大正八年(オ)第九百二號
大正八年十一月二十日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 上告裁判所ハ民事訴訟法第四百三九八條第三項ニ掲ケタル事實ノ外ハ總テ控訴裁判所カ其裁判ノ憑據ト爲シタル事實ヲ標準ト爲スヘキモノナレハ縱令上告人カ第一審以來事實ヲ認メタルハ錯誤ニ出テタルニセヨ上告裁判所ニ於テ之カ取消ヲ爲スコトヲ得サルモノトス
(參照)此他上告状ハ準備書面ニ關スル一般ノ規定ニ從ヒテ之ヲ作リ特ニ判決ニ對シ如何ナル程度ニ於テ不服ナルヤ及ヒ判決ニ付キ如何ナル程度ニ於テ破毀ヲ爲ス可キヤノ申立ヲ掲ケ且法則ヲ適用セス若クハ不當ニ適用シタルコトヲ上告ノ理由トスルトキハ其法則ノ表示又ハ訴訟手續ニ付テノ規定ニ違背シタルコトヲ上告ノ理由トスルトキハ其欠缺ヲ明カニスル事實ノ表示又ハ法律ニ違背シテ事實ヲ確定シ若クハ遺脱シ若クハ提出シタリト看做シタルコトヲ上告ノ理由トスルトキハ其事實ノ表示ヲ掲ク可シ(民事訴訟法第四百三十八條第三項)
上告人 東田鶴松
訴訟代理人 駒澤辰明
被上告人 中西キリ
右當事者間ノ貸金請求事件ニ付大阪控訴院カ大正八年七月九日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
上告論旨第一點ハ前審判決ハ事實認定ニ不當アルモノトス然リ上告人主張事實ハ被上告人主張事實立證ノ甲第一號證ハ之レヲ認ムルモ其借用證書成立ノミニシテ其債權ノ成立ハ之レヲ認メサルニ在リ故ニ原審及ヒ控訴審ニ於テ上告人ハ證人吉田喜造ノ證言ニヨリ上告人カ單獨名義ニテ湯屋營業ナセシ其立證ノ内容ハ共同營業爲シ居リタルコトヲ證スルニ餘リアル然ルニ前審ハ右上告人主張事實カ斯ク立證サレ在ルニ拘ハラス唯單ニ被上告人提出ノ甲第一號證ニ共同云云ノ文旨ナキヲ根據トシ甲第一號證ト甲第二號證トハ別箇ノ關係ニ屬スルモノト認定シ及ヒ證人吉田喜造ノ證言カ甲第一號證ノ金錢支出ノ點ヲ明確ニセサルヲ以テ茫然被上告人ノ先代訴外亡中西平吉ノ出資(五名ノ共同營業ニ非ス)ト認定シタルハ實ニ事實不當ノ認定ト云ハスシテ何ソヤ抑モ民事訴訟法ノ主義トシテ事實ノ認定ハ裁判官ノ自由ニ屬スルヲ以テ前掲ノ事實認定ハ元ヨリ前審ノ必證判斷ノ範圍ニ屬スルモノト雖モ現爆社會ノ普通觀念ニ訴ヘ是レヲ觀察セハ前審ノ必證判斷ハ一面常識ヲ逸シタル必證判斷ナリト云フモ憚ラサルナリ則チ必證判斷ノ範圍ヲ超ヘタル認定ト稱スルヲ得ヘシ蓋シ甲第一號證作成ノ日ハ大正二年二月一日ニシテ上告人カ訴外亡中西平吉ト共同營業爲セシ日カ大正二年一二月頃ナル證人吉田喜造ノ證言ニ因ルモ其共同者タリシコトハ疑フ餘地ナシ隨テ上告人カ當時右營業カ單獨名義ナリシコトノ事實ヨリ推スモ將タ亦被上告人カ上告人ト共同營業ナシ在リタル訴外亡中西平吉ノ遺産相續人タルコトノ點ヨリ推スモ蓋シ上告人名義ノミヲ根據トシタル甲第一號證ハ當時上告人ニ於テ他ニ特別ニ費消シタル事實存在セハ格別然ラサレハ當然共同營業ニ費消セシモノナリト認定スヘキカ正當ニシテ前審ノ心證判斷カ遂ニ茲ニ至ラサリシハ法律事實ノ認定ニ非ス豈ニ理論一片ノ解釋適用ト謂ハサル可カラスト云ヒ」第二點ハ上告人カ前審ニ於テ甲第一號證ヲ是認スト雖モ借用證書ノ存在ヲ認メタルニ過キスシテ其債權ノ存在ハ之レヲ認メサルナリ而シテ甲第一號證カ形式ト内容トニ不一致在ル假裝的債權證書ナルコトハ前審ニ於テ原審ニ於ケル證人吉田喜造ノ證言ヲ援用シタル上ハ同證書ニ因ルモ畧ホ推定サルル筈ナリ加之上告人カ前審ニ於テ債權ノ不存在ヲ主張シ其事實關係ノ幾部ヲ明白ニシタル上ハ被上告人ニ於テ之カ反對ヲ立證スヘキハ勿論本件ノ如ク被上告人ニ於テ之レカ反對