大正四年(オ)第四百四十六號
大正四年十二月四日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 普通水利組合カ灌漑排水ニ關スル事業トシテ爲ス行爲ハ府縣其他ノ地方公共團體カ其事業ニ付キ爲スモノト同シク公權ノ發動トシテ爲ス一ノ行政處分ナレハ他人カ其行爲ニ依リ妨害セラルル虞アル權利ノ救濟ハ司法裁判所ノ權限ニ屬セサルモノトス
上告人 中江用水普通水利組合
法定代理人 相澤尚義
被上告人 上江用水普通水利組合
法定代理人 閏間季五郎
右當事者間ノ用水使用權確認請求事件ニ付新潟地方裁判所カ大正四年四月十五日言渡シタル判決ニ對シ上告人ヨリ一部破毀ヲ求ムル申立ヲ爲シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ爲シタリ
主文
本件上告ハ之ヲ棄却ス
上告費用ハ上告人ノ負擔トス
理由
上告論旨第一點ハ原判決ニ「控訴組合ハ水利組合法ニ基キ組織セラレタルモノニシテ公法人タルコトハ當事者間ニモ異議ナキ所ナリ而シテ控訴組合カ聖枠ヲ設ケ源流ヲ堰止メ其用水路ニ引用スル工事ノ如キハ其目的タル用水ノ施設ニ外ナラサレハ其行爲ハ則チ公法人ノ權力行爲即チ行政處分ナリト謂ハサルヘカラス故ニ今假リニ控訴組合カ其用水施設ノ爲メ不當ナル工事ヲ爲シ以テ被控訴組合ノ用水權ヲ妨害シタリトセンカ被控訴人ニ於テ其處分ノ當否ヲ爭ヒ該工事ノ廢止又ハ變更ヲ求ムルニハ行政訴訟手續ニ依ルノ外ナキヤ言ヲ竣タス果シテ然ラハ本訴ノ如ク控訴組合カ他日不當ナル引水工事ヲ爲シ以テ被控訴組合ノ用水權ヲ妨害セントスル虞アリトシ之カ救濟ヲ求ムル場合ニ於テモ亦行政訴訟ノ手續ニ依ラサルヘカラサルヤ當然ノ筋合ニシテ其爭訟ハ司法裁判所ノ管轄ニ屬セサルモノトス」云云ト判示セラレタレトモ上告人ハ本件ニ於テ上告人ノ有スル用水權ノ確認ト併テ該權利ノ行使ニ對スル妨害行爲ノ禁止ヲ要求スルモノニ之レアリ被上告人カ公法人トシテ當然爲スヘキ權力行爲即チ基本分ノ行爲トシテ執行スヘキ工事ノ廢止變更ヲ要求スルモノニアラス上告人ハ寛文年中ニ延長六里餘ノ用水路ヲ開鑿シ三千數百町歩ノ田地ニ灌漑スル爲メ關川流水ヲ堰止メ之ヲ江路ニ引用シ來リタルモノナルニ被上告人ハ其後上告人ノ取入口ヨリ上流ニ用水路ヲ創設シテ關川流水ヲ引入レ上告人ノ有スル用水權ノ侵害ヲ爲スヘキ状況アルヲ以テ茲ニ該權利ノ確定ヲ爲ササレハ水利上重大ナル利害關係ヲ生スヘキ次第ナリ而シテ上告人ノ用水權確立スル以上ハ被上告人ハ素ヨリ何人ト雖モ該權利ヲ侵害スヘカラサル義務アルコトハ勿論ナレトモ現ニ侵害ノ状況アル被上告人ニ對シテハ權利ノ擁護上進テ不作爲義務ヲモ確定セサレハ上告人ハ安全ニ權利ノ行使ヲ爲スコトヲ得ス故ニ上告人ハ本件ニ於テ二箇ノ要求ヲ爲シタレトモ第二ノ要求ハ第一要求ノ私權關係ニ當然隨件スヘキ義務ニシテ權力行爲ノ當否ヲ爭フモノニアラス若シ夫レ原判決説明ノ如ク被上告人カ組合ノ有スル本分ノ行爲トシテ執行シタル工事ノ當否ヲ爭フ場合ハ自ラ別問題ニ屬シ上告人ノ要求ハ單ニ私權ニ隨件スヘキ義務ノ確定ニシテ行政行爲ニ何等ノ關係ヲ有セス然ルニ原判決ハ法則ヲ不當ニ適用シ上告人ノ第二請求ヲ却下セラレタルハ違法ノ判決ナリトスト云フニ在リ
按スルニ水利組合ハ水利土功ニ關スル事業ニシテ特別ノ事情ニ依リ府縣其他ノ地方公共團體ノ事業ト爲スコトヲ得サルモノアル場合ニ於テ設置スル特別地方公共團體ニシテ其目的トスル事業カ水利土功ニ限ラルルノ外統治事務トシテ事業ヲ爲ス點ニ於テハ府縣其他ノ地方公共團體ト異ル所ナシ故ニ普通水利組合カ灌漑排水ニ關スル事業トシテ爲ス行爲ハ公權ノ發動トシテ爲ス所ノ行政處分ナリト謂フヘク縱令將來斯ル行爲ニ依リ他人カ權利ヲ妨害セラルル虞アル場合ト雖モ之カ當否ノ裁判ヲ司法裁判所ニ請求シ得ヘキ限ニアラス原判決及之ニ引用スル第一審判決ノ事實ノ摘示ニ依レハ上告人ハ被上告人カ關川ニ堅牢ナル石堤ヲ設ケ聖枠ヲ以テ關川全川ヲ堰止メ被上告人用水ニ引入ルヘキ設備ヲ爲シ以テ上告人ノ用水權ヲ妨害スルノ行爲ヲ爲シタルカ故ニ上告人ノ用水權ノ確認及將來ニ於テ上告人ノ用水權ヲ妨害スヘキ聖枠ヲ設クルカ如キ工事ヲ爲ササルコトヲ請求スト云フニ在リテ本訴不作爲ノ請求ハ普通水利組合タル被上告人カ公權ノ發動トシテ爲ス灌漑工事カ上告人ノ權利ヲ侵害スル不當ノモノナルコトヲ鳴ラシ將來ニ於テ斯ノ如キ工事ヲ再ヒセサラシメントスルモノニシテ行政處分ノ當否ノ判斷ヲ請求スルモノニ外ナラス從テ其判斷ハ司法裁判所ノ權限ニ屬セサルモノナレハ本論旨ハ理由ナシ
上告論旨第二點ハ普通水利組合ハ其組織上ノ性質ヨリ論スレハ公法人ナリ此公法人ハ凡テノ關係ニ於テ國家行政廳ノ權能ヲ有スルモノニ非ス故ニ水利組合カ單ニ公法人タルノ一事ヲ以テ直ニ行政官廳ト看做スノ論據ニ對シテハ幾多ノ難問アルヲ免レス然レトモ假ニ之ヲ行政官廳ト論定シ公法人ノ權力行爲即チ行政處分ナリト解スルコト原判決ノ如シトスルモ用水權實行ノ場合ニ於テハ猶其一切ノ行爲ヲ以テ權力行爲ト爲シ行政處分ナリト言フコトヲ得ヘキカ大ニ疑問ノ存スル所ナリ上告人ノ主張スル所ハ被上告人ノ有スル用水使用權ハ私權ナリト言フニ在リ被上告人ハ此私權ヲ行使スル前提トシテ組合組織ノ目的ニ定メタル事業ヲ爲シ得ヘシト雖モ用水使用權ノ行使ハ事業其モノニ非スシテ私權ノ行使ナリ斯ノ如キハ普通水利組合ノ如キ公法人ト國家ノ行政官廳トノ異ル所以ニシテ裁判上特別ノ御判定ヲ仰クヘキ所以ナリトス本件ニ於テ上告人カ主張スル所ハ被上告人ハ其私權タル用水使用權ヲ行使スルニ當リ即チ私權ノ行使ニ當リテ上告人ノ用水使用權ヲ妨害スヘカラスト言フニ在リテ毫モ被上告人ノ公權ノ行使若クハ行政處分ヲ制限セント欲スルノ訴求ニ非ス而シテ上告人ノ請求ニシテ或ル場合ニ於テハ實際上被上告人ノ法人ノ事業其モノト交渉スル所アルヤモ測ラレス然レトモ斯ノ如キハ上告人ノ主張事實ト實際ノ状況トニ鑑ミ對照考察ノ上綿密ナル判定ニ依テ決スヘキモノニシテ抽象的ニ公法人ナルカ故ニ行政處分ナリト言ハンカ如キ定論ニ基キ判斷スヘキモノニ非ス元來用水使用權ハ我國ノ如ク農業ニ重キヲ置キタル政治ノ運用上極メテ沿革ニ富ミ慣習的ニ承認セラレタルモノニシテ普通水利組合ヲ認ムル水利組合法モ此用水權ノ本性ヲ確定スルヲ目的トシタルモノニ非サルノミナラス斯ノ如キハ一立法ノ敢テ爲シ能ハサル所ナリ從テ普通水利組合ノ事業ト用水使用權ノ行使トヲ混同スルカ如キハ頗ル誤レルモノナリト思料ス此點ニ於テ原判決ハ理由不備ノ不法アリト云フニ在リ
然レトモ普通水利組合カ灌漑ニ關スル事業トシテ爲ス工事ハ行政處分ニシテ上告人ハ斯ル工事ヲ被上告人カ爲ササルコトヲ請求スルモノナルコトハ前項ニ對スル説明ノ如クナリ上告人ノ請求ハ單ニ被上告人カ用水使用權ヲ行使スルニ當リ上告人ノ用水使用權ヲ妨害スヘカラスト云フニ在ラサルカ故ニ本論旨ハ理由ナシ
仍テ上告ヲ理由ナシトシ民事訴訟法第四百五十二條第七十七條ニ則リ主文ノ如ク判決ス
