大正六年(オ)第百號
大正六年四月四日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 委任状ノ作成其モノハ法律行爲ニ非サレハ代理人カ本人ニ代リ自己ヲ受任者トスル委任状ヲ作成スルモ民法第百八條ニ違背スルモノニ非ス
(參照)何人ト雖モ同一ノ法律行爲ニ付キ相手方ノ代理人ト爲リ又ハ當事者雙方ノ代理人ト爲ルコトヲ得ス但債務ノ履行ニ付テハ此限ニ在ラス(民法第百八條)
右當事者間ノ債權不存在確認請求事件ニ付神戸地方裁判所カ大正五年十一月二十一日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シタリ
理由
上告論旨第一點ハ原審ハ本件係爭債權ノ證書作成日タル明治四十四年十一月九日頃上告人ハ尼ケ崎町ニ於テ木工品製造營業中ナリシコトヲ認定シ而シテ「訴外下徳外吉ハ其營業主任トシテ之ニ從事シ居リタルモノナレハ同人ハ右營業ニ關シテハ被控訴人ノ代理權ヲ有シタルモノト解スヘキモ該營業ノ爲メニ他ヨリ金錢借入ヲ爲ス權限ヲモ授與セラレ居タリヤ否ヤハ容易ク之カ斷定ヲ爲スコトヲ得ス」ト判示シ其點ニ付キ「原審證人六島靜三ノ證言竝ニ前段認定ノ各事實就中下徳外吉カ本件貸借ニ先ツ僅カ五个月前ニ於テ本件貸借公正證書附屬委任状ニ押捺セル印章ヲ使用シテ作成セラレタル被控訴人ノ委任状ニ基キ其代理人トシテ訴外太田芳松ヨリ金三百圓ヲ借入レタル事實ヲ綜合考覈スルトキハ下徳外吉ハ右營業ニ關シ金錢借入ノ權限ヲモ授與セラレ居リタルモノト認定スルヲ妥當トス」ト判定セラレタリ然レトモ右原審ノ擧示セラレタル證據中六島靜三ノ證言ニハ上告人カ下徳外吉ニ金錢借入ノ權限ヲ授與シタリトノ趣旨ヲ見ルヘキ供述ナク其他原審ノ認定事實中ニ權限授與ヲ推定スルニ足ル資料ナシ又下徳外吉カ本件貸借公正證書附屬委任状ニ押捺セル印章ト同一印章ヲ使用シ上告人名義ノ委任状ヲ作成シテ公正證書作成ト同時ニ金三百圓ヲ太田芳松ヨリ借入レタル事實ハ本件審理中證人ノ證言ニヨリ上告人カ始メテ知リ得タル所ニシテ被上告人カ原審ニ於テ乙第五號證ノ一、二トシテ該公正證書及ヒ附屬委任状ヲ提出セル際上告人ハ其書面ノ成立ヲ認メタルモ此ノ如キ權限授與ノ事實ヲ認メタルコトナシ(下徳外吉ハ店判ヲ使用シ公正證書作成ノ上金錢借入ヲ爲シ得タルヲ奇貨トシ廢業後ニ於テモ同樣ノ手段ヲ以テ本件ノ借入ヲ爲シタルモノナリ)然ルニ原審ハ前述ノ如キ上告人ノ權限授與ニ關係ナキ證據ニ基キ上告人カ下徳外吉ニ金錢借入ノ權限ヲ授與シタリト認定セルハ理由不備ノ違法アルノミナラス證據ヲ誤解シテ不當ニ事實ヲ確定シタルノ違法アリト信スト云フニ在リ
然レトモ證人六島靜三ノ訊問調書ニハ「(前畧)橋本モ來合セ齋藤モ居リシモ以テ證人ハ齋藤ニ其金ノ請求ヲ爲シタルニ工場ノ取引ハ總テ下徳ニ委セアルカ(中畧)一時ニ支拂フコトハ出來ヌ」トノ證言ノ記載アルヲ以テ原裁判所カ同人ノ證言ニ依リテ下徳外吉ハ上告人ノ營業ニ關シ金錢借入ノ權限ヲ授與セラレタリト認定シタルハ不法ニアラス又乙第五號證ノ一、二ハ下徳外吉ニ於テ上告人ノ代理人トスシテ金三百圓ヲ太田芳松ヨリ借入ルル權限ヲ有シタルコトヲ認定スルノ證據ト爲シ得ラレサルニアラ故ニ原判決ハ相當ニシテ上告論旨ハ其理由ナシ
