大正七年(オ)第五百三十二號
大正七年八月二十七日第一民事部判決
◎判決要旨
- 一 特別事情ノ豫見ハ債務ノ履行期迄ニ履行期後ノ事情ヲ前知スルノ義ナレハ豫見ノ時期ハ債務ノ履行期迄ナリト解スルヲ相當トス
右當事者間ノ損害賠償請求事件ニ付大阪控訴院カ大正七年四月十八日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ一部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
上告論旨第一點ハ原判決理由ニハ「被控訴人ハ燐寸賣買ノ商取引ノ實際ハ賣主ハ生産費ニ多少ノ利益ヲ加算シテ之ヲ販賣シ買主ハ僅少ナル口錢ヲ獲得センカ爲メ之ヲ買入ルルモノニシテ市場價格ノ變動ニヨル差額ヲ目的トスル投機的取引トハ異ナレリ故ニ當事者カ一旦値段及期限ヲ約定スルモ一朝市場價格騰貴スル時ハ賣主ハ貴上ヲ申出テ市場價格下落センカ買主ハ値下ヲ申出テ雙方互ニ相當ノ範圍ニ於テ之カ申出ニ應スル慣行アリテ其點ニ付互ニ暗默ノ契約アリ(中畧)前掲暗默ノ契約ニ基キ相當ノ値上ヲ要求シタルニ控訴人ハ(中畧)殘百三十六箱ニ付テハ三圓宛ノ値上ヲ求メタルモ控訴人ハ態度ヲ一變シ之ニ應セス(中畧)然ラハ控訴人ハ相當協定ヲ爲スヘキ特約ニ背キ契約ヲ履行セサリシモノニシテ被控訴人ニ購等不履行ノ責ナシト抗辯スレトモ(中畧)原審證人矢澤豹彦ノ證言竝ニ眞正ニ成立シタリト認ムルニ足ル乙第八號證ニ依レハ被控訴人ヨリ控訴人ニ値上ヲ請求シタル結果被控訴人主張ノ如ク大正三年九月ニ引渡タル七十一箱ニ付テハ控訴人ニ於テモ一箱ニ付キ一圓五十錢宛ノ値上ヲ承諾シタル事實ヲ認メ得可キモ殘百三十六箱即チ本件係爭ノ分ニ付テハ明示ニモ證又默示ニモ被控訴人主張ノ如キ値上ニ關スル契約ヲ爲シタル事實ヲ認メ難ク爾餘ノ乙第二乙第四乙第五乙第六乙第七號證ノ一、二乙第八號乙第十號證ニ依リテモ同樣認メ難キヲ以テ本當辯ハ之ヲ排斥ス」ト判示シ被控訴人ノ値上ニ關スル契約ヲ否定セルモ既ニ九月ニ引渡シタル七十一箱ノ分ニ付キ一圓五十錢宛ノ値上ヲ承諾シタル事實アル以上ハ戰亂ノ發展ニ伴ヒ益々原料ノ騰貴ヲ豫想シ得可キ筋合ナルカ故ニ殘百三十六箱ノ分ニ付キ何等値上ナク履行ス可キコトトスル如キハ實際上アリ得可キ事柄ニ非ス被控訴人ハ此値上ニ關スル契約ノ存在ヲ立證スル爲大正七年三月二十三日ノ口頭辯論ニ於テ證人近藤正平治ノ訊問ヲ申請セシ所原院ハ之ヲ却下シナカラ而モ上告人主張ノ契約存在ノ事實ヲ排斥セルハ唯一ノ立證ノ途ヲ杜絶シ證明ナキヲ責ムルモノトシテ不法ニ事實ヲ認定シタル違法アルモノト思料ス原判決援用ノ證人矢澤豹彦ハ上告人ヨリ右値上ノ事實ヲ立證セン爲メニ申請シタル證人ニアラス他ノ事項ニ付テノ證人ナリ而モ第一審ニ於ケル證人ナリシナリ又原判決ニ援用セシ書證中乙第四號證ヲ除キ他ハ皆此點以外ノ事項ノ立證ニ係ル唯乙第四號證ノミハ此點ニ關スル立證ナルモ之ハ相手方ノ否認スル所ニ係ル而シテ此書證ノ成立ヲモ併セテ近藤正平治ヲ以テ立證セントセシ所ナリ然ルニ原院ハ之ヲ排斥シタルカ故ニ唯一ノ立證方法ヲ排斥シテ上告人ニ不利ナル事實認定ヲ爲シタルモノト謂ハサルヘカラスト云フニ在リ
然レトモ上告人ハ値上ニ關スル契約ノ存在ヲ證スル爲メ乙第四號證ヲ援用シタルコト原審辯論調書ノ明示スル所ニシテ證人近藤正平治ノ訊問ハ唯一立證方法ノ申出ニ非サレハ原院カ其申出ヲ却下シタルハ唯一ナル立證ノ途ヲ杜絶シタルモノト謂フ可カラス右證人ノ訊問ハ乙第四號ノ成立ヲ立證スル爲メニ申出テタルモノニ非サルコト其訊問申請書ノ記載ニ徴シ明ナレハ此點ニ於ケル唯一立證方法ヲ拒絶シタルモノトモ謂フ可カラス
