大正九年(オ)第四百八十八號
大正九年十月二十八日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 明治八年五月二日及ヒ同年五月十五日ノ太政官指令ニ所謂幼者又ハ幼稚トハ當時ノ用語トシテ未タ意思能力ヲ有セサル者ヲモ含ム旨趣ナルコト疑ナキ所ニシテ民法施行以前ニ於テハ意思無能力者ト雖モ場合ニ依リ分家ヲ爲スヲ得タリシコト明カナリ而シテ分家ハ本人カ意思能力ナキ者ナルトキハ父母代リテ之ヲ爲スヲ得タルコト養子縁組ノ場合ニ養子ト爲ルヘキ者カ幼者ナルトキハ父母代リテ縁組ヲ承諾スルヲ得タルト同樣ナリシヲ以テ分家當時六年三个月ノ幼者ニシテ意思能力ヲ有セサリシニセヨ其分家ヲ無效ナリト謂フヲ得サルモノトス(判旨第一點)
- 一 民法實施行ノ法規ニ於テハ養嗣子ニ非サル養子カ養親ノ家督相續ヲ爲スヘキヤ否ヤハ養親ノ意思如何ニ因リテ定マルヘキ事實上ノ問題ナリトス(判旨第三點)
上告人 川島源吉
被上告人 川島一郎
法律上代理人 川島こま
右當事者間ノ家督相續囘復請求事件ニ付大阪控訴院カ大正九年四月一日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シタリ
主文
山件上告ハ之ヲ棄却ス
上告費用ハ上告人ノ負擔トス
理由
上告論旨第一點ハ原判決ニ曰ク「明治八年五月二日ノ太政官指令ニハ後見ヲ立テ願出ツル時ハ幼稚ト雖モ事ニ害ナキ分ニ限リ聽許ストアリ同月十五日ノ太政官指令ニハ幼者ト雖後見人ヲ立ツル以上ハ分家分籍不苦トアリ而カモ右五月十五日ノ指令ハ士民幼稚ノ子弟云云分家分籍ヲ願出ル者有之後見人相立候節ハ幼稚ト雖聞届不苦候哉トノ伺ニ對スルモノニシテ五月二日ノ指令ニ幼稚ト雖モト云ヒ五月十五日ノ指令ニ幼者トイヘルハ其意義同一ナリト解スヘク尚右指令ヲ明治十年一月十七日ノ太政官指令明治十六年十月十二日及明治十七年十一月十三日ノ内務省指令明治二十三年四月十七日ノ司法省指令ニ對照考覈スレハ右所謂幼者トハ意思能力ナキ者ヲモ包含スル意義ナリト解スルヲ相當トシ即舊法時代ニ於テハ意思能力ナキ幼者モ場合ニヨリ分家ヲ爲スヲ得タルモノニシテ絶對ニ分家スルヲ得サリシニハ非サルカ故ニ」云云ト按スルニ明治維新以前ニ在テハ士流以上ノ分家ハ絶對ニ禁止セラレタル所ニシテ次男以下ハ養子ト爲リテ他姓ヲ冒スカ又ハ別祿ヲ以テ出仕スルニ非サレハ一戸ヲ成スコト能ハサリシナリ庶民ニ在テハ分家ヲ爲スコトヲ得タリト雖モ戸主タルニ堪ヘサル者ハ分家ヲ爲スコトヲ得ス即チ分家ヲ爲ス者ハ獨立ノ生計ヲ立テ得ル能力者タルコトヲ要シタリシナリ且庶民ニ在リテモ祖父母父母(戸主)在ス間ハ子孫(家族)ハ分家ヲ爲スコトヲ得ス之ニ反スル者ハ處罰セラルヘキ旨ノ舊法ハ原則トシテ尚ホ其效力ヲ有シタリシナリ明治維新ノ後此制大ニ弛ミ漸ク分家濫行ノ弊ヲ生シ甚タシキハ徴兵忌避ノ爲メニ之ヲ行フ者アルニ至リシト雖モ然レトモ當時家族ハ未タ財産所有ノ權利ヲ有セスシテ戸主ハ之ヲ扶養保護スルノ義務アリシヲ以テ戸主タルニ堪ヘサル家族ヲ分家スルカ如キハ絶對ニ之ナカリシ所ナリ且分家行爲ハ民法施行前ニ於テモ分家者ノ任意行爲ニシテ其自由意思ニ本ツカサルヘカラサルカ故ニ分家者ノ意思ニ反シテ之ヲ爲シ又ハ法定代理人カ意思無能力者ニ代ハリテ之ヲ爲スコトヲ得ス從テ意思無能力者タル未成年ノ家族ハ絶對ニ分家ヲ爲スコトヲ得サルハ貴院判例ニ於テモ屡々認メラルル所ナリ(明治三十四年(オ)第二七五號無效相續取消請求ノ件明治三十五年二月一日民事第一部判決明治三十四年(オ)第五一二號不動産讓與登記取消請求ノ件明治三十五年四月