ノ證據トシテ甲第二號證ヲ主張スル如キハ本件ノ反證トシテ採用スルニ由ナク却テ上告人主張事實タル共同營業ノ關係ヲ裏書爲シタルモノニ外ナラス則チ上告人主張ニ對スル反證トシテハ甲第一號證ニ因ル被上告人先代亡訴外中西平吉支出ノ金錢ヲ上告人ニ於テ自己ノ爲メ費消シタル反證アルヘキカ正當ニシテ然ラサル場合ハ上告人主張ノ如ク認定スルカ當然ナリ一面本件ヲ理論上ヨリ觀テ之レヲ按スルニ上告人カ極力債權ノ不存在ヲ主張シ甲第一號證ノ内容ヲ否認スル上ハ心ス被上告人ニ於テ之カ直接ノ反證ヲ苦テ抗辯スル筈ナルニ前審ノ加ク間接的反證ニ過キサル甲第二號證ニ依リ抗辯シタル如キハ既ニ其理論ニ於テモ論理一貫セサルヤノ嫌ナキニ非ス故ニ前審ノ認定ハ自然認定スル能ハサル事情ヲ殊ニ認定シタル如キ恰モ誤認ト稱スヘキ批難ナキニアラサルナリ蓋シ前審ハ法ヲ不當ニ適用シタル擬律錯誤ノ判決タルヲ免レスト云ヒ」第三點ハ前審判決ハ共同營業者ヲ四名ナリト斷定スルモ其事實ハ五名ノ共同營業ナリシナリ則前審大正八年六月三十日ノ口頭辯論調書ニ被上告人ノ前審訴訟代理人カ甲第二號證ヲ提出スルニ當リ其前提トシテ陳述シテ曰ク「中西平吉カ控訴人及ヒ中西兵三郎細田辰次郎吉澤熊三郎ノ四人ト共同ニテ湯屋營業ヲ爲シ」「其資金トシテ右四人ニ金六百圓ヲ貸付ケタルコトハ認ムルモ」云云トアリ
右事實ヲ分析セハ中西平吉カ發起ニテ控訴人及外三名ノ者ト共同シテ湯屋營業ナシタルコト及共同者五名ナルコト及ヒ中西平吉カ資金六百圓ヲ支出セルコトハ自明ノ理ナリ然レトモ其資金六百圓ヲ中西平吉カ外四名ノ共同者ニ貸付ケタルコトハ其實質ニ於テ一致セサルナリ則チ共同者ノ一人カ共同營業ノ資金トシテ支出シタルトキハ縱令形式上共同者等ニ於テ債務アル如ク甲第二號證ヲ作成スルモ其實質ハ共同營業ナル以上果シテ五名ノ共同者各自持分シテ債務ヲ負擔スヘキモノニシテ則チ債權者タル中西平吉ハ出資ト同時ニ二個ノ人格ヲ有スルモノナリ蓋シ金錢支出ノ上ニ於テハ個人トシテ債權者ノ位置ニ在リ及ヒ共同營業ノ上ニ於テハ持分ニ因ル債務者タルヘキモノニ外ナラス是ヲ要スルニ前審カ既ニ大正元年九月二十日作成ノ甲第二號證ニヨリ出資アリタル事實ヲ認メナカラ只管其甲第二號證ノミニ拘泥シ其共同營業カ五名ノ共同ナルヲ四名ノ共同トシテ判決シタルコトハ事實ノ眞相ヲ窺知セサル理由不備アルモノト謂ハサルヘカラス但シ本件ハ訴訟ノ内容ト判定事實ノ内容トカ明確ニ齟齬セル所以ナリト云ヒ」第四點ハ前審判決ハ被上告人先代中西平吉ト上告人及訴外人等五名共同營業ナシアリタル事實ヲ一面認メナカラ其共同營業カ大正元年九月二十日成立ニシテ其係爭ニ屬スル債務關係カ大正二年二月一日ナルコト竝ニ其間右共同營業カ解散セサルコトヲ證人吉田喜造ノ證言ニヨリ認メナカラ其間上告人カ共同營業ノ名義主ナルニ付キ其共同者ノ一人タル訴外亡中西平吉ヨリ金錢ヲ引出シタル右共同營業ニ費消シタルヤ否ヤノ本件爭點ヲ決スルニ當リ周圍ノ事情カ上告人主張事實ニ相當スル場合顯著ナルニ拘ラス被上告人カ之ニ反對ノ擧證ナササルニ前審カ漠然上告人主張事實ヲ顧慮セスシテ判決ナシタルハ蓋シ理由不備ヲ免レサルナリト云フニ在リ
然レトモ共同營業者間ニ於テモ其營業ニ關係ナキ金錢貸借ヲ爲スヲ得ルコト勿論ニシテ原院ハ甲第一號證ニ甲第二號證ニ於ケル如ク共同營業ノ資金ナルコトノ記載ナキニ依リ甲第一號證ノ金六百圓ハ共同營業ニ關係ナク別箇ニ貸借シタルモノナルコトヲ認メタルヲ以テ中西平吉カ共同營業者タリシト否トニ拘ハラス上告人ノ抗辯ヲ排斥シ被上告人ノ請求ヲ認容シタルモノナレハ本論旨ハ畢竟原院ノ職權ニ屬スル證據ノ取捨事實ノ認定ヲ非難スルモノニ外ナラスシテ孰レモ適法ノ上告理由タラス