上告論旨第二點ハ原判決理由ニハ「被控訴人ハ控訴人カ大正三年十二月四日ニ爲シタル催告ハ同月十日迄ニ引渡サレタシト謂フニ在ルヲ以テ其期間ハ短キニ失シ解除ハ其效ナシト抗辯スレトモ甲第一號證ノ一乃至五竝ニ原審證人一宮眞典秋田種三郎ノ供述ニ徴セハ本件賣買契約ノ目的物ハ代替物ニシテ神戸市内ニ於テ調達シ得可キ事實ヲ推認スルニ足ルヲ以テ控訴人ノ定メタル期間ヲ以テ相當ナリト認定ス」ト判示セリ然レ共秋田種三郎ノ證言ハ唯單ニ價格ノ點ニ關スルノミニシテ又一宮眞典ノ證言モ市場價格ノ變動ニヨル値上値下ノ慣習及價格ノ點ニ關スルノミナルヲ以テ此等ノ證言ニ依ルモ本件契約ノ燐寸カ代替物ナリトノ點スラ明確ナラス況ンヤ神戸市内ニ於テ調達シ得ヘキ事實ヲ推認スルニ足ル何等證言ナキニ拘ラスカカル認定ヲ爲セルハ證據ナクシテ事實ヲ認定シタル違法アルモノト謂ハサル可カラス假リニ斯ル推認ヲナシ得ヘキモノトシテ代替物ニシテ且神戸市内ニ於テ調査シ得ヘキ事實アリト假定スルモ契約品ニ相當スル百三十六箱(十二箇ヲ一「ダース」トシ「ダース」ヲ「グロ―ス」トス而シテ七十五「グロース」ヲ一箱トナスヲ以テ一箱ト云フハ一萬八百箇ヲ含ム故ニ百三十六箱ト云ヘハ百四十六萬八千八百箇ナルコト明ナリ)ノ巨額ヲ僅カニ五日間内ニ神戸市ニ於テ調達シ得ヘキコトハ顯著ナル事實ニ非ス然ルニ原院ハ何等ノ證據ナクシテ五日ノ期間ヲ相當ナリト認定セルヲ以テ此點ニ於テモ原判決ハ證據ナクシテ事實ヲ認定シタル違法アリト思料スト云フニ在リ
然レトモ本件賣買ノ目的物ナル燐寸カ代替物ナルコト及ヒ神戸市内ニ於テ調達シ得ヘキコトハ原院ノ援用シタル證據ニ依リ認メ得ラレサルニ非ス代替物ニシテ神戸市内ニ於テ調達シ得ヘキニ於テハ五日内ニ百三十六箱ヲ調達スルハ敢テ難事ナリト謂フ可カラス而シテ原判決ハ此事情ニ基キテ被上告人カ上告人ニ對シ燐寸ノ引渡ヲ催告スルニ當リ引渡期間ヲ五日ト指定シタルヲ相當ナリト判斷シタルモノナレハ證據ニ基カサルノ判斷ナリト謂フヲ得ス
上告論旨第三點ハ原判決理由ニハ「大正三年八月五日控訴人ハ被控訴人ニ對シ當方ヨリ通知スル迄一時出荷中止ヲ願フ旨申出テタル事ヲ認メ得ルニ止マリ毫モ原料購入竝ニ製造ノ中止ヲ申出テタルモノニ非サルヲ以テ若シ被控訴人ニ於テ原料購入竝ニ製造中止ノ申出ナリト解シ之等ノ中止ヲ爲シタリトスルモ是被控訴人ノ過失ニシテ控訴人ノ過失ニアラス乙第一號證ハ前記ノ如ク當方ヨリ通知スル迄一時出荷中止ヲ願フ旨申出テタルニ止マルヲ以テ云云」ト記述シ一時ナリトモ被上告人ヨリ上告人ニ對シ出荷中止ヲ申出テタル旨認定セリ然レトモ抑々買主ハ賣主ヨリ賣買ノ目的タル商品ヲ受取ルヘキモノニシテ出荷ノ中止ヲ求ムルカ如キハ之即チ買主ノ受領拒絶ニシテ債權者タル買主ヲシテ遲滯ノ責ニ任セシムヘキハ論ヲ竢タス然ルニ原判決ハ出荷中止ヲ求メタル事實ヲ認定シ乍ラ此ノ事實ヲ以テ債權者ノ遲滯タル受領拒絶ニ非ストナシタルハ債權者遲滯ニ關スル法則ノ適用ヲ誤リタル不法アルモノト謂ハサル可カラス加之買主カ賣主ニ對シ出荷ノ中止ヲ申出テ從テ受領拒絶セル場合ニ於テハ賣主ハ無益ナル原料ノ買入ヲナシ又ハ無益ナル製造ニ從事スルコトハ之ヲ爲ササルヘキコトハ吾人日常ノ經驗上實驗スル所ナリ然ルニ原判決ハ斯ル出荷中止ノ申出テアリタルニ拘ハラス原料ノ購入ヲ爲シ製造ヲ進行セサルハ上告人ノ過失ナルカ如ク判斷セルハ之レ亦經驗律ニ違反セル不法アルモノト謂ハサル可カラスト云フニ在リ
然レトモ原判決ノ確定シタル所ニ依レハ被上告人ハ上告人ニ對シテ更ニ通知スル迄一時出荷ノ中止ヲ願フ旨申出テタリト云フニ在レハ其申出タルヤ上告人ノ意思如何ニ拘ラス賣買物件ノ受領ヲ拒絶スル意思ヲ決定的ニ通知シタルモノト解ス可カラス原院カ此申出ヲ以テ受領拒絶ト認込可ラスト爲シ從テ燐寸ノ價格騰貴ニ因ル損害ヲ被上告人ノ受領遲滯ニ歸ス可カラスト爲シタルハ正當ナリ