三十日民事第一部判決明治三十七年(オ)第三四三號戸籍取消入籍請求ノ件明治三十七年九月二十四日民事第一部判決)上告人カ分家ノ當時六年三个月ノ幼者ニシテ絶對的意思無能力者ナルコトハ爭ナキ事實ナルカ故ニ戸主タルニ堪ヘサル者ナリシコトハ勿論分家カ身分上ニ及ホスヘキ利害關係ヲ辨識スルノ力ナカリシコトモ亦固ヨリ明白ナルカ故ニ本件分家ハ當然無效ナリト斷定セサルヘカラス思フニ幼者ト雖モ後見人ヲ立テ願出ツルトキハ分家ヲ聽許スル旨ノ指令ノ如キハ極メテ稀有例外ノ場合ニシテ既ニ之ニ反對スル判例ニシテ存スル以上ハ其效力ヲ失ヒタルモノト謂フヘク從テ判例ノ旨趣ニ從フヘキコト勿論ナリトスト云フニ在リ
然レトモ原判決ニ引用スル明治五年五月二日ノ太政官指令ニ後見ヲ立テ願出ツル時ハ幼稚ト雖モ事ニ害ナキ分ニ限リ聽許ストアリ又同年五月十五日ノ太政官指令ニ幼者ト雖モ後見人ヲ立ツル以上ハ分家分籍不苦トアリ所謂幼者又ハ幼稚トハ當時ノ用語トシテ未タ意思能力ヲ有セサル者ヲモ含ム旨趣ナルコト疑ナキ所ニシテ民法施行以前ニ於テハ意思無能力者ト雖モ場合ニヨリ分家ヲ爲スヲ得タリシコト明ナリ而シテ分家ハ本人カ意思能力ナキ者ナルトキハ父母代リテ之ヲ爲スヲ得タルコト養子縁組ノ場合ニ養子ト爲ルヘキ者カ幼者ナルトキハ父母代リテ縁組ヲ承諾スルヲ得タル(大正四年(オ)第二二七號同年二月十六日言渡)ト同樣ナリシヲ以テ上告人カ分家當時六年三个月ノ幼者ニシテ意思能力ヲ有セサリシニセヨ之ヲ理由トシテ直ニ其分家ヲ無效ナリト謂フ可ラス故ニ原院カ舊法時代ニ於テハ意思能力ナキ幼者モ場合ニヨリ分家ヲ爲スヲ得タル旨判示シタルハ不法ニアラス上告人ノ引用スル本院判例ハ分家ハ任意行爲ナルカ故ニ廢嫡ニ付キ被廢嫡者ノ承諾ヲ必要トセサル事例ヲ以テ之ヲ律ス可ラサルコト又キ分家ト廢嫡トハ別箇ノ事柄ナレハ分家アリタルノ故ヲ以テ直ニ廢嫡ヲ了シタリト推定ス可カラサルコト若クハ隱居ハ後見人カ幼者ニ代リテ之ヲ爲スヲ得サルコト等ヲ示シタルニ過キスシテ意思能力ナキ患者ハ絶對ニ分家ヲ爲スコトヲ得サルモノト爲シタルニ非サレハ本論旨ハ理由ナシ(判旨第一點)
同第二點ハ原判決ニ曰ク「既ニ戸籍上分家サレアル以上ハ相當手續ニ從ヒ適法ニ分家サレタルモノト推定スヘク此分家ノ無效ナルコトヲ主張スル被控訴人(上告人)ハ之ヲ立證スルノ責アリトス」ト原判決ハ其終末ニ於テ又曰ク「被控訴代理人ハ尚意願無能力者モ場合ニヨリ分家シ得タルモノトスルモ後見人ヲ立テ出願許可ノ手續ヲ經サルヘカラサルニ本件ニ於テ此事ナカリシコト明白ナリト云フモ本件分家カ相當手續ニヨラサル無效ノモノナリト認ムヘキ何等ノ證據ナキカ故ニ此點ニ於ケル被控訴人ノ主張モ採用シ難シ」ト按スルニ原判決ノ旨趣ハ舊法時代ニ於テ意者能力ナキ幼者モ後見人ヲ立テ出願許可ノ手續ヲ經タルトキハ分家ヲ爲シ得タルモノナルカ故ニ既ニ戸籍上分家ノ登記アル以上ハ適法ニ分家セラレタルモノト推定スヘク若シ此分家カ富適法即チ後見人ヲ立テ出願許可ノ手續ヲ經サルモノナリト主張スル上告人ハ擧證ノ責任アリ然ルニ上告人ハ之ヲ證明セス故ニ上告人ノ請求ハ棄却スヘキモノナリト云フコトニ歸宿ス然レトモ原判決ノ此理由ハ大ナル違法ヲ包藏スルモノナリ明治二十七年即チ本件分家アリタル當時ノ法令ニ依レハ願濟ノ上分家ヲ爲シタル者ハ必ス其旨ヲ戸籍ニ登記セサルヘカラサルノ規則ナリシナリ即チ明治十九年十月十六日内務省訓令第二十號ニ規定セル戸籍登記書式第一ノ備考ニ「願濟又ハ確定裁判言渡ニ係ル事項ハ何年何月何日願濟云云又ハ何年何月何日何地何裁判所裁判言渡云云ト記スヘシ」トアリ故ニ本件上告人ノ分家カ果シテ後見人ヲ立