信認金返還請求ノ件

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大審院民事判決録（民録）22輯486頁

上告論旨第一点は原判決理由に依れば原審に於て第一審証人松村誠平井仁兵衛位上透広川政吉の各証言と該証言に依り真正に成立したるものと認むべき甲第一、二号証によれば上告人は訴外蓬莱襄太郎外数名と共に豊岡肥料株式会社の設立を発起して其創立委員長に選任せられ大正二年十二月以降同会社の工場を建設するため襄太郎を代理人として之が請負方を被上告人に依頼し双方談合の上該工事を請負金三万八千八百九十八円二十一銭著手[ちゃくしゅ]期限大正三年三月三十日の定めにて被上告人に請負はしむると共に之が履行の担保として信認金なる名義の下に金二千円を被上告人より預り置きたり云云と事実を認定せり以上の認定事実は略言すれば上告人は襄太郎を代理人として被上告人に工事請負契約を締結せしめ其履行の担保として金二千円を被上告人より預り置く為め受領せりと云ふ[いう]に在るが如し。 然れども[しかれども]第一審弁論調書によれば被上告人は信認金を上告人代人蓬来襄太郎に交付せりと申立てたり証人松村誠広川政吉も亦[また]同様の申立を為せり。 然るに甲二号証に依れば上告人の氏名のみを記載して代理人の氏名を記載せず。 故に恰も[あたかも]上告人直接に信認金を受領せるものとも解せらる。 従て原審判決理由は上告人が代理人を経由せずして直接に右信認金を預り置きしものと認めしものと解するの外なし。 是れ上告人の絶対に否認する所なり。 然らば原判決は襄太郎に信認金を交付せしとの被上告人及証人等の申立に違反し原告の申立てざる事物を原告に帰せしむるものにして民事訴訟法第二百三十一条に違背する欠点あるものと信ず。 少くも証人の証言と甲二号証とは内容を異にするを以て原判決は之を以て前記事実を断するには上告人に対し効力を及ぼすべき理由を示さざるべからず。 然るに之なきは証拠も示さず、且、理由を備へざる違法の判決なりとすと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]原院は第一審証人松村誠外三名の各証言及び甲第一、二号証に依り上告人が其代理人なる蓬来襄太郎に依て被上告人に工場の建築を請負はしめ、且、被上告人より債務履行の担保として二千円の信認金を受領したる事実を認め其旨明に判示せるが故に上告人所論の如き不法あるものに非ず