上告論旨第二點ハ上告人ハ係爭公正證書ニ添附セラルル委任状(甲第一號證ノ二)ハ上告人ノ改名(明治四十三年四月二十三日改名同月二十七日屆出ト甲第二號證ニアリ)前ノ名義ニテ作成セラレタル僞造ノ證書ナリト論爭シタルヲ以テ右公正證書作成ノ委任者タル下徳外吉カ金錢借入ノ權限アリヤ否ヤハ主要ノ爭點トナレリ而シテ原判決ハ先ツ「下徳外吉カ上告人ノ營業主任トシテ營業ニ關シテハ上告人ノ代理權ヲ有シタルモノト解スヘキモ該營業ノ爲メニ他ヨリ金錢借入ヲ爲スノ權限ヲ授與セラレタリヤ否ヤハ容易ク之ヲ斷定スルヲ得ス」ト前提セラレ此點ニ付キ主トシテ乙第五號證則チ下徳外吉カ本件貸借ニ先ツ僅カ五个月前ニ於テ係爭公正證書附屬委任状ニ押捺セル印章ト同一ノ印章ヲ使用シテ委任状ヲ作成シ之ニ基キ金三百圓ヲ他ヨリ借入レタルコトアル事實ニ依リ金錢借入ノ權限アルコトヲ認定セラレタリ然ルニ乙第五號證ハ原裁判所大正五年四月二十九日ノ口頭辯論調書ニ於テ上告人ハ唯其印形ノ同一ナルコトノミヲ認メ且ツ乙號各證中乙三號證ノ一ノミハ營業中ニ提出シタルモノナルモ其他ハ上告人ノ關知セサルモノナルコトヲ陳述セリ從テ乙第五號證ノ貸借ハ上告人ノ關知セサルコトヲ爭ヒタルモノナリ故ニ原判決ニ於テ乙第五號證ハ上告人ノ爭フニ拘ラス其關知スル事實ナルヲ認定セシトハ其認定ヲ爲ス旨ヲ判示セサルヘカラス然ルニ原判決ハ一モ之ヲ認定スルコトナシ然ラハ同
證ハ未タ其貸借ノ成立ニ付キ爭ノ存スルモノト謂ハサルヘカラス果シテ然ラハ其爭アル貸借ト同一事實タル係爭貸借カ繰返サレタリトスルモ是レ僞造ノ連續ニシテ之ヲ以テ係爭貸借カ上告人ノ關知スルモノナルコトヲ認定スルノ根據ト爲ス能ハサルハ明カナリ之ヲ要スルニ原判決カ若シ乙第五號證ノ貸借カ上告人ノ承諾上成立シタル事實ヲ判斷ノ理由ト爲シタルモノトスレハ是レ即チ上告人ノ乙第五號證ニ對スル爭ヲ無視シタルモノナリ若シ又單ニ乙第五號證ニハ上告人ノ認ムル印形アルノ一事ヲ以テ之ト同一印形ヲ使用セル係爭貸借ノ眞正ヲ認定シタルモノトセハ上告人ノ關與セサル僞造委任状カ二度作成セラレタル事實カ何故ニ借入ノ權限ヲ證スルニ足ルヘキカノ説明ヲ缺キ且ツ印形ノ眞正ハ直チニ證書内容ノ眞正ヲ意味スヘキモノト誤斷セラレタルノ不法アリト云フニ在リ
然レトモ原審ニ於ケル大正五年四月二十九日附口頭辯論調書ニ依レハ上告人(被控訴人)カ乙第五號證ノ一、二ノ成立ヲ認メルコト明カナルヲ以テ原裁判所カ之ヲ以テ下徳外吉ノ金錢借入ニ關スル代理權ヲ有スル事實ヲ認定スルノ證據ト爲シタルハ不法ニアラス
上告論旨第三點ハ上告人ハ明治四十三年四月二十三日齋藤惣兵衛ト改名シタリ然ルニ係爭甲第一號證ハ同四十四年十一月九日ノ成立ナルニ拘ラス改名前ノ齋藤惣太郎ノ名義ナルヲ以テ甲第一號證ノ委任状ハ僞造ニシテ上告人ノ關知セサルモノナルコトヲ主張シタリ原判決モ亦「然ルニ被控訴人ハ右貸借ニ關スル被控訴人ノ改名前ノ名義ニテ作成セラレタル右委任状ハ僞造ニ係リ被控訴人ハ右貸借ニ付キ毫モ關知セサル所ナルヲ以テ右公正證書ニヨル債務ヲ負擔スルコトナキモノナル旨主張スルヲ以テ云云」ト上告人ノ抗辯ヲ掲ケナカラ之ニ對スル判斷ニハ單ニ印形ノ同一ナル事實右印形ハ營業以外ニモ使用セラレタル事實及上告人ハ明治四十四年四月又ハ同年十二月中ニハ齋藤商店トシテ營業シ居リタル事實ヲ認定シタルノミニシテ委任状ノ僞造ナリヤ否ヤ就中改名前ノ名義ニ依ル委任状ノ效力等ニ關シテハ一言判示スル所ナシ則チ原判決ハ爭點遺脱ノ不法アリト思料スト云フニ在リ