テ出願委可ノ手續ヲ經タルモノナランニハ當然戸籍ニ願濟分家ト記載セラルヘキ筈ナルニ甲第一號證戸籍謄本ニ依レハ單ニ分家ト記載セラルルノミニシテ願濟ノ文字ナシ同號證中願濟ニ係ル事項ニ就キテハ悉ク願濟引渡若クハ願濟復歸等ノ文字アルニ獨リ上告人ノ分家ニ就キテノミ願濟分家トノ記載ナキニ依リテ見レハ本件分家カ願濟ノモノニ非サルコトハ極メテ明白ニシテ又何等立證ノ必要ナシ從テ擧證責任ノ問題ヲ生セス然ルニ原判決カ上告人ニ立證ノ責アリト云フハ是明ニ法令ニ違背スルモノナリ假ニ擧證責任ノ問題ヲ生ストスルモ其責任ノ所屬ハ上告人ニ在ラスシテ被上告人ニ在リ而モ原判決中ニ上告人カ明治二十七年十月十日養子ト爲レル當日直チニ分家シタル旨ヲ二囘マテモ反覈言明セラルル所ニシテ一日中ニ縁組届出ニ次イテ直チニ分家届出ヲ爲シ其間ニ官廳ニ對シテ出願委可ノ手續ヲ經ルカ如キハ到底想像シ能ハサル所ナルカ故ニ本件分家カ願濟ノ手續ヲ經サルコトハ極メテ明白ニシテ之ヲ反證スルコトハ絶對不能ノ事タリ然ルニ原判決ニ於テ被控訴代理人(上告人)ハ本件ニ於テ願濟ノ事實ナカリシコトハ明白ナリト云フモ何等ノ證據ナキカ故ニ採用シ難シテ判示セラレタルモ願濟ノ事實ナカリシコトハ既ニ判現自體中ニ或ハ無意識的ニ明認セラルル所ナリ故ニ假リニ擧證責任ノ問題ヲ生ストスルモ原判決ハ其責任ノ所屬ヲ顛倒シ且明白ノ證據ヲ否定スルモノナリ既ニ法律上戸籍ニ願濟ノ記載ナク又事實上願濟ノ事實ナシ然ルニ原判決カ(一)法令ニ違背シ(二)擧證ノ責任ヲ顛倒シ(三)明白ノ證量ヲ否定シ強ヒテ上告人ノ請求ヲ排却セラルルハ洵ニ不可解ノ事ニ屬スト云フニ在リ
然レトモ上告人ハ戸籍上分家者ナルニ其分家カ無效ナルコトヲ主張シテ本訴請求ヲ爲スモノナレハ此場合上告人ニ其主張事實ヲ證明スル責任アルコト多言ヲ要セス故ニ原院カ上告人ニ擧證ノ責任アリト爲シタルハ毫モ不法ニ非ス又原院ハ幼者ノ分家ニ付出願許可ノ手續ヲ要スタルニセヨ甲第一號證中上告人ノ分家ニ付願濟ナル旨ノ記載ナキコト及ヒ縁組届出ニ次テ同日分家ノ届出ヲ爲シタルコトノ如キ等ハ其分家カ相當手續ニ依ラサル無效ノモノナルコトヲ認ムルニ足ラストシ即チ出願許可ノ手續ナカリシコト明白ナリトノ上告人主張ヲ排斥シタルニ外ナラサルコト判文上自明ナルヲ以テ本論旨ハ畢竟證據ノ取捨事實ノ認定ニ對スル非難ニシテ上告ノ理由タラサルモノトス
同第三點ハ原判決ニ曰ク「甲第一號證戸籍膽本ニハ何等廢嫡ノ記載ナキニヨリ被控訴人カ廢嫡セラレサリシコトハ明ナレトモ民法施行前ニ在リテハ養子ニハ養嗣子ト然ラサルモノトアリテ養嗣子ハ當然相續權者ニシテ之ヲ分家セシムルニハ廢嫡ヲ要シタルモ養嗣子ニ非サル者ハ必シモ相續權ヲ有セス相續權ナキ養子ハ分家ニ付廢嫡ヲ要セサリシモノナリ而シテ差戻前ノ第二審證人川島熊吉池田藤次郎玉置格山田常吉ノ各證言ト被控訴人カ養子トナレル當日直ニ分家シ居ル事實トニヨリ芳平カ被控訴人ヲ養子ト爲セルハ同人ヲ分家セシレ川島家ノ増殖ヲ計ルニ在リテ芳平ノ家督ヲ相續セシムル爲メニ非サリシコト一點ニ疑ヲ狹ムヘキ餘地ナキカ故ニ分家ニ付キ被控訴人ヲ廢嫡セサリシハ固ヨリ當然ニシテ之カ爲ニ分家ヲ無效ナリト云フヘカラス」ト按スルニ民法施行前ニ於テモ實子ナキ戸主ノ養子ハ養親ニ於テ之ヲ嗣子ト爲ス意思ノ有無ニ拘ハラス特ニ之ヲ嗣子ト爲ササル旨ノ契約アル場合ヲ除キ當然相續權ヲ有スルカ故ニ廢嫡ノ手續ニ依ラサルハ其權利ニ變更ヲ加フルヲ得サルコトハ司法省指令及同民刑局長囘答ニ於テ屡次聲明セラルル所ナリ(明治二十年二月十四日新潟縣伺ニ對スル同年三月二日指令明治二十一年四月二十八日滋賀縣伺ニ對スル同年八月十