上告論旨第四點ハ原判決理由ニハ「歐洲戰亂ノ爲メニ一割五分強ヨリ二割七分弱ノ範圍ニ於テ騰貴シタルニ過キサルコト明カニシテ斯カル範圍内ニ於ケル騰貴ハ一般取引上ノ觀念ニ從フモ給付不能ヲ以テ目ス可キモノニ非サルヤ勿論ナリ原審證人一宮眞典ノ證言ニ依リ其成立ヲ認ムルニ足ル乙第九號證ニヨリテモ本抗辯ヲ維持スルニ足ラス」ト判示セリ然レトモ鑑定人一宮眞典ノ供述セルカ如ク燐寸製造業者ハ製造費ニ幾分ノ利益ヲ加ヘテ販賣シ買主モ亦幾分ノ口錢ヲ得テ他ニ轉賣スルカ通例ニシテ市場價格ノ高低ニヨル射倖的利益ヲ得ントスル投機取引トハ全ク性質ヲ異ニシ製造業者竝ニ買主共ニ僅少ノ利益ヲ得ルニ止マリ製造者ハ僅ニ一箱ニ付キ一分ノ利益ヲ獲得スルニ過キサルヲ以テ一割㈲分強ヨリ二割七分弱ノ騰貴ヲ來スカ如キハ誠ニ未曾有ノ變動ニシテ乙第九號證ノ如ク日本安全燐寸同業組合ハ總會ヲ開キ開戰前ニ燐寸賣渡シ契約ヲ爲シタル向ニ對シテハ原料供給状態カ復舊スル迄一時其約契履行ヲ中止スルコトノ決議ヲ爲シ製造業者ニ契約履行ヲ中止セシメタル次第ニテ假令一般取引ニ於テ斯ル騰貴ハ給付不能ト稱スヘキモノニアラストスルモ本件ノ如キ特種取引ニ在リテハカカル暴騰ハ不能ト認定スヘキコト相當ナルニ拘ラス取引ノ性質ヲ顧ミス漫然唯一割五分乃至二割七分弱ノ騰貴ハ毫モ不能ヲ以テ目スヘキニアラサルコト顯著ナル如ク判斷セルハ法則ヲ不當ニ適用シタル違法アルモノト思料スト云フニ在リ
然レトモ商人間ノ取引ニ於ケル給付不能ハ物理的不能ニ限ラス一般取引上ノ觀念ニ依リテモ定ムヘキモノナルコトハ上告人ノ主張シタル所ナリ是レ原院カ賣品ノ價格カ一割五分強乃至二割七分弱ノ範圍ニ於テ騰貴シタルコトハ一般取引上ノ觀念ニ從フモ給付ノ不能ヲ以テ目ス可カラスト判示シタル所以ニシテ上告人ノ主張ニ對スル判斷トシテ缺クル所アルヲ見ス燐寸取引ノ特別ナル性質ヨリ觀察シテ判斷スル所ナキヲ云爲スルハ主張セサル事項ニ對シテ説明ヲ與ヘサルヲ咎ムルモノニシテ上告ノ理由ト爲ス可カラス
上告論旨第五點ハ原判決理由ニハ「歐洲戰亂ノ勃發ハ大正三年七月二十八日墺地利洪牙利國ハ塞爾比亞國ニ對シ戰爭状態ニアル旨宣言シタルニ初マリタルコトハ當院ニ於テ顯著ナル事實ニ屬シ併モ本件賣買契約(五)ノ分即チ最終ノ分ハ恰モ同日ノ契約ニ係ルヲ以テ其以前ノ(一)乃至(四)ノ契約ノ時ハ勿論(五)ノ賣買契約締結ノ時ニ於テモ當事者雙方カ斯ル未曾有ノ戰亂ヲ豫見シ得サリシモノト斷定スルヲ相當トス(中畧)被控訴人ハ大正三年八月二十五日以前ニ既ニ歐洲戰亂ノ爲メ燐寸價格ノ爆騰スル事爲ヲ熟知シ居リタルコト明ナルヲ以テ同月末日以後ニ履行スヘキ分ニ係ル本件殘百三十六箱ニ付キ不履行ヲ爲シタランニハ控訴人ニ敍上ノ如キ特別ノ事情ニ因ル損害ヲ被ムラシムル事ヲ熟知シ居リタルモノト斷定スルニ餘リアリ然ラハ歐洲戰亂ノ勃發ヲ本件契約當時豫見シ得ラレサル特別ノ事情ニ係リ併モ本件損害ハ其特別ノ事情ニ起因スルモノナル事被控訴人所論ノ如シト雖モ被控訴人ハ本件殘百三十六箱ノ履行期以前ニ既ニ右戰亂ノ爲メ原料暴騰シ燐寸價格モ暴騰スル事ヲ熟知シ從テ若シ之レカ履行ヲ爲ササランニハ控訴人ニ之ニ因ル特別ノ損害ヲ被ムラシムルコトヲ熟知シ居リタルモノナルヲ以テ被控訴人ハ控訴人ニ對シ同人ノ被ムリタル前記損害(中畧)ヲ賠償ス可キ義務アルモノト認定スヘキハ勿論ナリ」ト判示セリ然レトモ民法ニ於テハ損害賠償ハ債權ノ效力トシテ發生シ債權ノ效力ハ債權發生ノ當時乃チ契約成立ノ當時ニ於ケル當事者ノ意思ニ基クモノナルヲ以テ債務不履行ニ因ル損害賠償ハ契約當時ニ於ケル當事者ノ意思ニ基クモノト謂ハサルヘカラス從テ特別事情ノ豫見ノ時期モ亦契約成立ノ時ヲ標準トセサルヘカラス蓋シ若シ債務者カ契約成立當時特別事情ヲ豫見スル時ハ債務者ハ或ハ契約ノ締結ヲ拒絶シ或ハ相當有利ナル條件ノ下ニ契約ヲ結ヒ以テ特別損害ヲ免レ得タリシノミナラス又特別事情ヲ豫見シ尚且ツ契約ヲ締結セルハ之レ債務者ニ於テ右事情ヨリ生スル損害ニ付キ責ニ任スル旨ヲ承諾ヲ爲セルモノナレハ債務者ヲシテ特別損害ヲ負擔セシムルモ不當ニアラサル可シト雖モ契約成立當時債務者ノ全ク豫見セサリシ特別事情ヨリ生スル損害賠償ノ責任ヲ負擔セシムルモノトナス時ハ債務者ノ豫期ニ反シ過重ノ責任ヲ負ハシムルヲ以テ甚タ酷ナリト謂ハサル可カラス左レハ原判決カ履行期以前乃チ契約成立シテ以降履行期迄及ヒ履行期(不履行ノ初メ)ニ於テ特別ノ事情ヲ豫見スレハ足ルカ如ク判示セルハ民法ノ規定ニ違反シタル不法アルモノト謂ハサル可カラス假ニ一歩ヲ讓リ豫見ノ時期ノ標準ハ不履行ノ際ニ在リト假定スルモ抑モ法律ニ所謂豫見トハ未發ノ出來事ヲ豫見スルノ義ニシテ既發ノ出來事ヲ豫見スルモノニ非サルコト自明ノ理ナルヲ以テ若シ原判決ノ如ク豫見スヘキ時ノ標準ヲ契約成立ノ以後ニ於ケル履行期以前ト爲ス時ハ此時ニ於テハ本件ノ如キニ在リテハ特別事情タル歐洲戰亂ハ既ニ勃發セシ過去ノ出來事ナルヲ以テ何人モ熟知セル所ノモノニシテ豫見ト云フ可キモノニ非サルノミナラス債務者ニ凡テノ損害ヲ負擔セシムルノ結果トナリ債務者保護ノ目的ヲ達スルコト能ハサルヘク畢竟本規定ハ無用ノモノトナルニ至ルヘシ更ニ之ヲ外國法ニ參酌スルノ獨逸法ハ豫見ヲ以テ要件トナサス即チ客觀的標準ヲ基礎トナセルヲ以テ特別事情ノ場合ニ於テ債權者ノ利益カ蓋然性ヲ以テ期待シ得ヘカリシヤ否ヤハ適當條件ニ從ヒ客觀的ニ考察シ或者ハ不履行ノ時或者ハ判決ノ時ヲ標準トナスヘシト論スト雖モ之ニ反シ主觀的標準ヲ基礎トシ豫見主義ヲ採用セル英米法拂法(第一一五〇條以上)及我舊民法(財産取得篇第三八五條第二項)ノ下ニアリテハ何レモ豫見ノ時ノ標準ヲ契約成立當時トナセルコトニ於テ一致セリ民法亦豫見主義ヲ採用シタルコト一點ノ疑ヲ容レサル所ナルヲ以テ豫見ノ時ノ標準ヲ契約成立ノ時ト解スヘキハ當然ナリ之ヲ要スルニ原判決ハ損害賠償ノ範圍ニ關スル民法ノ規定ニ違背シタル不法アルヲ免レスト思料スト云フニ在リ
然レトモ法律カ特別事情ヲ豫見シタル債務者ニ之ニ因リ生シタル損害ヲ賠償スルノ責ヲ負ハシムル所以ノモノハ特別事情ヲ豫見シタルニ於テハ之ニ因ル損害ノ生スルハ豫知ン得ヘキ所ナレハ之ヲ豫知シナカラ債務ヲ履行セス若クハ其履行ヲ不能ナラシメタル債務者ニ其損害ヲ賠償セシムルモ過酷ナラスト爲スニ在レハ特別事情ノ豫見ハ債務ノ履行期迄ニ履行期後ノ事情ヲ前知スルノ義ニシテ豫見ノ時期ハ債務ノ履行期迄ナリト解スルヲ正當トス故ニ原判決カ債務ノ履行期迄ニ特別事情ヲ豫見シタル上告人ニ之ニ因ル損害ノ賠償ヲ命シタルハ正當ニシテ特別事情ノ豫見ハ債務ノ原因タル契約成立ノ時ヲ標準ト爲スヘキモノナリトノ上告人ノ見解ハ首肯シ難シ本件ニ於テ原判決カ上告人ニ於テ豫見シタリト爲ス所ノ特別事情ハ債務ノ履行期後ニ於テ燐寸ノ價格歐州戰亂ノ爲メ騰貴セルヲ指シタルモノナレハ上告人カ契約成立後債務履行期迄ニ發生シタル歐洲戰亂其モノヲ指シテ特別事情ナリト爲シ債務履行期前ニ既ニ發生シタル戰亂ヲ履行期迄ニ豫見シタリトハ言フヲ得サル所ナルヨリ見ルモ特別事情豫見ノ時ヲ債務履行迄ト爲スノ非ニシテ契約成立ノ時ヲ標準トスルヲ正當ナリト論スルハ本件ニ於ケル特別事情ノ何タルヲ誤解セルニ基クモノニシテ固ヨリ謬見タルヲ免レス
以上説明シタルカ如ク本件上告ハ理由ナキヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ニ依リ主文ノ如ク判決ス
