大正三年(オ)第七百四十二號
大正四年十二月二十八日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 終局判決ノ送達後訴訟手續中斷セラレタルトキハ受繼ニ關スル書面ハ其差出人カ承繼人ナル場合ト否ト勝訴者ナル場合ト否トニ拘ハラス又既ニ上訴ノ提起アル場合ト否トニ論ナク之ヲ上訴裁判所ニ差出スヘキモノトス(判旨第一點)
- 一 訴訟手續中斷中控訴ノ提起アリタルニ際シ被控訴人ヨリ訴訟手續受繼ノ書面ヲ控訴審ニ差出シ該書面カ控訴人ノ訴訟代理人ニ送達セラレタルトキハ訴訟受繼ノ手續ハ適法ナルヲ以テ控訴期間ハ此時ヨリ進行ヲ始ムルモノトス(同上)
- 一 海面ハ行政上ノ處分ヲ以テ一定ノ區域ヲ限リ私人ニ其使用又ハ埋立、開墾等ノ權利ヲ得セシムルコトアルモ海面ノ儘之ヲ私人ノ所有ト爲シ得サルモノトス(判旨第二點)
上告人 永田仙太郎 外十四名
上告人 伊藤勘左衛門 外三名
被上告人 松谷合資會社
法定代理人 後藤義三 外被上告人一名
右當事者間ノ強制執行異議事件ニ付東京控訴院カ大正三年六月二十五日言渡シタル判決ニ對シ上告人永田仙太郎外十四名ヨリ一部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シ尚ホ出頭セサル上告人伊藤勘左衛門須山藤右衛門三尾鼎高橋長藏ニ對シテハ闕席ノ儘審理アリ多キ旨申立テタリ
主文
原判決ヲ破毀ス上告人等ノ共有地ニ關スル被上告人等ノ控訴(原院明治四十五年(ネ)第四三九號原院明治四十五年(ネ)第四六二號)ハ孰レモ之ヲ棄却ス
右共有地ニ關スル訴訟費用ハ全部各自辨トス
上告人伊藤桂藏ノ單獨所有地ニ關スル事件ヲ東京控訴院ニ差戻ス
理由
上告論旨第一點ハ原判決ハ訴訟受繼ニ關スル法則ヲ誤解シ本件各被上告人ノ提起シタル控訴ハ何レモ控訴期間滿了後ニ提起セラレタル不適法ノ控訴ナルニ拘ラス之ヲ適法ナルモノトシタルノ不法アリ即チ原判決ハ「被控訴人等(上告人)ハ渡邊次郎吉ハ明治四十二年五月十一日附ニテ訴訟手續受繼申立書ヲ當院ニ提出シ同書面ハ同月十四日控訴人松谷合資會社ニ翌十五日控訴人武田忠臣ニ送達セラレタルコトハ爭ナキ事實ナレハ原判決ニ對スル控訴期間ハ右送達ノアリタル日ヨリ起算スヘキモノナリト主張セリ惟フニ此受繼申立書ノ送達ニヨリ訴訟手續ノ中斷止ミタルモノトセハ本件控訴ハ期間經過後ニ提起セラレタルモノニ係リ不適法ナルコト明カナルモ既ニ認定シタル如ク原告渡邊次郎吉ニ對スル訴訟手續ハ原判決ノ送達ト同時ニ中斷トナリタルモノニシテ同原告ハ勝訴者ナレハ上訴ヲ爲スノ利益ナク單ニ上訴期間ノ進行ヲ促スニ付キ利益ヲ有スルモノナレハ此訴訟ノ受繼ヲ爲サントスルニハ判決ヲ爲シタル原裁判所ニ其申立書ヲ提出セサルヘカラス然ルニ其承繼人タル被控訴人渡邊次郎吉ハ其申立書ヲ原裁判所タル東京地方裁判所ニ差出サス反テ之ヲ東京控訴院(當時訴訟手續中斷中ニ提起セラレタル無效ノ控訴繋屬セリ)ニ差出シタルハ違法ニシテ之ニ依リ何等ノ效力ヲ生セサルモノトス隨テ右受繼申立書ノ提出ニ依リ訴訟手續ノ中斷止ミ控訴期間ハ更ニ其進行ヲ開始シタルモノト認ムルヲ得ス左レハ本件控訴ノ提起アル迄ノ間ニ中斷ノ止ミタル事實ヲ認ムヘキ證據ナキヲ以テ控訴人等カ控訴状ト共ニ訴訟手續受繼ノ爲メ承繼人渡邊次郎吉伊藤桂藏ノ呼出申立書ヲ當院ニ差出シテ爲シタル本件控訴ハ適法ノ期間内ニ提起セラレタルモノト認ムヘク之ヲ不適法ナリトスル被控訴人等ノ主張ハ採用シ難シ被控訴人渡邊次郎吉ハ明治三十九年十二月九日先代次郎吉ノ家督ヲ相續シ被控訴人伊藤桂藏ハ同四十三年七月二十四日先代桂藏ノ家督ヲ相續シタルコトハ其主張ニ依リ明カナルヲ以テ同人等カ本件訴訟ヲ承繼スルハ相當ニシテ被控訴人渡邊次郎吉伊藤桂藏ハ各自其先代ニ對スル本件ノ訴訟ヲ承繼シタルモノトス」ト判示セリ右認定ノ事實ニヨル時ハ本件第一審ノ判決ハ明治四十二年二月二十七日原告等(上告人)ニ送達セラレタルモノナル處原告ノ一人渡邊次郎吉ハ右判決ノ送達前ナル明治三十九年十月五日ニ死亡シタリ而シテ本件ハ權利關係カ合一ニノミ確定スヘキ共同訴訟ナルヲ以テ訴訟手續ハ原告全員ノ爲メ判決ノ送達ト同時ニ中斷シタルモノナリ依テ右死亡シタル渡邊次郎吉ノ承繼人タル上告人渡邊次郎吉(亡父ノ名ヲ襲名シタルモノ)明治四十二年五月十一日訴訟受繼ノ申立書ヲ上訴審タル原院ニ差出シ其申立書ハ同月十四日被上告人松谷合資會社ニ又翌十五日ニ被上告人武田忠臣ニ各送達セラレタルモノナルカ故ニ右ノ送達ト同時ニ訴訟手續ノ中斷止ミ其時ヨリ各被上告人ノ爲メニ控訴期間ハ進行シタルモノナリ而シテ本件ノ各控訴ハ右受繼申立書ノ送達ニヨリ更ニ進行ヲ開始シタル控訴期間ノ經過後ニ提起セラレタルコトハ明カナルヲ以テ當然不適法ノ控訴トシテ却下セラレサル可カラサルモノナリトス然ルニ原判決ハ判決送達後ニ中斷シタル訴訟手續ヲ勝訴者ニ於テ受繼セントスルニハ申立書ヲ原裁判所ニ差出スヘキモノニシテ上訴審ニ差出シテ爲スヘキモノニアラス隨テ上告人渡邊次郎吉カ上訴審タル原院ニ差出シテ爲シタル受繼申立書ハ何等ノ效力ヲ生セサルカ故ニ右ノ申立書ニヨリ中斷ハ止ミタルモノニアラストセラレタレトモ民事訴訟法第百八十七條ニハ中斷シタル訴訟手續ノ受繼ハ其書面ヲ受訴裁判所ニ差出スヘキコトヲ規定シ而シテ所謂受訴裁判所トハ訴ノ現ニ繋屬シ若クハ將ニ繋屬セントスル裁判所ノ義ニシテ判決