同第五點ハ前審訴訟記録中大正八年六月三十日口頭辯論調書ニ「雙方代理人ハ他ニ立證ナシト述ヘ」云云トアリ右ハ當事者間各自本件ニ付キ訴訟代理人ヲ付シタル意味ノ文旨トス然レトモ本件訴訟ハ第一、第二審ヲ通シテ上告人ハ訴訟代理人ヲ出廷セシメタル事實更ラニ無シ則チ判決正本ニ於テモ右事實ノ明白ナルハ火ヲ睹ルヨリ明カナリ故ニ前審記録ニ前記事實ノ存スル以上ハ其判決モ當然之レニ根據セサルヘカラサルハ勿論然ルニ本件判決ノ如キ口頭辯論調書ニ因ラサル判決ハ違法ノ判決ニシテ隨テ法ヲ不當ニ適用シタル判決タルヲ疑ハサルナリ抑モ訴訟事件ニ關シ訴訟代理人ノ有無ハ訴訟ノ消長ニ關スル一大問題タルヲ疑ハス而シテ前審ノ如キハ民事訴訟法ノ主義トシテ但シ辯護士カ訴訟代理人タルコトヲ前提トスルニ因ミテモ前審カ訴訟代理人無キ上告人ニ訴訟代理人アリトシテ爲サレタル判決ハ正シク當事者ヲ誤リタル判決ニ外ナラス然ルニ本件ノ如キハ上告人ニ對シテハ既ニ其判決ニ於テ訴訟代理人ナキモ訴訟記録ヲ閲スレハ大正八年六月三十日ノ口頭辯論調書ノ辯論終結ノ箇所ニ於テ訴訟代理人アル如ク「雙方代理人」云云トノ記載アリ全ク判決事實ト訴訟記録事實トニ錯誤アルモノトス是レ則チ判決ノ基本タル口頭辯論調書ヲ度外視シテ言渡サレタル蓋シ判決ノ要素ヲ缺キタル不法アルモノトスト云フニ在リ
然レトモ原院大正八年六月三十日ノ口頭辯論調書ニ上告本人カ控訴人トシテ出頭シタル旨ノ記載アルノミナラス控訴人カ云云ノ供述ヲ爲シタル旨ノ記載アルニ依レハ其下ニ「雙方代理人ハ云云」トアルハ控訴人及ヒ被控訴代理人ト記スヘキヲ誤リタルモノナルコト疑ヲ容レサルヲ以テ本論旨ハ採ルニ足ラス
同第六點ハ前審判決ハ重要ノ爭點ヲ遺脱セル不法アルヲ免レサルモノトス何トナレハ上告人カ甲第一號證ニ對シ假裝的ノ消費貸借證書ナル旨抗辯シ原審竝ニ前審ニ證人吉田喜造ヲシテ之カ立證ヲ畧ホ求メタルニ前審ハ此抗辯ヲ排斥シテ眞正ノ意思表示ノ證書トシテ甲第一號證ヲ判示シタルモ是レニ相當ノ理由ヲ付セサルヘカラサルニ何等排斥ノ理由ヲ付セス及ヒ何等之ニ相當スル説明ヲモ付セスシテ單ニ「甲第一號證ニハ何等斯ル事實ノ認ムヘキ記載ナキ」云云及ヒ「證人吉田喜造ノ證言ニ依ルモ其抗辯事實ヲ認ムルニ足ラス」云云ノ理由ヲ以テ上告人ノ抗辯ヲ排斥シタルナリ按スルニ前審カ理由トスル「甲第一號證ニハ何等斯ル事實ノ認ムヘキ記載ナキ」云云ハ其判示タル相當理由ニ非ス則チ甲第一號證ニ記載アレハ其前提トシテ爭點トナラス然リ甲第一號證カ爭點タル以上ハ必ス記載ナキハ勿論之ニ對スル係爭關係存在スルモノトス故ニ此係爭ヲ判示セントセハ上告人主張ヲ覆スヘキ反證アリテ相當理由アルモノナリ及ヒ「證人吉田要造ノ證言ニ依ルモ此抗辯事實ヲ認ムルニ足ラス」云云ハ是レ亦相當理由ニアラス則チ前記理由ハ裁判官ノ認定ニシテ理由トシテ觀ルヘキモノニアラス隨テ認定ハ自由心證ニ屬シ敢テ相當理由トシテ上告人カ本件ノ如キ係爭ニ關シ上告人ノ抗辯ヲ排スルモノニアラサルコト明明白白タリ(法律新聞五三號一二頁東京控訴院判例參照)ト云フニ在リ
然レトモ甲第一號證カ假裝證書ナルコトハ上告人カ之ヲ抗辯トシテ提出シタル事跡ナシ故ニ此點ニ關スル判斷説明ナキハ寧ロ當然ニシテ爭點違脱ノ不法アルコトナシ