四日指令第七條明治二十九年七月二十八日島根縣照會ニ對スル同年八月十八日民刑局長囘答第二項明治三十年七月十四日茨城縣知事問合ニ對スル同年七月三十一日民刑局長囘答明治三十年八月二十日茨城縣知事照會ニ對スル同年九月二日民刑局長囘答)故ニ養嗣子ニ非サル者ハ總テ相續權ヲ有セサネニ非スシテ養嗣子ニ非サル者ト雖モ(一)養親ニ實子ナキ場合(二)養子縁組當事者間ニ養子ヲ嗣子ト爲ササル旨ノ特約ナキ場合ニ於テハ當然相續權ヲ有スルモノナルカ故ニ廢嫡ノ手續ニ依ラサレハ之ヲ分家セシムルヲ得サルコト勿論ナリ(一)本件ニ於テ養親タル亡川島芳平ニ實子ナカリシコトハ甲第一號證戸籍謄本ニ依リテ明ナリ然ラハ縱令亡川島芳平ハ上告人ヲ相續人ト爲スノ意思ナカリシコト明ニシテ縁組届出ニ次テ當日直チニ分家届出ヲ爲シタリトスルミ上告人カ縁組ヲ爲スト同時ニ直チニ相續權ヲ取得セルモノナルカ故ニ之ヲ分家スルニハ必ス廢嫡ノ手續ヲ經サルヘカラス本件ニ於テ廢嫡ナカリシコトハ明白ナルカ故ニ本件分家ハ當然無效ナリ然ルニ原判決ハ養嗣子ニ非サル者ハ必スシモ相續權ヲ有セスト云ヒ其理由トシテ亡川島芳平ハ上告人ヲ相續人ト爲スノ意思ナカリシコト明白ナルカ故ニ上告人ハ養嗣子ニ非ス從テ相續權ヲ有セス之ヲ分家スルニハ廢嫡ノ必要ナシト云フノミニシテ養親タル亡川島芳平ニ實子ナカリシ事實ヲ遺却セルハ之明ニ當時ノ慣習法規ニ背反スルモノナリ次キニ(二)本件養子縁組當事者間即チ上告人若クハ上告人ニ代リテ捕組ヲ承諾セル上告人ノ父母ト亡川島芳平トノ間ニ上告人ヲ嗣子ト爲ササル旨ノ特約アリタルヤト云フニ此ノ如キ特約ナキハ勿論若シ之レアリトセハ相手方タル被上告人ニ於テ之ヲ證明セサルヘカラサルニ被上告人ハ之ヲ證明スルコト能ハス故ニ當事者間ニ上告人ヲ嗣子ト爲ササル旨ノ特約ナキハ明白ナリ既ニ此種ノ特約ナキ以上ハ上告人ハ當然相續權ヲ有スルカ於ニ廢嫡ノ手續ニ依ラサレハ之ヲ分家スルコトヲ得ス然ルニ原判決ハ單ニ亡川島芳平ハ上告人ヲ相續人ト爲スノ意思ナカリシコト明白ナリトノ一點ノミニ依リテ當事者間ニ上告人ヲ嗣子ト爲ササル旨ノ特約ナキニ拘ハラス廢嫡ノ必要ナシト爲シタルハ是亦明ニ當時ノ慣習法規ニ背反スルモノナリト云フニ在リ
然レトモ原院ハ差戻前ノ第二審證人川島熊吉池田藤次郎玉置格山田常吉ノ各證言ト上告人カ養子トナリタル當日直ニ分家シ居ル事實トニ依リ事島芳平カ上告人ヲ養子ト爲シタルハ上告人ヲシテ分家セシメ川島家ノ増殖ヲ計ルニ在リテ芳平ノ家督ヲ相續セシムル爲メニ非サリシ事實ヲ認メタルモノナルコト判文上明示スル所ニシテ即チ芳平カ上告人了養子ト爲シタルハ同人ノ家督ヲ相續セシメサル約旨ニ出テタルコトヲ認メタルモノト謂ツヘシ假リニ然ラスシテ單ニ芳平ニ上告人ヲ相續人トスル意思ナカリシコトヲ認メタルモノトスルモ民法施行前ノ法規ニ於テハ養嗣子ニ非サル養子カ養親ノ家督相續ヲ爲スヘキヤ否ヤハ養親ノ意思如何ニ因リテ定マルヘキ事實上ノ問題ナルコト本院判例(明治三十年(オ)第四九四號同三十一年十月二十九日言渡)ニ示ス所ニシテ上告人ハ相續權ヲ有セサリシ筋合ナルヲ以テ分家ヲ爲スニ付廢嫡ノ要ナキコト勿論ナレハ原院カ上告人ヲ廢嫡セサリシハ固ヨリ當然ニシテ之カ爲メ分家ヲ無效ナリト云フ可カラサル旨判定シタルハ正當ニシテ論旨ニ謂フ如キ不法ナシ(判旨第三點)
上來説明ノ如ク本上告ハ理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百五十二條同七十七條ニ從ヒ主文ノ如ク判決ス
大正九年(オ)第四百八十八号
