損害要償請求ノ件

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大審院民事判決録（民録）25輯1010頁

上告論旨の第一点は原判決は「控訴人は其父母の知己たる被控訴人の懇請に応し家事手伝の為め被控訴人方に寄寓中大正三年四月頃被控訴人と婚姻し爾来夫婦の交情を継続し其間に一女を挙くるに至りたる事実を認定するに足る」と判示し上告人の抗弁を排斥したり。 然れども[しかれども]被上告人の母吉沢すいの原審に於ける証言に依るも大正三年四月中女中かないので因るから娘@069384;けを貸して呉れと野原が云ひ来りたるより之を承諾して手伝に遣はし二个[か]月が三个[か]月にて帰りたりとありて原判決認定の如き大正三年四月中上告人被上告人間に於て婚姻を為したる事実なし。 唯同人の証言中に@069384;けが姙娠して三月位の時（姙娠大正四年六月中）@069384;けの姙娠を知り聞訊したる処初めて野原との関係を知り野原に掛合たるに何れ長野若くは越後に赴任したるときは@069384;けを妻に貰受くる旨を答ひたりとあるも此の事実に徴するときは寧ろ[むしろ]婚姻予約の下に夫婦同様の生活を為し一女を挙くるに至りたるものにあらずして上告人抗弁の如く若き男女間に有勝の私通関係を結ひたるものにち其後@069384;けが姙娠するに至り其父母の談判を受けたる結果@069384;けを妻に貰受くる旨答ひたるに過ぎざること明白にして未だ以て婚姻予約を為し夫婦の交情を継続したりとの事実を認むること能はず其他甲号各証は悉く[ことごとく]被上告人が児女を分娩したる後にものにて情交関係を始めたるときのものにあらざるを以て当初婚姻予約の下に夫婦の交情を結ひたる事実の認むべきものなく又同証中に夫又は妻なる文字あるも斯の如きは私通関係の存する青春の男女が其文通に用ゆる常套語に過ぎずして之を以て婚姻予約の成立を認むること能はず。 而して[しこうして]乙第一号証一二三に依れば上告人被上告人間の情交関係は私通関係に過ぎざることを明認し得べし被上告人は上告人に文通するに当り常に横山持木等の偽名を用ひ或は兄と呼ひ妹と称せり。 若し真に婚姻を為し夫婦生活を為したりとせば此の如き偽名を用ゆる要なく寧ろ[むしろ]野原姓を用ゆるは当然にして習慣亦[また]然り又乙第一号証一大正三年六月八日附被上告人より上結人に宛てたる書状中月やくがあったから安心して下さいとの文句あり是れ果して何ものを暗示するものなるや神仏に祈りてまで子宝を得んと欲するは人情の常なり。 真に婚姻を為し夫婦生活を為し居りたるものならば此の如き文言あるべき道理なし。 此一事は正しく両人の情交関係は私通関係なりしことを証して余りありと謂ふべし。 故に原判決は証拠に基かずして事実を認定したる不法あるのみならず吾人の実験法則に背反して事実を認定したる違法あるものと思料すと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]本論旨は事実裁判所たる原裁判所の専権に属する証拠の採否、事実の認定を攻撃するに過ぎざるを以て上告適法の理由と為すを得ず。