同第二点は原判決は上告理由第一点に記載せし通り工事請負契約締結事実及金二千円を預りたる事実の認定の証拠として第一審証人松村誠平井仁兵衛位上透広川政吉の各証言と該証言に依り真正に成立したるものと認むべき甲一号証二号証を挙示せり。 然れども[しかれども]（１）前記松村、平井、位上、広川の各証言と概括的に挙けしのみにて其内容を示さず。 従て各証言の如何[いかん]なる部分を証拠に供せしや知るに由なし。 （２）、且、各証人の証言は互に矛盾するのみならず証言と甲一、二号とは其内容を異にす。 即ち松村誠の証言に曰く「大正二年十二月十日頃八木（被上告人）は蓬来（上告人）と朝霧亭にて逢ひし際被告（上告人）は襄太郎を代理人とし万事を委任し同人と契約し呉れと云ひたるを以て一同退散したることはあります（記録五十三枚目）其翌日加藤旅館にて原告（被上告人）より襄太郎に請負契約証を差入れ（中略）其翌日原告は加藤旅館にて蓬来襄太郎に現金千円と其後二三日位にて支払ふべき一千円の預り証を渡し其預り証に支払ふと書きたる日に原告は襄太郎に右預り証と引換に金千円を渡しました。 証人広川も亦[また]十二月十一日に請負契約を襄太郎に渡し同十二日に一千円同十六日に預り証と引換に一千円を渡したることを述べたり（記録百八枚目）然るに甲二号証は大正三年二月六日の作成にして同日二千円の信認金を預りたる旨を記載す。 而して[しこうして]各証言は大正二年十二月十二日及十六日二千円宛を襄太郎に渡せりと云ひ甲二号証は翌年二月六日預りなるを以て其内容同一ならず。 然らば証言と証書と衝突するものにして結局判決は信認金預け入れの事実を認定するに証拠を示さざる違法の裁判なりとすと云ひ」第三点は原判決は「控訴人（即上告人）は訴外襄太郎等と共に豊国肥料株式会社の設立を発起して大正二年十二月以降会社の工場を建設する為め襄太郎を代理人として之が請負方を被控訴人（被上告人）に依頼し双方談合の上該工事を請負金三万八千八百九十八円二十一銭著手[ちゃくしゅ]期限大正三年三月二十日の定めにて被控訴人に請負はしむると共に之が履行の担保として信認金なる名義の下に金二千円を被控訴人（被上告人）より預り置きたる処云云と事実を認定せり然りと雖[いえども]も原審判決摘示の証言に依れば大正二年十二月十日に朝霧亭にて上告人が襄太郎を代理人として万事を委任し契約し呉れと云ひ同月十一日に襄太郎との間に作成せし請負契約には工事著手[ちゃくしゅ]期限を大正三年一月十五日となせり平井の証言に曰く工事著手[ちゃくしゅ]は大正三年一月十五日の契約てした。 （八十一枚目）此最初の契約の履行の担保として金二千円を襄太郎に被上告人が交付せしことは上告理由第二点に記するが如し。 然るに右の契約は被上告人と襄太郎との間の契約なりし故林太郎（上告人）と直接契約をなさんため（平井の証言八十一枚目）、且、前記工事著手[ちゃくしゅ]の日迄に何等襄太郎より通知なき故（広川証言百八枚目）交渉の結果大正三年二月六日工事著手[ちゃくしゅ]期限を大正三年三月二十日に改めて新に請負契約を締結せるものの如し。 従て右証言に依れば上告人の代理人として襄太郎が工事著手[ちゃくしゅ]期限を大正三年一月十五日となして請負契約をなし

金二千円を預り置きしものの如く後の二月六日の直接契約の際には何等金銭の授受なきなり。 然るに原審判決にては襄太郎は上告人の代理人として工事著手[ちゃくしゅ]期限を大正三年三月二十日と定めたる際信認金を預れりと事実を認定せり是亦[また]右認定に関する証拠を示さざる違法の裁判なりと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]原院は第一審証人松村誠、平井仁兵衛、位上透、広川政吉の各証言及び甲第一、二号証を以て上告人が信認金を受領したる事実を認定するの証拠と為したるものなること判文中明示せるが故に単に其証言の内容を掲げざればとて証拠を示さざる不法あるものと謂ふ可らず

同第四点は被上告人は第一審第一回の口頭弁論（大正四年二月九日）の際甲二号証を以て信認金を交付したることを証し相手方の求めに依る問に対し右信認金の交付に付ては大正二年十二月十二日神戸加藤旅館にて被告代人蓬莱襄太郎に現金千円を渡し残千円に付ては預り証を交付し同月十六日大坂北浜ほてるにて預り証引換に千円を交付したりと陳述したり。 即ち大正二年十二月十二日及同十六日の二回に最初契約（工事著手[ちゃくしゅ]期限大正三年一月十五日と記載せるもの）の履行担保の為に信認金を交付せる旨陳述せり。 然るに原判決に依れば第二回の請負契約（工事著手[ちゃくしゅ]期限大正三年三月二十日と規定せるもの）の履行担保の為め大正三年二月六日甲二号証作成の日に被上告人より預りたりと認めたるは是れ被上告人の申立に反して事実を誤認せるものにして結局民事訴訟法第二百三十一条に違反する不法の裁判なりとすと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]原院は上告人が工場の建築を被上告人に請負はしめたる際履行の担保として信認金の名義の下に金二千円を被上告人より預りたる事実を認めたる迄にして工事著手[ちゃくしゅ]期限を大正三年三月二十日と定めたるとき之を預りたりとせる趣旨に非ざれば本論旨は原院の判旨に副はず

