依然被上告人ニ在リトナシタルハ至當ナリトス而シテ鈴木藤吉ハ右被上告人ノ所有ニ係ル金員ヲ以テ上告人ノ訴外人ニ對シテ負擔スル四口ノ債務ノ辯濟ニ充テ第四點論旨ニ付キ説明スル如ク其債務ハ消滅ニ歸スルモノナレハ被上告人ノ被ムリタル損失ト上告人ノ受ケタル利益トハ直接因果關係ヲ有シ從テ上告人ハ民法第七百三條ノ規定ニ從ヒ不當利得返還ノ義務ヲ負擔スヘキハ勿論ナルニヨリ原院カ上告人ニ對シ其利得金ノ支拂ヲ命シタルハ正當ナリトス上告人援用ノ本院判例ハ本件ト其場合ヲ異ニスルニヨリ採テ以テ範ト爲スニ足ラス依テ本論旨ハ總テ理由ナシ(判旨第一點)
上告論旨第二點ハ被上告人(原告)請求ノ要旨ハ被上告人ハ大正五年八月二十三日金千五百圓ヲ上告人所有ノ土地ヲ抵當トシテ同人ニ貸與シタル所右ハ訴外鈴木藤吉カ上告人ノ印章ヲ僞造シ以テ被上告人ヲ欺キ上告人名義ヲ籍リテ同人ヨリ右金圓ヲ借入シタル無效ノ行爲ナリトノ事由ニヨリ右抵當權設定登記ヲ抹消セラレタリ而シテ訴外藤吉ハ被上告人ヨリ上告人ノ代理ト稱シテ請取リタル前示金圓ヲ以テ上告人カ第一株式會社農工銀行ニ金百三十八圓八十六錢第二田中要次郎ニ金二百九十二圓六十二錢五厘第三遠藤高助ニ金二百八圓第四中山吉平ニ金百三十八圓四十六錢八厘ヲ負擔セル債務合計金七百七十七圓九十五錢三厘ノ辯濟ヲ爲シタル結果上告人ハ何等法律上ノ原因ナクシテ自己ノ債務ヲ免レ被上告人ハ爲メニ財産上ノ損失ヲ生シタルニ外ナラサレハ上告人ニ對シ返還ヲ求ムト云フニ在リ而シテ別事件上告状ヲ提出シタル訴外鈴木金三郎ヨリ上告人ニ對シ之レ又同一事實ノ主張ニヨリ同シク上告人ニ對シ鈴木藤吉カ右四口ノ債務金七百七十七圓九十五錢三厘ヲ辯濟シタルハ同人ニ於テ代位辯濟ヲ示シタルモノトシテ轉付金請求ヲ爲シ是ニ對シ原裁判所同一係判事ハ同時ニ審理上同日上告人ニ對シ同シク金二百九十二圓六十二錢ノ支拂ヲ命シタリ右ハ假リニ上告人カ鈴木藤吉ノ行爲ニヨリ金七百七十七圓餘ノ債務ヲ免レタリトスルモ其以上ノ義務ヲ負擔スヘキ筋合無之筈ナルニ原裁判所ハ被上告人ニ對シ第一、二審分合計金七百七十七圓九十五錢三厘ノ義務ヲ命シ同時ニ訴外鈴木金三郎ニ對シ二百九十二圓六十二錢ノ支拂ヲ命シタルハ失當ヲ極メタルモノト思料スト謂フニ在リ
然レトモ所論訴外鈴木金三郎ヨリ上告人ニ對シ鈴木藤吉ニ於テ上告人カ訴外人ニ對シ負擔スル四口ノ債務金七十七十七圓九十五錢三厘ヲ代位辯濟シタリトシテ之カ轉付金ノ請求ヲナシ原院カ上告人ニ對シ金二百九十二圓六十二錢ノ支拂ヲ命シタリトノコトハ本件ニ付キ全ク原院ノ認メサル所ナレハ本論旨ハ原判旨ニ副ハサルニヨリ採用スルニ由ナキモノトス
上告論旨第三點ハ上告人ハ自己ノ債權者ニ負擔シ居タル四口ノ債務金七百七十七圓九十五錢三厘ヲ鈴木藤吉カ辯濟ノ事實ハ之ヲ認ムルモ上告人ニ對スル辯濟ノ效力ハ之ヲ否認セルモノナルヲ以テ鈴木藤吉カ本件第二ノ債務ニ付保證人タル場合ヲ除キテハ民法第四百七十四條第二項ニ依リテ縱令債權者カ鈴木藤吉ノ辯濟ヲ受領セリトスルモ該辯濟行爲ハ無效ナルカ故ニ上告人ノ該債務ハ消滅セサルヲ以テ上告人ハ法律上何等ノ利益ヲ受クルコトナキ筈ナリト云フニ在リ
然レトモ所論ノ鈴木藤吉カ上告人ノ訴外人ナ對スル四口ノ債務ヲ辯濟シタルハ上告人ノ意思ニ反スルモノナリトノコトハ原院ニ於テ上告人カ特ニ論爭シタル形述アルコトナキニヨリ右鈴木藤吉ノ辯濟行爲ハ上告人ノ意思ニ反セサルモノト謂ハサルヘカラス然ラハ原院カ右ノ辯濟行爲ニヨリ上告人ノ訴外人ニ對スル四口ノ債務ハ消滅ニ歸シ從テ上告人ハ法律上ノ原因ナクシテ被上告人ノ財産ニヨリ利益ヲ受ケ之カ爲メ被上告人ニ損失ヲ及ホシタルモノトシテ之カ利得金ノ支拂ヲ上告人ニ命シタルハ至當ナリ依テ本論旨ハ理由ナシ