大正九年十月二十八日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 明治八年五月二日及び同年五月十五日の太政官指令に所謂幼者又は幼稚とは当時の用語として未だ意思能力を有せざる者をも含む旨趣なること疑なき所にして民法施行以前に於ては意思無能力者と雖も場合に依り分家を為すを得たりしこと明かなり。
而して分家は本人が意思能力なき者なるときは父母代りて之を為すを得たること養子縁組の場合に養子と為るべき者が幼者なるときは父母代りて縁組を承諾するを得たると同様なりしを以て分家当時六年三个月の幼者にして意思能力を有せざりしにせよ其分家を無効なりと謂ふを得ざるものとす。
(判旨第一点)
- 一 民法実施行の法規に於ては養嗣子に非ざる養子が養親の家督相続を為すべきや否やは養親の意思如何に因りて定まるべき事実上の問題なりとす。
(判旨第三点)
上告人 川島源吉
被上告人 川島一郎
法律上代理人 川島こま
右当事者間の家督相続回復請求事件に付、大坂控訴院が大正九年四月一日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為し被上告人は上告棄却の申立を為したり。
主文
山件上告は之を棄却す
上告費用は上告人の負担とす。
理由
上告論旨第一点は原判決に曰く「明治八年五月二日の太政官指令には後見を立で願出つる時は幼稚と雖も事に害なき分に限り聴許すとあり同月十五日の太政官指令には幼者と雖後見人を立つる以上は分家分籍不苦とあり而かも右五月十五日の指令は士民幼稚の子弟云云分家分籍を願出る者有之後見人相立候節は幼稚と雖聞届不苦候哉との伺に対するものにして五月二日の指令に幼稚と雖もと云ひ五月十五日の指令に幼者といへるは其意義同一なりと解すべく尚右指令を明治十年一月十七日の太政官指令明治十六年十月十二日及明治十七年十一月十三日の内務省指令明治二十三年四月十七日の司法省指令に対照考覈すれば右所謂幼者とは意思能力なき者をも包含する意義なりと解するを相当とし即旧法時代に於ては意思能力なき幼者も場合により分家を為すを得たるものにして絶対に分家するを得ざりしには非ざるが故に」云云と按ずるに明治維新以前に在ては士流以上の分家は絶対に禁止せられたる所にして次男以下は養子と為りて他姓を冒すか又は別禄を以て出仕するに非ざれば一戸を成すこと能はざりしなり。
庶民に在ては分家を為すことを得たりと雖も戸主たるに堪へざる者は分家を為すことを得ず。
即ち分家を為す者は独立の生計を立で得る能力者たることを要したりしなり、且、庶民に在りても祖父母父母(戸主)在す間は子孫(家族)は分家を為すことを得ず。
之に反する者は処罰せらるべき旨の旧法は原則として尚ほ其効力を有したりしなり。
明治維新の後此制大に弛み漸く分家濫行の弊を生じ甚たしきは徴兵忌避の為めに之を行ふ。
者あるに至りしと雖も。
然れども当時家族は未だ財産所有の権利を有せずして戸主は之を扶養保護するの義務ありしを以て戸主たるに堪へざる家族を分家するが如きは絶対に之なかりし所なり、且、分家行為は民法施行前に於ても分家者の任意行為にして其自由意思に本つかざるべからざるが故に分家者の意思に反して之を為し又は法定代理人が意思無能力者に代はりて之を為すことを得ず。
従て意思無能力者たる未成年の家族は絶対に分家を為すことを得ざるは貴院判例に於ても屡屡認めらるる所なり。
