大正九年(ク)第百二十一號
大正九年十月十五日第一民事部決定
◎決定要旨
- 一 私生子カ認知セラルル以前既ニ一家ノ家督ヲ相續シテ戸主ト爲リタル場合ニ於テハ認知ノ遡及效ニ關スル原則ハ制限セラレ其私生子ハ父ノ認知ニ因リ前ニ遡リテ他家ナル父ノ家ニ入ル可キモノニ非スシテ依然家督ヲ相續シタル家ニ在リテ其戸主ト爲リタル地位ニ變更ヲ生セサルモノト解スルヲ相當トス
右抗告人ハ親族會招集申請却下ノ決定ニ對スル抗告ニ付靜岡地方裁判所カ大正九年六月二十二日與ヘタル決定ニ對シ更ニ本院ニ抗告ヲ爲シタリ依テ決定スルコト左ノ如シ
本件抗告ハ之ヲ棄却ス
理由
抗告論旨ハ抗告人ハ第一審裁判所ニ對シ抗告人ノ夫タリシ事件本人戸主亡長屋鎌次郎カ大正九年四月四日死亡シ戸籍面上其跡相續ハ事件本人ノ養女亡つぎノ私生子即チ事件本人ノ孫タル長屋守カ法定ノ推定家督相續人トシテ同月五日相續届出ヲ爲シ戸主トナレルモ同人ハ其後同月二十六日其父タル靜岡市呉服町六丁目二十八番地戸主黒川元ヨリ認知サレ自然同人ハ出生ノ時ニ遡リテ黒川元家ニ入ルヘキモノナレハ同人ノ相續ハ法律上當然無效ニ歸スルヲ以テ即チ之ヲ措キ其他法定竝ニ指定ノ家督相續人ナク且同人ノ父母ハ既ニ死亡シ家督相續人ノ選定ヲナスコトヲ得サルヲ以テ親族會ノ招集ヲ必要トスル旨ヲ以テ其申請ヲ爲シタル所同裁判所ハ「家督相續人タル資格及順位ハ相續開始ノ時ニ於テ確定シ(云云)既ニ適法ノ相續ニ依リ戸主ト爲リタル以上ハ縱令其後ニ至リ黒川元カ守ヲ認知シ認知ノ效果ニ依リ出生時ニ遡リテ庶子タル身分ヲ取得ストスルモ相續無效ノ事實ヲ裁判ニヨリテ證明スルニアラサレハ當然其相續ヲ無效トナスヲ得ス殊ニ戸主權失却ノ場合ハ法律上特定セルモノアルヲ以テ苟モ之ニ該當セサルニ於テハ本件親族會招集事件ニ於テ戸主權ノ失却ヲ認定スヘキモノニアラス」トノ旨ヲ以テ抗告人ノ申請ヲ却下シタリ然レトモ之正シク民法ノ規定竝ニ手續法規ノ解釋ヲ誤リタルモノナルヲ以テ抗告人ハ直チニ左ノ理由ヲ以テ原裁判所ニ抗告ノ申立ヲ爲シタリ第一相續無效ノ事實ヲ裁判ニ
依リテ證明スルニアラサレハ當然其相續ヲ無效トナスヲ得ストノ説明ハ手續法規ノ誤解ナリ何トナレハ苟モ其戸籍ノ關係實體法規ニ照シ相續ノ無效ナルコト明カナル場合タランニハ何ソ他ノ裁判ニ依リ之ヲ證明セストモ其無效ナルコトヲ認定シ得サルノ理アランヤ親族會招集事件ノ裁判所ハ其要否ヲ決スル上ニ於テ單ニ戸籍面上ノ形式ニ覊束セラルルコトナク之ヲ法規ニ照シ其關係ヲ正タシ又各種ノ詮索證據調等ヲモ爲スコトヲ得ヘキハ勿論ナリ唯親族會招集事件ノ裁判所ハ所謂判決裁判所ニアラサルヲ以テ其裁判ニハ既判效ヲ生セス他日或ハ他ノ裁判ニ於テ反對ノ判斷アルコトヲ免レサルニ過キス然レトモ斯ノ如キハ他ノ場合ニ於テモ見ル所ノ現象ニシテ縱令同一基本債權ノ有無ニ付キ竸賣法ニ依ル竸賣裁判所ノ決定ト民事訴訟法ニ依ル判決裁判所ノ判斷ト相牴觸スル結果ヲ見ルコトアルカ如キ之ナリ一ニハ既判力ナク一ニハ既判力アリ而カモ互ニ獨立一箇ノ見識ニ依リ認定ノ專權ヲ有スルモノナリトス殊ニ本件ノ如キ場合即チ長屋守ノ外他ニ法定ノ推定家督相續人又ハ指定若クハ民法第九百八十四條ノ法定家督相續人無キ場合ニ於テハ遂ニ他ノ裁判ニ於テ所謂潛稱相續人ノ無效ヲ確定スルノ途ナキヲ如何即チ民事訴訟ニ於テ他人ノ爲シタル家督相續無效ヲ主張シテ其相續ヲ排除スルニハ必スヤ自己ノ家督相續權アルコトヲ主張シ家督相續囘復ノ訴ヲナスコトヲ要スルモノニシテ其請求權ハ家督相續人ニ專屬シ縱令親族ナリトモ家督相續人ニアラサル者ハ之ヲ有セサルモノナルハ上下裁判所ノ解釋將タ學者ノ解釋一致スル所ナリ(判例大審院大正七年一月二十六日判決民事判決録二四輯一〇三頁以下其他同院大正七年四月九日ノ判決東京控訴院判決法律新聞九〇二號名古屋控訴院判決法律新聞一六八三號、學説山田正三博士所論法學論叢二卷四號)故ニ若シ原裁判所ノ見解ニ從ハンカ其ノ結果ハ遂ニ不當相續人ヲシテ永久其ノ戸主タル地位ヲ確守セシムルコトトナリ甚シク奇怪ノ現象ヲ呈スルニ至ラン本件ノ如キ場合ニ在テハ先ツ親族會ノ招集ヲナシ適法ニ家督相續人ヲ選定シ此家督相續人ヲシテ相續囘復ノ訴ヲ提起セシムルノ順序ニ依リ救濟ヲ全カラシムルノ外ナキ也第二原裁判所ハ實體法規即チ民法ノ解釋ヲ誤マレリ戸主タル父カ他家ニ在ル私生子ヲ認知シタル場合ノ家籍ノ變動如何ニ付テハ從來異論ノ存スル所ナリ殊ニ當該私生子ノ戸主タル場合又ハ法定ノ推定家督相續人タル場合ニ於テ然リトス然レトモ民法第七百三十三條第一項ニハ子ハ父ノ家ニ入ルトアリ又同法第八百三十二條ニハ認知ハ出生ノ時ニ遡リテ效力ヲ生ス但シ第三者カ既ニ取得シタル權利ヲ害スルコトヲ得ストアルヲ以テ認知ハ既ニ第三者ノ取得シタル權利ヲ害セサル限リ其子ノ出生當時ニ遡リ其ノ父子ノ關係ヲ確定シ從テ當然其子ノ家籍ニ變動ヲ及ホシ即チ父ノ家ニ入ルヘキモノタルハ勿論ナリ或ハ私生子ノ戸主タル場合又ハ法定ノ推定家督相續人タル場合ニハ戸主權喪失ノ原因トシテ法律カ之ヲ認メス又ハ民法第七百四十四條第一項ニ違反スルモノトシテ之ヲ否定セントスル者アルモ(即チ原裁判所ノ如シ)此等ノ場合ハ右民法第八百三十二條但書ノ場合ニ該當セサルモノナルノミナラス元來右ノ如ク認知ノ效力ハ出生ノ時ニ遡ルモノナルヲ以テ子ハ當初ヨリ父ノ家ニ入リ嘗テ他家ノ戸主タラス又ハ法定ノ推定家督相續人トナラサリシモノトナルノ關係ナレハ右戸主權喪失ノ原因トシテ法律カ認メス又ハ民法第七百四十四條第一項ニ違反スルモノトシテ異説ヲ立ツルハ畢竟父ノ認知ナキ場合ノ一時ノ現象ニ眩惑シ其認知ニ依リ根本的ニ認知ナキニ依リ保テル效力ノ一切消滅スルヲ忘レタルモノニシテ其實ニ所謂論點ヲ竊取シ自ラ循環論法ニ陷レルモノト云フヘク此旨趣ハ最近大審院大正八年(オ)第九一九號事件ニ付キ同院ノ大正九年二月十日ノ判決ニ於テ宣明スル所ナリ(大正九年四月二十五日發行法律新聞一六八二號所載)本件ニ於テ一旦事件本人亡長屋鎌次郎ノ孫ニシテ鎌次郎ノ養女ツキノ私生子タル長屋守カ法定ノ推定家督相續人トシテ相續届出ヲナシ現在戸籍面上戸主トナリ居ルモ前示ノ理由ニ依リ其相續ハ當然無效ニ歸スヘキモノタルハ勿論ナリ然ルニ原裁判所モ亦第一審裁判所ト畧ホ同一ノ見解殊ニ被認知者タル子カ他家ノ戸主タル限リハ戸主トシテ第三者タル家族トノ間ニ於テ扶養其他諸種ノ權利關係ヲ生シ從テ被認知者タル子カ他家ノ戸主タル場合ノ如キハ民法第八百三十二條但書ノ場合ニ該當スルモノト解スル旨ヲ以テ抗告人ノ抗告ヲ棄却セリ然レトモ抗告人ハ尚之ニ服從スルコトヲ得サルモノニシテ依然前記原審ニ爲シタル抗告理由ヲ正シト信シ殊ニ被認知者カ既ニ戸主トナリタル場合ニハ第三者タル家族トノ間ニ扶養其他ノ諸種權利關係ヲ生シ從テ民法第八百三十二條但書ノ場合ニ該當ストスル如キニ對シテハ全然首服シ得サル所ナリ何トナレハ扶養其他諸種權利關係ハ必スシモ其之ノ戸主トナリタル場合ニ限リ發生スルモノニアラス其依然家族タル場合ニモ或ハ當然生スル所ノモノナルノミナラス之ヲ單身戸主ナル場合ニ付テハ適用ナク一般的ニ論斷シ得ルモノニアラサレハナリ要スルニ原裁判所ノ裁判ハ法律ニ違背シタル裁判ナリト信スルニ依リ更ニ茲ニ抗告ニ及フ次第ナリト云ヒ』同追加論旨ハ(一)原決定ハ苟クモ被認知者タル子カ他家ノ戸主ナル場合ニ於テハ認知ノ遡及效ハ限局セラレ既得ノ戸主權ニ何等ノ消長ヲ及ホサス從テ相續ノ無效ヲ惹起セサルハ勿論被認知者タル子ハ其戸主權ヲ失却シテ認知者タル父母ノ家ニ入ル可キモノニアラストナシ其理由ヲ民法第八百三十二條但書ノ制限ト民法第七百六十二條及第八百七十四條トニ求メ更ニ法律カ特ニ戸主權ノ喪失即チ家督相續開始ノ原因ヲ限定シタル律意ヲ沒却ストノ理由ヲ以テ之ヲ補ヘリ(二)然レトモ民法第八百三十二條但書ノ制限ヲ此場合ニ援用スルハ誤矣何トナレハ認知ノ直接ノ效力ハ認知者被認知者間ニ實親子ノ關係ヲ確定スルニアリ元來實親子ノ關係ハ客觀的ニハ自然ノ事實ニ因リ確定セラレアリト雖モ人事ノ不知意ナル時ニ此天地不變ノ關係ヲ不明ナラシメ親子各其地位關係ヲ正シウスル能ハサルモノアリ認知ハ此人事ノ不自然ナル状態ヲ除去シ實親子ヲシテ各其正シキ地位ニ居ラシメ自然ノ理ニ復セシムルニ在リ故ニ其效力ハ當然子ノ出生ノ當時ニ遡ルヘキモノニシテ民法第八百三十二條本文ハ此自然ノ法則ヲ認メタルモノナリ而シテ我國ハ古來血統ヲ宗トシテ家ヲ形成シ家族制度ヲ以テ立國ノ大本トナセリ此義ヨリシテ父子家ヲ同フスヘキハ亦我家族制度ノ根本義ナリ民法第七百三十三條第一項カ子ハ父ノ家ニ入リトナセルハ亦此ノ家族制度ノ根本義ヲ道破セルモノナリ然ラハ認知ノ結果父子ノ關係確定セル者カ此規定ニ依リ家ヲ同フスヘキハ亦當然ナリトス即チ被認知者カ認知者ノ家ニ入リ家ヲ同フスルニ至ルハ認知直接ノ效力ニアラスシテ親子據テ家ヲ成スヘキ我家族制度ノ根本義ニ基クモノナリ原決定カ被認知者ノ認知者ノ家ニ入ルヲ以テ認知直接ノ效果ナルカノ如クナセルハ妥當ナラス(三)人ヲシテ各其既得ノ地位ニ安セシムルハ其生活ヲ平靜ナラシムル所以ナリ法ハ人ノ生活ヲ保護スル爲メ既得權ヲ尊重シ他人ヨリ輙ク侵奪セラルルコトナキヲ定ムルヲ例トス民法第八百三十二條ノ但書ハ此旨趣ニ出ツ然レトモ這ハ第三者ノ既得權ヲ保護スルノ規定ナリ當事者タル被認知者ノ既得權ヲ謂フモノニ非ス然ラハ被認知者カ戸主權ヲ取得シタルノ故ヲ以テ認知