大正七年(オ)第五百三十二号
大正七年八月二十七日第一民事部判決
◎判決要旨
- 一 特別事情の予見は債務の履行期迄に履行期後の事情を前知するの義なれば予見の時期は債務の履行期迄なりと解するを相当とす。
右当事者間の損害賠償請求事件に付、大坂控訴院が大正七年四月十八日言渡したる判決に対し上告人より一部破毀を求むる申立を為したり。
理由
上告論旨第一点は原判決理由には「被控訴人は燐寸売買の商取引の実際は売主は生産費に多少の利益を加算して之を販売し買主は僅少なる口銭を獲得せんか為め之を買入るるものにして市場価格の変動による差額を目的とする投機的取引とは異なれり故に当事者が一旦値段及期限を約定するも一朝市場価格騰貴する時は売主は貴上を申出で市場価格下落せんか買主は値下を申出で双方互に相当の範囲に於て之が申出に応する慣行ありて其点に付、互に暗黙の契約あり(中略)前掲暗黙の契約に基き相当の値上を要求したるに控訴人は(中略)残百三十六箱に付ては三円宛の値上を求めたるも控訴人は態度を一変し之に応せず(中略)然らば控訴人は相当協定を為すべき特約に背き契約を履行せざりしものにして被控訴人に購等不履行の責なしと抗弁すれども(中略)原審証人矢沢豹彦の証言並に真正に成立したりと認むるに足る乙第八号証に依れば被控訴人より控訴人に値上を請求したる結果被控訴人主張の如く大正三年九月に引渡たる七十一箱に付ては控訴人に於ても一箱に付き一円五十銭宛の値上を承諾したる事実を認め得可きも残百三十六箱即ち本件係争の分に付ては明示にも証又黙示にも被控訴人主張の如き値上に関する契約を為したる事実を認め難く爾余の乙第二乙第四乙第五乙第六乙第七号証の一、二乙第八号乙第十号証に依りても同様認め難きを以て本当弁は之を排斥す」と判示し被控訴人の値上に関する契約を否定せるも既に九月に引渡したる七十一箱の分に付き一円五十銭宛の値上を承諾したる事実ある以上は戦乱の発展に伴ひ益益原料の騰貴を予想し得可き筋合なるが故に残百三十六箱の分に付き何等値上なく履行す可きこととする如きは実際上あり得可き事柄に非ず被控訴人は此値上に関する契約の存在を立証する為大正七年三月二十三日の口頭弁論に於て証人近藤正平治の訊問を申請せし所原院は之を却下しながら而も上告人主張の契約存在の事実を排斥せるは唯一の立証の途を杜絶し証明なきを責むるものとして不法に事実を認定したる違法あるものと思料す原判決援用の証人矢沢豹彦は上告人より右値上の事実を立証せん為めに申請したる証人にあらず。
他の事項に付ての証人なり。
而も第一審に於ける証人なりしなり。
又原判決に援用せし書証中乙第四号証を除き他は皆此点以外の事項の立証に係る唯乙第四号証のみは此点に関する立証なるも之は相手方の否認する所に係る。
而して此書証の成立をも併せて近藤正平治を以て立証せんとせし所なり。
然るに原院は之を排斥したるが故に唯一の立証方法を排斥して上告人に不利なる事実認定を為したるものと謂はざるべからずと云ふに在り
然れども上告人は値上に関する契約の存在を証する為め乙第四号証を援用したること原審弁論調書の明示する所にして証人近藤正平治の訊問は唯一立証方法の申出に非ざれば原院が其申出を却下したるは唯一なる立証の途を杜絶したるものと謂ふ可からず。
右証人の訊問は乙第四号の成立を立証する為めに申出てたるものに非ざること其訊問申請書の記載に徴し明なれば此点に於ける唯一立証方法を拒絶したるものとも謂ふ可からず。