然レトモ原判決ニハ該委任状カ僞造ナルコトハ被控訴人ノ提出セル他ノ總テノ證據ニ徴スルモ之ヲ認ムルヲ得スト記載アルヲ以テ甲第一號證ノ二ノ委任状ニ上告人ノ改名前ノ氏名記載アレハトテ其委任状ノ僞造ナルコトヲ認ムルニ足ラサル旨判斷シタリト解スルニ難カラス依テ上告論旨ハ理由ナシ
上告論旨第四點ハ原判決ハ「而シテ本件金錢貸借公正證書ニ依ル借入金ハ右營業ノ資金ニ充ツル爲メナリシコト當審證人笹間玉橘ノ證言ニ依リ之ヲ認メ得ヘキヲ以テ甲第一號證ノ二ノ本件金錢貸借公正證書ノ附屬委任状ノ作成ニ付キテ特ニ授權ヲ爲ササリシトスルモ前述ノ如ク總括的委任ノ範圍内ニ於テ作成セラレタルモノト謂フヘク該委任カ僞造ナルコトハ被控訴人ノ提出セル他ノ總テノ證據ニ徴スルモ未タ之ヲ認ムルヲ得ス從テ本件金錢貸借公正證書ハ眞正ニ成立シタル委任状ニ基キ作成セラレタルモノト認ムヘキヲ以テ云云」ト説明セラレタリ此説明ハ左記數箇ノ不法ヲ包含ス(一)甲第一號證ノ二ノ附屬委任状ハ上告人ノ認メサル所ナリ故ニ其眞正ナルコトハ同委任状及貸借契約ノ有效ヲ主張スル被上告人ニ於テ擧證セサルヘカラス然ルニ原判決ハ上告人ニ於テ僞造ノ立證ヲ盡ス能ハサルヲ以テ之ヲ眞正ナリト認メサル可ラスト判定セラレタリ是レ擧證責任ニ關スル法則ニ違背スル不法アルモノナリ(二)原判決ハ「甲第一號證ノ附屬委任状ノ作成ニ付キテ特ニ被控訴人カ其授權ヲ爲ササリシトスルモ」ト前提シ置キナカラ漠然眞正ニ成立シタル委任状ニ基キ作成セラレタリト認ムヘキ云云ト論決セラル元來委任状ノ作成カ授權行爲ナクシテ行ハレタルモノトスレハ其委任状ノ無效ナルヤ當然ナリ
既ニ無效ナリトスレハ之ニ基キ作成セラレタル公正證書カ上告人ヲ拘束セサルコトモ亦當然ナリ特ニ公正證書作成ノ場合ニ於テハ提出セラレタル委任状カ授權ナキモノナラハ之ニ依リ作成セラレタル公正證書ハ其效ナキコト最モ明カナリト謂ハサルヘカラス本人ト代理人トノ間ニ委任契約存在ストスルモ委任状ニシテ僞造ナル限リハ之ニ基キ作成セラレタル公正證書ノ無效ヲ補正スルニ足ラスト信ス殊ニ本件ハ公正證書ニ依ル賃借債務ノ不存在ヲ確認スルニ在ルヲ以テ單ニ借入ノ權限アリトノ一事ノミヲ以テ無效ナル委任状ニ基ク公正證書ノ作成ヲ有效ト爲シ上告人ノ請求ヲ排斥スルヲ得サルモノト信ス(三)原判決ハ「總括的委任ノ範圍内ニ於テ作成セラレタルモノ云云」ト説明シタリ此ノ説明ハ金錢借入ノ權限アリトノ認定ヲ指スモノナルヘシ然レトモ金錢借入ノ權限アリトノ事實ト右借入ニ付キ嚴正ナル公正證書ノ委任状ヲ作成スルノ權限トハ之ヲ混同スヘカラスト信ス單純ナル借入ヲ爲ス場合ト公正證書ニ基キ借入ヲ爲ス場合トハ關係者ノ心裡状態ニ於テ重大ナル差異アルコトハ實驗法則上顯著ナル所ナリ故ニ原判決カ一般借入權アル事實ニ依據シ直チニ委任状作成ノ權限アルモノノ如ク説明シタルハ不法ナリ(四)殊ニ係爭委任状ハ下徳外吉ヲ受任者トセルモノナリ前項ノ如ク下徳ニ於テ一般借入ノ權限アリ從テ借入ノ爲メ委任状ヲ作成スルノ權限アリトスルモ自己ニ非サル他人ヲ受任者ト爲ス委任状作成ノ權限アリト爲スハ格別上告人ヲ委任者トシ自己ヲ受任者トスル委任状ヲ上告人ニ代リ作成スルコトヲ有效ト爲スハ民法第百八條ニ違背スルモノナリ原判決ハ此違背ノ事實ヲ理由トシテ係爭委任状作成ノ有效ヲ認メタル不法アルモノナリト云フニ在リ