ノ送達ニヨリテ全然訴訟カ離脱シタル原裁判所ヲ指スモノニアラサルコトハ解釋上明白ナルノミナラス同條ハ又勝訴者カ受繼ノ申立ヲ爲ス場合ト敗訴者カ爲ス場合ニ付キ毫モ區別ヲ設ケサルモノナレハ勝訴者タル原告渡邊次郎吉ノ承繼人タル上告人渡邊次郎吉カ其受繼申立書ヲ上訴審タル原院ニ差出シタルハ適法ナルコト勿論ナリトス而シテ此點ニ付テハ既ニ御院ニ於テモ從來屡々判例トシテ示サレタル所ニシテ原院ノ解釋ノ誤リナルコトハ多言ヲ要セサル所ナリト云ヒ」之ニ對スル被上告人松谷合資會社ノ答辯ハ民事訴訟法第百八十五條ニ所謂受訴裁判所トハ訴訟ノ現ニ繋屬スル裁判所ノ謂ニシテ而シテ訴訟ハ有效ナル上訴ノ提起アル迄ハ原裁判所ニ繋屬スルコト法理上當然ナルヲ以テ本件ノ如キ場合ニ於テハ受繼ノ申立ハ東京地方裁判所ニ提出セサルヘカラサルモノトス從テ原審ノ解釋ハ不當ニアラサルノミナラス第一審ノ勝訴者タル上告人渡邊次郎吉ハ上訴期間ノ促進ヲ得ルタケノ利益ニシテ上訴ノ必要竝ニ利益ヲ有セサルモノナルヲ以テ未タ控訴ノ繋屬セサル原院ニ受繼申立ヲナスヘキモノニアラス加之右受繼申立ハ之カ送達ヲ受クヘキ適法ノ人ニ送達セラレサリシコト被上告人ヨリ原院ニ提出シタル大正元年十一月二十一日附辯駁書面ノ如クナルヲ以テ假リニ右受繼申立カ適法ナリトスルモ此理由ニヨリ中斷停止ノ效ヲ認ムル能ハサルモノニ屬スト云ヒ」被上告人武田忠臣ノ答辯ハ上告人渡邊次郎吉ノ先代次郎吉ノ死亡ニ依ル中斷原因ハ本件第一審判決言渡前タル明治三十九年十月五日ニ發生シタルコト明カナルモ先代次郎吉ハ訴訟代理人ヲ以テ訴訟ヲ爲シ委任消滅ノ通知ナカリシニヨリ訴訟手續中斷ノ效力ハ明治四十二年二月二十七日第一審判決ノ送達ト同時ニ生スルニ至レリ而シテ被上告人武田忠臣及松谷合資會社ハ訴訟手續ノ中斷アリタルコトヲ知ラサリシ爲メ第一審判決ニ對シ各控訴ヲ爲シ上告人等カ之ニ應訴辯論シ控訴人ハ勝訴ノ判決ヲ受ケタルモ相手方(上告人等)ノ上告ニ依リ該判決破毀原審ニ差戻トナリ原審ニ於テ審理中右中斷事由ヲ發見セラレ職權ヲ以テ訴訟手續ノ一部ニ付キ中斷判決ヲ言渡サレ被上告人等ノ右控訴ハ法律上無效ニ歸シタルヲ以テ更ニ適法ノ控訴ヲ提起シタルモノナリ上告人渡邊次郎吉ノ訴訟手續受繼申立ハ明治四十二年五月十一日右不適法ナル被上告人等ノ控訴ニ對シ應訴スル爲メ控訴審ニ對シテ申立テタルモノナレハ被上告人等ノ控訴カ不適法ニシテ無效ナル以上ハ此控訴ニ對シテ爲シタル受繼ノ申立モ亦不適法ナルハ勿論ナルヘシ元來第一審ノ勝訴者タル上告人渡邊次郎吉ハ上訴期間ノ進行ヲ促スニ付キテノミ利益ヲ有スルニ止マリ上訴ヲ爲スノ利益ヲ有セサルヲ以テ之カ爲メニ訴訟手續ノ申立ヲ爲サント欲セハ必スヤ第一審裁判所ニ對シテ之ヲ爲スハ格別上訴審タル原院ニ對シテ之ヲ爲シタリトスレハ不適法ナリト云ハサルヘカラス從テ其後被上告人等カ適法ノ控訴ヲ爲スマテノ間ニ於テハ上告人渡邊次郎吉ニ於テ適法ナル受繼ノ申立ヲ爲シタルコトナキヲ以テ訴訟手續ハ依然トシテ中斷シ居リタルモノト認ムルヲ相當トス而シテ原判決カ之レト同趣旨ノ判決ヲ爲シタルハ正當ニシテ上告人主張ノ如キ違法アルコトナシト云フニ在リ
判旨第一點 仍テ按スルニ民事訴訟法第百八十七條ニハ中斷シタル訴訟手續ノ受繼ハ其書面ヲ受訴裁判所ニ差出スヘキ旨規定セリ而シテ同條ニ所謂受訴裁判所ハ訴訟ノ現ニ繋屬シ若クハ將ニ繋屬セントスル裁判所ノ義ニシテ既ニ終局判決ノ送達ヲ了ヘ全ク繋屬ノ關係ヲ離レタル裁判所ノ謂ニ非ス隨テ終局判決ノ送達後訴訟手續ノ中斷セラレタルトキハ受繼ニ關スル書面ハ其差出人カ承繼人ナル場合ト相手方ナル場合ト勝訴者ナル場合ト敗訴者ナル場合トニ論ナク又既ニ上訴ノ提起アル場合ト否トニ拘ハラス之レヲ上訴裁判所ニ差出スヘキモノナルコト從來本院ノ判例トスル所ナリ(明治三十四年(オ)第三六五號明治三十五年四月二日言渡明治三十九年(オ)第四五六號同年十二月二十七日言渡明治四十二年(オ)第三七號同年三月十六日言渡明治四十四年(オ)第三八二號同四十五年五月二日言渡判例參照)抑モ上告人等ハ被上告人松谷合資會社ノ被上告人武田忠臣ニ對スル債權ニ基キ強制執行ニ著手セラレタル本訴土地ノ中千五百九十六番千六百一番千六百二番千六百三番及ヒ千六百四番ハ上告人等ノ共有ニ屬シ千五百九十七番千五百九十八番千五百九十九番及ヒ千六百番ハ上告人伊藤桂藏ノ單獨所有ニ屬スル旨ヲ主張シ原告トシテ本訴ヲ提起シタルモノナル處其訴訟ノ尚ホ第一審ニ繋屬セルニ際シ原告ノ一人ニシテ訴訟代理人ニ依リ訴訟ヲ爲セシ渡邊次郎吉カ死亡シタルモ其訴訟代理人ニ於テ委任消滅ノ通知ヲ爲ササリシ爲メ手續ヲ續行シ遂ニ明治四十二年二月二十七日判決ノ送達ヲ受ケ茲ニ訴訟手續ノ中斷セラレタルコト及ヒ原告等ノ共有土地ニ關スル請求ニ付テハ權利關係カ合一ニノミ確定スヘキモノナルヲ以テ其中斷ハ原告等全員ノ爲メニ效ヲ生シタルコト實ニ原院判示ノ如シ然リ而シテ被上告人等カ前ニ原院ニ控訴(東京控訴院明治四十二年(ネ)第一七一號同一七二號事件)ヲ提起シタルニ際シ上告人渡邊次郎吉カ明治四十二年五月十一日先代次郎吉ノ死亡ニ因リ中斷セラレタル訴訟手續ヲ受繼ク旨ノ書面ヲ原院ニ差出シ該書面カ同月十四日常時控訴人タリシ被上告人松谷合資會社ノ訴訟代理人ニ又同月十五日同被上告人武田忠臣ニ各送達セラレタルコトハ原院モ認ムル所ナルノミナラス記録ニ徴シ明白ニシテ上告人次郎吉ノ爲シタル右ノ受繼手續カ適法ナルコト前段説明ノ如クナレハ控訴期間ハ此時ヨリ進行ヲ始メタルモノナルコト多言ヲ要セス故ニ明治四十五年二月ニ至リテ更ニ提起セラレタル被上告人等ノ控訴(原院明治四十五年(ネ)第四三九 