同第七點ハ上告人第一審ニ於ケル大正八年二月二十二日及第二審ニ於ケル同年六月三十日ノ口頭辯論ニ於テ被上告人カ亡中西平吉ノ遺産相續人タルコトヲ認ムル旨申立テタルモ右ハ錯誤ニ出テタル申立ナルヲ以テ當審ニ於テ之レヲ取消致スヘク抑モ家族ノ死亡ニヨリ開始セル遺産相續ノ順位ハ民法第九百九十四條ノ規定ニヨリ被相續人ノ直系卑屬カ第一順位者ナルコト明ニシテ其卑屬カ相續開始當時戸主タルト否トヲ問ハサルナリ何者遺産相續ハ親子ノ愛情ヲ基礎トシテ被相續人ノ子若クハ孫タル直系卑屬ヲ第一位ニ置キ其卑屬ハ繼子タルト養子タルトヲ區別セス故ニ中西平吉ノ死亡ニヨル遺産相續人ハ本件記録八丁ニアル京都市下京區長柚木角衛作成ニ係ル戸籍謄本ノ記載ニヨリ明ナル如ク平吉ノ孫タル中西平右衛門ニシテ平吉ノ配偶者タル被上告人ニ非サルナリ然ルニ法律上ノ智識ナキ上告人ハ自身第一二審ノ口頭辯論ニ於テ被上告人カ亡中西平吉ノ遺産相續人タルコトヲ認メタル結果遂ニ敗訴ノ判決ヲ言渡サレタル次第ナルヲ以テ上告人ハ前記戸籍謄本ヲ疏明トナシ被上告人カ中西平吉ノ遺産相續人タルコトノ表意カ錯誤ニ出テタルコトヲ證シテ之レカ意思表示ヲ取消シ可致或ハ曰ク上告審ニ於テハ法律違背ヲ理由トスル場合ニ原判決ヲ破毀シ錯誤ニ出テタル意思表示ヲ取消シタル結果原判決ヲ破毀セサル可ラサルカ如キ場合ハ適法ナル上告理由タラサルナリト乍然遺産相續人カ果シテ何人ナルカ其順位如何ハ法律ノ規定ニヨリ明ニシテ當事者ノ意思表示乃至契約ヲ以テ之ヲ變更スルコト能ハサルカ故ニ遺産相續人ニ非サルモノカ遺産相續人トシテ出訴セル場合ニハ民事訴訟法第二百十九條ニヨリ裁判所ノ職權調査事項ニ屬シ假令當事者間ニ爭ヒナキ場合ト雖モ訴訟能力ノ欠缺セル場合ト同樣上告審ニ於テ之ヲ調査シ遺産相續人タル資格ナキモノカ遺産相續人トシテ提起セル訴訟ハ之ヲ却下セサル可ラサルモノト信ス果シテ然ラハ被上告人カ遺産相續人トシテ提起セル本訴カ前記戸籍謄本ニヨリ明ナル如ク民法第九百九十四條ニヨリ遺産相續人タラサルコト明瞭ナルヲ以テ當上告審ニ於テ上告人カ第一、二審ニ於テ爲シタル被上告人カ中西平吉ノ遺産相續人タルコトヲ認ムル旨ノ意思表示ヲ錯誤ノ理由トシテ取消シ得ヘク從テ遺産相續人タラサルモノヲ遺産相續人トシテ被上告人ノ請求ヲ理由アリト爲シタル原判決ハ破毀セラルヘキモノト思料スト云フニ在リ
然レトモ被上告人カ亡中ジ平吉ノ遺産相續人ナルコトハ上告人ノ第一審以來認メタル所ニシテ原院カ其裁判ノ憑據ト爲シタル事實ナリ而シテ上告裁判所ハ民事訴訟法第四百三十八條第三項ニ掲ケタル事實ノ外ハ總テ控訴裁判所カ其裁判ノ憑據ト爲シタル事實ヲ標準ト爲スヘキコト同法第四百四十六條ニ規定スル所ナレハ假令上告人カ前示事實ヲ認メタルハ其錯誤ニ出テタルニセヨ上告裁判所ナル本院ニ於テ之レカ取消ヲ爲スヲ得サルコト自明ナルヲ以テ本論旨ハ採用セス
同第八點ハ原判決ハ上告人カ本訴借用金ヲ返濟セサル理由トシテ「然レハ控訴人カ未タ本件借用金ノ返濟ヲ爲ササルコトハ甲第一號證ノ今猶被控訴人ノ手裡ニ存在スル事實ニヨリ之ヲ認メ得ヘキヲ以テ云云」ト説示セラレタリ乍然甲第一號證ハ單純ノ金錢借用證書ニシテ彼ノ約束手形若クハ小切手ノ如ク引換證券ニ非ス從テ借用證書カ被上告人ノ手裡ニ現存スル一事ニ依テ以テ直チニ上告人カ亡中西平吉ニ債務ヲ負擔シ居ルモノト確定スルヲ得ス即チ原判決ハ甲第一號證ヲ約束手形若クハ小切手ト同一視シ被上告人ノ手中ニ存スルノ故ヲ以テ債務ノ辯濟ナキモノト判示セラレタルハ實驗法則ヲ誤リ採證ノ原則ニ違反セル違法ノ判決ナリト云フニ在リ
然レトモ金錢借用證書ハ引換證券ニ非サルコト勿論ナルモ債務ノ辯濟アリタルトキハ之レカ返還ヲ爲スコト普通ナリ故ニ該證書カ債權者ト手裡ニ存在スルコトニ依リ未タ辯濟ナキコトヲ認定シ得ラレサルニ非ス又斯カル認定ヲ爲ス可カラサル實驗上ノ法則ハ本院ノ認メサル所ナレハ本論旨モ之ヲ採用セス
上來説明ノ如ク本上告ハ適法ノ理由ナキニ因リ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ從ヒ主文ノ如ク判決ス
大正八年(オ)第九百二号