然レトモ甲第一號證ノ一ハ公正證書ニシテ甲第一號證ノ二ハ其公正證書ヲ作成スル爲メ使用セラレタル委任状ナレハ其委任状ハ眞正ニ成立シタリト推測スヘキモノナルヲ以テ之ヲ僞造ナリト主張スル上告人ニ於テ僞造ノ立證ヲ爲スヘキ責任アルモノトス故ニ原裁判所カ上告人ノ立證ニ依リテハ右委任状ノ僞造ナルコトヲ認ムルニ足ラスト判示シタルハ不法ニアラス又原判決ハ上告人ハ特ニ本件公正證書作成ニ關シ委任状ヲ作成スルコトヲ下徳外吉ニ委託スルノ意思表示ヲ爲ササリシモ總括的ニ營業ニ關シ金錢ヲ借入ルル權限ヲ下徳外吉ニ授與シタルヲ以テ同人ハ甲第一號證ノ二ノ委任状ヲ作成スルノ權限ヲ有スト判示シタルモノニシテ上告人ハ其趣旨ヲ誤解シタルモノトス而シテ金錢借入ノ權限ヲ有スル者カ其借入ニ付キ公正證書ヲ作成スヘキ權限ヲ有スルハ通常ナルヲ以テ原判決ニ於テ下徳外吉カ上告人ニ代リ右ノ委任状ヲ作成スヘキ權限ヲ有スト認定シタルハ實驗則ニ違背シタル不法アルモノニアラス尚ホ委任状ノ作成其モノハ法律行爲ニアラサルヲ以テ下徳外吉カ上告人ニ代リ自己ヲ受任者トスル委任状ヲ作成シタリトテ民法第百八條ニ違背スルモノニアラス依テ上告論旨ハ理由ナシ
以上説明ノ如クナルヲ以テ民事訴訟法第四百三十九條第一項ヲ適用シ主文ノ如ク判決ス
大正六年(オ)第百号
大正六年四月四日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 委任状の作成其ものは法律行為に非ざれば代理人が本人に代り自己を受任者とする委任状を作成するも民法第百八条に違背するものに非ず
(参照)何人と雖も同一の法律行為に付き相手方の代理人と為り又は当事者双方の代理人と為ることを得ず。
但債務の履行に付ては此限に在らず(民法第百八条)
右当事者間の債権不存在確認請求事件に付、神戸地方裁判所が大正五年十一月二十一日言渡したる判決に対し上告人より全部破毀を求むる申立を為したり。
理由
上告論旨第一点は原審は本件係争債権の証書作成日たる明治四十四年十一月九日頃上告人は尼け崎町に於て木工品製造営業中なりしことを認定し、而して「訴外下徳外吉は其営業主任として之に従事し居りたるものなれば同人は右営業に関しては被控訴人の代理権を有したるものと解すべきも該営業の為めに他より金銭借入を為す権限をも授与せられ居たりや否やは容易く之が断定を為すことを得ず。」と判示し其点に付き「原審証人六島静三の証言並に前段認定の各事実就中下徳外吉が本件貸借に先づ僅が五个月前に於て本件貸借公正証書附属委任状に押捺せる印章を使用して作成せられたる被控訴人の委任状に基き其代理人として訴外太田芳松より金三百円を借入れたる事実を綜合考覈するときは下徳外吉は右営業に関し金銭借入の権限をも授与せられ居りたるものと認定するを妥当とす。」と判定せられたり。
然れども右原審の挙示せられたる証拠中六島静三の証言には上告人が下徳外吉に金銭借入の権限を授与したりとの趣旨を見るべき供述なく其他原審の認定事実中に権限授与を推定するに足る資料なし。