上告論旨第四點ハ又本件第二ノ債務ニ就キテハ前審ニ認定セル如ク他人ノ物ヲ以テ辯濟ヲナセルモノナルカ故ニ辯濟カ債務ノ本旨ニ從ハサルノ故ヲ以テ效力ヲ生セサルハ明カナリ辯濟ノ目的物カ金錢ナルカ故ニ民法四百七十七條ニヨリ該辯濟行爲ノ有效ナル場合アリトスルモ四百七十七條ハ任意的規定ナルカ故ニ適用アルヤ否ヤハ債權者ノ意思如何ニアリ然カモ四百七十七條ノ要件備ハリシヤ否ヤモ不明ナルニ原審ニ於テハ漫然鈴木藤吉ノ辯濟ニ因リテ上告人カ債務ヲ免レタリトナシ之カ前提ノ下ニ該債務消滅ノ法律上ノ理由ヲモ明ニセス被上告人ノ不當利得ニ因ル請求ヲ認メタルハ法律ヲ適用セサルノミナラス法律ヲ不當ニ適用セルモノナリト云フニ在リ
仍テ按スルニ辯濟ハ債務者カ之カ爲スト將又第三者カ爲ストヲ問ハス債務ノ本旨ニ從フコトヲ要スルヲ以テ債務ノ辯濟トシテ他人ノ物ヲ引止シタルトキハ辯濟トシテ其效ナク之カ爲メ債務ハ消滅ニ歸スルモノニアラサルコトハ民法第四百七十五條ノ規定ノ旨趣ニヨリ明瞭ナリト雖モ債權者カ同法第百九十二條ノ規定ニ從ヒ又ハ取得時效ニヨリ辯濟トシテ給付ヲ受ケタル物ノ所有權ヲ取得スルニ至リタルトキハ原所有者ニ對シテ其物ノ返還ヲ爲スコトヲ要セサルト同時ニ辯濟者ニ對シテモ亦之カ返還ヲ爲スコトヲ要セス從テ辯濟者ハ更ニ辯濟ヲ爲スコトヲ要セサルニヨリ此場合ニハ債務ハ有效ノ辯濟ニヨリ消滅ニ歸スルモノト解スルヲ相當トス本件ニ付キ原院ノ判示スル所ヲ觀ルニ其理由ノ中段ニ於テ(判旨第四點)
「本件ニ於テ第一審原告(被上告人)ヨリ訴外鈴木藤吉ニ交付シタル前記金員ハ鈴木藤吉ノ所有ニ歸スルコトナク鈴木藤吉ヨリ右金員ヲ以テ辯濟ヲ受ケタル第一審被告(上告人)ノ債權者ハ第一審原告ノ財産ニヨリ辯濟ヲ受ケタルモノト謂ハサルヲ得ス然レハ其辯濟ニヨリ其債務ヲ免レチル第一審被告ハ法律上ノ原因ナクシテ第一審原告ノ財産ニヨリ利益ヲ受ケ之カ爲ニ第一審原告ニ同額ノ損失ヲ及ホシタルモノニ該當シ」ト説示シ判示簡ニ失スルノ憾アリト雖モ其旨趣タル上告人ノ債權者ハ訴外鈴木藤吉カ辯濟トシテ交付シタル金員カ其實鈴木藤吉カ上告人ノ名ニ於テ被上告人ヨリ騙取シタルモノナルコト及ヒ之カ所有權ノ被上告人ニ存スルモノナルコトヲ知ラス即チ善意ニシテ平穩且公然ニ該金員ノ占有ヲナシ且過失ナカリシニヨリ之カ所有權ヲ取得スルニ至リ從テ訴外人ノ上告人ニ對スル四口ノ債權ハ有效ナル辯濟ニヨリ消滅シタルコトヲ認メタルモノナルコトヲ看取シ得ヘシ然ラハ上告人ハ結局法律上ノ原因ナクシテ被上告人ノ財産ニヨリ訴外人ニ對スル債務ノ履行ヲ免レ利益ヲ受ケタルト同時ニ被上告人ニ損失ヲ及ホシタルモノナルヲ以テ之カ利得ノ返還ノ責ニ任スヘキハ勿論ナリトス依テ本論旨ハ理由ナシ
以上説明スル如ク本件上告ハ理由ナキニヨリ民事訴訟法第四百五十二條第七十七條ノ規定ニ從ヒ主文ノ如ク判決ス
大正八年(オ)第四百五十六号
大正九年十一月二十四日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 代理権を授与せられたることなき乙が擅に甲の代理資格を冒し丙より金円を借入れ自己に之を駆取したるときは丙は甲との間に消費貸借契約を締結すべき意思を表示したるものにして乙に対し該金円を貸与し之をして其所有権を取得せしむる意思を有するものに非ざれば甲にして右乙丙間の行為を追認せざる限りは該消費貸借は無効なるを以て丙より乙に交付せる金円の所有権は他に特別なる事実なき限りは依然丙に存するものとす。
- 一 如上の金円を以て乙が甲の第三者に対して負担する債務の弁済に充で之をして消滅に帰せしめたるときは丙の被むりたる損失と甲の受けたる利益とは直接因果関係を有するを以て甲は民法第七百三条の規定に従ひ不当利得返還の義務を負担するものとす。