遡及ノ效果ヲ制限セントスル原決定ハ誤レリト云ハサルヘカラス尤モ原決定ハ「被認知者タル子カ他人ノ戸主ナル限リハ戸主トシテ第三者タル家族トノ間ニ於テ扶養其他諸種ノ權利關係ヲ發生スルヲ常トシ若シ認知ノ效果ヲ遡及セハ第三者タル家族ノ權利ヲ侵害スルニ至ルヤ論ヲ竢タス」トナスモ扶養ノ權利義務ノ關係ノ如キハ獨リ戸主對家族ノ關係ノミニ止マラス直系血族及ヒ兄弟姉妹ハ互ニ扶養ヲ爲ス義務ヲ負フモノナレハ(民法第九百五十四條)私生子ト雖モ大多數ノ場合ニ於テ其母トノ間ニ相互ニ扶養ノ權利義務ヲ有スルカ故ニ斯クノ如キ權利關係ニ影響アルノ故ヲ以テ民法第八百三十二條ノ遡及效ヲ制限スヘキモノトセハ同條本文ノ規定ハ單ニ母ノ知レサルカ又ハ母ノ死亡セル私生子ニノミ適用アルニ過キス即チ其適用甚タ稀ニシテ寧ロ但書ヲ本文トシ本文ヲ但書トナスニ如カサル如キ結果ヲ見ルヘシ之豈法ノ精神ナラムヤ故ニ扶養權利義務ノ關係ノ如キハ茲ニ所謂第三者ノ既得權中ニ包含セスト解スルヲ正當トスヘシ(四)次ニ原決定ハ民法第七百六十二條及第八百七十四條等ニ依リ窺知シ得ヘキ我民法カ戸主權ヲ尊重シタル律意ヲ參酌スルヲ以テ理由トナセリ然レトモ戸主權ヲ尊重スルハ家ヲ重スルカ爲メナリ家ヲ成スニハ血統ヲ宗トス親子各別ニ離散シ單ニ烏合ノ衆ノ相集ルアリトスルモ之ヲ以テ我立國ノ大本タル家ト謂フヘカラス殊ニ實親子ノ關係ハ天地ノ自然ニ出テ人爲ヲ以テ作爲スヘカラス即チ絶對的特定人間ノ關係ナリ餘人ヲ以テ替ユヘカラサルナリ此點ニ於テハ寧ロ戸主家族ノ關係ヨリ密接ニシテ且ツ重大ナル蓋シ戸主ハ一家族又ハ親族中ノ何人ヲ以テスルモ其ノ地位ヲ充タシ得可ク(民法第九百七十條第九百七十二條第九百七十九條第九百八十二條第九百八十四條第九百八十五條第一項參照)場合ニ依リテハ他人ヨリモ之ヲ選任シ得可ケレハナリ(第九百八十五條第二項)既ニ家ヲ重ンスルカ故ニ戸主權ヲ尊フトセンカ其家ヲ成スヘキ根本タル父子親家ノ法則ヲ破リテ尚戸主權ヲ尊重セサル可カラストスルハ根ヲ斷チテ枝葉ノ繁茂ヲ望ムカ如ク事理ヲ顛倒セルモノト謂ハサルヘカラス殊ニ原決定カ民法第七百六十二條ヲ援テ戸主權尊重ノ論據トセルハ誤矣何トナレハ同條ハ家ノ廢止ニ關スル規定ノミ即チ血統ヲ宗トシ祖先ノ祭祀ヲ思想ノ根本トセル我家族制度ハ未タ祖先ナキ新立ノ家ハ輙ク廢止セシムルモ既ニ二代以上トナリタル家即チ祭祀スヘキ祖先ノ存スル家ハ之ヲ廢止スル能ハサルヲ本則トシ本家ノ相續等重要ナル正當事由ノ存スル場合ノミヲ除外セルモノナリ而シテ家ハ苟モ之ヲ廢止セサルニ於テハ甲戸主去ルモ乙戸主來リテ繼續スヘク故ニ家ノ尊重ト戸主權ノ尊重トハ別箇ノ觀念ナリ家ノ存立ヲ重スル規定ヲ解シテ直チニ其戸主タル者ノ地位ヲ尊重スヘキモノトナセルハ妥當ナラス(五)原決定ハ更ニ「當然認知者タル父母ノ家ニ入ルヘキモノトセハ被認知者タル子ハ其戸主權ヲ喪失シ家督相續ヲ開始スルニ至リ法律カ特ニ戸主權ノ喪失即チ家督相續開始ノ原因ヲ限定シタル律意ヲ沒却スルニ至ラム」トナスモ這ハ甚タ敷誤ナリ何トナレハ本件ノ被認知者タル長屋守カ亡戸主長屋鎌次郎ノ死亡ニ因リ其家督ヲ相續シタルハ被相續人ノ家族タル直系卑屬トシテ民法第九百七十條ニ依リタルモノナルコトハ原決定ノ「長屋鎌次郎(中畧)同人ハ大正九年四月四日死亡シタルヲ以テ其養女タル亡つぎノ私生子長屋守カ其家督ヲ相續シ」ナル事實認定ニ依リ明瞭ナリ則チ其相續ヲ爲セルハ亡戸主鎌次郎ト家ヲ同ウシタルカ爲メナリ然ルニ其後同月二十六日其父タル靜岡市呉服町六丁目二十八番地戸主黒川元ニ認知セラレタル爲メ其出生ノ時ニ遡リテ黒川元ト父口トナリ其家ニ入ルヲ以テ長屋鎌次郎ノ死亡當時其家族タラサリシコトトナリ從テ民法第九百七十條ニ依ル家督相續ハ無效ニ歸スヘキナリ之抗告人ノ最初ヨリノ主張タリ而シテ此場合ハ適法ナル相續人トシテ一旦相續ノ目的ヲ繼承シタル者カ缺格者トナリ廢除ノ判決確定シ又相續ノ抛棄ヲ爲シタルトキ等ニ於テ最初ヨリ相續人ニアラサリシコトト爲ルカ如ク(島田學士明治大學講義録相續編二九四頁柳川學士相續法註釋一九三頁牧野博士相續法論六二頁仁井田博士親族法相續法論四一〇頁參照)當初ヨリ相續人ニアラサリシコトトナリ其相續ハ無效ニ歸スルモノナレハ相續ヲ開始スヘキ場合ニアラス既ニ相續開始スヘキ場合ニアラストセハ相續開始原因ノ限定トハ何等拘ハル所ナカルヘキナリ(六)要之原決定カ抗告人ノ主張ヲ排斥セル理由ハ孰レモ相當ナラス而シテ實親子ノ關係ハ絶對的特定人間ノ關係ニシテ餘人ヲ以テ替フヘカラス然ルニ戸主タル地位ヲ充タス者ハ必スシモ然ラス親家族又ハ親族中ノ適任者ナルニ於テハ敢テ不可ナルヲ見ス然ラハ被認知者カ他家ノ戸主タル場合ニ於