大正八年十一月二十日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 上告裁判所は民事訴訟法第四百三九八条第三項に掲げたる事実の外は総で控訴裁判所が其裁判の憑拠と為したる事実を標準と為すべきものなれば縦令上告人が第一審以来事実を認めたるは錯誤に出でたるにせよ上告裁判所に於て之が取消を為すことを得ざるものとす。
(参照)此他上告状は準備書面に関する一般の規定に従ひて之を作り特に判決に対し如何なる程度に於て不服なるや及び判決に付き如何なる程度に於て破毀を為す可きやの申立を掲げ、且、法則を適用せず。
若くは不当に適用したることを上告の理由とするときは其法則の表示又は訴訟手続に付ての規定に違背したることを上告の理由とするときは其欠欠を明かにする事実の表示又は法律に違背して事実を確定し若くは遺脱し若くは提出したりと看做したることを上告の理由とするときは其事実の表示を掲ぐ可し(民事訴訟法第四百三十八条第三項)
上告人 東田鶴松
訴訟代理人 駒沢辰明
被上告人 中西きり
右当事者間の貸金請求事件に付、大坂控訴院が大正八年七月九日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
理由
上告論旨第一点は前審判決は事実認定に不当あるものとす。
然り上告人主張事実は被上告人主張事実立証の甲第一号証は之れを認むるも其借用証書成立のみにして其債権の成立は之れを認めざるに在り。
故に原審及び控訴審に於て上告人は証人吉田喜造の証言により上告人が単独名義にて湯屋営業なせし其立証の内容は共同営業為し居りたることを証するに余りある然るに前審は右上告人主張事実が斯く立証され在るに拘はらず唯単に被上告人提出の甲第一号証に共同云云の文旨なきを根拠とし甲第一号証と甲第二号証とは別箇の関係に属するものと認定し及び証人吉田喜造の証言が甲第一号証の金銭支出の点を明確にせざるを以て茫然被上告人の先代訴外亡中西平吉の出資(五名の共同営業に非ず)と認定したるは実に事実不当の認定と云はずして何そや。
抑も民事訴訟法の主義として事実の認定は裁判官の自由に属するを以て前掲の事実認定は元より前審の必証判断の範囲に属するものと雖も現爆社会の普通観念に訴へ是れを観察せば前審の必証判断は一面常識を逸したる必証判断なりと云ふも憚らざるなり。
則ち必証判断の範囲を超へたる認定と称するを得べし蓋し甲第一号証作成の日は大正二年二月一日にして上告人が訴外亡中西平吉と共同営業為せし日が大正二年一二月頃なる証人吉田喜造の証言に因るも其共同者たりしことは疑ふ余地なし。
随で上告人が当時右営業が単独名義なりしことの事実より推すも将た亦被上告人が上告人と共同営業なし。
在りたる訴外亡中西平吉の遺産相続人たることの点より推すも蓋し上告人名義のみを根拠としたる甲第一号証は当時上告人に於て他に特別に費消したる事実存在せば格別然らざれば当然共同営業に費消せしものなりと認定すべきか正当にして前審の心証判断が遂に茲に至らざりしは法律事実の認定に非ず豈に理論一片の解釈適用と謂はざる可からずと云ひ」第二点は上告人が前審に於て甲第一号証を是認すと雖も借用証書の存在を認めたるに過ぎずして其債権の存在は之れを認めざるなり。
而して甲第一号証が形式と内容とに不一致在る仮装的債権証書なることは前審に於て原審に於ける証人吉田喜造の証言を援用したる上は同証書に因るも略ほ推定さるる筈なり。