四六二號事件)ハ控訴期間經過後ノ提起ニ係ルモノナルヲ以テ民事訴訟法第四百十九條ノ規定ニ從ヒ不適法トシテ之ヲ棄却スルヲ至當トス然ルニ原院カ判決ノ送達後訴訟手續ノ中斷セラレタルトキ勝訴者カ受繼ヲ爲スニハ判決ヲ爲シタル裁判所ニ其書面ヲ差出スヘキモノナリトシ之ヲ理由トシテ上告人次郎吉ノ爲シタル前掲受繼手續ヲ無效トシ從テ被上告人等ノ更ニ提起シタル前示控訴ヲ適法ナリトシテ本案ノ裁判ヲ爲シタルハ違法ニシテ破毀ヲ免カレサルモノトス尤モ被上告人松谷合資會社ハ前ノ控訴ハ中斷中ノ提起ニ係リ無效ナルモノニシテ當時ノ訴訟代理人ハ此無效ナル控訴事件ニ付テノミ代理權ヲ有セシニ過キサレハ次郎吉ノ受繼ニ關スル書面ノ送達ヲ受クル權限ヲ有セス故ニ其權限ヲ有セサル訴訟代理人ニ爲サレタル送達モ亦無效ニシテ受繼ノ效ヲ生セサル旨論スレトモ前ノ控訴モ後ノ控訴ト同シク東京地方裁判所明治三十九年(ワ)第七四五號事件ノ控訴ニシテ被上告人ハ同事件ニ付控訴審ニ於ケル訴訟行爲ヲ代理人ニ委任シタルモノナレハ其代理人ハ同事件ノ訴訟手續受繼ニ關スル書面ノ送達ヲ受クヘキ權限アルコト勿論ニシテ被上告人所論ハ採ルニ足ラス又被上告人武田忠臣ハ明治四十二年五月十一日ニ爲サレタル渡邊次郎吉ノ受繼申立ハ被上告人等ノ爲シタル控訴ニ對シテ應訴スル爲メ控訴審ニ之ヲ爲シタルモノナレハ被上告人等ノ控訴カ不適法ニシテ無效ナル以上受繼ノ申立モ亦不適法ニシテ無效ナルコト勿論ナル旨論スレトモ受繼ノ申立ハ中斷セラレタル訴訟手續ヲ受繼ク爲メナレハ一箇ノ訴訟手續ノ中斷ニ付二箇ノ受繼手續アルヘキ理由ナキノミナラス次郎吉ノ爲シタル受繼申立ハ其先代次郎吉ノ死亡ニ因リ第一審判決ノ送達ト同時ニ中斷セラレタル事件ノ訴訟手續ヲ受繼ク爲メノモノナルコト書面上明白ナレハ此被上告人所論モ亦採ルニ足ラス
上告論旨第五點ハ明治五年中折橋政嘉石黒堅三郎カ拂下ヲ受ケタリト稱スル場所ハ所謂海岸寄洲竝ニ海面大約百五十町歩ニシテ其大部分ハ當時公有海面ナリシコトハ當事者間爭ナキ所ナリ而シテ原判決ハ右百五十町歩ハ悉ク明治五年中ニ折橋外一人ノ所有ニ歸シタリト謂フモノナレハ公有海面モ亦所有權ノ目的タリ得ルモノトセラレタルモノトス然レトモ公有海面ノ儘所有權ノ目的トナルコトヲ得サルハ古今ヲ通シ當然ノ條理ナリト謂ハサル可カラス(大審院明治二十八年五月判決)元來海面ハ海面其儘ノ状態ニ於テ之レヲ一箇ノ不動産ナリト謂フコトヲ得ス從テ國家ノ領海ニ屬スル海面ニ付テハ其國家ノ法規ニ基キ行政官廳處分ニヨリ一定ノ區域ヲ限リ之ヲ使用シ若クハ埋立開墾ヲ爲ス等ノ權利ヲ取得スルコトハ有リ得ヘシト雖モ之ニ對シテ何人モ所有權ヲ取得スルコトヲ得サルモノトスサレハ古來海面カ其儘所有權ノ目的タリ得ルコトヲ認ムヘキ法規ノ存スルコトナク却テ現行不動産登記法ノ如キハ海面ヲ以テ不動産ト看做ササルカ故ニ其登記方法ヲ規定セサルモノト解スルヲ正當トスヘク殊ニ同法第七十九條乃至第八十一條ニ於テ土地カ滅失シタル場合ニ付キ其滅失登記ヲ爲スヘキ手續ヲ規定シタリ而シテ同條ニ所謂土地ノ滅失ト謂ヘル中ニハ土地カ崩壞流失浸水等ニヨリ海面ニ變シタル場合ヲモ包含スヘキハ勿論ナルノ點ヨリ觀察スルトキハ同法ハ土地ト雖モ一朝海面ニ變スルトキハ不動産タルノ性質ヲ失ヒ從テ所有權ノ目的タリ得サルコトヲ認メタルモノト謂サル可ラス而シテ海面カ不動産ト稱スコトヲ得サルコト及所有權ノ目的タルコトヲ得ル可能性ナキコトハ土地カ變シテ海面ト爲リタル場合ト元來ノ海面トニ於テ異ル理由ナキノミナラス寧ロ後者ノ場合ニ於テ益然ルモノト謂ヒ得ヘキカ故ニ原判決カ元來ノ海面ナル羽田村地先ノ海面ニ付キ明治五年中折橋外一人カ海面ナルノ状態ニ於テ即時ニ其所有權ヲ取得シタルモノト認定セラレタルニ海面ノ性質ニ關スル法則ヲ誤解シタルモノニシテ是レ亦理由不備ノ不法アルモノト謂ハサル可ラスト云ヒ」同第六點ハ原判決ノ理由ヲ見ルニ其明治五年中折橋外一人カ拂下タリトノ點ニ關シ「抑モ係爭地タル云云控訴人武田忠臣ノ主張ニ依レハ訴外折橋政嘉石黒堅三郎ノ兩名ハ明治五年中荏原郡羽田村鈴木新田糀谷村地先海岸寄洲百五十町歩程ノ拂下ヲ受ケ後該地所ハ輾轉シテ數人ノ手ヲ經明治二十五年中控訴人武田ノ所有ニ歸シタルモノニシテ係爭地ハ此拂下地ノ一部ニ屬スト云フニ在ルヲ以テ若シ此主張ヲ眞實ナリトセハ係爭地ハ被控訴人等カ行政官廳ヨリ下渡ヲ受クルニ先チ既ニ一私人ノ所有ニ歸シタルモノナレハ云云之ヲ乙第一號證ノ裁判言渡書ニ參照セハ折橋政嘉石黒堅三郎ノ兩名ハ明治五年中羽田村鈴木新田糀谷村地先海岸寄洲百五十町歩程ノ拂下ヲ受ケ其所有權ヲ取得シ石黒ハ其權利ヲ田中三四郎ニ讓渡シタルコトヲ認ムルヲ得ヘシ」云云ト謂ヒ所謂百五十町歩ハ海岸寄洲百五十町歩ト記載シテ「竝ニ海面」ノ文字ヲ遺脱シ一見被上告人ノ主張スル百五十町歩ハ海岸寄洲即チ全部土地ナルカ如ク説明セリ故ニ若シ右ノ判決理由ヲ文言通リニ解釋スヘキモノトスル時ハ原判決ハ被上告人主張ヲ以テ所謂百五十町歩ハ海岸寄洲ニシテ