大正四年(オ)第四百四十六号
大正四年十二月四日第三民事部判決
◎判決要旨
- 一 普通水利組合が灌漑排水に関する事業として為す行為は府県其他の地方公共団体が其事業に付き為すものと同じく公権の発動として為す一の行政処分なれば他人が其行為に依り妨害せらるる虞ある権利の救済は司法裁判所の権限に属せざるものとす。
上告人 中江用水普通水利組合
法定代理人 相沢尚義
被上告人 上江用水普通水利組合
法定代理人 閏間季五郎
右当事者間の用水使用権確認請求事件に付、新潟地方裁判所が大正四年四月十五日言渡したる判決に対し上告人より一部破毀を求むる申立を為し被上告人は上告棄却の申立を為したり。
主文
本件上告は之を棄却す
上告費用は上告人の負担とす。
理由
上告論旨第一点は原判決に「控訴組合は水利組合法に基き組織せられたるものにして公法人たることは当事者間にも異議なき所なり。
而して控訴組合が聖枠を設け源流を堰止め其用水路に引用する工事の如きは其目的たる用水の施設に外ならざれば其行為は則ち公法人の権力行為即ち行政処分なりと謂はざるべからず。
故に今仮りに控訴組合が其用水施設の為め不当なる工事を為し以て被控訴組合の用水権を妨害したりとせんか被控訴人に於て其処分の当否を争ひ該工事の廃止又は変更を求むるには行政訴訟手続に依るの外なきや言を竣たず。
果して然らば本訴の如く控訴組合が他日不当なる引水工事を為し以て被控訴組合の用水権を妨害せんとする虞ありとし之が救済を求むる場合に於ても亦行政訴訟の手続に依らざるべからざるや当然の筋合にして其争訟は司法裁判所の管轄に属せざるものとす。」云云と判示せられたれども上告人は本件に於て上告人の有する用水権の確認と併で該権利の行使に対する妨害行為の禁止を要求するものに之れあり被上告人が公法人として当然為すべき権力行為即ち基本分の行為として執行すべき工事の廃止変更を要求するものにあらず。
上告人は寛文年中に延長六里余の用水路を開鑿し三千数百町歩の田地に灌漑する為め関川流水を堰止め之を江路に引用し来りたるものなるに被上告人は其後上告人の取入口より上流に用水路を創設して関川流水を引入れ上告人の有する用水権の侵害を為すべき状況あるを以て茲に該権利の確定を為さざれば水利上重大なる利害関係を生ずべき次第なり。
而して上告人の用水権確立する以上は被上告人は素より何人と雖も該権利を侵害すべからざる義務あることは勿論なれども現に侵害の状況ある被上告人に対しては権利の擁護上進で不作為義務をも確定せざれば上告人は安全に権利の行使を為すことを得ず。
故に上告人は本件に於て二箇の要求を為したれども第二の要求は第一要求の私権関係に当然随件すべき義務にして権力行為の当否を争ふものにあらず。
若し夫れ原判決説明の如く被上告人が組合の有する本分の行為として執行したる工事の当否を争ふ場合は自ら別問題に属し上告人の要求は単に私権に随件すべき義務の確定にして行政行為に何等の関係を有せず。
然るに原判決は法則を不当に適用し上告人の第二請求を却下せられたるは違法の判決なりとすと云ふに在り
按ずるに水利組合は水利土功に関する事業にして特別の事情に依り府県其他の地方公共団体の事業と為すことを得ざるものある場合に於て設置する特別地方公共団体にして其目的とする事業が水利土功に限らるるの外統治事務として事業を為す点に於ては府県其他の地方公共団体と異る所なし。