加之上告人が前審に於て債権の不存在を主張し其事実関係の幾部を明白にしたる上は被上告人に於て之が反対を立証すべきは勿論本件の如く被上告人に於て之れが反対の証拠として甲第二号証を主張する如きは本件の反証として採用するに由なく却て上告人主張事実たる共同営業の関係を裏書為したるものに外ならず則ち上告人主張に対する反証としては甲第一号証に因る被上告人先代亡訴外中西平吉支出の金銭を上告人に於て自己の為め費消したる反証あるべきか正当にして然らざる場合は上告人主張の如く認定するか当然なり。
一面本件を理論上より観で之れを按ずるに上告人が極力債権の不存在を主張し甲第一号証の内容を否認する上は心す被上告人に於て之が直接の反証を苦で抗弁する筈なるに前審の加く間接的反証に過ぎざる甲第二号証に依り抗弁したる如きは既に其理論に於ても論理一貫せざるやの嫌なきに非ず。
故に前審の認定は自然認定する能はざる事情を殊に認定したる如き恰も誤認と称すべき批難なきにあらざるなり。
蓋し前審は法を不当に適用したる擬律錯誤の判決たるを免れずと云ひ」第三点は前審判決は共同営業者を四名なりと断定するも其事実は五名の共同営業なりしなり。
則前審大正八年六月三十日の口頭弁論調書に被上告人の前審訴訟代理人が甲第二号証を提出するに当り其前提として陳述して曰く「中西平吉が控訴人及び中西兵三郎細田辰次郎吉沢熊三郎の四人と共同にて湯屋営業を為し」「其資金として右四人に金六百円を貸付けたることは認むるも」云云とあり
右事実を分析せば中西平吉が発起にて控訴人及外三名の者と共同して湯屋営業なしたること及共同者五名なること及び中西平吉が資金六百円を支出せることは自明の理なり。
然れども其資金六百円を中西平吉が外四名の共同者に貸付けたることは其実質に於て一致せざるなり。
則ち共同者の一人が共同営業の資金として支出したるときは縦令形式上共同者等に於て債務ある如く甲第二号証を作成するも其実質は共同営業なる以上果して五名の共同者各自持分して債務を負担すべきものにして則ち債権者たる中西平吉は出資と同時に二個の人格を有するものなり。
蓋し金銭支出の上に於ては個人として債権者の位置に在り及び共同営業の上に於ては持分に因る債務者たるべきものに外ならず是を要するに前審が既に大正元年九月二十日作成の甲第二号証により出資ありたる事実を認めながら只管其甲第二号証のみに拘泥し其共同営業が五名の共同なるを四名の共同として判決したることは事実の真相を窺知せざる理由不備あるものと謂はざるべからず。
但し本件は訴訟の内容と判定事実の内容とか明確に齟齬せる所以なりと云ひ」第四点は前審判決は被上告人先代中西平吉と上告人及訴外人等五名共同営業なしありたる事実を一面認めながら其共同営業が大正元年九月二十日成立にして其係争に属する債務関係が大正二年二月一日なること並に其間右共同営業が解散せざることを証人吉田喜造の証言により認めながら其間上告人が共同営業の名義主なるに付き其共同者の一人たる訴外亡中西平吉より金銭を引出したる右共同営業に費消したるや否やの本件争点を決するに当り周囲の事情が上告人主張事実に相当する場合顕著なるに拘らず被上告人が之に反対の挙証なさざるに前審が漠然上告人主張事実を顧慮せずして判決なしたるは蓋し理由不備を免れざるなりと云ふに在り
然れども共同営業者間に於ても其営業に関係なき金銭貸借を為すを得ること勿論にして原院は甲第一号証に甲第二号証に於ける如く共同営業の資金なることの記載なきに依り甲第一号証の金六百円は共同営業に関係なく別箇に貸借したるものなることを認めたるを以て中西平吉が共同営業者たりしと否とに拘はらず上告人の抗弁を排斥し被上告人の請求を認容したるものなれば本論旨は畢竟原院の職権に属する証拠の取捨事実の認定を非難するものに外ならずして孰れも適法の上告理由たらず