同第五点は前記上告理由第三点に述ぶるが如く各証人の証言を信憑すべきものと仮定せば大正二年十二月十一日に於て工事著手[ちゃくしゅ]期限を大正三年一月十五日と定めて襄太郎が上告人の為めに契約し信認金を受領したる事実と同年二月六日に於て上告人と被上告人と右工事著手[ちゃくしゅ]期限を同年三月二十日に変更し甲一、二号証を作成して直接に契約したる事実とは二箇別箇の法律行為に外ならず。 而して[しこうして]上告人は第一審以来襄太郎の代理関係を絶対に否認するを以て原判決は（１）襄太郎が上告人の代理人として権限外の行為を為せしや如何[いかん]（２）或は襄太郎は最初より代理権を有せざりしも大正三年二月六日に於て上告人が甲一、二号証を作成して之を追認せしや如何[いかん]（３）若くは襄太郎が代理人として請負契約を為し信認金を受領せし処同二月六日に於て上告人は直接交渉して著手[ちゃくしゅ]期限を変更し右契約を更改したる上信認金は新契約の為めに担保として受領せる形式となせしものなりや否や（甲二号証作成の日に現金授受なきことは各証言にて明かなり。 ）の法律関係に関し前提として判断し且つ説明するに非ざれば到底上告人に対し右請負契約及信認金預り証書の効果が発生し上告人に於て其返還義務を負ふべきや否やを知るに由なし。 従て原判決は右事実を認定するに至り何等法律上の理由を付せず妄断したる違法の裁判なりとすと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]原院は上告人が蓬莱襄太郎を代理人とし同人をして被上告人と工場建築工事の請負契約を為さしむると共に被上告人より二千円の信認金を受取らしめたる事実を認めたるものにして大正三年一月十五日を著手[ちゃくしゅ]期限とせるものと同年三月二十日を著手[ちゃくしゅ]期限とせるものとの二箇の請負契約ある事実を認めたるに非ざること判文上明かなれば本論旨も亦[また]原院の判旨に副はず

同第六点は原判決は先づ上告人は著手[ちゃくしゅ]期限を大正三年三月二十日の定めにて被上告人に請負はしむると共に之が履行の担保として金二千円を被上告人より預り置きたる処大正三年三月下旬に至り上告人に於て該工事を中止せざるを得ざる事情を生じたる為め更に襄太郎を介して被上告人の代理人たる訴外広川政吉と交渉を重ね双方合意の上請負契約を解除したる事実洵に[まことに]明かなりと認定し本訴信認金に年五分の法定利息を加算し之が返還を求むる被上告人の請求は正当なりと断定せり。 然れども[しかれども]原判決事実摘示中に引用する第一審判決には被上告人は信認金は工事終了の時又は契約解除の際被告より返還を受くべき特約を為したりと被上告人主張せりとの事実を摘示す。 従て上告人は此特約に基き信認金を返還するの義務ありと第一審に於て判断せるなり。 然るに原審判決は契約解除の結果法律上当然上告人が信認金を返還すべきか或は前記の如き特約の結果之を返還すべきものが何等其返還すべき原因に付き説明する所なし、且、甲二号証にも工事終了の場合の外何等特約に関して規定する所なし。 加之[しかのみならず]解約の事実明瞭なるを以て信認金返還の請求は至当なりと云ふ[いう]のみにて解約の結果の信認金返還義務の存在せしや否やに付き毫も[ごうも]論述する所なし。 要するに原判決は信認金返還義務の存在に関し何等理由を示さざる不当の裁判なりとすと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]上告人は請負契約に因る債務履行の担保として本訴信認金を被上告人より預りたるものなること原院の確定せる事実なり。 然れば請負契約の解除せられたるときは其信認金は法律上当然被上告人に返還せらるべき性質のものにして当事者間に契約解除の場合之を返還すべきことの特約あるを要せず。 換言すれば本訴信認金の返還義務は契約の解除に因りて発生するものにして特約を竢で発生するものに非ざるが故に原院が当事者間の請負契約が解除せられたる事実を認め其旨を判示して上告人に返還の義務ありとせる以上即ち其義務ある所以を明示せるものなれば本論旨は適法の理由なし。