(明治三十四年(オ)第二七五号無効相続取消請求の件明治三十五年二月一日民事第一部判決明治三十四年(オ)第五一二号不動産譲与登記取消請求の件明治三十五年四月三十日民事第一部判決明治三十七年(オ)第三四三号戸籍取消入籍請求の件明治三十七年九月二十四日民事第一部判決)上告人が分家の当時六年三个月の幼者にして絶対的意思無能力者なることは争なき事実なるが故に戸主たるに堪へざる者なりしことは勿論分家が身分上に及ぼすべき利害関係を弁識するの力なかりしことも亦固より明白なるが故に本件分家は当然無効なりと断定せざるべからず。
思ふに幼者と雖も後見人を立で願出つるときは分家を聴許する旨の指令の如きは極めて稀有例外の場合にして既に之に反対する判例にして存する以上は其効力を失ひたるものと謂ふべく。
従て判例の旨趣に従ふべきこと勿論なりとすと云ふに在り
然れども原判決に引用する明治五年五月二日の太政官指令に後見を立で願出つる時は幼稚と雖も事に害なき分に限り聴許すとあり又同年五月十五日の太政官指令に幼者と雖も後見人を立つる以上は分家分籍不苦とあり所謂幼者又は幼稚とは当時の用語として未だ意思能力を有せざる者をも含む旨趣なること疑なき所にして民法施行以前に於ては意思無能力者と雖も場合により分家を為すを得たりしこと明なり。
而して分家は本人が意思能力なき者なるときは父母代りて之を為すを得たること養子縁組の場合に養子と為るべき者が幼者なるときは父母代りて縁組を承諾するを得たる(大正四年(オ)第二二七号同年二月十六日言渡)と同様なりしを以て上告人が分家当時六年三个月の幼者にして意思能力を有せざりしにせよ之を理由として直に其分家を無効なりと謂ふ可らず。
故に原院が旧法時代に於ては意思能力なき幼者も場合により分家を為すを得たる旨判示したるは不法にあらず。
上告人の引用する本院判例は分家は任意行為なるが故に廃嫡に付き被廃嫡者の承諾を必要とせざる事例を以て之を律す可らざること又き分家と廃嫡とは別箇の事柄なれば分家ありたるの故を以て直に廃嫡を了したりと推定す。
可からざること若くは隠居は後見人が幼者に代りて之を為すを得ざること等を示したるに過ぎずして意思能力なき患者は絶対に分家を為すことを得ざるものと為したるに非ざれば本論旨は理由なし。
(判旨第一点)
同第二点は原判決に曰く「既に戸籍上分家されある以上は相当手続に従ひ適法に分家されたるものと推定すべく此分家の無効なることを主張する被控訴人(上告人)は之を立証するの責ありとす。」と原判決は其終末に於て又曰く「被控訴代理人は尚意願無能力者も場合により分家し得たるものとするも後見人を立で出願許可の手続を経さるべからざるに本件に於て此事なかりしこと明白なりと云ふも本件分家が相当手続によらざる無効のものなりと認むべき何等の証拠なきが故に此点に於ける被控訴人の主張も採用し難し」と按ずるに原判決の旨趣は旧法時代に於て意者能力なき幼者も後見人を立で出願許可の手続を経たるときは分家を為し得たるものなるが故に既に戸籍上分家の登記ある以上は適法に分家せられたるものと推定すべく若し此分家が富適法即ち後見人を立で出願許可の手続を経さるものなりと主張する上告人は挙証の責任あり。
然るに上告人は之を証明せず。
故に上告人の請求は棄却すべきものなりと云ふことに帰宿す。
然れども原判決の此理由は大なる違法を包蔵するものなり。
明治二十七年即ち本件分家ありたる当時の法令に依れば願済の上分家を為したる者は必す其旨を戸籍に登記せざるべからざるの規則なりしなり。
即ち明治十九年十月十六日内務省訓令第二十号に規定せる戸籍登記書式第一の備考に「願済又は確定裁判言渡に係る事項は何年何月何日願済云云又は何年何月何日何地何裁判所裁判言渡云云と記すべし。」とあり。