テモ亦認知ノ效力ハ遡及シテ父子ノ關係確定セラレ更ニ其結果トシテ子ハ父ノ家ニ入ルヘキモノト解スルヲ正當ナリト信ス(法曹會ハ大正七年十二月七日認知ハ出生ノ時ニ遡リテ其效力ヲ生スヘキコト民法第八百三十二條ニ依リ明カニシテ又子ハ父ノ家ニ入ルヘキコト同法第七百三十三條第一項ニ依リ論ナキ所ナルカ故ニ父カ認知シタル私生子ハ縱令其認知當時母タル女戸主ノ推定家督相續人ナリシトスルモ其認知ニ依リ出生ノ時ニ遡リテ庶子ト爲ルヘキ結果女戸主ノ家督相續人タリ得ヘキ餘地ナク當然父ノ家ニ入ルヘキモノナル旨決議セリ法曹記事第二十九卷第三號一六頁法定ノ推定家督相續人ハ他家ニ入リ又ハ一家ヲ創立スルコトヲ得サルハ民法第七百四十四條第一項本文ノ明定スル所ナリ而シテ之實ニ將來戸主タル者ノ地位ヲ確保セント欲スルカ爲メナリ然ルニ尚且其家ヲ出テ認知者タル父ノ家ニ入ルヘキモノトナセルハ其意蓋シ餘人ヲ以テ替フヘカラサル實親子間ノ關係及家族制度ノ根本タル父子同家ノ法則ヲ以テ戸主タル地位ノ確保ニ比シヨリ重要トナスニアラム然ラハ被認知者カ既ニ戸主タル場合ト雖モ亦同樣ニ解スヘキモノナルム)(七)最後ニ原決定ハ靜岡區裁判所カ相續無效ノ事實ハ裁判ニ依リ證明スルニアラサレハ當然無效トナスヲ得ストナシ抗告人ノ申請ヲ排斥セルニ對シ抗告人カ其不當ヲ主張シタルヲ理由ナシトセラレタリ然レトモ他人ノ爲シタル家督相續ノ無效ヲ主張シ其相續ヲ排斥セントスルニハ家督相續人ヨリ家督相續囘復ノ訴ヲ爲スコトヲ要シ(東京控訴院大正二年九月二十九日判決法律新聞九百二號三九五頁)家督相續人ニアラサル親族ニ於テ家督相續人選定ノ爲メ親族會ノ招集ヲ申請セントスルノ前提トシテ家督相續無效ノ確認ヲ訴求シ得ヘキ權利ナキモノナリ(長崎控訴院明治三十九年二月二十三日判決法律新聞四一七號六頁參照)然ラハ法定及指定ノ推定家督相續人ナキ場合ニ其選定ノ爲メノ親族會招集ノ申請ニ對シ裁判ニ依リ證明スルニアラサレハ相續ノ無效ヲ認メストナスハ不能ヲ強ユルモノニシテ相當ナラス然ルニ之ヲ認容シ抗告人ノ主張ヲ排斥セル原決定ハ此點ニ於テモ亦違法アリト謂ハサルヘカラスト云フニ在リ
仍テ按スルニ本件ノ事實ハ原裁判所ノ認定シタル所ニ依レハ戸主長屋鎌次郎ノ死亡ニ因リ同人ノ養女タル亡つぎノ私生子長屋守カ家督相續ヲ爲シ其届出ヲ爲シタル後ニ至リ守ノ父ニシテ他家ノ戸主ナル黒川元カ守ヲ認知シタルモノナリ而シテ抗告人カ本件親族會招集申請ノ旨趣トシテ主張シタル所ハ右守カ其父ニ認知セラレタル結果出生ノ時ニ遡リテ父ノ黒川家ニ入リタルヲ以テ守ノ爲シタル枚長屋家ノ家督相續ハ無效ニ歸シ且長屋家ニハ法定及指定ノ家督相續人ナク又被相續人ノ父母ハ既ニ死亡シテ家督相續人ヲ選定スルコト能ハサルヲ以テ親族會ニ於テ之カ選定ヲ爲スノ必要ヲ生シタリト云フニ在ルコト記録上明白ナリ然レトモ私生子ノ認知ハ出生ノ時ニ遡リテ其效力ヲ生スルヲ原則トスルコトハ民法第八百三十二條ノ規定スル所ナリト雖此原則ニ制限アルコトハ既ニ同條但書ノ明示スル所ナルノミナラス其他民法ノ規定ニ於テ特ニ戸主權ヲ尊重シテ戸主ノ地位ニ變動ナカランコトヲ欲シ容易ニ之カ廢止ヲ許ササル旨趣ニ鑑ミテ其精神ノ存スル所ヲ推考スレハ私生子カ認知セラルル以前既ニ一家ノ家督ヲ相續シテ戸主ト爲リタル場合ニ於テハ如上認知ノ遡及效ニ關スル原則ハ制限セラレ其私生子ハ父ノ認知ニ因リ前ニ遡リテ他家ナル父ノ家ニ入ル可キモノニ非スシテ依然家督ヲ相續シタル家ニ在リテ其戸主ト爲リタル地位ニ變更ヲ生セサルモノト解スルヲ相當トス本院大正八年(オ)第九百十九號同九年二月十日判決例ハ家督相續開始前ニ於ケル推定家督相續人ノ地位ニ關スルモノナレハ本件ノ場合ニ適切ナラス然レハ本件ノ場合ニ於テ長屋家ノ家督ヲ相續シテ戸主ト爲リタル守ハ父ノ認知ニ因リ前ニ遡リテ他家ナル父ノ家ニ入ルヘキモノニ非スシテ依然長屋家ニ在テ其戸主ト爲リタル地位ニ影響ヲ及ホサス從テ其家督相續ハ無效ニ非スシテ更ニ家督相續人ヲ選定スルノ必要ナキコト明白ナレハ本件親族會招集ノ申請ハ失當ニシテ採用ス可カラサルモノトス故ニ同一ノ旨趣ニ基キタル原判決ハ正當ニシテ本件抗告ハ其理由ナシ抗告論旨ハ數項ニ分タレタリト雖モ原決定ニハ毫モ所論ノ如キ違法アルコトナク且叙上ノ如ク本件親族會招集ノ申請カ失當ニシテ採用スヘカラサルモノナル以上ハ本件抗告モ亦到底採用ス可カラサルコト自明ナレハ其論旨ノ各項ニ就テ一一説明ヲ加フルノ必要ナキヲ以テ之ヲ省キ主文ノ如ク決定ス
大正九年(ク)第百二十一号
大正九年十月十五日第一民事部決定
◎決定要旨