故に普通水利組合が灌漑排水に関する事業として為す行為は公権の発動として為す所の行政処分なりと謂ふべく縦令将来斯る行為に依り他人が権利を妨害せらるる虞ある場合と雖も之が当否の裁判を司法裁判所に請求し得べき限にあらず。
原判決及之に引用する第一審判決の事実の摘示に依れば上告人は被上告人が関川に堅牢なる石堤を設け聖枠を以て関川全川を堰止め被上告人用水に引入るべき設備を為し以て上告人の用水権を妨害するの行為を為したるが故に上告人の用水権の確認及将来に於て上告人の用水権を妨害すべき聖枠を設くるが如き工事を為さざることを請求すと云ふに在りて本訴不作為の請求は普通水利組合たる被上告人が公権の発動として為す灌漑工事が上告人の権利を侵害する不当のものなることを鳴らし将来に於て斯の如き工事を再ひせさらしめんとするものにして行政処分の当否の判断を請求するものに外ならず。
従て其判断は司法裁判所の権限に属せざるものなれば本論旨は理由なし。
上告論旨第二点は普通水利組合は其組織上の性質より論すれば公法人なり。
此公法人は凡ての関係に於て国家行政庁の権能を有するものに非ず。
故に水利組合が単に公法人たるの一事を以て直に行政官庁と看做すの論拠に対しては幾多の難問あるを免れず。
然れども仮に之を行政官庁と論定し公法人の権力行為即ち行政処分なりと解すること原判決の如しとするも用水権実行の場合に於ては猶其一切の行為を以て権力行為と為し行政処分なりと言ふことを得べきか大に疑問の存する所なり。
上告人の主張する所は被上告人の有する用水使用権は私権なりと言ふに在り被上告人は此私権を行使する前提として組合組織の目的に定めたる事業を為し得べしと雖も用水使用権の行使は事業其ものに非ずして私権の行使なり。
斯の如きは普通水利組合の如き公法人と国家の行政官庁との異る所以にして裁判上特別の御判定を仰くべき所以なりとす。
本件に於て上告人が主張する所は被上告人は其私権たる用水使用権を行使するに当り。
即ち私権の行使に当りて上告人の用水使用権を妨害すべからずと言ふに在りて毫も被上告人の公権の行使若くは行政処分を制限せんと欲するの訴求に非ず。
而して上告人の請求にして或る場合に於ては実際上被上告人の法人の事業其ものと交渉する所あるやも測られず。
然れども斯の如きは上告人の主張事実と実際の状況とに鑑み対照考察の上綿密なる判定に依て決すべきものにして抽象的に公法人なるが故に行政処分なりと言はんが如き定論に基き判断すべきものに非ず元来用水使用権は我国の如く農業に重きを置きたる政治の運用上極めて沿革に富み慣習的に承認せられたるものにして普通水利組合を認むる水利組合法も此用水権の本性を確定するを目的としたるものに非ざるのみならず斯の如きは一立法の敢て為し能はざる所なり。
従て普通水利組合の事業と用水使用権の行使とを混同するが如きは頗る誤れるものなりと思料す此点に於て原判決は理由不備の不法ありと云ふに在り
然れども普通水利組合が灌漑に関する事業として為す工事は行政処分にして上告人は斯る工事を被上告人が為さざることを請求するものなることは前項に対する説明の如くなり。
上告人の請求は単に被上告人が用水使用権を行使するに当り上告人の用水使用権を妨害すべからずと云ふに在らざるが故に本論旨は理由なし。
仍て上告を理由なしとし民事訴訟法第四百五十二条第七十七条に則り主文の如く判決す