同第二点は原判決は「被控訴人は婚姻予約は当事者間に於ける婚姻予約に関する合意ありたる後地方習慣に従ひ婚姻の式を挙くるにあらざれば未だ法律上成立したるものと為すを得ず。 従て未だ婚姻式の挙行なき本件に於ては法律上婚姻の予約成立せざる旨抗争するも婚姻予約は当事者間に於て将来婚姻すべきことを約諾すれば之により成立し何等特別の方式を必要とするものにあらざること論を竣たざるが故に前記抗弁は失当たるを免れず」と判示し以て上告人に敗訴を言渡したり。 然れども[しかれども]神聖なる婚姻予約と不潔なる男女の結合即ち私通関係を目的とする約束との区別は固より[もとより]当事者の意思に存すべきも唯是れのみに依りては其意思果して何れに存すべきや確然区別すること容易に非らず往往神聖なる婚姻予約と不潔なる私通関係とを混同する虞なきに非らず。 而して[しこうして]我国に於ける婚姻の如きは古来より確固たる一の社会的制度を成し慣習上自ら一定の経路及形式を存す。 即ち謀酌人あり相互性行血統の調査あり見合あり結納の受授あり華燭の典を挙行し然る後初めて婚姻生活に入るものなり。 又婚姻当事者たる男女に父母其他尊長者あるときは殆んど是等父母其他尊長者間に於て婚姻契約を為し当事者たる男女自ら婚約するが如きは稀なり。 富者貧者社会上の地位の異なるに従ひ其方法形式に相違ありと雖[いえども]も一定の慣習に基く形式の存することは顕著の事実にして其方法形式を履践して初めて婚姻の成立を見る然るに民法第七百七十五条は婚姻は之を戸籍吏に届出つるに因りて其効力を生ずと規定しあるを以て民法制定後は古来より慣行せられたる婚姻式の挙行のみに依りては法律上婚姻の成立を見ること能はず。 従て之が為め種種の弊害を醸し風教上面白からざる結果を生ずるに至りたる然るに大正四年一月二十六日御院民事連合部に於て大正二年（オ）第六二一号事件に付き婚姻予約を有効と為し真に婚姻を成立せしむる意思を以て婚姻の予約を為し之に基き慣習上婚姻の式を挙行したる後当事者の一方が正当の理由なくして相手方を離別し婚姻を為すことを拒絶したる場合は婚姻予約を履行せざるものに外ならざるを以て之に因りて生じたる損害を賠償する義務ある旨を判示し依て以て従来の弊風を救済したるは実に正義公平を旨とする社会観念に合致したるものと謂はざるべからず。 其婚姻予約を是認すべき理由も亦[また]実に茲に[ここに]存するものなるを以て婚姻予約を有効とし法律上其効力を認むべきは如上慣習に従ひ婚礼の式を挙行し事実上婚姻生活に入りたるものに於てのみ其必要を見るべきものにして単に男女間に於て将来婚姻せんとする意思あるのみのものを婚姻予約として其効力を認むべき必要毫も[ごうも]法律的に存在せず。 若し此の如きものをも婚姻予約とし其効力を認めんか遊冶郎と売笑婦との間の夫婦約束私通関係に於ける夫婦約束男女の共同生活馴合世帯の如きもの其他苟も男女情交関係ありし際或は夫と称し或は妻と呼ひたることあれば悉く[ことごとく]婚姻予約として法律上其効力を認めざるべからざることとなり一般の民情に反し却て風教を害し婚姻予約を有効と為したる法律精神を没却するに至るべし。 故に法律上其効力を認め不履行者に対し損害賠償の責務を負担せしむべき婚姻予約なるものは必らずや夫夫地方慣習に従ひ身分相応の婚礼の式を挙行し事実上婚姻生活に入りたる場合に於てのみ成立すべきものなることは実験法則上明了なるのみならず民法第七百七十五条に於て婚姻を要式行為となしたる律意にも合致するものとす。 前示御院判例に於ても亦[また]婚姻予約は要式行為なることを是認したり。 （中島博士婚姻の予約京都法学会雑誌第十字第六号一頁以下穂積博士婚姻予約有効判決の真意義法学志淋第十九巻第九号一頁以下参照）然るに原判決は婚姻予約は何等特別の方式を要するものにあらずと如上判示を為したるは歴然たる慣行の存在を遺脱し実験法則に違背したる不法あるものと思料すと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]婚姻の予約は事実上或種の儀式を伴ふことなきに非ずと雖[いえども]も其儀式は予約の成立要素に非ざるは勿論効力発生の条件にも非ずして唯予約の締結を表彰する社交的典礼たるに過ぎず。 故に何等の儀式をも挙けずして婚姻の予約を為したる場合に於ても其予約は適法にして有効なりと謂ふべく儀式なきの理由に依り婚姻の予約と私通関係とを同一視すべきものに非ず何となれば前者は将来に於て婚姻を為すことを目的とするに反し後者は全然其目的を欠如すればなり。 上告人所論の如き実験法則は存せざるのみならず又其援用に係る当院判例は婚姻の予約は特別の方式を要することを判示したるものに非ざれば之に依りて本件を律するを得ず。 然れば則ち原判決が叙上と同趣旨の理由に依り本件の婚姻予約は有効なる旨判定したるは相当にして本論旨は理由なし。 （判旨第二点）

同第三点は原判決は「被控訴人は本件婚姻予約当時満三十年に達せざりしを以て右予約に付き家にある父母の同意を必要とするに拘らず其同意を得ずして本件予約締結せられたるが故に法律上其効力なしと抗争するも婚姻予約に付き予約当事者が其家にある父母の同意を得ることを法律上必要とせざるは論を竣たざる所なるが故に右当弁も亦[また]失当なり。」と判示したり。 然れども[しかれども]民法上婚姻予約に関する規定なきを以て法理を探究し其性質の許す範囲に於て婚姻に関する規定を準用するを相当とす。 民法第七百七十二条規定の精神は父母をして其子女の婚姻に付き特別の保護を与へしめ、且、一家の利害休戚を定むる必要上従来の慣習を@039805酌して同意権を認めたるにあることは明了なり。 婚姻予約の場合に於ても如上の理由に基き父母の同意を要すと為すことは婚姻の場合と毫も[ごうも]異なることなし故に同条の規定を準用し婚姻予約に付き其家にある父母の同意を要するものと験釈するは洵に[まことに]至当のことと信ず。 果して然らば如上判示を為したる原判決は法則に違背したる不法あるものと思料すと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]婚姻の予約と其目的たる婚姻とは法律上同一の性質を有するものに非ざれば婚姻に適用すべき法規は当然婚姻の予約に適用すべきものと謂ふを得ず。 従て婚姻の予約を為すには民法第七百七十二条所定の家に在る父母の同意を必要とするものに非ず原判決が同趣旨の説明を為したるは相当にして本論旨は理由なし。 （判旨第三点）

以上説明する如く本件上告は適法の理由なきを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に従ひ主文の如く判決す