- 一 私生子が認知せらるる以前既に一家の家督を相続して戸主と為りたる場合に於ては認知の遡及効に関する原則は制限せられ其私生子は父の認知に因り前に遡りて他家なる父の家に入る可きものに非ずして依然家督を相続したる家に在りて其戸主と為りたる地位に変更を生ぜざるものと解するを相当とす。
右抗告人は親族会招集申請却下の決定に対する抗告に付、静岡地方裁判所が大正九年六月二十二日与へたる決定に対し更に本院に抗告を為したり。
依て決定すること左の如し
本件抗告は之を棄却す
理由
抗告論旨は抗告人は第一審裁判所に対し抗告人の夫たりし事件本人戸主亡長屋鎌次郎が大正九年四月四日死亡し戸籍面上其跡相続は事件本人の養女亡つぎの私生子即ち事件本人の孫たる長屋守が法定の推定家督相続人として同月五日相続届出を為し戸主となれるも同人は其後同月二十六日其父たる静岡市呉服町六丁目二十八番地戸主黒川元より認知され自然同人は出生の時に遡りて黒川元家に入るべきものなれば同人の相続は法律上当然無効に帰するを以て、即ち之を措き其他法定並に指定の家督相続人なく、且、同人の父母は既に死亡し家督相続人の選定をなすことを得ざるを以て親族会の招集を必要とする旨を以て其申請を為したる所同裁判所は「家督相続人たる資格及順位は相続開始の時に於て確定し(云云)既に適法の相続に依り戸主と為りたる以上は縦令其後に至り黒川元が守を認知し認知の効果に依り出生時に遡りて庶子たる身分を取得すとするも相続無効の事実を裁判によりて証明するにあらざれば当然其相続を無効となすを得ず。
殊に戸主権失却の場合は法律上特定せるものあるを以て苟も之に該当せざるに於ては本件親族会招集事件に於て戸主権の失却を認定すべきものにあらず。」との旨を以て抗告人の申請を却下したり。
然れども之正しく民法の規定並に手続法規の解釈を誤りたるものなるを以て抗告人は直ちに左の理由を以て原裁判所に抗告の申立を為したり。
第一相続無効の事実を裁判に
依りて証明するにあらざれば当然其相続を無効となすを得ずとの説明は手続法規の誤解なり。
何となれば苟も其戸籍の関係実体法規に照し相続の無効なること明かなる場合たらんには何そ他の裁判に依り之を証明せずとも其無効なることを認定し得ざるの理あらんや親族会招集事件の裁判所は其要否を決する上に於て単に戸籍面上の形式に羈束せらるることなく之を法規に照し其関係を正たし又各種の詮索証拠調等をも為すことを得べきは勿論なり。
唯親族会招集事件の裁判所は所謂判決裁判所にあらざるを以て其裁判には既判効を生ぜず他日或は他の裁判に於て反対の判断あることを免れざるに過ぎず。
然れども斯の如きは他の場合に於ても見る所の現象にして縦令同一基本債権の有無に付き競売法に依る競売裁判所の決定と民事訴訟法に依る判決裁判所の判断と相牴触する結果を見ることあるが如き之なり。
一には既判力なく一には既判力あり而かも互に独立一箇の見識に依り認定の専権を有するものなりとす。
殊に本件の如き場合即ち長屋守の外他に法定の推定家督相続人又は指定若くは民法第九百八十四条の法定家督相続人無き場合に於ては遂に他の裁判に於て所謂潜称相続人の無効を確定するの途なきを如何即ち民事訴訟に於て他人の為したる家督相続無効を主張して其相続を排除するには必ずや自己の家督相続権あることを主張し家督相続回復の訴をなすことを要するものにして其請求権は家督相続人に専属し縦令親族なりとも家督相続人にあらざる者は之を有せざるものなるは上下裁判所の解釈将た学者の解釈一致する所なり。
(判例大審院大正七年一月二十六日判決民事判決録二四輯一〇三頁以下其他同院大正七年四月九日の判決東京控訴院判決法律新聞九〇二号名古屋控訴院判決法律新聞一六八三号、学説山田正三博士所論法学論叢二巻四号)故に若し原裁判所の見解に従はんか其の結果は遂に不当相続人をして永久其の戸主たる地位を確守せしむることとなり甚しく奇怪の現象を呈するに至らん本件の如き場合に在ては先づ親族会の招集をなし適法に家督相続人を選定し此家督相続人をして相続回復の訴を提起せしむるの順序に依り救済を全からしむるの外なき也第二原裁判所は実体法規即ち民法の解釈を誤まれり戸主たる父が他家に在る私生子を認知したる場合の家籍の変動如何に付ては従来異論の存する所なり。
殊に当該私生子の戸主たる場合又は法定の推定家督相続人たる場合に於て然りとす。
然れども民法第七百三十三条第一項には子は父の家に入るとあり又同法第八百三十二条には認知は出生の時に遡りて効力を生ず。
但し第三者が既に取得したる権利を害することを得ずとあるを以て認知は既に第三者の取得したる権利を害せざる限り其子の出生当時に遡り其の父子の関係を確定し。