又下徳外吉が本件貸借公正証書附属委任状に押捺せる印章と同一印章を使用し上告人名義の委任状を作成して公正証書作成と同時に金三百円を太田芳松より借入れたる事実は本件審理中証人の証言により上告人が始めて知り得たる所にして被上告人が原審に於て乙第五号証の一、二として該公正証書及び附属委任状を提出せる際上告人は其書面の成立を認めたるも此の如き権限授与の事実を認めたることなし(下徳外吉は店判を使用し公正証書作成の上金銭借入を為し得たるを奇貨とし廃業後に於ても同様の手段を以て本件の借入を為したるものなり。
)然るに原審は前述の如き上告人の権限授与に関係なき証拠に基き上告人が下徳外吉に金銭借入の権限を授与したりと認定せるは理由不備の違法あるのみならず証拠を誤解して不当に事実を確定したるの違法ありと信ずと云ふに在り
然れども証人六島静三の訊問調書には「(前略)橋本も来合せ斎藤も居りしも以て証人は斎藤に其金の請求を為したるに工場の取引は総で下徳に委せあるか(中略)一時に支払ふことは出来ぬ」との証言の記載あるを以て原裁判所が同人の証言に依りて下徳外吉は上告人の営業に関し金銭借入の権限を授与せられたりと認定したるは不法にあらず。
又乙第五号証の一、二は下徳外吉に於て上告人の代理人とすして金三百円を太田芳松より借入るる権限を有したることを認定するの証拠と為し得られざるにあら故に原判決は相当にして上告論旨は其理由なし。
上告論旨第二点は上告人は係争公正証書に添附せらるる委任状(甲第一号証の二)は上告人の改名(明治四十三年四月二十三日改名同月二十七日届出と甲第二号証にあり)前の名義にて作成せられたる偽造の証書なりと論争したるを以て右公正証書作成の委任者たる下徳外吉が金銭借入の権限ありや否やは主要の争点となれり。
而して原判決は先づ「下徳外吉が上告人の営業主任として営業に関しては上告人の代理権を有したるものと解すべきも該営業の為めに他より金銭借入を為すの権限を授与せられたりや否やは容易く之を断定するを得ず。」と前提せられ此点に付き主として乙第五号証則ち下徳外吉が本件貸借に先づ僅が五个月前に於て係争公正証書附属委任状に押捺せる印章と同一の印章を使用して委任状を作成し之に基き金三百円を他より借入れたることある事実に依り金銭借入の権限あることを認定せられたり。
然るに乙第五号証は原裁判所大正五年四月二十九日の口頭弁論調書に於て上告人は唯其印形の同一なることのみを認め且つ乙号各証中乙三号証の一のみは営業中に提出したるものなるも其他は上告人の関知せざるものなることを陳述せり。
従て乙第五号証の貸借は上告人の関知せざることを争ひたるものなり。
故に原判決に於て乙第五号証は上告人の争ふに拘らず其関知する事実なるを認定せしとは其認定を為す旨を判示せざるべからず。
然るに原判決は一も之を認定することなし然らば同
証は未だ其貸借の成立に付き争の存するものと謂はざるべからず。
果して然らば其争ある貸借と同一事実たる係争貸借が繰返されたりとするも是れ偽造の連続にして之を以て係争貸借が上告人の関知するものなることを認定するの根拠と為す能はざるは明かなり。
之を要するに原判決が若し乙第五号証の貸借が上告人の承諾上成立したる事実を判断の理由と為したるものとすれば是れ。