同第五点は前審訴訟記録中大正八年六月三十日口頭弁論調書に「双方代理人は他に立証なしと述べ」云云とあり右は当事者間各自本件に付き訴訟代理人を付したる意味の文旨とす。
然れども本件訴訟は第一、第二審を通じて上告人は訴訟代理人を出廷せしめたる事実更らに無し則ち判決正本に於ても右事実の明白なるは火を睹るより明かなり。
故に前審記録に前記事実の存する以上は其判決も当然之れに根拠せざるべからざるは勿論然るに本件判決の如き口頭弁論調書に因らざる判決は違法の判決にして随で法を不当に適用したる判決たるを疑はざるなり。
抑も訴訟事件に関し訴訟代理人の有無は訴訟の消長に関する一大問題たるを疑はず。
而して前審の如きは民事訴訟法の主義として。
但し弁護士が訴訟代理人たることを前提とするに因みても前審が訴訟代理人無き上告人に訴訟代理人ありとして為されたる判決は正しく当事者を誤りたる判決に外ならず。
然るに本件の如きは上告人に対しては既に其判決に於て訴訟代理人なきも訴訟記録を閲すれば大正八年六月三十日の口頭弁論調書の弁論終結の箇所に於て訴訟代理人ある如く「双方代理人」云云との記載あり全く判決事実と訴訟記録事実とに錯誤あるものとす。
是れ則ち判決の基本たる口頭弁論調書を度外視して言渡されたる蓋し判決の要素を欠きたる不法あるものとすと云ふに在り
然れども原院大正八年六月三十日の口頭弁論調書に上告本人が控訴人として出頭したる旨の記載あるのみならず控訴人が云云の供述を為したる旨の記載あるに依れば其下に「双方代理人は云云」とあるは控訴人及び被控訴代理人と記すべきを誤りたるものなること疑を容れざるを以て本論旨は採るに足らず
同第六点は前審判決は重要の争点を遺脱せる不法あるを免れざるものとす。
何となれば上告人が甲第一号証に対し仮装的の消費貸借証書なる旨抗弁し原審並に前審に証人吉田喜造をして之が立証を略ほ求めたるに前審は此抗弁を排斥して真正の意思表示の証書として甲第一号証を判示したるも是れに相当の理由を付せざるべからざるに何等排斥の理由を付せず及び何等之に相当する説明をも付せずして単に「甲第一号証には何等斯る事実の認むべき記載なき」云云及び「証人吉田喜造の証言に依るも其抗弁事実を認むるに足らず」云云の理由を以て上告人の抗弁を排斥したるなり。
按ずるに前審が理由とする「甲第一号証には何等斯る事実の認むべき記載なき」云云は其判示たる相当理由に非ず則ち甲第一号証に記載あれば其前提として争点とならず然り甲第一号証が争点たる以上は必す記載なきは勿論之に対する係争関係存在するものとす。
故に此係争を判示せんとせば上告人主張を覆すべき反証ありて相当理由あるものなり。
及び「証人吉田要造の証言に依るも此抗弁事実を認むるに足らず」云云は是れ亦相当理由にあらず。
則ち前記理由は裁判官の認定にして理由として観るべきものにあらず。
随で認定は自由心証に属し敢て相当理由として上告人が本件の如き係争に関し上告人の抗弁を排するものにあらざること明明白白たり(法律新聞五三号一二頁東京控訴院判例参照)と云ふに在り
然れども甲第一号証が仮装証書なることは上告人が之を抗弁として提出したる事跡なし。
故に此点に関する判断説明なきは寧ろ当然にして争点違脱の不法あることなし
同第七点は上告人第一審に於ける大正八年二月二十二日及第二審に於ける同年六月三十日の口頭弁論に於て被上告人が亡中西平吉の遺産相続人たることを認むる旨申立てたるも右は錯誤に出でたる申立なるを以て当審に於て之れを取消致すべく。
抑も家族の死亡により開始せる遺産相続の順位は民法第九百九十四条の規定により被相続人の直系卑属が第一順位者なること明にして其卑属が相続開始当時戸主たると否とを問はざるなり。