故に本件上告人の分家が果して後見人を立で出願委可の手続を経たるものならんには当然戸籍に願済分家と記載せらるべき筈なるに甲第一号証戸籍謄本に依れば単に分家と記載せらるるのみにして願済の文字なし。
同号証中願済に係る事項に就きては悉く願済引渡若くは願済復帰等の文字あるに独り上告人の分家に就きてのみ願済分家との記載なきに依りて見れば本件分家が願済のものに非ざることは極めて明白にして又何等立証の必要なし。
従て挙証責任の問題を生ぜず。
然るに原判決が上告人に立証の責ありと云ふは是明に法令に違背するものなり。
仮に挙証責任の問題を生ずとするも其責任の所属は上告人に在らずして被上告人に在り而も原判決中に上告人が明治二十七年十月十日養子と為れる当日直ちに分家したる旨を二回までも反覈言明せらるる所にして一日中に縁組届出に次いて直ちに分家届出を為し其間に官庁に対して出願委可の手続を経るが如きは到底想像し能はざる所なるが故に本件分家が願済の手続を経さることは極めて明白にして之を反証することは絶対不能の事たり。
然るに原判決に於て被控訴代理人(上告人)は本件に於て願済の事実なかりしことは明白なりと云ふも何等の証拠なきが故に採用し難して判示せられたるも願済の事実なかりしことは既に判現自体中に或は無意識的に明認せらるる所なり。
故に仮りに挙証責任の問題を生ずとするも原判決は其責任の所属を顛倒し、且、明白の証拠を否定するものなり。
既に法律上戸籍に願済の記載なく又事実上願済の事実なし。
然るに原判決が(一)法令に違背し(二)挙証の責任を顛倒し(三)明白の証量を否定し強ひて上告人の請求を排却せらるるは洵に不可解の事に属すと云ふに在り
然れども上告人は戸籍上分家者なるに其分家が無効なることを主張して本訴請求を為すものなれば此場合上告人に其主張事実を証明する責任あること多言を要せず。
故に原院が上告人に挙証の責任ありと為したるは毫も不法に非ず又原院は幼者の分家に付、出願許可の手続を要すたるにせよ甲第一号証中上告人の分家に付、願済なる旨の記載なきこと及び縁組届出に次で同日分家の届出を為したることの如き等は其分家が相当手続に依らざる無効のものなることを認むるに足らずとし。
即ち出願許可の手続なかりしこと明白なりとの上告人主張を排斥したるに外ならざること判文上自明なるを以て本論旨は畢竟証拠の取捨事実の認定に対する非難にして上告の理由たらざるものとす。
同第三点は原判決に曰く「甲第一号証戸籍胆本には何等廃嫡の記載なきにより被控訴人が廃嫡せられざりしことは明なれども民法施行前に在りては養子には養嗣子と然らざるものとありて養嗣子は当然相続権者にして之を分家せしむるには廃嫡を要したるも養嗣子に非ざる者は必しも相続権を有せず。
相続権なき養子は分家に付、廃嫡を要せざりしものなり。
而して差戻前の第二審証人川島熊吉池田藤次郎玉置格山田常吉の各証言と被控訴人が養子となれる当日直に分家し居る事実とにより芳平が被控訴人を養子と為せるは同人を分家せしれ川島家の増殖を計るに在りて芳平の家督を相続せしむる為めに非ざりしこと一点に疑を狭むべき余地なきが故に分家に付き被控訴人を廃嫡せざりしは固より当然にして之が為に分家を無効なりと云ふべからず。」と按ずるに民法施行前に於ても実子なき戸主の養子は養親に於て之を嗣子と為す意思の有無に拘はらず特に之を嗣子と為さざる旨の契約ある場合を除き当然相続権を有するが故に廃嫡の手続に依らざるは其権利に変更を加ふるを得ざることは司法省指令及同民刑局長回答に於て屡次声明せらるる所なり。