即ち上告人の乙第五号証に対する争を無視したるものなり。
若し又単に乙第五号証には上告人の認むる印形あるの一事を以て之と同一印形を使用せる係争貸借の真正を認定したるものとせば上告人の関与せざる偽造委任状が二度作成せられたる事実が何故に借入の権限を証するに足るべきかの説明を欠き且つ印形の真正は直ちに証書内容の真正を意味すべきものと誤断せられたるの不法ありと云ふに在り
然れども原審に於ける大正五年四月二十九日附口頭弁論調書に依れば上告人(被控訴人)が乙第五号証の一、二の成立を認めること明かなるを以て原裁判所が之を以て下徳外吉の金銭借入に関する代理権を有する事実を認定するの証拠と為したるは不法にあらず。
上告論旨第三点は上告人は明治四十三年四月二十三日斎藤惣兵衛と改名したり。
然るに係争甲第一号証は同四十四年十一月九日の成立なるに拘らず改名前の斎藤惣太郎の名義なるを以て甲第一号証の委任状は偽造にして上告人の関知せざるものなることを主張したり。
原判決も亦「然るに被控訴人は右貸借に関する被控訴人の改名前の名義にて作成せられたる右委任状は偽造に係り被控訴人は右貸借に付き毫も関知せざる所なるを以て右公正証書による債務を負担することなきものなる旨主張するを以て云云」と上告人の抗弁を掲げながら之に対する判断には単に印形の同一なる事実右印形は営業以外にも使用せられたる事実及上告人は明治四十四年四月又は同年十二月中には斎藤商店として営業し居りたる事実を認定したるのみにして委任状の偽造なりや否や就中改名前の名義に依る委任状の効力等に関しては一言判示する所なし。
則ち原判決は争点遺脱の不法ありと思料すと云ふに在り
然れども原判決には該委任状が偽造なることは被控訴人の提出せる他の総ての証拠に徴するも之を認むるを得ずと記載あるを以て甲第一号証の二の委任状に上告人の改名前の氏名記載あればとて其委任状の偽造なることを認むるに足らざる旨判断したりと解するに難からず。
依て上告論旨は理由なし。
上告論旨第四点は原判決は「。
而して本件金銭貸借公正証書に依る借入金は右営業の資金に充つる為めなりしこと当審証人笹間玉橘の証言に依り之を認め得べきを以て甲第一号証の二の本件金銭貸借公正証書の附属委任状の作成に付きて特に授権を為さざりしとするも前述の如く総括的委任の範囲内に於て作成せられたるものと謂ふべく該委任が偽造なることは被控訴人の提出せる他の総ての証拠に徴するも未だ之を認むるを得ず。
従て本件金銭貸借公正証書は真正に成立したる委任状に基き作成せられたるものと認むべきを以て云云」と説明せられたり此説明は左記数箇の不法を包含す(一)甲第一号証の二の附属委任状は上告人の認めざる所なり。
故に其真正なることは同委任状及貸借契約の有効を主張する被上告人に於て挙証せざるべからず。
然るに原判決は上告人に於て偽造の立証を尽す能はざるを以て之を真正なりと認めざる可らずと判定せられたり是れ挙証責任に関する法則に違背する不法あるものなり。
(二)原判決は「甲第一号証の附属委任状の作成に付きて特に被控訴人が其授権を為さざりしとするも」と前提し置きながら漠然真正に成立したる委任状に基き作成せられたりと認むべき云云と論決せらる元来委任状の作成が授権行為なくして行はれたるものとすれば其委任状の無効なるや当然なり。