従て当然其子の家籍に変動を及ぼし。
即ち父の家に入るべきものたるは勿論なり。
或は私生子の戸主たる場合又は法定の推定家督相続人たる場合には戸主権喪失の原因として法律が之を認めず又は民法第七百四十四条第一項に違反するものとして之を否定せんとする者あるも(即ち原裁判所の如し)此等の場合は右民法第八百三十二条但書の場合に該当せざるものなるのみならず元来右の如く認知の効力は出生の時に遡るものなるを以て子は当初より父の家に入り嘗て他家の戸主たらず又は法定の推定家督相続人とならざりしものとなるの関係なれば右戸主権喪失の原因として法律が認めず又は民法第七百四十四条第一項に違反するものとして異説を立つるは畢竟父の認知なき場合の一時の現象に眩惑し其認知に依り根本的に認知なきに依り保てる効力の一切消滅するを忘れたるものにして其実に所謂論点を窃取し自ら循環論法に陥れるものと云ふべく此旨趣は最近大審院大正八年(オ)第九一九号事件に付き同院の大正九年二月十日の判決に於て宣明する所なり。
(大正九年四月二十五日発行法律新聞一六八二号所載)本件に於て一旦事件本人亡長屋鎌次郎の孫にして鎌次郎の養女つきの私生子たる長屋守が法定の推定家督相続人として相続届出をなし現在戸籍面上戸主となり居るも前示の理由に依り其相続は当然無効に帰すべきものたるは勿論なり。
然るに原裁判所も亦第一審裁判所と略ほ同一の見解殊に被認知者たる子が他家の戸主たる限りは戸主として第三者たる家族との間に於て扶養其他諸種の権利関係を生じ。
従て被認知者たる子が他家の戸主たる場合の如きは民法第八百三十二条但書の場合に該当するものと解する旨を以て抗告人の抗告を棄却せり。
然れども抗告人は尚之に服従することを得ざるものにして依然前記原審に為したる抗告理由を正しと信じ殊に被認知者が既に戸主となりたる場合には第三者たる家族との間に扶養其他の諸種権利関係を生じ。
従て民法第八百三十二条但書の場合に該当すとする如きに対しては全然首服し得ざる所なり。
何となれば扶養其他諸種権利関係は必ずしも其之の戸主となりたる場合に限り発生するものにあらず。
其依然家族たる場合にも或は当然生する所のものなるのみならず之を単身戸主なる場合に付ては適用なく一般的に論断し得るものにあらざればなり。
要するに原裁判所の裁判は法律に違背したる裁判なりと信ずるに依り更に茲に抗告に及ぶ次第なりと云ひ』同追加論旨は(一)原決定は苟くも被認知者たる子が他家の戸主なる場合に於ては認知の遡及効は限局せられ既得の戸主権に何等の消長を及ぼさず。
従て相続の無効を惹起せざるは勿論被認知者たる子は其戸主権を失却して認知者たる父母の家に入る可きものにあらずとなし其理由を民法第八百三十二条但書の制限と民法第七百六十二条及第八百七十四条とに求め更に法律が特に戸主権の喪失即ち家督相続開始の原因を限定したる律意を没却すとの理由を以て之を補へり(二)。
然れども民法第八百三十二条但書の制限を此場合に援用するは誤矣何となれば認知の直接の効力は認知者被認知者間に実親子の関係を確定するにあり元来実親子の関係は客観的には自然の事実に因り確定せられありと雖も人事の不知意なる時に此天地不変の関係を不明ならしめ親子各其地位関係を正しうする能はざるものあり認知は此人事の不自然なる状態を除去し実親子をして各其正しき地位に居らしめ自然の理に復せしむるに在り。
故に其効力は当然子の出生の当時に遡るべきものにして民法第八百三十二条本文は此自然の法則を認めたるものなり。
而して我国は古来血統を宗として家を形成し家族制度を以て立国の大本となせり此義よりして父子家を同ふすべきは亦我家族制度の根本義なり。
民法第七百三十三条第一項が子は父の家に入りとなせるは亦此の家族制度の根本義を道破せるものなり。
然らば認知の結果父子の関係確定せる者が此規定に依り家を同ふすべきは亦当然なりとす。
即ち被認知者が認知者の家に入り家を同ふするに至るは認知直接の効力にあらずして親子拠で家を成すべき我家族制度の根本義に基くものなり。
原決定が被認知者の認知者の家に入るを以て認知直接の効果なるかの如くなせるは妥当ならず(三)人をして各其既得の地位に安せしむるは其生活を平静ならしむる所以なり。
法は人の生活を保護する為め既得権を尊重し他人より輙く侵奪せらるることなきを定むるを例とす。
民法第八百三十二条の但書は此旨趣に出づ。
然れども這は第三者の既得権を保護するの規定なり。
当事者たる被認知者の既得権を謂ふものに非ず。