全部土地ナリシト謂フニアルモノトシ從テ原判決モ亦土地百五十町歩程カ明治五年ニ拂下ラレタリト認定シタルモノニシテ百五十町歩中ニ海面アルコトヲ認メナカラ海面モ亦所有權ノ目的タルコトヲ得トノ見解ニ基キ海面ノ拂下ヲ認定シタルモノニアラスト論スルコトヲ得ヘシ然レトモ是レ恐ラクハ文字ニ拘泥シテ判決ノ眞意ニ添ハサルノ解釋ナルヘシ何トナレハ被上告人ハ明治五年中折橋石黒カ拂下ケタル當時ニ於テ拂下場所ノ大部分カ海面ナリシコト拂下當時ヨリ明治二十三四年頃マテハ依然海面ノ状態ナリシト反覆主張セルコト及ヒ被上告人モ亦明治五年當時ニ在リテハ右場所カ大部分海面ナリシコトヲ主張セルコトハ記録竝ニ原判決事實摘示ノ部ニ於テモ極メテ明白ナル所ナルヲ以テ原審カ右當事者ノ主張ヲ誤解シタルモノナリトハ想像スルコトヲ得サルカ故ニ原判決カ海岸寄洲百五十町歩ト記載シテ「竝ニ海面」ノ文字ヲ遺脱セルハ單純ナル誤記若クハ省畧ト見サルヲ得サレハナリ若シ然ラスシテ原判決カ眞ニ百五十町歩ヲ以テ海岸寄洲ノミニシテ海面ヲ含マサルモノトシタリトセハ是レ當事者ノ主張ニ反シテ不當ニ事實ヲ認定シタル不法アルモノト謂ハサル可ラス從テ此點ニ關シ原判決ハ前上告論旨ニ謂ヘルカ如ク海面カ所有權ノ目的タリ得ルモノト爲セル不法アルカ然ラスンハ當事者ノ主張ニ反シテ不當ニ事實ヲ認定シタル不法アルカ何レニシテモ不法ノ判決タルコトヲ免レサルモノトスト云ヒ」之ニ對スル被上告人松谷合資會社ノ答辯ハ領海ニ屬スル海面ハ國家ニ於テ絶對自由ノ處分權ヲ有ス從テ其處分權ノ作用トシテ一定區劃ノ海面ヲ拂下クルモ亦自由ナリ國家ノ此權力ヲ否認シ又ハ制限スヘキ何等ノ理據アルコトナシ而シテ拂下ノ效力ハ海底テフ土地ニ對シ所有權ヲ發生スヘキナリ上告人ノ援用スル判例及ヒ登記法ノ關係ハ此理論ト牴觸スルコトナシ拂下ノ目的地カ海岸ナルト寄洲ナルト海面ナルトハ拂下ノ效力ニ影響ナキコト前述ノ如クナルヲ以テ本上告點ノ理由ナキコト自ラ明白ナリト云ヒ」被上告人武田忠臣ノ答辯ハ被上告人カ原審ニ於テ主張シタル所ハ原判決事實摘示ニ明ナルカ如ク係爭地所有權ノ原因ハ明治五年海岸寄洲竝ニ海面ト稱シ拂下ヲ受ケタルモノノ一部分ナリト云フニ在リテ係爭地ノ大部分カ海面ナリト主張シタルコトナキノミナラス而カモ其海面ナル語ヲ使用シタルハ一ノ俗稱ニ過キスシテ純然タル地理上ノ海面ナリトノ意ニ非スシテ滿潮ノ際ニ於テハ一二尺位海水ノ侵入スヘキ場合ナリシトノ謂ニ外ナラサリシコトハ被上告人カ係爭地ノ所有權ヲ主張スル根本的ノ資料トシテ援用シタル證據即チ明治五年ノ拂下關係ハ乙第一號證ノ判決ニ依テ確定シ其基本ニ援用セラレタル乙第一號證ノ二ノ二ノ記事中冒頭ニ海岸寄洲ト明記シアリ又本文中ニハ「滿潮ニハ水面ト相成候箇所云云」ノ記載アルニ依リテ之ヲ觀ルモ明カナル所タリ凡ソ公式ニ陸地ト海面トノ分界ヲ指稱スルノ標準ハ常時潮水ノ存在スル場所タルト否トニ依リテ區別セラルヘキモノナレハ單ニ滿潮ノ場合ニ於テハ一二尺位潮水ノ浸入スルコトアルモ干潮ニハ全ク潮水ヲ存在セサル場合ハ洲ト稱シ即チ陸地ニ屬スヘキモノニシテ純然タル海面ニ非ラサルナリ原判決ハ乙第一號證ノ二ノ二ニ依リテ係爭地ノ中滿潮ニハ一二尺位水面トナルヘキ場所ハ海岸寄洲ナリト指稱シタルモノニシテ此ノ見解ハ正當ナリト謂ハサルヘカラス從テ原判決ハ要スルニ係爭地ヲ全然陸地ナリトノ前提ノ許ニ被上告人ノ所有權ヲ認メタルモノナレハ上告論旨ノ如キ違法アルコトナシ第六點ノ上告論旨ハ要スルニ拂下地ノ一部ハ海面ナリシトノ獨斷的見解ヲ前提トシテ原判決カ當事者ノ主張ニ反シテ事實ヲ認定シタリト云フニ在リテ原判決ハ上告論旨ノ如キ違法ナキコト明カナルヲ以テ詳論スルノ要ヲ見スト云フニ在リ
判旨第二點 仍テ按スルニ海面ハ行政上ノ處分ニ因リ一定ノ區域ヲ限リ私人ニ之カ使用又ハ埋立開墾等ノ權利ヲ得セシムルコトアルハ勿論ナリト雖モ海面ノ儘之ヲ私人ノ所有ト爲スコトヲ得サルハ古今ニ通スル當然ノ條理ナリ然リ而シテ上告人ハ折橋政嘉外一名カ明治五年中拂下ヲ受ケタル荏原郡羽田村鈴木新田糀谷村地先ニ於ケル百五十町歩ハ寄洲及ヒ海面ナリシコト竝ニ其寄洲及ヒ海面ノ拂下ハ埋立開墾ノ爲メナルヲ以テ開墾成功ノ上ニ非サレハ所有權ノ移轉アルヘキニ非サルコヲ主張シ被上告人モ政嘉外一
名ノ拂下ヲ受ケタル百五十町歩カ寄洲及ヒ海面ナリシコトヲ主張セシコト原判決ノ事實摘示ニ依リ明カナリ故ニ原院ハ該百五十町歩カ寄洲及ヒ海面ナルコトヲ認メナカラ政嘉外一名ニ於テ拂下ニ因リ直ニ所有權ヲ取得シタリト爲シタルモノト謂フヘシ果シテ然ラハ海面ヲ以テ私人ノ所有ト爲スコトヲ得ルモノト判定シタルニ外ナラスシテ所有權ニ關スル法則ヲ不當ニ適用シタル不法ノ裁判ナリト謂ハサルヲ得ス尤モ原判決理由ニハ折橋政嘉外一名カ明治五年中ニ拂下ヲ受ケタル百五十町歩ハ荏原郡羽田村鈴木新田糀谷村地先海岸寄洲ナル旨判示アリテ恰カモ該百五十町歩カ悉皆寄洲ナルコトヲ認メタルモノノ如シ若シ原院ノ判旨茲ニ在ランカ當事者ノ主張ニ反シテ事實ヲ確定シタル不法アルモノト爲ササルヲ得サレハ此點ニ於テモ亦原判決ハ破毀ヲ免カレス
上告人伊藤勘左衛門須山藤右衛門三尾鼎高橋長藏ハ期日ニ出頭セサルモ民事訴訟法第五十條第四項ニヨリ出頭シタル他ノ上告人ニ代理ヲ任シタルモノトス
上來説明ノ如クナルヲ以テ他ノ上告論旨ニ對スル説明ヲ畧シ上告人等ノ共有ニ係ル部分ニ付テハ民事訴訟法第四百四十七條第一項同第四百五十一條第一號ニ從ヒ又上告人伊藤桂藏ノ單獨所有ニ係ル部分ニ付テハ同法第四百四十七條第一項同第四百四十八條第一項ニ從ヒ主文ノ如ク判決ス
大正三年(オ)第七百四十二号
大正四年十二月二十八日第二民事部判決