同第七点は原判決は前記第六点に述ぶるが如く上告人は襄太郎を介して被上告人の代理人たる広川政吉と交渉を重ね双方合意の上請負契約を解除したること明かなりと断定せり。 然れども[しかれども]原判決は右解約に関し何等の理由及び証拠を示さざる違法の裁判なりと信ず。 （一）証人松村の証言に依れば上告人は襄太郎を代理人として万事を委任し同人と契約し呉れよと云ひたる如く述べたりとするも襄太郎に契約締結を委任せるのみにて襄太郎に当然契約解除の代理権ありとは速断すべからず。 他の証人も亦[また]上告人が襄太郎に解約の授権をなしたる事実を立証せしものなし（二）原判決には上告人が襄太郎を介して被上告人代理人と交渉を重ね合意解約せりと認定せり右襄太郎を介するとは之を代理人とする意にあらずして之を仲介せしめて上告人が直接に被上告人の代人広川政吉と交渉せりとの意ならんには是れ亦[また]何人も証言せざる所なりとす。 且つ襄太郎を介する意味不明にして結局理由不備なりとす。 （三）上告人は襄太郎を介して被上告人代人広川と交渉を重ね解約したりと認めたるも右認定に直接重大の関係者たる広川は全く之を否認せり記録百十枚目に曰く「証人は工事著手[ちゃくしゅ]期日を三月二十日と定めたるに付き八木徳太郎と其期日後同人の代理として上坂し蓬莱襄太郎位上透に面会したるに同人が契約を解除し呉れと云はずして私等の信認金の返還を求むるに対してはまー待で呉れ創立総会が出来ぬとか発起人中に紛議が起で著手[ちゃくしゅ]に至らんとか云ひ信認金を返す風はなかりしなり。」右証言に依れば襄太郎等は契約を解除し呉れとは云はざりしなり。 従て解約の意思表示なかりしなり。 況んや襄太郎が解約に関し上告人の代理人たりし事実の何等立証のなきおや要するに原判決は重要の争点に関し其理由を備へず且つ証拠を示さざる甚た不法の裁判なりとすと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]原院は第一審証人松村誠外三名の各証言等に依り上告人が蓬莱襄太郎をして被上告人の代理人広川政吉と交渉の上契約を解除せしめたる旨判示せるものなれば、即ち上告人が襄太郎に解除に関し代理権を付与したりとせる趣旨なること自明にして本論旨は畢竟[ひっきょう]証拠の取捨事実の認定に対する非難に外ならず

同第八点は原判決は其主文に於て本件控訴は之を棄却す被控訴人に於て金五百円を供託するときは此判決は仮りに執行することを得と記載す。 然れども[しかれども]執行し得べき判決は敗訴者に対して行為不行為を求め得べき権利の存在を認め其義務の履行を命令すべき判決たるを要す。 即ち本件に於ては第一審判決こそ仮りに執行し得べきものなりと雖[いえども]も原審判決は単に上告人の控訴を棄却するのみにて権限的に何等義務履行を命じたるものに非ず。 従て本件確定したる時は執行し得べきものは第二審判決に非ざるなり。

然るに原判決の主文に於て第二審判決の仮執行を許したるは違法の裁判なりと思料すと云ふ[いう]に在り

然れども[しかれども]控訴棄却の判決は第一審判決を是認せるものに外ならざるが故に此判決と共に為したる仮執行の宣言は第一審判決を執行することを得せしむる趣旨なること多言を竢たざれば本論旨も適法の理由なし。

上来説明の如くなるを以て民事訴訟法第四百三十九条第一項に従ひ主文の如く判決す