上告論旨第二点は原判決理由には「被控訴人は控訴人が大正三年十二月四日に為したる催告は同月十日迄に引渡されたしと謂ふに在るを以て其期間は短きに失し解除は其効なしと抗弁すれども甲第一号証の一乃至五並に原審証人一宮真典秋田種三郎の供述に徴せば本件売買契約の目的物は代替物にして神戸市内に於て調達し得可き事実を推認するに足るを以て控訴人の定めたる期間を以て相当なりと認定す」と判示せり。
然れ共秋田種三郎の証言は唯単に価格の点に関するのみにして又一宮真典の証言も市場価格の変動による値上値下の慣習及価格の点に関するのみなるを以て此等の証言に依るも本件契約の燐寸が代替物なりとの点すら明確ならず況んや神戸市内に於て調達し得べき事実を推認するに足る何等証言なきに拘らずかかる認定を為せるは証拠なくして事実を認定したる違法あるものと謂はざる可からず。
仮りに斯る推認をなし得べきものとして代替物にして、且、神戸市内に於て調査し得べき事実ありと仮定するも契約品に相当する百三十六箱(十二箇を一「だーす」とし「だーす」を「ぐろ―す」とす。
而して七十五「ぐろーす」を一箱となすを以て一箱と云ふは一万八百箇を含む。
故に百三十六箱と云へは百四十六万八千八百箇なること明なり。
)の巨額を僅かに五日間内に神戸市に於て調達し得べきことは顕著なる事実に非ず。
然るに原院は何等の証拠なくして五日の期間を相当なりと認定せるを以て此点に於ても原判決は証拠なくして事実を認定したる違法ありと思料すと云ふに在り
然れども本件売買の目的物なる燐寸が代替物なること及び神戸市内に於て調達し得べきことは原院の援用したる証拠に依り認め得られざるに非ず代替物にして神戸市内に於て調達し得べきに於ては五日内に百三十六箱を調達するは敢て難事なりと謂ふ可からず。
而して原判決は此事情に基きて被上告人が上告人に対し燐寸の引渡を催告するに当り引渡期間を五日と指定したるを相当なりと判断したるものなれば証拠に基かざるの判断なりと謂ふを得ず。
上告論旨第三点は原判決理由には「大正三年八月五日控訴人は被控訴人に対し当方より通知する迄一時出荷中止を願ふ旨申出てたる事を認め得るに止まり毫も原料購入並に製造の中止を申出てたるものに非ざるを以て若し被控訴人に於て原料購入並に製造中止の申出なりと解し之等の中止を為したりとするも是被控訴人の過失にして控訴人の過失にあらず。
乙第一号証は前記の如く当方より通知する迄一時出荷中止を願ふ旨申出てたるに止まるを以て云云」と記述し一時なりとも被上告人より上告人に対し出荷中止を申出てたる旨認定せり。
然れども抑抑買主は売主より売買の目的たる商品を受取るべきものにして出荷の中止を求むるが如きは之即ち買主の受領拒絶にして債権者たる買主をして遅滞の責に任ぜしむべきは論を竢たず。
然るに原判決は出荷中止を求めたる事実を認定し乍ら此の事実を以て債権者の遅滞たる受領拒絶に非ずとなしたるは債権者遅滞に関する法則の適用を誤りたる不法あるものと謂はざる可からず。
加之買主が売主に対し出荷の中止を申出で。
従て受領拒絶せる場合に於ては売主は無益なる原料の買入をなし又は無益なる製造に従事することは之を為さざるべきことは吾人日常の経験上実験する所なり。
然るに原判決は斯る出荷中止の申出てありたるに拘はらず原料の購入を為し製造を進行せざるは上告人の過失なるが如く判断せるは之れ亦経験律に違反せる不法あるものと謂はざる可からずと云ふに在り
然れども原判決の確定したる所に依れば被上告人は上告人に対して更に通知する迄一時出荷の中止を願ふ旨申出てたりと云ふに在れば其申出たるや上告人の意思如何に拘らず売買物件の受領を拒絶する意思を決定的に通知したるものと解す可からず。
原院が此申出を以て受領拒絶と認込可らずと為し。
従て燐寸の価格騰貴に因る損害を被上告人の受領遅滞に帰す可からずと為したるは正当なり。