然らば被認知者が戸主権を取得したるの故を以て認知遡及の効果を制限せんとする原決定は誤れりと云はざるべからず。
尤も原決定は「被認知者たる子が他人の戸主なる限りは戸主として第三者たる家族との間に於て扶養其他諸種の権利関係を発生するを常とし若し認知の効果を遡及せば第三者たる家族の権利を侵害するに至るや論を竢たず」となすも扶養の権利義務の関係の如きは独り戸主対家族の関係のみに止まらず直系血族及び兄弟姉妹は互に扶養を為す義務を負ふものなれば(民法第九百五十四条)私生子と雖も大多数の場合に於て其母との間に相互に扶養の権利義務を有するが故に斯くの如き権利関係に影響あるの故を以て民法第八百三十二条の遡及効を制限すべきものとせば同条本文の規定は単に母の知れざるか又は母の死亡せる私生子にのみ適用あるに過ぎず。
即ち其適用甚た稀にして寧ろ但書を本文とし本文を但書となすに如かざる如き結果を見るべし之豈法の精神ならむや故に扶養権利義務の関係の如きは茲に所謂第三者の既得権中に包含せずと解するを正当とすべし。
(四)次に原決定は民法第七百六十二条及第八百七十四条等に依り窺知し得べき我民法が戸主権を尊重したる律意を参酌するを以て理由となせり。
然れども戸主権を尊重するは家を重するか為めなり。
家を成すには血統を宗とす。
親子各別に離散し単に烏合の衆の相集るありとするも之を以て我立国の大本たる家と謂ふべからず。
殊に実親子の関係は天地の自然に出で人為を以て作為すべからず。
即ち絶対的特定人間の関係なり。
余人を以て替ゆへからざるなり。
此点に於ては寧ろ戸主家族の関係より密接にして且つ重大なる蓋し戸主は一家族又は親族中の何人を以てずるも其の地位を充たし得可く(民法第九百七十条第九百七十二条第九百七十九条第九百八十二条第九百八十四条第九百八十五条第一項参照)場合に依りては他人よりも之を選任し得可ければなり。
(第九百八十五条第二項)既に家を重んするが故に戸主権を尊ふとせんか其家を成すべき根本たる父子親家の法則を破りて尚戸主権を尊重せざる可からずとするは根を断ちて枝葉の繁茂を望むが如く事理を顛倒せるものと謂はざるべからず。
殊に原決定が民法第七百六十二条を援で戸主権尊重の論拠とせるは誤矣何となれば同条は家の廃止に関する規定のみ。
即ち血統を宗とし祖先の祭祀を思想の根本とせる我家族制度は未だ祖先なき新立の家は輙く廃止せしむるも既に二代以上となりたる家即ち祭祀すべき祖先の存する家は之を廃止する能はざるを本則とし本家の相続等重要なる正当事由の存する場合のみを除外せるものなり。
而して家は苟も之を廃止せざるに於ては甲戸主去るも乙戸主来りて継続すべく故に家の尊重と戸主権の尊重とは別箇の観念なり。
家の存立を重する規定を解して直ちに其戸主たる者の地位を尊重すべきものとなせるは妥当ならず(五)原決定は更に「当然認知者たる父母の家に入るべきものとせば被認知者たる子は其戸主権を喪失し家督相続を開始するに至り法律が特に戸主権の喪失即ち家督相続開始の原因を限定したる律意を没却するに至らむ」となすも這は甚た敷誤なり。
何となれば本件の被認知者たる長屋守が亡戸主長屋鎌次郎の死亡に因り其家督を相続したるは被相続人の家族たる直系卑属として民法第九百七十条に依りたるものなることは原決定の「長屋鎌次郎(中略)同人は大正九年四月四日死亡したるを以て其養女たる亡つぎの私生子長屋守が其家督を相続し」なる事実認定に依り明瞭なり。
則ち其相続を為せるは亡戸主鎌次郎と家を同うしたるか為めなり。
然るに其後同月二十六日其父たる静岡市呉服町六丁目二十八番地戸主黒川元に認知せられたる為め其出生の時に遡りて黒川元と父口となり其家に入るを以て長屋鎌次郎の死亡当時其家族たらざりしこととなり。
従て民法第九百七十条に依る家督相続は無効に帰すべきなり。
之抗告人の最初よりの主張たり。
而して此場合は適法なる相続人として一旦相続の目的を継承したる者が欠格者となり廃除の判決確定し又相続の放棄を為したるとき等に於て最初より相続人にあらざりしことと為るが如く(島田学士明治大学講義録相続編二九四頁柳川学士相続法註釈一九三頁牧野博士相続法論六二頁仁井田博士親族法相続法論四一〇頁参照)当初より相続人にあらざりしこととなり其相続は無効に帰するものなれば相続を開始すべき場合にあらず。
既に相続開始すべき場合にあらずとせば相続開始原因の限定とは何等拘はる所なかるべきなり。
(六)要之原決定が抗告人の主張を排斥せる理由は孰れも相当ならず。
而して実親子の関係は絶対的特定人間の関係にして余人を以て替ふべからず。