既に無効なりとすれば之に基き作成せられたる公正証書が上告人を拘束せざることも亦当然なり。
特に公正証書作成の場合に於ては提出せられたる委任状が授権なきものならば之に依り作成せられたる公正証書は其効なきこと最も明かなりと謂はざるべからず。
本人と代理人との間に委任契約存在すとするも委任状にして偽造なる限りは之に基き作成せられたる公正証書の無効を補正するに足らずと信ず。
殊に本件は公正証書に依る賃借債務の不存在を確認するに在るを以て単に借入の権限ありとの一事のみを以て無効なる委任状に基く公正証書の作成を有効と為し上告人の請求を排斥するを得ざるものと信ず。
(三)原判決は「総括的委任の範囲内に於て作成せられたるもの云云」と説明したり。
此の説明は金銭借入の権限ありとの認定を指すものなるべし。
然れども金銭借入の権限ありとの事実と右借入に付き厳正なる公正証書の委任状を作成するの権限とは之を混同すべからずと信ず。
単純なる借入を為す場合と公正証書に基き借入を為す場合とは関係者の心裡状態に於て重大なる差異あることは実験法則上顕著なる所なり。
故に原判決が一般借入権ある事実に依拠し直ちに委任状作成の権限あるものの如く説明したるは不法なり。
(四)殊に係争委任状は下徳外吉を受任者とせるものなり。
前項の如く下徳に於て一般借入の権限あり。
従て借入の為め委任状を作成するの権限ありとするも自己に非ざる他人を受任者と為す委任状作成の権限ありと為すは格別上告人を委任者とし自己を受任者とする委任状を上告人に代り作成することを有効と為すは民法第百八条に違背するものなり。
原判決は此違背の事実を理由として係争委任状作成の有効を認めたる不法あるものなりと云ふに在り
然れども甲第一号証の一は公正証書にして甲第一号証の二は其公正証書を作成する為め使用せられたる委任状なれば其委任状は真正に成立したりと推測すべきものなるを以て之を偽造なりと主張する上告人に於て偽造の立証を為すべき責任あるものとす。
故に原裁判所が上告人の立証に依りては右委任状の偽造なることを認むるに足らずと判示したるは不法にあらず。
又原判決は上告人は特に本件公正証書作成に関し委任状を作成することを下徳外吉に委託するの意思表示を為さざりしも総括的に営業に関し金銭を借入るる権限を下徳外吉に授与したるを以て同人は甲第一号証の二の委任状を作成するの権限を有すと判示したるものにして上告人は其趣旨を誤解したるものとす。
而して金銭借入の権限を有する者が其借入に付き公正証書を作成すべき権限を有するは通常なるを以て原判決に於て下徳外吉が上告人に代り右の委任状を作成すべき権限を有すと認定したるは実験則に違背したる不法あるものにあらず。
尚ほ委任状の作成其ものは法律行為にあらざるを以て下徳外吉が上告人に代り自己を受任者とする委任状を作成したりとて民法第百八条に違背するものにあらず。
依て上告論旨は理由なし。
以上説明の如くなるを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項を適用し主文の如く判決す