◎判決要旨
- 一 終局判決の送達後訴訟手続中断せられたるときは受継に関する書面は其差出人が承継人なる場合と否と勝訴者なる場合と否とに拘はらず又既に上訴の提起ある場合と否とに論なく之を上訴裁判所に差出すべきものとす。
(判旨第一点)
- 一 訴訟手続中断中控訴の提起ありたるに際し被控訴人より訴訟手続受継の書面を控訴審に差出し該書面が控訴人の訴訟代理人に送達せられたるときは訴訟受継の手続は適法なるを以て控訴期間は此時より進行を始むるものとす。
(同上)
- 一 海面は行政上の処分を以て一定の区域を限り私人に其使用又は埋立、開墾等の権利を得せしむることあるも海面の儘之を私人の所有と為し得ざるものとす。
(判旨第二点)
上告人 永田仙太郎 外十四名
上告人 伊藤勘左衛門 外三名
被上告人 松谷合資会社
法定代理人 後藤義三 外被上告人一名
右当事者間の強制執行異議事件に付、東京控訴院が大正三年六月二十五日言渡したる判決に対し上告人永田仙太郎外十四名より一部破毀を求むる申立を為し被上告人は上告棄却の申立を為し尚ほ出頭せざる上告人伊藤勘左衛門須山藤右衛門三尾鼎高橋長蔵に対しては闕席の儘審理あり多き旨申立てたり
主文
原判決を破毀す上告人等の共有地に関する被上告人等の控訴(原院明治四十五年(ネ)第四三九号原院明治四十五年(ネ)第四六二号)は孰れも之を棄却す
右共有地に関する訴訟費用は全部各自弁とす。
上告人伊藤桂蔵の単独所有地に関する事件を東京控訴院に差戻す
理由
上告論旨第一点は原判決は訴訟受継に関する法則を誤解し本件各被上告人の提起したる控訴は何れも控訴期間満了後に提起せられたる不適法の控訴なるに拘らず之を適法なるものとしたるの不法あり。
即ち原判決は「被控訴人等(上告人)は渡辺次郎吉は明治四十二年五月十一日附にて訴訟手続受継申立書を当院に提出し同書面は同月十四日控訴人松谷合資会社に翌十五日控訴人武田忠臣に送達せられたることは争なき事実なれば原判決に対する控訴期間は右送達のありたる日より起算すべきものなりと主張せり惟ふに此受継申立書の送達により訴訟手続の中断止みたるものとせば本件控訴は期間経過後に提起せられたるものに係り不適法なること明かなるも既に認定したる如く原告渡辺次郎吉に対する訴訟手続は原判決の送達と同時に中断となりたるものにして同原告は勝訴者なれば上訴を為すの利益なく単に上訴期間の進行を促すに付き利益を有するものなれば此訴訟の受継を為さんとするには判決を為したる原裁判所に其申立書を提出せざるべからず。
然るに其承継人たる被控訴人渡辺次郎吉は其申立書を原裁判所たる東京地方裁判所に差出さず反で之を東京控訴院(当時訴訟手続中断中に提起せられたる無効の控訴繋属せり)に差出したるは違法にして之に依り何等の効力を生ぜざるものとす。
随で右受継申立書の提出に依り訴訟手続の中断止み控訴期間は更に其進行を開始したるものと認むるを得ず。
左れば本件控訴の提起ある迄の間に中断の止みたる事実を認むべき証拠なきを以て控訴人等が控訴状と共に訴訟手続受継の為め承継人渡辺次郎吉伊藤桂蔵の呼出申立書を当院に差出して為したる本件控訴は適法の期間内に提起せられたるものと認むべく之を不適法なりとする被控訴人等の主張は採用し難し被控訴人渡辺次郎吉は明治三十九年十二月九日先代次郎吉の家督を相続し被控訴人伊藤桂蔵は同四十三年七月二十四日先代桂蔵の家督を相続したることは其主張に依り明かなるを以て同人等が本件訴訟を承継するは相当にして被控訴人渡辺次郎吉伊藤桂蔵は各自其先代に対する本件の訴訟を承継したるものとす。」と判示せり右認定の事実による時は本件第一審の判決は明治四十二年二月二十七日原告等(上告人)に送達せられたるものなる処原告の一人渡辺次郎吉は右判決の送達前なる明治三十九年十月五日に死亡したり。
而して本件は権利関係が合一にのみ確定すべき共同訴訟なるを以て訴訟手続は原告全員の為め判決の送達と同時に中断したるものなり。
依て右死亡したる渡辺次郎吉の承継人たる上告人渡辺次郎吉(亡父の名を襲名したるもの)明治四十二年五月十一日訴訟受継の申立書を上訴審たる原院に差出し其申立書は同月十四日被上告人松谷合資会社に又翌十五日に被上告人武田忠臣に各送達せられたるものなるが故に右の送達と同時に訴訟手続の中断止み其時より各被上告人の為めに控訴期間は進行したるものなり。
而して本件の各控訴は右受継申立書の送達により更に進行を開始したる控訴期間の経過後に提起せられたることは明かなるを以て当然不適法の控訴として却下せられざる可からざるものなりとす。
然るに原判決は判決送達後に中断したる訴訟手続を勝訴者に於て受継せんとするには申立書を原裁判所に差出すべきものにして上訴審に差出して為すべきものにあらず。
随で上告人渡辺次郎吉が上訴審たる原院に差出して為したる受継申立書は何等の効力を生ぜざるが故に右の申立書により中断は止みたるものにあらずとせられたれども民事訴訟法第百八十七条には中断したる訴訟手続の受継は其書面を受訴裁判所に差出すべきことを規定し、而して所謂受訴裁判所とは訴の現に繋属し若くは将に繋属せんとする裁判所の義にして判決の送達によりて全然訴訟が離脱したる原裁判所を指すものにあらざることは解釈上明白なるのみならず同条は又勝訴者が受継の申立を為す場合と敗訴者が為す場合に付き毫も区別を設けざるものなれば勝訴者たる原告渡辺次郎吉の承継人たる上告人渡辺次郎吉が其受継申立書を上訴審たる原院に差出したるは適法なること勿論なりとす。