(参照)法律上の原因なくして他人の財産又は労務に因り利益を受け之が為めに他人に損失を及ぼしたる者は其利益の存する限度に於て之を返還する義務を負ふ。
(民法第七百三条) - 一 弁済は債務者が之を為すと将又第三者が為すとを問はず債務の本旨に従ふことを要するを以て債務の弁済として他人の物を引渡したるときは弁済として其効なく之が為め債務は消滅に帰するものに非ざることは民法第四百七十五条の旨趣に依り明瞭なりと雖も債権者が同法第百九十二条の規定に従ひ又は取得時効に依り弁済として給付を受けたる物の所有権を取得するに至りたるときは原所有者に対して其物の返還を為すことを要せざると同時に弁済者に対しても亦之が返還を為すことを要せず。
従て弁済者は更に弁済を為すことを要せざるに依り此場合には債務は有効の弁済に依り消滅するものと解するを相当とす。
(参照)平穏、且、公然に動産の占有を始めたる者が善意にして、且、過失なきときは即時に其動産の上に行使する権利を取得す。
(民法第百九十二条)
弁済者が他人の物を引渡したるときは更に有効なる弁済を為すに非ざれば其物を取戻すことを得ず。
(民法第四百七十五条)
上告人 秋山寅吉
訴訟代理人 江原節
被上告人 小野川鍋次郎
訴訟代理人 佐久間渡
右当事者間の不当利得金返還請求事件に付、東京控訴院が大正八年三月二十八日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為し被上告人は上告棄却の申立を為したり。
主文
本件上告は之を棄却す
上告費用は上告人の負担とす。
理由
上告論旨第一点は原判決は訴外鈴木藤吉が被上告人小野川鍋次郎より騙取したる金一千五百円を以て上告人秋山寅吉の債務に属する四口合計金七百七十七円九十五銭三厘を返済したるにより結局上告人は被上告人の財産により其債務を免れたるものにして何等の法律の原因なく被上告人の財産により利益を受け之れが為めに被上告人に同格の損失を及ぼしたるものなるを以て右金額を上告人より被上告人に返還すべき旨判決せられたれども右不当利得者は訴外鈴木藤吉より弁済を受けたる四口の債権者に対して上告人は何等の利得をも受けたることなく則ち鈴木藤吉の弁済は法律上何等の行為をも発生せざるものなるに上告人に対し如上の義務を命じたる原判決は頗る失当を極めたるものと思料すと云ひ』同第五点は本件被上告人の損失と上告人の利得とは更に何等原因結果の関係なきものに属す。
即ち訴外人鈴木藤吉が上告人名義の文書印章を偽造し被上告人より詐欺取財の犯罪を為したる事実にして上告人の債務名義は被上告人に対し何等の効果を及ぼすものにあらず。
従って被上告人の損失は鈴木藤吉に詐取せられたる結果にして上告人の利得と何等因果の関係なきものなるに拘はらず上告人に義務を命じたるは失当なりと思料すと云ひ』同第六点は民法第七百三条には他人の財産又は労務により利益を受け之が為に他人に損失を及ぼしたる者云云と規定しありて他人の財産又は労務により利益を受けたるか為に其他人に損失を及ぼしたるものにあらざれば不当利得返還の義務を生ぜざるものとなせり。
故に他人の損失と受益者の利益とは直接の因果関係あることを要し若し其受益の発生原因と其損失の発生原因とは直接に関連せずして中間の事実介在せる場合に於ては他人の損失は利益の為めに生じたるものと云ふを得ざるを以て受益者は其他人に対し不当利得返還の責に任ずることなきものとす。
是れ御院判例の是認する所なり。
(明治四十三年(オ)第四二二号明治四十四年五月二十日言渡御院判決大正八年(オ)第二〇三号大正八年十月二十日言渡御院判決各参照)と謂ふに在り