何者遺産相続は親子の愛情を基礎として被相続人の子若くは孫たる直系卑属を第一位に置き其卑属は継子たると養子たるとを区別せず。
故に中西平吉の死亡による遺産相続人は本件記録八丁にある京都市下京区長柚木角衛作成に係る戸籍謄本の記載により明なる如く平吉の孫たる中西平右衛門にして平吉の配偶者たる被上告人に非ざるなり。
然るに法律上の智識なき上告人は自身第一二審の口頭弁論に於て被上告人が亡中西平吉の遺産相続人たることを認めたる結果遂に敗訴の判決を言渡されたる次第なるを以て上告人は前記戸籍謄本を疏明となし被上告人が中西平吉の遺産相続人たることの表意が錯誤に出でたることを証して之れが意思表示を取消し可致或は曰く上告審に於ては法律違背を理由とする場合に原判決を破毀し錯誤に出でたる意思表示を取消したる結果原判決を破毀せざる可らざるが如き場合は適法なる上告理由たらざるなりと乍然遺産相続人が果して何人なるか其順位如何は法律の規定により明にして当事者の意思表示乃至契約を以て之を変更すること能はざるが故に遺産相続人に非ざるものが遺産相続人として出訴せる場合には民事訴訟法第二百十九条により裁判所の職権調査事項に属し仮令当事者間に争ひなき場合と雖も訴訟能力の欠欠せる場合と同様上告審に於て之を調査し遺産相続人たる資格なきものが遺産相続人として提起せる訴訟は之を却下せざる可らざるものと信ず。
果して然らば被上告人が遺産相続人として提起せる本訴が前記戸籍謄本により明なる如く民法第九百九十四条により遺産相続人たらざること明瞭なるを以て当上告審に於て上告人が第一、二審に於て為したる被上告人が中西平吉の遺産相続人たることを認むる旨の意思表示を錯誤の理由として取消し得べく。
従て遺産相続人たらざるものを遺産相続人として被上告人の請求を理由ありと為したる原判決は破毀せらるべきものと思料すと云ふに在り
然れども被上告人が亡中じ平吉の遺産相続人なることは上告人の第一審以来認めたる所にして原院が其裁判の憑拠と為したる事実なり。
而して上告裁判所は民事訴訟法第四百三十八条第三項に掲げたる事実の外は総で控訴裁判所が其裁判の憑拠と為したる事実を標準と為すべきこと同法第四百四十六条に規定する所なれば仮令上告人が前示事実を認めたるは其錯誤に出でたるにせよ上告裁判所なる本院に於て之れが取消を為すを得ざること自明なるを以て本論旨は採用せず。
同第八点は原判決は上告人が本訴借用金を返済せざる理由として「。
然れば控訴人が未だ本件借用金の返済を為さざることは甲第一号証の今猶被控訴人の手裡に存在する事実により之を認め得べきを以て云云」と説示せられたり乍然甲第一号証は単純の金銭借用証書にして彼の約束手形若くは小切手の如く引換証券に非ず。
従て借用証書が被上告人の手裡に現存する一事に依て以て直ちに上告人が亡中西平吉に債務を負担し居るものと確定するを得ず。
即ち原判決は甲第一号証を約束手形若くは小切手と同一視し被上告人の手中に存するの故を以て債務の弁済なきものと判示せられたるは実験法則を誤り採証の原則に違反せる違法の判決なりと云ふに在り
然れども金銭借用証書は引換証券に非ざること勿論なるも債務の弁済ありたるときは之れが返還を為すこと普通なり。
故に該証書が債権者と手裡に存在することに依り未だ弁済なきことを認定し得られざるに非ず又斯かる認定を為す可からざる実験上の法則は本院の認めざる所なれば本論旨も之を採用せず。
上来説明の如く本上告は適法の理由なきに因り民事訴訟法第四百三十九条第一項に従ひ主文の如く判決す