(明治二十年二月十四日新潟県伺に対する同年三月二日指令明治二十一年四月二十八日滋賀県伺に対する同年八月十四日指令第七条明治二十九年七月二十八日島根県照会に対する同年八月十八日民刑局長回答第二項明治三十年七月十四日茨城県知事問合に対する同年七月三十一日民刑局長回答明治三十年八月二十日茨城県知事照会に対する同年九月二日民刑局長回答)故に養嗣子に非ざる者は総で相続権を有せさねに非ずして養嗣子に非ざる者と雖も(一)養親に実子なき場合(二)養子縁組当事者間に養子を嗣子と為さざる旨の特約なき場合に於ては当然相続権を有するものなるが故に廃嫡の手続に依らざれば之を分家せしむるを得ざること勿論なり。
(一)本件に於て養親たる亡川島芳平に実子なかりしことは甲第一号証戸籍謄本に依りて明なり。
然らば縦令亡川島芳平は上告人を相続人と為すの意思なかりしこと明にして縁組届出に次で当日直ちに分家届出を為したりとするみ上告人が縁組を為すと同時に直ちに相続権を取得せるものなるが故に之を分家するには必す廃嫡の手続を経さるべからず。
本件に於て廃嫡なかりしことは明白なるが故に本件分家は当然無効なり。
然るに原判決は養嗣子に非ざる者は必ずしも相続権を有せずと云ひ其理由として亡川島芳平は上告人を相続人と為すの意思なかりしこと明白なるが故に上告人は養嗣子に非ず。
従て相続権を有せず。
之を分家するには廃嫡の必要なしと云ふのみにして養親たる亡川島芳平に実子なかりし事実を遺却せるは之明に当時の慣習法規に背反するものなり。
次きに(二)本件養子縁組当事者間即ち上告人若くは上告人に代りて捕組を承諾せる上告人の父母と亡川島芳平との間に上告人を嗣子と為さざる旨の特約ありたるやと云ふに此の如き特約なきは勿論若し之れありとせば相手方たる被上告人に於て之を証明せざるべからざるに被上告人は之を証明すること能はず。
故に当事者間に上告人を嗣子と為さざる旨の特約なきは明白なり。
既に此種の特約なき以上は上告人は当然相続権を有するか於に廃嫡の手続に依らざれば之を分家することを得ず。
然るに原判決は単に亡川島芳平は上告人を相続人と為すの意思なかりしこと明白なりとの一点のみに依りて当事者間に上告人を嗣子と為さざる旨の特約なきに拘はらず廃嫡の必要なしと為したるは是亦明に当時の慣習法規に背反するものなりと云ふに在り
然れども原院は差戻前の第二審証人川島熊吉池田藤次郎玉置格山田常吉の各証言と上告人が養子となりたる当日直に分家し居る事実とに依り事島芳平が上告人を養子と為したるは上告人をして分家せしめ川島家の増殖を計るに在りて芳平の家督を相続せしむる為めに非ざりし事実を認めたるものなること判文上明示する所にして、即ち芳平が上告人了養子と為したるは同人の家督を相続せしめざる約旨に出でたることを認めたるものと謂つべし仮りに然らずして単に芳平に上告人を相続人とする意思なかりしことを認めたるものとするも民法施行前の法規に於ては養嗣子に非ざる養子が養親の家督相続を為すべきや否やは養親の意思如何に因りて定まるべき事実上の問題なること本院判例(明治三十年(オ)第四九四号同三十一年十月二十九日言渡)に示す所にして上告人は相続権を有せざりし筋合なるを以て分家を為すに付、廃嫡の要なきこと勿論なれば原院が上告人を廃嫡せざりしは固より当然にして之が為め分家を無効なりと云ふ可からざる旨判定したるは正当にして論旨に謂ふ如き不法なし。
(判旨第三点)
上来説明の如く本上告は理由なきを以て民事訴訟法第四百五十二条同七十七条に従ひ主文の如く判決す