然るに戸主たる地位を充たず者は必ずしも然らず親家族又は親族中の適任者なるに於ては敢て不可なるを見す。
然らば被認知者が他家の戸主たる場合に於ても亦認知の効力は遡及して父子の関係確定せられ更に其結果として子は父の家に入るべきものと解するを正当なりと信ず。
(法曹会は大正七年十二月七日認知は出生の時に遡りて其効力を生ずべきこと民法第八百三十二条に依り明かにして又子は父の家に入るべきこと同法第七百三十三条第一項に依り論なき所なるが故に父が認知したる私生子は縦令其認知当時母たる女戸主の推定家督相続人なりしとするも其認知に依り出生の時に遡りて庶子と為るべき結果女戸主の家督相続人たり得べき余地なく当然父の家に入るべきものなる旨決議せり法曹記事第二十九巻第三号一六頁法定の推定家督相続人は他家に入り又は一家を創立することを得ざるは民法第七百四十四条第一項本文の明定する所なり。
而して之実に将来戸主たる者の地位を確保せんと欲するか為めなり。
然るに尚、且、其家を出で認知者たる父の家に入るべきものとなせるは其意蓋し余人を以て替ふべからざる実親子間の関係及家族制度の根本たる父子同家の法則を以て戸主たる地位の確保に比しより重要となすにあらむ然らば被認知者が既に戸主たる場合と雖も亦同様に解すべきものなるむ)(七)最後に原決定は静岡区裁判所が相続無効の事実は裁判に依り証明するにあらざれば当然無効となすを得ずとなし抗告人の申請を排斥せるに対し抗告人が其不当を主張したるを理由なしとせられたり。
然れども他人の為したる家督相続の無効を主張し其相続を排斥せんとするには家督相続人より家督相続回復の訴を為すことを要し(東京控訴院大正二年九月二十九日判決法律新聞九百二号三九五頁)家督相続人にあらざる親族に於て家督相続人選定の為め親族会の招集を申請せんとするの前提として家督相続無効の確認を訴求し得べき権利なきものなり。
(長崎控訴院明治三十九年二月二十三日判決法律新聞四一七号六頁参照)然らば法定及指定の推定家督相続人なき場合に其選定の為めの親族会招集の申請に対し裁判に依り証明するにあらざれば相続の無効を認めずとなすは不能を強ゆるものにして相当ならず。
然るに之を認容し抗告人の主張を排斥せる原決定は此点に於ても亦違法ありと謂はざるべからずと云ふに在り
仍て按ずるに本件の事実は原裁判所の認定したる所に依れば戸主長屋鎌次郎の死亡に因り同人の養女たる亡つぎの私生子長屋守が家督相続を為し其届出を為したる後に至り守の父にして他家の戸主なる黒川元が守を認知したるものなり。
而して抗告人が本件親族会招集申請の旨趣として主張したる所は右守が其父に認知せられたる結果出生の時に遡りて父の黒川家に入りたるを以て守の為したる枚長屋家の家督相続は無効に帰し、且、長屋家には法定及指定の家督相続人なく又被相続人の父母は既に死亡して家督相続人を選定すること能はざるを以て親族会に於て之が選定を為すの必要を生じたりと云ふに在ること記録上明白なり。
然れども私生子の認知は出生の時に遡りて其効力を生ずるを原則とすることは民法第八百三十二条の規定する所なりと雖此原則に制限あることは既に同条但書の明示する所なるのみならず其他民法の規定に於て特に戸主権を尊重して戸主の地位に変動ながらんことを欲し容易に之が廃止を許さざる旨趣に鑑みて其精神の存する所を推考すれば私生子が認知せらるる以前既に一家の家督を相続して戸主と為りたる場合に於ては如上認知の遡及効に関する原則は制限せられ其私生子は父の認知に因り前に遡りて他家なる父の家に入る可きものに非ずして依然家督を相続したる家に在りて其戸主と為りたる地位に変更を生ぜざるものと解するを相当とす。
本院大正八年(オ)第九百十九号同九年二月十日判決例は家督相続開始前に於ける推定家督相続人の地位に関するものなれば本件の場合に適切ならず。
然れば本件の場合に於て長屋家の家督を相続して戸主と為りたる守は父の認知に因り前に遡りて他家なる父の家に入るべきものに非ずして依然長屋家に在で其戸主と為りたる地位に影響を及ぼさず。
従て其家督相続は無効に非ずして更に家督相続人を選定するの必要なきこと明白なれば本件親族会招集の申請は失当にして採用す可からざるものとす。
故に同一の旨趣に基きたる原判決は正当にして本件抗告は其理由なし。
抗告論旨は数項に分たれたりと雖も原決定には毫も所論の如き違法あることなく、且、叙上の如く本件親族会招集の申請が失当にして採用すべからざるものなる以上は本件抗告も亦到底採用す可からざること自明なれば其論旨の各項に就て一一説明を加ふるの必要なきを以て之を省き主文の如く決定す