上告論旨第四点は原判決理由には「欧洲戦乱の為めに一割五分強より二割七分弱の範囲に於て騰貴したるに過ぎざること明かにして斯かる範囲内に於ける騰貴は一般取引上の観念に従ふも給付不能を以て目す可きものに非ざるや勿論なり。
原審証人一宮真典の証言に依り其成立を認むるに足る乙第九号証によりても本抗弁を維持するに足らず」と判示せり。
然れども鑑定人一宮真典の供述せるが如く燐寸製造業者は製造費に幾分の利益を加へて販売し買主も亦幾分の口銭を得て他に転売するか通例にして市場価格の高低による射倖的利益を得んとする投機取引とは全く性質を異にし製造業者並に買主共に僅少の利益を得るに止まり製造者は僅に一箱に付き一分の利益を獲得するに過ぎざるを以て一割㈲分強より二割七分弱の騰貴を来すが如きは誠に未曽有の変動にして乙第九号証の如く日本安全燐寸同業組合は総会を開き開戦前に燐寸売渡し契約を為したる向に対しては原料供給状態が復旧する迄一時其約契履行を中止することの決議を為し製造業者に契約履行を中止せしめたる次第にて仮令一般取引に於て斯る騰貴は給付不能と称すべきものにあらずとするも本件の如き特種取引に在りてはかかる暴騰は不能と認定すべきこと相当なるに拘らず取引の性質を顧みず漫然唯一割五分乃至二割七分弱の騰貴は毫も不能を以て目すべきにあらざること顕著なる如く判断せるは法則を不当に適用したる違法あるものと思料すと云ふに在り
然れども商人間の取引に於ける給付不能は物理的不能に限らず一般取引上の観念に依りても定むべきものなることは上告人の主張したる所なり。
是れ原院が売品の価格が一割五分強乃至二割七分弱の範囲に於て騰貴したることは一般取引上の観念に従ふも給付の不能を以て目す可からずと判示したる所以にして上告人の主張に対する判断として欠くる所あるを見す燐寸取引の特別なる性質より観察して判断する所なきを云為するは主張せざる事項に対して説明を与へざるを咎むるものにして上告の理由と為す可からず。
上告論旨第五点は原判決理由には「欧洲戦乱の勃発は大正三年七月二十八日墺地利洪牙利国は塞爾比亜国に対し戦争状態にある旨宣言したるに初まりたることは当院に於て顕著なる事実に属し併も本件売買契約(五)の分即ち最終の分は恰も同日の契約に係るを以て其以前の(一)乃至(四)の契約の時は勿論(五)の売買契約締結の時に於ても当事者双方が斯る未曽有の戦乱を予見し得ざりしものと断定するを相当とす。
(中略)被控訴人は大正三年八月二十五日以前に既に欧洲戦乱の為め燐寸価格の爆騰する事為を熟知し居りたること明なるを以て同月末日以後に履行すべき分に係る本件残百三十六箱に付き不履行を為したらんには控訴人に叙上の如き特別の事情に因る損害を被むらしむる事を熟知し居りたるものと断定するに余りあり。
然らば欧洲戦乱の勃発を本件契約当時予見し得られざる特別の事情に係り併も本件損害は其特別の事情に起因するものなる事被控訴人所論の如しと雖も被控訴人は本件残百三十六箱の履行期以前に既に右戦乱の為め原料暴騰し燐寸価格も暴騰する事を熟知し。
従て若し之れが履行を為ささらんには控訴人に之に因る特別の損害を被むらしむることを熟知し居りたるものなるを以て被控訴人は控訴人に対し同人の被むりたる前記損害(中略)を賠償す可き義務あるものと認定すべきは勿論なり。」と判示せり。
然れども民法に於ては損害賠償は債権の効力として発生し債権の効力は債権発生の当時乃ち契約成立の当時に於ける当事者の意思に基くものなるを以て債務不履行に因る損害賠償は契約当時に於ける当事者の意思に基くものと謂はざるべからず。
従て特別事情の予見の時期も亦契約成立の時を標準とせざるべからず。