仍て按ずるに原院の認めたる事実によれば訴外鈴木藤吉は上告人の代理人と詐称し上告人の名を以て被上告人より金一千五百円を借入れ該金員を以て上告人の訴外人に対する四口の債務合計金七百七十七円九十五銭三厘を弁済したるものにして而かも上告人は該借入行為を追認せざりしと云ふに在りて右の事実によれば被上告人は上告人との間に金一千五百円の消費貸借契約を締結すべき意思を表示したるものにして固より鈴木藤吉に対し該金円を貸与し同人をして其所有権を取得せしむるの意思を有するものにあらず。
而して鈴木藤吉は上告人より何等代理権を授与せられたることなきに拘らず擅に其代理資格を冒し自己に其金円を騙取したるものに係り上告人は該借入行為を追認せざりしものなれば右一千五百円の消費貸借は無効にして此無効の契約に基き被上告人より鈴木藤吉に交付したる金円は他に特別なる事実なき限りは依然として被上告人の所有に属するものと謂はざるべからず。
従て原院に於て右鈴木藤吉が被上告人より騙取したる金員の所有権は藤吉に帰することなく依然被上告人に在りとなしたるは至当なりとす。
而して鈴木藤吉は右被上告人の所有に係る金員を以て上告人の訴外人に対して負担する四口の債務の弁済に充で第四点論旨に付き説明する如く其債務は消滅に帰するものなれば被上告人の被むりたる損失と上告人の受けたる利益とは直接因果関係を有し。
従て上告人は民法第七百三条の規定に従ひ不当利得返還の義務を負担すべきは勿論なるにより原院が上告人に対し其利得金の支払を命じたるは正当なりとす。
上告人援用の本院判例は本件と其場合を異にするにより採で以て範と為すに足らず。
依て本論旨は総で理由なし。
(判旨第一点)
上告論旨第二点は被上告人(原告)請求の要旨は被上告人は大正五年八月二十三日金千五百円を上告人所有の土地を抵当として同人に貸与したる所右は訴外鈴木藤吉が上告人の印章を偽造し以て被上告人を欺き上告人名義を籍りて同人より右金円を借入したる無効の行為なりとの事由により右抵当権設定登記を抹消せられたり。
而して訴外藤吉は被上告人より上告人の代理と称して請取りたる前示金円を以て上告人が第一株式会社農工銀行に金百三十八円八十六銭第二田中要次郎に金二百九十二円六十二銭五厘第三遠藤高助に金二百八円第四中山吉平に金百三十八円四十六銭八厘を負担せる債務合計金七百七十七円九十五銭三厘の弁済を為したる結果上告人は何等法律上の原因なくして自己の債務を免れ被上告人は為めに財産上の損失を生じたるに外ならざれば上告人に対し返還を求むと云ふに在り。
而して別事件上告状を提出したる訴外鈴木金三郎より上告人に対し之れ又同一事実の主張により同じく上告人に対し鈴木藤吉が右四口の債務金七百七十七円九十五銭三厘を弁済したるは同人に於て代位弁済を示したるものとして転付金請求を為し是に対し原裁判所同一係判事は同時に審理上同日上告人に対し同じく金二百九十二円六十二銭の支払を命じたり右は仮りに上告人が鈴木藤吉の行為により金七百七十七円余の債務を免れたりとするも其以上の義務を負担すべき筋合無之筈なるに原裁判所は被上告人に対し第一、二審分合計金七百七十七円九十五銭三厘の義務を命じ同時に訴外鈴木金三郎に対し二百九十二円六十二銭の支払を命じたるは失当を極めたるものと思料すと謂ふに在り
然れども所論訴外鈴木金三郎より上告人に対し鈴木藤吉に於て上告人が訴外人に対し負担する四口の債務金七十七十七円九十五銭三厘を代位弁済したりとして之が転付金の請求をなし原院が上告人に対し金二百九十二円六十二銭の支払を命じたりとのことは本件に付き全く原院の認めざる所なれば本論旨は原判旨に副はざるにより採用するに由なきものとす。