而して此点に付ては既に御院に於ても従来屡屡判例として示されたる所にして原院の解釈の誤りなることは多言を要せざる所なりと云ひ」之に対する被上告人松谷合資会社の答弁は民事訴訟法第百八十五条に所謂受訴裁判所とは訴訟の現に繋属する裁判所の謂にして、而して訴訟は有効なる上訴の提起ある迄は原裁判所に繋属すること法理上当然なるを以て本件の如き場合に於ては受継の申立は東京地方裁判所に提出せざるべからざるものとす。
従て原審の解釈は不当にあらざるのみならず第一審の勝訴者たる上告人渡辺次郎吉は上訴期間の促進を得るたけの利益にして上訴の必要並に利益を有せざるものなるを以て未だ控訴の繋属せざる原院に受継申立をなすべきものにあらず。
加之右受継申立は之が送達を受くべき適法の人に送達せられざりしこと被上告人より原院に提出したる大正元年十一月二十一日附弁駁書面の如くなるを以て仮りに右受継申立が適法なりとするも此理由により中断停止の効を認むる能はざるものに属すと云ひ」被上告人武田忠臣の答弁は上告人渡辺次郎吉の先代次郎吉の死亡に依る中断原因は本件第一審判決言渡前たる明治三十九年十月五日に発生したること明かなるも先代次郎吉は訴訟代理人を以て訴訟を為し委任消滅の通知なかりしにより訴訟手続中断の効力は明治四十二年二月二十七日第一審判決の送達と同時に生ずるに至れり。
而して被上告人武田忠臣及松谷合資会社は訴訟手続の中断ありたることを知らざりし為め第一審判決に対し各控訴を為し上告人等が之に応訴弁論し控訴人は勝訴の判決を受けたるも相手方(上告人等)の上告に依り該判決破毀原審に差戻となり原審に於て審理中右中断事由を発見せられ職権を以て訴訟手続の一部に付き中断判決を言渡され被上告人等の右控訴は法律上無効に帰したるを以て更に適法の控訴を提起したるものなり。
上告人渡辺次郎吉の訴訟手続受継申立は明治四十二年五月十一日右不適法なる被上告人等の控訴に対し応訴する為め控訴審に対して申立てたるものなれば被上告人等の控訴が不適法にして無効なる以上は此控訴に対して為したる受継の申立も亦不適法なるは勿論なるべし元来第一審の勝訴者たる上告人渡辺次郎吉は上訴期間の進行を促すに付きてのみ利益を有するに止まり上訴を為すの利益を有せざるを以て之が為めに訴訟手続の申立を為さんと欲せば必ずや第一審裁判所に対して之を為すは格別上訴審たる原院に対して之を為したりとすれば不適法なりと云はざるべからず。
従て其後被上告人等が適法の控訴を為すまでの間に於ては上告人渡辺次郎吉に於て適法なる受継の申立を為したることなきを以て訴訟手続は依然として中断し居りたるものと認むるを相当とす。
而して原判決が之れと同趣旨の判決を為したるは正当にして上告人主張の如き違法あることなしと云ふに在り
判旨第一点 。
仍て按ずるに民事訴訟法第百八十七条には中断したる訴訟手続の受継は其書面を受訴裁判所に差出すべき旨規定せり。
而して同条に所謂受訴裁判所は訴訟の現に繋属し若くは将に繋属せんとする裁判所の義にして既に終局判決の送達を了へ全く繋属の関係を離れたる裁判所の謂に非ず随で終局判決の送達後訴訟手続の中断せられたるときは受継に関する書面は其差出人が承継人なる場合と相手方なる場合と勝訴者なる場合と敗訴者なる場合とに論なく又既に上訴の提起ある場合と否とに拘はらず之れを上訴裁判所に差出すべきものなること従来本院の判例とする所なり。
(明治三十四年(オ)第三六五号明治三十五年四月二日言渡明治三十九年(オ)第四五六号同年十二月二十七日言渡明治四十二年(オ)第三七号同年三月十六日言渡明治四十四年(オ)第三八二号同四十五年五月二日言渡判例参照)。
抑も上告人等は被上告人松谷合資会社の被上告人武田忠臣に対する債権に基き強制執行に著手せられたる本訴土地の中千五百九十六番千六百一番千六百二番千六百三番及び千六百四番は上告人等の共有に属し千五百九十七番千五百九十八番千五百九十九番及び千六百番は上告人伊藤桂蔵の単独所有に属する旨を主張し原告として本訴を提起したるものなる処其訴訟の尚ほ第一審に繋属せるに際し原告の一人にして訴訟代理人に依り訴訟を為せし渡辺次郎吉が死亡したるも其訴訟代理人に於て委任消滅の通知を為さざりし為め手続を続行し遂に明治四十二年二月二十七日判決の送達を受け茲に訴訟手続の中断せられたること及び原告等の共有土地に関する請求に付ては権利関係が合一にのみ確定すべきものなるを以て其中断は原告等全員の為めに効を生じたること実に原院判示の如し然り、而して被上告人等が前に原院に控訴(東京控訴院明治四十二年(ネ)第一七一号同一七二号事件)を提起したるに際し上告人渡辺次郎吉が明治四十二年五月十一日先代次郎吉の死亡に因り中断せられたる訴訟手続を受継く旨の書面を原院に差出し該書面が同月十四日常時控訴人たりし被上告人松谷合資会社の訴訟代理人に又同月十五日同被上告人武田忠臣に各送達せられたることは原院も認むる所なるのみならず記録に徴し明白にして上告人次郎吉の為したる右の受継手続が適法なること前段説明の如くなれば控訴期間は此時より進行を始めたるものなること多言を要せず。