蓋し若し債務者が契約成立当時特別事情を予見する時は債務者は或は契約の締結を拒絶し或は相当有利なる条件の下に契約を結ひ以て特別損害を免れ得たりしのみならず又特別事情を予見し尚且つ契約を締結せるは之れ債務者に於て右事情より生ずる損害に付き責に任ずる旨を承諾を為せるものなれば債務者をして特別損害を負担せしむるも不当にあらざる可しと雖も契約成立当時債務者の全く予見せざりし特別事情より生ずる損害賠償の責任を負担せしむるものとなす時は債務者の予期に反し過重の責任を負はしむるを以て甚た酷なりと謂はざる可からず。
左れば原判決が履行期以前乃ち契約成立して以降履行期迄及び履行期(不履行の初め)に於て特別の事情を予見すれば足るが如く判示せるは民法の規定に違反したる不法あるものと謂はざる可からず。
仮に一歩を譲り予見の時期の標準は不履行の際に在りと仮定するも。
抑も法律に所謂予見とは未発の出来事を予見するの義にして既発の出来事を予見するものに非ざること自明の理なるを以て若し原判決の如く予見すべき時の標準を契約成立の以後に於ける履行期以前と為す時は此時に於ては本件の如きに在りては特別事情たる欧洲戦乱は既に勃発せし過去の出来事なるを以て何人も熟知せる所のものにして予見と云ふ可きものに非ざるのみならず債務者に凡ての損害を負担せしむるの結果となり債務者保護の目的を達すること能はざるべく畢竟本規定は無用のものとなるに至るべし更に之を外国法に参酌するの独逸法は予見を以て要件となさず。
即ち客観的標準を基礎となせるを以て特別事情の場合に於て債権者の利益が蓋然性を以て期待し得べかりしや否やは適当条件に従ひ客観的に考察し或者は不履行の時或者は判決の時を標準となすべしと論すと雖も之に反し主観的標準を基礎とし予見主義を採用せる英米法払法(第一一五〇条以上)及我旧民法(財産取得篇第三八五条第二項)の下にありては何れも予見の時の標準を契約成立当時となせることに於て一致せり民法亦予見主義を採用したること一点の疑を容れざる所なるを以て予見の時の標準を契約成立の時と解すべきは当然なり。
之を要するに原判決は損害賠償の範囲に関する民法の規定に違背したる不法あるを免れずと思料すと云ふに在り
然れども法律が特別事情を予見したる債務者に之に因り生じたる損害を賠償するの責を負はしむる所以のものは特別事情を予見したるに於ては之に因る損害の生ずるは予知ん得べき所なれば之を予知しながら債務を履行せず若くは其履行を不能ならしめたる債務者に其損害を賠償せしむるも過酷ならずと為すに在れば特別事情の予見は債務の履行期迄に履行期後の事情を前知するの義にして予見の時期は債務の履行期迄なりと解するを正当とす。
故に原判決が債務の履行期迄に特別事情を予見したる上告人に之に因る損害の賠償を命じたるは正当にして特別事情の予見は債務の原因たる契約成立の時を標準と為すべきものなりとの上告人の見解は首肯し難し本件に於て原判決が上告人に於て予見したりと為す所の特別事情は債務の履行期後に於て燐寸の価格欧州戦乱の為め騰貴せるを指したるものなれば上告人が契約成立後債務履行期迄に発生したる欧洲戦乱其ものを指して特別事情なりと為し債務履行期前に既に発生したる戦乱を履行期迄に予見したりとは言ふを得ざる所なるより見るも特別事情予見の時を債務履行迄と為すの非にして契約成立の時を標準とするを正当なりと論するは本件に於ける特別事情の何たるを誤解せるに基くものにして固より謬見たるを免れず
以上説明したるが如く本件上告は理由なきを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に依り主文の如く判決す