上告論旨第三点は上告人は自己の債権者に負担し居たる四口の債務金七百七十七円九十五銭三厘を鈴木藤吉が弁済の事実は之を認むるも上告人に対する弁済の効力は之を否認せるものなるを以て鈴木藤吉が本件第二の債務に付、保証人たる場合を除きては民法第四百七十四条第二項に依りて縦令債権者が鈴木藤吉の弁済を受領せりとするも該弁済行為は無効なるが故に上告人の該債務は消滅せざるを以て上告人は法律上何等の利益を受くることなき筈なりと云ふに在り
然れども所論の鈴木藤吉が上告人の訴外人な対する四口の債務を弁済したるは上告人の意思に反するものなりとのことは原院に於て上告人が特に論争したる形述あることなきにより右鈴木藤吉の弁済行為は上告人の意思に反せざるものと謂はざるべからず。
然らば原院が右の弁済行為により上告人の訴外人に対する四口の債務は消滅に帰し。
従て上告人は法律上の原因なくして被上告人の財産により利益を受け之が為め被上告人に損失を及ぼしたるものとして之が利得金の支払を上告人に命じたるは至当なり。
依て本論旨は理由なし。
上告論旨第四点は又本件第二の債務に就きては前審に認定せる如く他人の物を以て弁済をなせるものなるが故に弁済が債務の本旨に従はざるの故を以て効力を生ぜざるは明かなり。
弁済の目的物が金銭なるが故に民法四百七十七条により該弁済行為の有効なる場合ありとするも四百七十七条は任意的規定なるが故に適用あるや否やは債権者の意思如何にあり然かも四百七十七条の要件備はりしや否やも不明なるに原審に於ては漫然鈴木藤吉の弁済に因りて上告人が債務を免れたりとなし之が前提の下に該債務消滅の法律上の理由をも明にせず被上告人の不当利得に因る請求を認めたるは法律を適用せざるのみならず法律を不当に適用せるものなりと云ふに在り
仍て按ずるに弁済は債務者が之か為すと将又第三者が為すとを問はず債務の本旨に従ふことを要するを以て債務の弁済として他人の物を引止したるときは弁済として其効なく之が為め債務は消滅に帰するものにあらざることは民法第四百七十五条の規定の旨趣により明瞭なりと雖も債権者が同法第百九十二条の規定に従ひ又は取得時効により弁済として給付を受けたる物の所有権を取得するに至りたるときは原所有者に対して其物の返還を為すことを要せざると同時に弁済者に対しても亦之が返還を為すことを要せず。
従て弁済者は更に弁済を為すことを要せざるにより此場合には債務は有効の弁済により消滅に帰するものと解するを相当とす。
本件に付き原院の判示する所を観るに其理由の中段に於て(判旨第四点)
「本件に於て第一審原告(被上告人)より訴外鈴木藤吉に交付したる前記金員は鈴木藤吉の所有に帰することなく鈴木藤吉より右金員を以て弁済を受けたる第一審被告(上告人)の債権者は第一審原告の財産により弁済を受けたるものと謂はざるを得ず。
然れば其弁済により其債務を免れちる第一審被告は法律上の原因なくして第一審原告の財産により利益を受け之が為に第一審原告に同額の損失を及ぼしたるものに該当し」と説示し判示簡に失するの憾ありと雖も其旨趣たる上告人の債権者は訴外鈴木藤吉が弁済として交付したる金員が其実鈴木藤吉が上告人の名に於て被上告人より騙取したるものなること及び之が所有権の被上告人に存するものなることを知らず。
即ち善意にして平穏、且、公然に該金員の占有をなし、且、過失なかりしにより之が所有権を取得するに至り。
従て訴外人の上告人に対する四口の債権は有効なる弁済により消滅したることを認めたるものなることを看取し得べし。
然らば上告人は結局法律上の原因なくして被上告人の財産により訴外人に対する債務の履行を免れ利益を受けたると同時に被上告人に損失を及ぼしたるものなるを以て之が利得の返還の責に任ずべきは勿論なりとす。
依て本論旨は理由なし。
以上説明する如く本件上告は理由なきにより民事訴訟法第四百五十二条第七十七条の規定に従ひ主文の如く判決す