故に明治四十五年二月に至りて更に提起せられたる被上告人等の控訴(原院明治四十五年(ネ)第四三九 四六二号事件)は控訴期間経過後の提起に係るものなるを以て民事訴訟法第四百十九条の規定に従ひ不適法として之を棄却するを至当とす。
然るに原院が判決の送達後訴訟手続の中断せられたるとき勝訴者が受継を為すには判決を為したる裁判所に其書面を差出すべきものなりとし之を理由として上告人次郎吉の為したる前掲受継手続を無効とし。
従て被上告人等の更に提起したる前示控訴を適法なりとして本案の裁判を為したるは違法にして破毀を免がれざるものとす。
尤も被上告人松谷合資会社は前の控訴は中断中の提起に係り無効なるものにして当時の訴訟代理人は此無効なる控訴事件に付てのみ代理権を有せしに過ぎざれば次郎吉の受継に関する書面の送達を受くる権限を有せず。
故に其権限を有せざる訴訟代理人に為されたる送達も亦無効にして受継の効を生ぜざる旨論すれども前の控訴も後の控訴と同じく東京地方裁判所明治三十九年(ワ)第七四五号事件の控訴にして被上告人は同事件に付、控訴審に於ける訴訟行為を代理人に委任したるものなれば其代理人は同事件の訴訟手続受継に関する書面の送達を受くべき権限あること勿論にして被上告人所論は採るに足らず又被上告人武田忠臣は明治四十二年五月十一日に為されたる渡辺次郎吉の受継申立は被上告人等の為したる控訴に対して応訴する為め控訴審に之を為したるものなれば被上告人等の控訴が不適法にして無効なる以上受継の申立も亦不適法にして無効なること勿論なる旨論すれども受継の申立は中断せられたる訴訟手続を受継く為めなれば一箇の訴訟手続の中断に付、二箇の受継手続あるべき理由なきのみならず次郎吉の為したる受継申立は其先代次郎吉の死亡に因り第一審判決の送達と同時に中断せられたる事件の訴訟手続を受継く為めのものなること書面上明白なれば此被上告人所論も亦採るに足らず
上告論旨第五点は明治五年中折橋政嘉石黒堅三郎が払下を受けたりと称する場所は所謂海岸寄洲並に海面大約百五十町歩にして其大部分は当時公有海面なりしことは当事者間争なき所なり。
而して原判決は右百五十町歩は悉く明治五年中に折橋外一人の所有に帰したりと謂ふものなれば公有海面も亦所有権の目的たり得るものとせられたるものとす。
然れども公有海面の儘所有権の目的となることを得ざるは古今を通じ当然の条理なりと謂はざる可からず。
(大審院明治二十八年五月判決)元来海面は海面其儘の状態に於て之れを一箇の不動産なりと謂ふことを得ず。
従て国家の領海に属する海面に付ては其国家の法規に基き行政官庁処分により一定の区域を限り之を使用し若くは埋立開墾を為す等の権利を取得することは有り得べしと雖も之に対して何人も所有権を取得することを得ざるものとすされば古来海面が其儘所有権の目的たり得ることを認むべき法規の存することなく却て現行不動産登記法の如きは海面を以て不動産と看做さざるが故に其登記方法を規定せざるものと解するを正当とすべく殊に同法第七十九条乃至第八十一条に於て土地が滅失したる場合に付き其滅失登記を為すべき手続を規定したり。
而して同条に所謂土地の滅失と謂へる中には土地が崩壊流失浸水等により海面に変したる場合をも包含すべきは勿論なるの点より観察するときは同法は土地と雖も一朝海面に変するときは不動産たるの性質を失ひ。
従て所有権の目的たり得ざることを認めたるものと謂さる可らず。
而して海面が不動産と称すことを得ざること及所有権の目的たることを得る可能性なきことは土地が変して海面と為りたる場合と元来の海面とに於て異る理由なきのみならず寧ろ後者の場合に於て益然るものと謂ひ得べきが故に原判決が元来の海面なる羽田村地先の海面に付き明治五年中折橋外一人が海面なるの状態に於て即時に其所有権を取得したるものと認定せられたるに海面の性質に関する法則を誤解したるものにして是れ亦理由不備の不法あるものと謂はざる可らずと云ひ」同第六点は原判決の理由を見るに其明治五年中折橋外一人が払下たりとの点に関し「。
抑も係争地たる云云控訴人武田忠臣の主張に依れば訴外折橋政嘉石黒堅三郎の両名は明治五年中荏原郡羽田村鈴木新田糀谷村地先海岸寄洲百五十町歩程の払下を受け後該地所は輾転して数人の手を経明治二十五年中控訴人武田の所有に帰したるものにして係争地は此払下地の一部に属すと云ふに在るを以て若し此主張を真実なりとせば係争地は被控訴人等が行政官庁より下渡を受くるに先ち既に一私人の所有に帰したるものなれば云云之を乙第一号証の裁判言渡書に参照せば折橋政嘉石黒堅三郎の両名は明治五年中羽田村鈴木新田糀谷村地先海岸寄洲百五十町歩程の払下を受け其所有権を取得し石黒は其権利を田中三四郎に譲渡したることを認むるを得べし」云云と謂ひ所謂百五十町歩は海岸寄洲百五十町歩と記載して「並に海面」の文字を遺脱し一見被上告人の主張する百五十町歩は海岸寄洲即ち全部土地なるが如く説明せり。
故に若し右の判決理由を文言通りに解釈すべきものとする時は原判決は被上告人主張を以て所謂百五十町歩は海岸寄洲にして
全部土地なりしと謂ふにあるものとし。
従て原判決も亦土地百五十町歩程が明治五年に払下られたりと認定したるものにして百五十町歩中に海面あることを認めながら海面も亦所有権の目的たることを得との見解に基き海面の払下を認定したるものにあらずと論することを得べし。
然れども是れ恐らくは文字に拘泥して判決の真意に添はざるの解釈なるべし何となれば被上告人は明治五年中折橋石黒が払下けたる当時に於て払下場所の大部分が海面なりしこと払下当時より明治二十三四年頃までは依然海面の状態なりしと反覆主張せること及び被上告人も亦明治五年当時に在りては右場所が大部分海面なりしことを主張せることは記録並に原判決事実摘示の部に於ても極めて明白なる所なるを以て原審が右当事者の主張を誤解したるものなりとは想像することを得ざるが故に原判決が海岸寄洲百五十町歩と記載して「並に海面」の文字を遺脱せるは単純なる誤記若くは省略と見さるを得ざればなり。
若し然らずして原判決が真に百五十町歩を以て海岸寄洲のみにして海面を含まざるものとしたりとせば是れ当事者の主張に反して不当に事実を認定したる不法あるものと謂はざる可らず。
従て此点に関し原判決は前上告論旨に謂へるが如く海面が所有権の目的たり得るものと為せる不法あるか然らずんば当事者の主張に反して不当に事実を認定したる不法あるか何れにしても不法の判決たることを免れざるものとすと云ひ」之に対する被上告人松谷合資会社の答弁は領海に属する海面は国家に於て絶対自由の処分権を有す。
従て其処分権の作用として一定区劃の海面を払下くるも亦自由なり。
国家の此権力を否認し又は制限すべき何等の理拠あることなし、而して払下の効力は海底てふ土地に対し所有権を発生すべきなり。
上告人の援用する判例及び登記法の関係は此理論と牴触することなし払下の目的地が海岸なると寄洲なると海面なるとは払下の効力に影響なきこと前述の如くなるを以て本上告点の理由なきこと自ら明白なりと云ひ」被上告人武田忠臣の答弁は被上告人が原審に於て主張したる所は原判決事実摘示に明なるが如く係争地所有権の原因は明治五年海岸寄洲並に海面と称し払下を受けたるものの一部分なりと云ふに在りて係争地の大部分が海面なりと主張したることなきのみならず而かも其海面なる語を使用したるは一の俗称に過ぎずして純然たる地理上の海面なりとの意に非ずして満潮の際に於ては一二尺位海水の侵入すべき場合なりしとの謂に外ならざりしことは被上告人が係争地の所有権を主張する根本的の資料として援用したる証拠即ち明治五年の払下関係は乙第一号証の判決に依て確定し其基本に援用せられたる乙第一号証の二の二の記事中冒頭に海岸寄洲と明記しあり又本文中には「満潮には水面と相成候箇所云云」の記載あるに依りて之を観るも明かなる所たり。
凡そ公式に陸地と海面との分界を指称するの標準は常時潮水の存在する場所たると否とに依りて区別せらるべきものなれば単に満潮の場合に於ては一二尺位潮水の浸入することあるも干潮には全く潮水を存在せざる場合は洲と称し。
即ち陸地に属すべきものにして純然たる海面に非らざるなり。
原判決は乙第一号証の二の二に依りて係争地の中満潮には一二尺位水面となるべき場所は海岸寄洲なりと指称したるものにして此の見解は正当なりと謂はざるべからず。
従て原判決は要するに係争地を全然陸地なりとの前提の許に被上告人の所有権を認めたるものなれば上告論旨の如き違法あることなし第六点の上告論旨は要するに払下地の一部は海面なりしとの独断的見解を前提として原判決が当事者の主張に反して事実を認定したりと云ふに在りて原判決は上告論旨の如き違法なきこと明かなるを以て詳論するの要を見すと云ふに在り
判旨第二点 。
仍て按ずるに海面は行政上の処分に因り一定の区域を限り私人に之が使用又は埋立開墾等の権利を得せしむることあるは勿論なりと雖も海面の儘之を私人の所有と為すことを得ざるは古今に通ずる当然の条理なり。
然り、而して上告人は折橋政嘉外一名が明治五年中払下を受けたる荏原郡羽田村鈴木新田糀谷村地先に於ける百五十町歩は寄洲及び海面なりしこと並に其寄洲及び海面の払下は埋立開墾の為めなるを以て開墾成功の上に非ざれば所有権の移転あるべきに非ざるこを主張し被上告人も政嘉外一
名の払下を受けたる百五十町歩が寄洲及び海面なりしことを主張せしこと原判決の事実摘示に依り明かなり。
故に原院は該百五十町歩が寄洲及び海面なることを認めながら政嘉外一名に於て払下に因り直に所有権を取得したりと為したるものと謂ふべし。
果して然らば海面を以て私人の所有と為すことを得るものと判定したるに外ならずして所有権に関する法則を不当に適用したる不法の裁判なりと謂はざるを得ず。
尤も原判決理由には折橋政嘉外一名が明治五年中に払下を受けたる百五十町歩は荏原郡羽田村鈴木新田糀谷村地先海岸寄洲なる旨判示ありて恰かも該百五十町歩が悉皆寄洲なることを認めたるものの如し若し原院の判旨茲に在らんか当事者の主張に反して事実を確定したる不法あるものと為さざるを得ざれば此点に於ても亦原判決は破毀を免がれず
上告人伊藤勘左衛門須山藤右衛門三尾鼎高橋長蔵は期日に出頭せざるも民事訴訟法第五十条第四項により出頭したる他の上告人に代理を任じたるものとす。
上来説明の如くなるを以て他の上告論旨に対する説明を略し上告人等の共有に係る部分に付ては民事訴訟法第四百四十七条第一項同第四百五十一条第一号に従ひ又上告人伊藤桂蔵の単独所有に係る部分に付ては同法第四百四十七条第一項同第四百四十八条第一項に従ひ主文の如く判決す